4章第2話 結局の所、頬は緩む
「話をまとめよう」
とある酒場の喧騒の中、目の前には無駄に顔が整っているアーノルドさんが、やや深刻な顔をして語り出した。
対する私、エリー・フォレストは目の前の山盛りサラダを頬張りながら、「うむ」と答える。
「なにが「うむ」だ。もう少し真面目に考えろ」
心外である。
口にレタスとトマトを詰め込んだので、それしかしゃべれなかっただけなのに。
まるで私が尊大かつ不真面目な女のようではないか。
「まぁ、いい。問題は俺らはこの魔獣討伐で4か所ほど、依頼をこなしたわけだが…」
そこまで言って、アーノルドさんは声を潜める。
少し囁きボイスになり、ただでさえイケメン声なのに色気マシマシだ。
うむ、耳福耳福。
「お前は全部、浄化しちまった」
そう、私はしちまったのである。
「あれ?僕なにかやっちゃいました」系主人公が如く、「出来そうだからやってみたら、出来ちゃった」もんで周囲唖然ってなもんである。
「エリーに浄化が高難易度な行為だって、説明したよな。上の空で聞いてたみてぇだけど」
「ちゃんと聞いてましたよー。だからやってみたくなったんじゃないですか」
確かに半分聞き流していたけれど、浄化ってのが結構レアな部類に属しているのは把握している。
だからこそ、「ん?これ出来るんじゃね」ってやってみたのだから。
まさか本当に出来るとは、って思いましたけど。
「つうか、どうやって浄化したんだ?」
「ふわ~っと漂っている悪い空気を、しゅっしゅって集めて、最後にまとめたものをパパッと片づけました」
「なるほど、分からん」
なんで分かんねーんだよ。
それで分からないって言う方が分からんわ。
なんか、こう、わたあめとか作る時にさ、ふわわわ~~って巻き取るじゃん?あれに近いかな。
でも、あれよりもっと拡散してるんだよなー。それに集めれば集めるほど重くなるし。
うーーん、例えようがない。
「すみません、感覚派なもんで」
「都合のいい言葉で誤魔化すな。説明が下手なだけだろうが」
「そういうアーノルドさんだって、自分の炎魔法、どうやって出来るのか説明できますか?」
「は?んなもん、ぶわわわーって魔力ぶちまけるだけだろ」
「くっそ説明下手ですね。アーノルドさん、先生にだけはならない方が良いですよ。生徒が不憫なんで」
「おめーに言われたかねぇなぁ」
またまた心外な台詞が飛び出した。
こっちこそ、アーノルドさんだけには、んな事を言われたかねーんですけど。
「はいよ、お待ち」
アーノルドさんと論戦をしていると、注文していた牛肉の煮込みスープが到着した。
これよ、これ。待っていました。
一緒にテーブルに置かれた蜂蜜水もさっぱりして喉越し最高である。
アーノルドさんも同じ飲み物を頼んでいる。
ちなみにこの世界は明確に酒解禁年齢が設定されておらず、だいたい我々のように15歳過ぎたら嗜み始めるようだ。
御多分に漏れず、アーノルドさんも普段ならば「酒場といえば、文字通りお酒でしょう!」とアルコールを注文するのだが、この討伐旅行中は禁酒措置が言い渡されている。
どうも酔うと何をしでかすか分からないかららしいが…まったく信用されてないなぁ。
私たちが酒に溺れて失態をするとでも言いたいのだろうか。
うん、言いたいんだろう。
そして若干、それが正しいような気がしてきた。
「先輩、生来のラッキースケベ体質なんだよな……」
「お前、滅茶苦茶失礼な事を考えているだろ?」
うるさい奴め。
うら若き乙女の生乳を揉みしだくという無礼千万・失礼極まる行為をしやがった奴に言われたかねーんだわ。
おっと、こんな失礼な奴は置いておくとして、早くスープを食さねば冷めてしまう。
「んんんんんんん~~~~~っ」
美味い!絶品である。
これは食が進む。白米があれば言う事なしなんだけどなぁ。
都合よく東方諸国に稲とか生えてねぇかなぁ。
「おう、可愛い顔していい食べっぷりだねぇ、姉ちゃん。聖女の微笑みってやつだ」
給仕の親父さんの台詞を聞いて、思わず口からご飯をぶちまけそうになった。
せ、せ、聖女!?
いきなり身バレですかい?
やはり高貴なオーラは隠しきれず、私の周囲から漏れているのかしら。
「おや、知らないかい?良い顔してニコニコ幸せそうに食べる姿をそう言うんだぜ」
なんだ、慣用句か。
てっきり私が清廉で気高い美女だからかと思ったぜ。
「なあ、彼氏の兄さん。こんな可愛い聖女様をモノにするなんざ、あんた幸せもんだな」
やだぁ、もう、彼氏だなんて。
私たちはプラトニックな関係で、彼氏彼女の関係じゃないのよ。
それは、まぁ、将来的にそうなる可能性はゼロじゃないんだけれど、今はまだ、ね?
逆にそこんとこ、アーノルドさんはどう思っていらっしゃるんですかね。
「こいつが聖女のはずがない」
直前まで漂っていた和やかな雰囲気は、アーノルドさんの一言で、冷えっ冷えに凍り付いた。
◇◇◇
和気藹々としていた雰囲気が一瞬でぶっ壊れ、酒場の親父さんも「あ、お、おう」としか言えなくなっている。
そのままアーノルドさんは不機嫌なまま、つまらなそうに蜂蜜水をぐびぐび飲み散らかしているだけなので、沈黙だけが場を支配する。
「な、なんか、悪かったな」
その空気に耐え切れず、親父さんはそそくさと退散していった。
そりゃそうだろう。私でもそうする。
つーか、手元にある私の分の蜂蜜水を、目の前の仏頂面にぶっかけてやろうかと思ったさ。
だがその衝動をぐっと堪えた後、しばしの沈黙を経た後、私は盛大な溜息と共に、目の前にいるクソみてぇに空気を読まない先輩に尋ねた。
「で、先輩は何が言いたかったんです?」
「あ?」
「あ、じゃねーだろうがよ。今の台詞の真意を教えろっつーんですよ」
半年くらい前の私だったら、「アーノルドさんが酷い事を言った!」と泣き喚いていた所でしょうけど、さすがにもう分かります。
この男が、肝心な時にとんでもねぇ言葉足らずな事を!
純愛小説とかなら、ここで言葉のすれ違いを挟んで3~4話ぐらいあれやこれやと展開すると思うのですが、現実では、こんな場面に出くわせば「あれ?おかしいぞ」って勘付くわけでして。
そもそも、そんなすれ違ってやきもきする展開を私自身がまっぴら御免なわけです。
ついでに言うと、アーノルドさんとのBADイベントが発生すると、それはそれで私の断罪ルートのフラグが立ってしまうかも知れず…。
とにかくアーノルドさんと仲違いする理由など皆無である以上、変な誤解は即解決がマストだって事。
「………聖女は、不幸になる」
私の問いかけに、アーノルドさんはぼそりと語り出した。
「はい?」
「聖女については、俺も少し調べてみた。伝承やこれまで何人か現れたとされる、かつての聖女たちの経歴をな」
「脳筋とばかり思っていましたが、意外と頭を使うんですね」
「ノエリア義姉さんにも手伝ってもらいながら」
「さすがブレねぇな、このシスコン」
もう拍手喝采である。
ここまで義姉さん、義姉さんと言われたら、もはや姉離れしろと苦言を呈する労力が無駄だと誰だって悟るだろう。
そう腹をくくったら、優秀極まる義姉ノエリア様は引き離す対象ではなく、むしろ積極的に活用するに限る。
美しき今女神たるノエリア様、どうかこの阿呆をお救い、導いてくださいませ。
むしろこんな阿呆な男が出来上がってしまった責任の一端はノエリア様にもあるので、少しはフォローをお願いします。
「それで、さっきの暴言と何か関係がある事が判明したんですか?」
「暴言?」
「だと思いましたよ。アーノルドさんの中では余人にはうかがい知れぬロジックがあったわけですね。ただ、あまりにも言葉が足りないせいで、あたかも「こんな不細工が聖女なわけあるか。幸せどころか、今、俺は不幸のど真ん中にいるんだぞ」と私を罵倒したように聞こえました」
「え!?」
「え!?じゃねーっすよ。少なくとも退散していった酒場の親父さんは、そう受け止めたと思いますけど」
本当に何も考えてねーんだな、この人。
まぁ、そうでなきゃ、私に剣を突きつけた事案を皮切りに、数々の暴挙に手を染めやしねぇだろう。
よくノエリア様をはじめ、皇太子さまやご学友の方々はお付き合いしてくれてるな。
こいつの言動に付き合ってイライラしねーんだろうか。
「そうか、そういう風に見えたか」
「ええ、誰がどう見ても」
「………真意は違う」
「お聞きしましょう」
「聖女について調べたと言っただろ?」
そういうと、なぜか不機嫌なアーノルドさんは、口の中にレンズ豆と鶏肉のワイン煮込みを放り込んで一息置いた。
それ、私も食べたかったやつなので、後でシェアさせてください。
……ではなく、間を空けたのはご飯が食べたかっただけではなく、そうでもしないとやってらんねぇ、って雰囲気である。
「みんな、聖女だ、素晴らしいって感じで褒め称えているだろ?」
「少なくとも嫌われてはいませんねぇ」
「じゃあ、その生涯をきっちり追って考えたことはあるか?」
「んー……、だいたい御大層な逸話ばかりが注目されますが……」
民間に伝わる聖女様ってやつは、やれ魔族の侵入を防ぐために聖なる結界を張っただの、悪龍を封印しただの、国中を巡礼して人々を癒しただの、そんなエピソードには事欠かない、それはもう聖母様みたいなお人である。
……ただ、しかしながら…
「なんか、天界に召されたとか、悪神と相打ちとか、ド派手に散ったエピソードも豊富ですね」
「そう、それ」
アーノルドさんが正解、と言わんばかりにスプーンを私の方に向ける。行儀悪いぞ。
「ついでに言やぁ、教皇の命であちこちを巡礼したり、生涯を民衆への慰撫に捧げてる聖女も多い。つか、ほとんどの聖女が似たような経歴を辿っている」
「ご立派ですなぁ。少なくとも私には真似できないっす」
「その通りだ」
「はっきり物を言い過ぎぃ!」
少しは「そんな事はないぞ」とか「お前にも素質がある」とか言ってくれやしないのか。
世渡りするのに、そんなこっちゃ苦労するぞ。
「……………………はぁ……ダメな奴だ」
深い溜息までつかれた。
その上、ダメな奴とダメ出しまでされてしまった。
おのれノンデリ野郎、かくなる上は、どんな言葉で反撃してやろうかと思っていたら、話は私の想像する斜め上に展開した。
「どうも俺は言葉が足りない。さっきもそうだが、俺は気が乗らない話題を口にする時、どうしてもそうなっちまう」
「はえ?私へのダメ出しではなく?」
「俺自身へのダメ出しだ」
ほう、つまりは「その通りだ」という言葉の真意も違うってことですか?
わっかりにくぅ~い。
「真似できない事に同意したのは、エリーが品行方正な生活態度を維持できないという意味じゃない。いや、その見方は必ずしも間違えてはいないのだが、俺が言いたかったのはそうじゃない。だからお前の生活態度が悪いわけではないが、直した方が良いと思う箇所もまた、数多くあるという事は……」
「いいから本題に入れよ!地味に私のこと、ちくちく刺してんだよ!」
性格の悪い姑か、お前は。
このままでは、私に対する説教が始まってしまう。
え? 私、アーノルドさんから見て、そんなに直すべき生活態度あるの?
それは嫌だなあ。
それで結局、何が言いたかったわけ?
「エリー、お前、聖女全員が全員、本当に聖人君子だったと思うか?」
は? 聖女って言えば皆、いい子ちゃんじゃねーの?
むしろそれが前提条件なんじゃないの?
「聖女は皆、ある日、天啓を受けたというのが大半で、生まれながらにしての聖女ってのは確認できない。まぁ、聖女としての力が覚醒したという見方もある。ただそれでも、ある程度の自我が形成されてから目覚めたケースばかりだ」
「仮に私の力が聖なる力とか珍しい奴だったとしたら、それも含まれるわけですなー」
「そういうことだ。つまりそれまでは、貴族やら平民やらと立場や身分の違いはあれど、地に足を付けて生活をしていた人だって事さ。そんな人たちが、ある日突然、聖女だと言われても困っただろうよ」
「むう」
確かにそうだ。
華やかでお伽噺的な伝承に彩られた聖女様とて、元々は普通の一般人だったとしたら、実はいい迷惑なんじゃないだろうか。
彼女たちにも家族や、友達や、もしかしたら恋人や夫がいたかも知れないし、これまでの生活が一変し、保護という名目で王家や教会に連行されたかも知れない。
だとするなら、彼女たちにとって聖女の力など無用の長物に過ぎない。
「そんな「普通」の女性たちが、ある日突然、聖女なんかに祀り上げられて、全員が全員幸せだったとは俺は思えない」
アーノルドさんも私とおそらくは同じ感想を抱いたのだろう。
吐き捨てるような言い草は、聖女という存在に対して全面的に肯定をしていないのは明白だった。
「ははぁ、なるほど。だからこそ、私は聖女ではない、と」
そこで私はようやく合点がいった。
私が聖女として生きるのは、決して幸福ではない事を察しての全面否定だったのだ。
この言葉にたどり着くまでに、一体どれだけ遠回りさせるんだよ。
「まったく回りくどいなぁ。正直に、かわゆい私が聖女認定されてアーノルドさんの目の前からいなくなっちゃうのが嫌だと言ってくれれば、私だってそれなりに感動したっつーのに」
品を作りながら、あははは、と冗談めかしてからかったのだが、アーノルドさんは意外と乗ってこない。
少し馬鹿にしすぎたかな?
「概ね、その通りだ」
「ほへ?」
素直に認められたせいで、変な声になったわ。
くっ、アーノルドさん、たまにこういう感じで冗談を真顔で返すんだよな。
こんな事を言われたら免疫がないご令嬢なんて、ころっと騙されてしまうに違いない。
天然の女ったらし野郎だ。
「別にかわゆくはないが」
前言撤回。
女たらしになるには、一言多すぎる。
百年の恋も一発で冷めるかの如き言葉のぐーぱんちが炸裂した日には、騙された女性たちの屍が累々と並ぶはずだ。
「まぁ、いいですけどね。仮に私が聖女だったとしても、公表して欲しくないってのは、最初から言っていますし。アーノルドさんたちは、私が相変わらず嫌われ者で誹謗中傷の誹りを受けているのを気になさっていますが、聖女として崇め奉られるくらいなら、今の境遇の方が何倍もマシです」
「マシなわけないだろ」
アーノルドさんが即座に否定してきた。
「お前はもっと主張しても良いんだぞ。自分の成し遂げてきた功績に比べて待遇が悪すぎるとか、これまで受けた被害に対しての対価を要求するとか。金銭然り、評価を向上然り、今の状況を打破しようとすれば、いくらだって協力は惜しまない」
「あー、そういうの良いです、割と本気で」
「それが分からねぇんだよ。なんで本気で嫌がってんだ?」
アーノルドさんは本気で心配してくれているようだ。
そりゃ、自ら報酬だの叙勲などを辞退して、むしろ誹謗中傷を進んで引き受けるなんて、普通は考えられないんだろう。
ましてや名誉ある謁見の権利を何度も辞退してりゃあ、謙虚を通り越して怪しい風に見えるかも知れんすな。
「聖女として認定されるのが色々面倒なのは分かる。俺が言ったような、虜囚同然の目に遭う可能性だってあるわけだからな。だが洞窟での探索での功績や、これまで努力してきた事は、もっと誇って然るべきだと俺は思う。つまりだ……エリーの実力はもっと評価されなきゃ嘘だと思うんだ」
「別に知っている人だけ、知ってくれれば良いですってば」
「それな。いい加減、それ止めた方がいいぞ。知らない連中が付け上がって責め立ててくる」
「付け上がるような奴らは勝手に付け上がらせとけって思うんですけど」
「そして、それを許せないお前の周囲の人間が、責めてきた人間に反撃するぞ。心当たりあるんじゃないか?」
「あ~~~~~」
なくはない。
いや、むしろ、あり過ぎる。
具体的にはですな、ありがたい事に、私への理不尽な攻撃に対して、級友たちが守ってくれる事が多々ある。
それはひっじょーーーに嬉しいんだけど、こう、なんていうか、みんな好戦的なんだよな……。
グレンくんやモニカ様は、ここぞとばかりに相手をぶちのめしにかかる(私をネタにストレス解消しているようにしか見えぬ)。
ケイジくんは裏でコソコソと何かやっていて、翌日からターゲットにされたであろう生徒が学校を休むこともしばしばある。
他にも、比較的仲の良い子たちは、大なり小なり、同じような事をしており、そのたびにキャロルさんが事態の収拾の為、あちこちを飛び回るのだ。
我々がキャロルさんから施された恩義は海よりも深い……割と本気でそう思う。
「私のために争うのはやめて、って奴ですか」
「それが正解かどうかは知らんが、お前も自分のせいで身の回りの人間がトラブルに巻き込まれるのは本意じゃあるまい」
「それは、そう」
「それに、いつだって守ってくれるわけじゃないだろ。24時間、付きっきりで護衛はできまい」
「そりゃそうですが……」
「だろ?いつどこで、誰が狙っているか分かねぇんだぞ。そんな中でお前を一人にさせたくはないんだ」
その台詞を受けた私は、目を見開いた後、思わず吹き出してしまった。
「なんで笑うんだよ」
アーノルドさんが不服そうに唇を尖らせたが、それもまた可笑しくてニヤニヤしてしまった。
「いや、感慨深いなぁって」
「感慨深い?」
「ええ。まさかアーノルドさんが私を心配してくれるなんて、1年前には思いもしませんでした」
「心配なんかしていない。俺はただ………」
アーノルドさんはそこまで言って沈黙する。
おそらく色々な想いが脳裏を駆け巡った後、ため息を吐いて呟いた。
「いや、ここで抗弁してもしょうがねぇな。お前が心配だ。出来る事ならどこかにさらって行きたい」
「そこまで……私の事を?」
「そうでもしねぇと脱走するだろ?」
「あー、そういう意味でしたか」
てっきり私に対して愛玩動物くらいの愛情を抱いてくれたのかと思ったのだが。
動物は動物でも、野生動物くらいにしか思っていないようだ。
駆逐対象でなくなっただけ、マシかも知れない。
「まぁ、いざとなったら何だかんだでアーノルドさんが助けてくれますし」
「は?ふざけんなよ。何の義理があってお前を助けなきゃいけねぇんだ」
「またまた、そんな事を言って、素直じゃねぇなー、この先輩はよ」
「助けるとしても、勝てる相手にしか抗議しねぇからな」
「北の狼とやらに噛みついたじゃありませんか。そんな事ができるの、アーノルドさんくらいですからね」
そうなのだ。
この人ってば、私が北のやべー連中にさらわれそうになった時、誰もが尻ごみをする中で颯爽と助けに来やがったのである。
皆、人生プランだとかご家庭の事情とかで後ずさりするような状況で、全速前進で踏み込んで来たのはアーノルドさんだけだった。
あの時はテンションぶち上げだったから気が付かなかったが、後になって冷静に考えるとウィッシャート家の次期当主が家門をかなぐり捨てる格好で大立ち回りを演じたのだから、いやー、背筋が凍るってもんよ。
だってアーノルドさんが負けていたら、王家の威信も名門ウィッシャート家も地に堕ちていたかも知れないんですよ?
私ってば、この国の歴史をうっかり変える所だったのである。
これを恐怖といわず、なんと呼ぼうか。
「そもそも俺はウィッシャート家を恒久的に継ぐつもりはない。負けた時は一族から追放してもらえれば、名声への傷は最小限度で済む」
などと先輩はとんでもねぇ事を言い出す。
まぁ、今に始まったことではない。
この人、自分の地位や名誉には無頓着で、ウィッシャートの名前すら、捨てることに躊躇しねぇのよ。
そんな奴が、私に対して、やれ「自分を大切にしろ」だの「もっと評価されるべき」だの、ちゃんちゃらおかしいのである。
「先輩が、もっとご自身を大切にするのであれば、私も善処しますよ。少なくとも今後は、やたらめったら相手を見ずに噛みつくのは止めていただきたいです」
「……………………」
「返事」
「俺は嘘をつかない」
「おめーよぉ………」
こいつぁ、とんだ頑固者だ。
適当に誤魔化せば済むものを、正々堂々と拒むとは。
ついでに「これからも俺は俺の思うがままに誰かまわず噛みつく」宣言までしやがった。
「俺は、俺の思うように行動するし、無責任な言葉は口にできねぇ。いくらお前が説得しようが、無駄だ」
「あ、そういう事、言っちゃいます?チョロ過ぎ騎士のチョロノルド先輩を説得するくらい、朝飯前なんですが」
「おいおいおいおい、誰に対しての評価だ、それは。チョロいと言えば、エリー・フォレストの代名詞だろ」
「おっとおっと、聞き捨てなりませんね。いつ、私がチョロいなんて評価を承ったのでしょう?身持ちの固さで有名な、このエリーちゃんの牙城を崩すには、アーノルドさん如きの言葉では何年たとうが不可能というもの」
「いーや、チョロいね。何なら秒で落ちるね。籠城する間もなく落城するね」
はあーー、そうですか。
もういいです。
こうなったら、二度と先輩にはなびいたりしませんからね。
ええ、もうどんなに甘い言葉だろうが、誉め言葉だろうがかけられたって、一度傷ついた乙女心はそう簡単に癒されないんですから。
今さら失点を挽回しようったって無駄です。後の祭りってやつです。
はっ、後々になって、「あの時、もっと優しい言葉をかけていれば」と今日という日を悔やむがいい。
言っておきますが、私、マジでチョロい女じゃありませんので。
「ただ、ひとつだけ訂正がある」
「ああん?」
やべぇ、すげぇ態度の悪い声が出た。
滅茶苦茶、心の中が丸出しになってしまった。
だが意外な事にアーノルドさんは、そんな口の悪さを指摘するでもなく、何か逡巡しているようだった。
むしろそのせいで、私のクソ悪い態度に気が付いていない。セーフ。
気が付かれていたら「淑女とはどうあるべきか」というテーマでノエリア様を引き合いに出しつつ、軽く……いや、相当な時間、説教されていただろう。
そのくせ、目の前の先輩ときたら、歯切れ悪く口ごもるばかりで、その訂正事項を告げようともしない。
何がしてぇんだ、お前。
「で、何を訂正するってんです?」
いつまでも切り出さないので、こっちから聞いてやった。
何をそんなにもったいぶっているのか。
ようやくアーノルドさんが口を開いたのは、3回目の催促を受けてからであった。
まったく、もったいつけやがって。
「………まぁ、なんだ、嘘をつかないとか言ってしまった手前、訂正しねぇと、嘘だなと思ってな」
「何のことですかね」
「たったさっき、俺が言った台詞だ」
どれが該当する言葉だろうか。
たくさん話をしたせいで、見当がつかない。
聖女云々の誤解は解けたし、他に訂正すべき単語があっただろうか?
私が首をかしげていると、大きく息を吐いたアーノルドさんは意を決したように正解を言ってくれた。
「お前は可愛い」
「は?」
あまりに想像の埒外過ぎて、思考が停止する。
「かわゆくはない、と言ったのは嘘だ。お前があまりにもドヤ顔をするから否定したが……」
ゴホン、と咳払いをした後、蜂蜜水を飲み干したのは照れ隠しか、似合わなすぎる事を口にして喉がカラカラになったのか。
目をぱちくりさせる私の前でアーノルドさんは口を尖らせながら続けた。
「俺の目から見て、お前は十分に可愛い……と、思う」
「ぴゃあぁぁぁぁ……」
警笛みたいな声が出た。
アーノルドさんのマジトーンでの台詞の直撃を受けた私は、割と本気で腰が抜けた。
会話の流れ的に、お世辞とか誰かの強制ではなく、アーノルド自身のガチ感想なのだろう。
汚ねぇ。
心のガードをしていなかったので、完全に不意打ちを喰らってしまい、思考が働かずパニックに陥る。
しばしの時の経過と共に、ようやく復調した脳をフル回転して、気の利いた返しを捻り出していく。
もしここで追い打ちを受けていたら、奇声を上げてこの酒場から飛び出した自信がある。
よくぞ沈黙を維持してくれた。誉めてつかわすぞ。
「先輩」
「おう」
「このまま一緒にベッドインするほど、私は安い女じゃねーっすよ?」
ようやく紡ぎ出せた言葉は、なかなか最悪のものだった。
あれ? もうちょっと気が利いた事を言うつもりだったんだけどなー?
だが言ってしまったもんはしょうがない。
それに対してアーノルドさんが、割とガチ目に狼狽しながら抗議の声を上げる。
「違ぇよ!!お前、何考えてんの!?そんな事したら、次こそ俺ら退学だぞ!!」
「私はいくらでも虚偽の証言できるので、退学するとしたらアーノルドさんだけだと思います」
「ざけんじゃねぇ!!俺を転落させて楽しいか?」
「めっちゃ、楽しいです!その為になら操のひとつやふたつ、捧げてやりますよ!今から既成事実を作りに行きますか!?」
「行くか!!たった今、安い女じゃねぇって言ったの忘れたの?」
「先輩が嫌がるのであれば、尻軽だろうが淫売だろうが、どんな汚名だろうと甘んじて受け入れる所存!」
「いい加減、俺に嫌がらせする為に、すべてを犠牲する性根をどうにかしろ!」
うむ、私の脳細胞が最初にとんでもない回答を導き出した時はどうなる事かと思ったが、どうやら丸く収まりそうだ。
あーー、やばかった。
顔が熱を帯びている自覚症状があったし、あのまま向かい合っていたら、きっとアーノルドさんの頭髪並みに頬は真っ赤になっていただろう。
「とにもかくにも、今の台詞を瓦版や掲示板に貼り出して、王都中に認知させてきます!」
「やめろ!冗談に聞こえない!お前、本当にやりそうだからな!」
「……………冗談?」
「本当にやめろよ、お前!!」
………と、まぁ、それからはグダグダと冗談を言い合ったり、他愛もない話題で笑ったりした後、宿へ戻って就寝した。
(もちろん別部屋なので、安心して欲しい)
結論から言うと、まぁ、傷ついた乙女心とやらはすっかり癒されて、就寝前のベッドでは
「ほう、可愛いか。アーノルドさんは私を可愛いと思っているのか。ふふふ、愛い奴よのう」
とか「ぐふふ」「げふふ」と変な笑い声を立てながら転がり回った。
その後、枕に顔を埋めて、いつまでも収まらないニヤニヤを浮かべながら、いつの間にか就寝してしまったとさ。
……まぁ、何が言いたいかっていうとですね。
めちゃくちゃチョロいな、私。




