3章第25話 祭りが終わって(3)
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寒風吹きすさぶ師走において、王立トラヴィス魔法学園では年内最後の行事が行われていた。
【模擬戦闘合戦】
先んじてアーノルドらが参加した決闘会とほぼ同様の催しで、学内きってのイベントである。
昨年はアーノルド無双で話題を掻っ攫った感があるが、今回はそのアーノルドは療養中で不参加(でなくとも、名誉生徒として参加NGではあったが)である為、拮抗した戦いが繰り広げられていた。
学内の剣術自慢、魔法自慢がこぞって参加しており、未来の騎士、宮廷魔術師たちが、ここから生まれるのだろう。
事実、この模擬戦で優秀な成績を収めた者は、卒業後の進路はほぼ安泰といえた。
優秀な人材はどの分野でも喉が出るほど欲しがっており、ましてや優秀な若人が集うトラヴィス学園出身とあれば、その流れは必然であった。
「すげーなー」
そんな模擬戦を感心しながら級友たちと観戦しているのは、1年のエリー・フォレストである。
この模擬戦の参加者には、エリーの友人であるグレン・オールドリッジや、1年先輩でありアーノルドと共通の友人でもあるジュマーナら知己の姿もあった。
先に行われた決闘会のような殺伐さはないが、真剣勝負という点では見応えのある戦いが繰り広げられている。
その戦いの中で、エリーはふと参加者の仕草に気になるものを見かけた。
「なにやってんの、あれ?」
見れば参加者の男子生徒が、観客席の女子生徒から御守を受け取り、勝利をした後に花を捧げている。
そんな光景がほぼ毎試合のように目に入ってきた。
不思議そうに見ているエリーに、隣にいたキャロルが説明する。
「あの二人は婚約者同士ね。女子生徒は男子生徒にハンカチを贈り、男子生徒は勝利の花を女子生徒に捧げるという流れよ」
「そんなこっ恥ずかしい儀式あんの!?」
「今年からね……別に儀式と言うよりも、流行みたいなものかしら」
「浮かれてんなぁ。爆発しろ、リア充どもめ」
舌打ちして悪態をつくエリーに、キャロル他、ケイジ、モニカら友人たちが驚いた視線を向ける。
「なに?」
「あなた………それ、本気で言ってらっしゃるの?」
「????」
モニカの問いに首をかしげたエリーに、全員溜息をつく。
「あの流行を作ったの、エリーさんなんですけど」
「嘘ぉ!? いつ??」
「満員の闘技場で、あんな事をしておいて、自覚がないとは言わせないわよ」
そう言われると、自覚がないわけでもない。
せがまれてハンカチ巻いたり、飛び入りして花を受け取ったりしたのは間違いないし。
「でもあんな浮かれてなかった気がする」
「まだこっちの方がおとなしいでしょ」
「どこか?」
「公衆の面前でキスまでしてないですし」
「はう」
痛い所を突かれたエリーは、仰け反って絶句する。
……というよりも、あんなに浮かれた言動をしておいて、よくも人の事を言えたものである。
「まぁ、頬くらいなら挨拶みたいなものですし、ギリギリセーフですわね。あれで口に……なんて事になったら、どうなっていた事やら」
モニカの呆れたような言葉を受け、再度硬直するエリー。
もちろん今朝の、アーノルドとのあれを思い出したからである。
唇に指を這わせると、意識せずとも思い出してしまう感触。
みるみるうちに、顔は真っ赤になってしまい、誤魔化そうとして笑顔を浮かべるのも、ぎこちなく引き攣ってしまう。
無論、目聡い級友たちが、そんな変化を見逃すはずもなく………
「ねぇ、エリーさん」
「はい」
「やったな」
キャロルの圧を感じさせる言葉に、エリーは「え~~、何の事ですかぁ?」と冗談めかして応じたつもりだが
「ええええええ!!?なななななんの事かなあああああ!!!!?アーノルドさんとは何もないですよ。あいつが悪いんですあいつが変な事を言い出したから、こっちだってそんな感じになっただけですううううう」
と気の毒なくらいに目を泳がせながら、言わなくても良い事まで完全に白状するというド派手な自爆をかました。
「まぁ、これまで何もなかったのが不思議なくらいですからね」
ケイジはいつものように笑顔を崩さずニコニコと語るが、その実、なかなかたいした物言いである。
庇っているのか、煽っているのか、判別がつかないところだ。
「ケイジくんは、いつもぶっこんでくるなぁ。その笑顔の裏が怖いよ」
エリーがぶつくさと不平を鳴らす中、今度はモニカが口を挟む。
「で、エリーさん」
「あい?」
「きちんと避妊はしましたの?」
「モニカ様はぶっこんでくるなぁ!!!」
さらに上からぶっこまれて驚愕するエリーであった。
「いたって健全よ健全!まだ初めてのちゅーを互いに捧げあっただけだから!!」
「ああ、ようやくキスまではしたのですね。おめでとう」
ふっ、と企みげのある微笑を向けられて、ようやくエリーは気が付いた。
嵌められた、と。
自分から何をしたのかを洗いざらい白状してしまった事に、エリーは思わず
「謀ったな、モニカ様!!」
と、どこぞの宇宙世紀の公国の四男坊を連想させる言葉を口走る。
しかし誰もそんなエリーに同情や憐憫の言葉をかけてやる事はなく、むしろ、
「まだそこまでしか進んでなかったのか」
と呆れられ、挙句にモニカからは
「とっとと既成事実を作って卒業後の進路を確定させなさい」
と助言まで頂く始末である。
守勢に弱いエリーは、その攻勢にたじたじとなり、真っ赤になって俯きながら
「まだアーノルドさんの気持ちを確認したわけではないですし、調子に乗って今の関係が破綻するのも怖いですし」
などと、いつもの元気はどこへやら、しおしおとなるばかりであった。
そんな調子のエリーなので、一同、それ以上焚き付ける気分も失せて溜息をつく。
「大胆なんだか奥手なんだか」
「申し訳ねぇ」
「正直、アーノルドさんの気持ちは、確認するまでもない気がしますけどね」
「???」
「本当に何も気が付いていないのね……」
エリー自身は「私は世の中にはびこる鈍感系ヒーロー、ヒロインとは無縁だぜ」と自負しているようだが、そんな事はない。
自己肯定感が低いからなのか、昨今の若者たちに蔓延する「自分から動いてダメになるくらいなら現状維持」という姿勢から来るものなのか、とにかく自分は愛されてないと考える節がエリーには見て取れる。
他者から見れば、もうとっとと結ばれちまえよ、と思うし、何よりも、もうやきもきしてしょうがない。
「とにかく、闘技場であんな恥ずかしい儀式するようなイチャラブカップルは死ねって事ですよ」
そう言いながら温かいホットミルクを飲むエリーは当事者意識皆無あり、友人たちは「どの口でそんな事が」とツッコみたいのはやまやまだったが、不毛な言い争いが続くだけだと察し、それ以上、追及するのを止めた。
◇◇◇
そんな中で登場したのは、エリーらの級友であるグレン・オールドリッジであった。
「火属性」の剣士で、アーノルドほどではないが、明るい髪の毛の色とキリっとした風貌が印象的である。
登場すると、あちこちからざわめきと、女子生徒たちが騒ぐ声が聞こえて来た。
「おう、グレンくん、人気だね」
エリーが感心すると、隣にいたキャロルが分析をしてみせる。
「見映えする外見もそうだけど、洞窟探索の一件が大きいかな。祝賀会に列席を許されるほどの功を挙げた貴族の長子ともあれば、注目を集めるのも当然でしょうね」
代々、剣豪を輩出する貴族の長男。それが期待に違わず成長し、まだ学生だというのに王宮より功を称賛される活躍を成した。
武勇に長じた若き剣士という点において、アーノルド・ウィッシャートという太陽の煌めきが大きすぎるせいで陰に隠れてしまっている感は否めないが、グレンもまた王国の未来を担う逸材として名を馳せつつあった。
もしグレンがこのまま順調に成長すれば、内面に不安定な物を抱えるアーノルドよりも、高い水準で安定した能力を発揮する騎士となるだろう。
「いざ!!!」
大音声で名乗りを上げるグレンに、会場がビリビリと震える。
「声でけぇ」
エリーは思わず呟いたが、この裂帛の気合を正面から受け止める事となった対戦相手は、気の毒にそれだけで戦意を削がれる。
普段からアーノルドの剣圧と、度重なる死線を経験したエリーだから、こんな呑気な感想が出るのである。
さすが、様々な怪異や手練れたちから、ガチの殺意を向けられた女は違う。
勝負は一瞬で決まった。
対戦相手は上級生の2年生徒であったが、開始と共に放った一撃で相手は崩れ、二発目であっさりと仕留めた。
相手の攻撃を受け流したり、受けたりする事など考えぬ「先の先」。
元々、卓越した剣技の持ち主であったが、この1年で成長を遂げたグレンと勝負できる者など学園内にはもはや一握りであろう。
「さすがですねぇ。同じクラスの人間として誇らしいですよ」
ケイジもそう言うほかないだろう。呆れるほどの強さである。
傲岸不遜なモニカを以て、
「おそらく一騎打ちなら同学年どころか、学内を見回してもアーノルドさんや、彼の同輩であるナイジェルさんくらいしか、勝負になる相手はいないでしょうね」
と評している。
ちなみに決闘会に参加して、惜しい所で自爆したナイジェルは、この模擬戦を自主棄権した。
理由は「心身の鍛錬が足りない」という事であったが、同級生のジュマーナに
「ほう、あのような醜態を晒しておいて、よくもまぁ、舌の根の乾かぬうちに似たような催しに参加する気になるのう。私ならば恥ずかしくて年内は人前に顔出す事すら躊躇するが、よほど厚顔なのじゃな。まぁ、よかろう。決死の覚悟で、かのラーシュ・ルンドマルクから勝利をもぎ取り今も病床にいるアーノルド・ウィッシャート不在の大会で勝利を収め、矮小な虚栄心を満たして満足するがいい。しかし私の目も曇ったものよ。ナイジェル・ダウランドという男は、もう少し気骨と矜持を胸に秘めていると思っていたのじゃが」
と手厳しい言葉で精神をグサリとやられたからである。
それはさておき、勝利の歓声を受けるグレンに、皆が拍手を送ると、それに気が付いたのか拳を突き上げて応じてくれた。
様になる男である。
「そんなにグレンくん、評価高いのかー」
「元々、火属性は攻撃向きの人が多いけれど、アーノルドさんに続いて2年連続で優秀な剣士が現れたって、先生たちも噂しているみたいね。ただ期待が大きい程、それに応える重圧もあるから……」
グレンを慮るのは、委員長であるキャロルだ。
同じ炎を司る剣士として、今後何かと比較されるだろう。
しかも比較対象が、既に隊長格の強さを有するアーノルドなのだから、そのハードルの高さは推して知るべしであろう。
「ふむぅ」
その言葉に、不意にエリーが首をかしげた。
「今の3年生って、優秀な剣士、いないの?」
最上級生には皇太子クリフォードや婚約者にしてアーノルドの義姉であるノエリア、それに宰相の嫡男ラルスなど多士済々である。
「今年の3年生は魔術に長けた人の方が多いわね。いるにはいるのだけれど、あまりにアーノルドさんたちの実力が抜きん出ているから」
学年の特色というものもあるだろう。
3年生はクリフォード、ノエリア、ラルスという智の三大巨頭が鎮座している。
クリフォードやラルスは剣を扱っても一流ではあるが、それでも彼らが「武」と「智」のいずれかに傾くとすれば、間違いなく智の方だろう。
それに比した「武」ともなると、アーノルドくらい傑出していなければ並び立ち、評される事はあるまい。
「その点、2年生の方がバランスは良いかもしれないわ。アーノルドさんの武力に対し、ジュマーナさんの見識は並べても遜色がないもの」
「そして1年はグレンくんに対して、私、エリー・フォレストの叡智……という訳ね」
「今、名前が挙がった中で圧倒的に学力が低い子がいますわね」
「モニカ様、酷い!!成績の事は言わない約束なのに!!」
痛烈な返事にエリーが悲鳴を上げる。
「私、入院期間が長かったから、ちょっと勉強が遅れているだけだし。もともとの素養は良いし……」
残念ながらぶつくさと言い訳をすればするほど、信憑性が薄れていくのを、エリーは知らない。
周囲もとっくに過去の話題にしているか、そもそもスルーしているので、この呟きもまた宙へと消えて行った。
もっとも1年生で智の筆頭を探せと言うなら、真っ先にキャロルの名前が挙がるだろうが。
「例えば今から出て来る3年生の筆頭だよ。人望もあるし、人外の強さを誇る一部の人間を除けば学内随一の剣の遣い手だ」
今、闘技場では、灰色の髪の毛をした3年生が剣を振るっている。
派手さや卓越した剣技こそないが、堅実で確実、基本に忠実に、一歩一歩相手を後退させていく。
やがて闘技場の端まで相手を追い詰めると、ついに「参った」の言葉を吐き出させる事に成功した。
「勝者、ブラッドリー・バンクス!!」
ブラッドリーと名乗りを受けた生徒が、軽く手を挙げる。
面白味のない勝利と言われればその通りだが、おそらく学園に通う生徒のうち、模範となるのは彼の剣に違いない。
アーノルドやマックス、ラーシュらの剣技など、よほど天賦の才に恵まれなければ真似すべきものではないのだ。
「寡黙で一歩引いた慎重な方です。でも剣の腕はご覧の通り優秀で、皆からの信頼も厚い。だからこそクリフォードさんのご学友に選ばれたのでしょう」
キャロルの言葉に一同が観客席を見れば、クリフォードやノエリア、それにラルスたち3年生の代表が起立して拍手をしている。
(ほえー、モブっぽいのに良いポジションじゃねーの)
エリーはギリギリの所で本音が口に出るのを堪えた。
口に出していれば、おそらくキャロルの小言とモニカのゲンコツが飛んできていただろうから、賢明な判断だと言える。
そして闘技場では主任教師が、閉会の挨拶を始めた。
どうやら最上級生であるブラッドリーの試合を以て、この学内模擬戦は終了のようである。
「しかしまぁ………」
エリーはお開きの雰囲気漂う闘技場内を見回して、思わず嘆息した。
「持つ者と持たざる者の差が、より激しくなった感じがするなぁ。具体的には恋人の有無とか。いなくても、今の3年生の先輩みたいに人生が充実してれば、そんなに気にならないんだけど」
エリーの指摘は、なかなか事実を捉えていた。
まず婚約者なり恋人がいる参加者は幸いである。
姫君に勝利を誓い、勝てばその愛情を示せる一方、敗れてもよほど無様な姿を晒さない限り、恋人から慰めと労わりの言葉をもらえるだろう。
また恋人などいなくても、その学園生活なり歩みに迷いのない者たちは、そんなものがなくとも我が道を進む。
剣の道に邁進するグレンなど、周囲の事など目に入らないようだし、ブラッドリー先輩のように勝ち組人生を驀進している者は、恋だの愛だのの補助を受けずとも充実した日々を送っているようだ。
可哀想なのは恋人もおらず、鬱々とした目で陽キャどものイチャイチャを見せつけられる者である。
対戦相手の恋愛模様を見せつけられながら待ちぼうけを喰らい、己との格差を目の当たりにするのだ。
それで勝負に勝てばいい。
実際に、
「っっっざっっけんなやゴルアアアアアアアア!!!」
と学生とは思えぬ気合と殺気で勝利をもぎ取った生徒たちもいる。
しかし哀しいかな、敗北をした者は………恋のスパイスとして、引き立て役として、しばらくは立ち直れないだろう。
「罪な事をするぜ。決闘を私物化するなよなー」
そんな人間模様を見て、エリーは想いを吐露したのだが、周囲の者たちはそれぞれ、微妙な表情を浮かべた。
言うなれば
「お前がそれを言うか」
といった所だろう。
何せ先の決闘会の最後の方は、思いっきりエリーとアーノルドの世界で独占していたと、多くの人の記憶に残っている。
自らを棚どころか雲の上までの高みに上げておいての物言いに、誰もが一言申し上げたい気分になるのも無理なからぬところであろう。
「おや」
空は曇天からポツポツと雨模様になってきていた。この様子からして、一気に降雨量が増えそうだ。
「これは早く帰った方が良さそうね」
キャロルの言葉に皆は思い思いに帰り支度を始める。
下手に雪にでもなれば、洒落にならない。
「やべーよ、傘も持ってきてねーし。みんなは?」
困り果てるエリーに対する友人たちの反応は冷たかった。
「馬車」
その答えに貴族と平民の越えがたい壁を痛感するエリーであった。
「このボンボン野郎どもが!」
と憤慨するエリーに対し、モニカがとどめとばかりに
「馬車がないなら、執事でもなんでも呼べば良いでしょう?」
と発言をした時点で議論は終わった。
「まぁまぁ。今は下町ではなく、病院に寝泊まりしているんでしょう?そう遠くないわよ」
キャロルが慰めてくれるが、ここから病院まで、だいたい3km程度はある。
下町で下宿先までは6kmはあるので、半分程度っちゃ、半分なのだが、濡れそぼって帰るには十分な距離であった。
「はっ!お前らは馬車で悠々と帰るが良いわ。元々、雨に打たれて透け透け濡れ濡れの服でアーノルドさんを誘惑して、あっはんうっふんな仲になってやるという作戦を考えていたから、最初から徒歩で帰宅予定でしたけど!」
今、思いついた作戦を鳴きながら口にするエリー。
学友たちはそんな彼女に優しい言葉をかけていく。
「はい」
「そうですね」
「まあ、がんばって」
「もう少し興味持てよ!!おめーらの友人が、大人の階段を登ろうとしてんだぞ!」
「そんな作戦があったとは驚きだ!!作戦成就の暁には報告してくれ!!」
「おめーはおめーで、食いつき過ぎだな!」
グレンだけが関心を示した以外、ほぼ全スルーの対応であった。
まぁ、雨足が強くなりそうなので帰宅を急いだという事もあるのだが。
だが結果として、彼らはこの時の態度を後日、後悔する事になる。
翌週の学園掲示板には、堂々と以下の張り紙が掲げられていたのである。
「アーノルド・ウィッシャート 2年
エリー・フォレスト 1年
著しく風紀を乱す行為が確認されたため、上記2名を2週間の謹慎処分とする」
◇◇◇
エリーたちの席から離れ、クリフォードやノエリアたちのいる観客席では、先ほどの戦いを終えたブラッドリーが観客席に戻って来て、勝利を祝われていた。
「さすがはブラッドリー。剣技の冴えは相変わらずだな」
そう称えるクリフォードに対しブラッドリーは一礼を以て応じる。
「皇太子に称賛されるとは恐縮だ。だが……」
ブラッドリーは視線をノエリアに移すと苦笑を浮かべた。
「私がこうして勝ち名乗りを受けられるのも、ノエリアの弟君が不在だからだろう。彼がひとたび闘技場に現れれば、注目も称賛もすべて彼が独占していたに違いない」
ブラッドリーの言葉は謙遜ではなく実感がこもっている。
彼もまた、決闘会でのアーノルド・ウィッシャートの雄姿を目の当たりにしていたのだから、無理もない。
おそらくこの学校中の生徒全員が、大なり小なり同じ想いを抱いているだろう。
「まぁ、確かにあの男のやる事、為す事は派手で余人の注目を集める。だが………」
側に控えていたラルス・ハーゲンベックは少しばかり眉根を潜めながら断言した。
「あれは阿呆だ。今日、この場にいたら、絶対に何かやらかしていた」
昨年度、次から次に対戦相手を一刀で屠った挙句、手にした花を全部まとめてノエリアにくれてやった時、何て空気の読めない奴だと思ったものだが……今年はさらに悪い方向へ突き進むのではないかと懸念していた。
苦肉の策として「お前がいたんじゃ勝負にならん。名誉生徒って事で」とアーノルドを名誉席に祭り上げて、模擬戦から追い出したのである。
もっとも幸か不幸か、アーノルドは学内模擬戦より大規模かつ注目度も桁違いな決闘会に参戦し、勝利の栄誉と引き換えに負傷の為、年内入院となっていた。
しかしその時に見せた神がかり的な剣技の数々は学生レベルを超越しており、今年に引き続き来年も参加禁止措置は解除されないだろう。
「そうかな?彼はやり過ぎる所はあるが、節度は守る人物だと見ているのだが。模擬戦で勝利をおさめたとあらば、ある程度は羽目を外しても仕方あるまい」
「ブラッドリー」
「ん?」
「問題は模擬戦だけではない。模擬戦以外の所でも起きる可能性があるのだよ」
「……………?」
ブラッドリーは、なぜラルスが、いやクリフォードやノエリアまでもが一様に暗く沈んだ表情をしているのか理解できずに首をかしげた。
「まぁ、知らない方が良い事も、ある」
クリフォードがきっぱりと言い切って議論を終わらせた。
彼がこういう物言いで議論を打ち切るのは珍しい事であり、ブラッドリーはますます理解できなかった。
「もし参加していたら、生徒たちの面前で何をしでかしたか……想像するのも怖いわね」
「イチャイチャするくらいで済めばいいんだが……」
「目撃者が多数いる中で猥褻行為をしたら、さすがに庇い切れんぞ」
三人がアーノルドとエリーの関係をどう評価しているか、とても分かりやすい会話を繰り広げ、ブラッドリーだけが哀しき置いてけぼりを食うのであった。
「まぁ、アーノルドは今、入院中で当分は出て来られない。僕らの心配は杞憂というものさ」
クリフォードの言葉にラルスとノエリアは頷き、ようやく心の折り合いと言う名の収拾を付ける一同。
だが彼らはまだ知らない。
この後、入院先の個室でアーノルドは半裸になり、同じく半裸になったエリーを騎乗位よろしく跨らせ、頭からブラジャーを被り、生乳を揉みながら身体を絡め合っているところを補導されるのである。
この想像を絶する報告を受けた三名は生徒会室で頭を抱える事になるのだが、これは後日の話であり、神ならぬ三名がこの時点で知る由もなかった。
◇◇◇
「忌々しい。これほど大きくアテが外れるとは…!」
とある貴族たちの会合場では不満と怨嗟の声が渦巻いていた。
「決闘会の結果、王家寄りのウィッシャート家の名望は高まり、失墜すると思われていた王家の求心力も増した。季節は冬だと言うに、いよいよ我が世の春を謳歌せん、というわけか」
「ルンドマルクの連中も存外、だらしない。あそこまで調子に乗っておきながら、ウィッシャートの小倅に一蹴されるなど片腹痛いわ」
「だがその結果は絶大だったぞ。今でも語り草になるほどだ」
「これではただただ、王家とその取り巻きが力を付けただけではないか!」
そんな怒声が響き渡る中、流麗な言葉が熱量を下げる。
「まぁ、そう皆さんいきり立たずに」
笑顔を浮かべながら、流麗な所作を以て周囲に呼びかける青年の姿。
その容貌は皇太子クリフォードによく似ていており、もし冠を戴いていたら誰もがひれ伏していたであろう。
彼の名はジャレッド・オデュッセイア。
皇太子クリフォードの従兄……現国王エセルバートの兄ヴァ―ジルの息子であり、世が世なら彼が皇太子になっていたかも知れない。
その立場・出自から、現体制に不満を抱く貴族たちの旗頭として祭り上げられ、それを本人も喜んで応じているように見える。
「しかし殿下、このままでは現王側が力を付け過ぎになるのでは?」
「左様。こたびの騒動でウィッシャート家の地位はいよいよ不動となり、すなわち王権も強固となった。このままでは……」
貴族らが次々と心配事を口にするが、ジャレッドは指を振って否定して見せた。
「そうですかね?今回のアーノルド・ウィッシャートの行動は、我々に対して非常に有用なメッセージを含んでいたと思いませんか?」
「有用……?」
「アーノルドが参戦するに当たり、ウィッシャート家では議論では決着がつかず、激しい決闘が行われていたそうです。すなわちそれは、未来の当主たるアーノルドの決定に対して異論が続出していた事を意味します。つまり必ずしもウィッシャート家は一枚岩ではない」
その言葉は、図らずもノエリアが発した言葉と合致する。
ジャレッドはこれらの動きを明敏に察知し、ほぼ正確にウィッシャート家の内情を言い当てたのである。
「お言葉ですがジャレッド殿下、それでもアーノルドの実力が抜きん出ている以上、我々の不利は動かないのでは?」
そう疑問を呈する貴族がいれば、片や
「そんな弱気でどうするか!ウィッシャート家に楔を入れる絶好の機会なのだぞ!」
と立ち上がる者もいた。
その言葉に対しては貴族ゆえのプライドの高さからか、賛同を示す者が多数いたのだが、若い一人の貴族の言葉をきっかけに雰囲気は変わる。
「ダメだ」
その若い貴族は座ったまま身じろぎもせず、声を震わせて続ける。
「あ、あいつと戦うなんて、まともじゃない。もしそれでも戦うというのなら、俺は下りる」
「何をそのように恐れているんだ?」
「あなたたちは見ていないんだ、あの闘技場での、あの男を。俺はあの男の正面に立つくらいなら、逃げる」
何を情けない、と糾弾する声も上がったが、やがて男の真剣な言葉と止まらない震えに場が沈黙し始める。
「俺はこの目で見たんだ…!あの男が戦う前の殺気を……あれは本当に同じ人間なのか?」
ここにいる多くの貴族は鼻で笑って観戦しなかった決闘会であったが、この震えている貴族の青年は興味半分で見物に出かけたという。
そこで見たのは、次々に敗れ去る王都側の戦士の姿で、市民たちの内心に募っていく「王家への失望」を目の当たりにして、思わずにやけていた。
そこに登場したのが、真打アーノルド・ウィッシャートである。
エリー・フォレストが害されている場面に劇的に現れたかと思うと、彼女からの激励を受けて難敵ルンドマルク親衛隊にたった一人で立ち向かったのだ。
この青年貴族は、いくらアーノルド・ウィッシャートとは言え調子に乗りすぎだと鼻で笑った。
盛り上がる観衆たちの期待は裏切られ、最後の砦が敗北を喫した時の反応は、さぞや面白いだろうと暗い笑みを浮かべたものだ。
しかしである。
戦闘態勢に入ったアーノルドから立ち昇る「闘気」は、青年貴族の願望を一瞬で消し飛ばした。
(殺される)
西側から悠然と歩いて来るアーノルドが発する闘気は、ルンドマルクだけでなく、その背後にいた観衆たちですら威圧した。
アーノルドは自分を対象に剣を向けているわけではないのは、重々承知している。
それでも、蛇に睨まれた蛙が如く、一歩も動けなかった。
ましてや邪心を抱いていた青年貴族など、あたかも自分が標的にされたと錯覚して恐慌状態に陥ってしまったのだ。
「まさか、威圧だけで相手を圧倒するなど、演劇など架空の話で……」
そう言って空抗弁する者もいたが、青年貴族の真剣な表情を見れば、その論がいかに空虚なものか自覚して次々に沈黙する。
そして静寂だけが場を支配しそうになった刹那、高らかな笑い声が響く。
「そう!その決闘会こそ、アーノルド・ウィッシャートの弱点を露呈したではありませんか」
言葉の主はジャレッドであった。
突然の意外な言葉に驚き、貴族たちはジャレッドの方を向く。
「確かに剣技において、アーノルドを倒すのは難しい。ですがね、それは前々から分かっていた事でしょう。確かに決闘会において、彼の凄味はさらに増したようですが……正直な話、以前のアーノルドであっても、我々が正面切って相対すれば鎧袖一触、打ち倒されていたでしょう。はっきり言って、いまさらな話です」
つまり、情けない話ではあるが、はるか以前からアーノルドに対して勝機はなかったので、今さらどれだけ強くなろうが、どうでもいいのである。
「ジャレッド殿下、我々にも分かりやすく説明をしていただけませぬか?あなたの言い様では、奴めに弱点はないように聞こえる」
「左様、左様。口惜しいが一騎当千の武勇に抗する術があるのなら、教えていただきたい」
口々に説明を求める貴族たちに対し、ジャレッドは口端を吊り上げながら、わざとらしく声を潜めて言った。
「ここ最近の騒ぎの中心に、誰がいたかと考えれば答えは容易に出るでしょう」
「中心?」
「ええ。元凶と言い換えても良いです。王都が騒ぎになった中心に誰がいましたか?」
「それはルンドマルクの連中だろう。あの野蛮人共が来てからというもの、王都は上に下への大騒ぎだ」
誰もが間髪入れる事無く回答する。
だがそれは満点ではなかったようで、ジャレッドがちっち、と指を振る。
「彼らも原因の一つではありましたが、いわば暴風のようなもの。身を潜めていれば通り過ぎていた災いに過ぎません。だが、その風に火を投じて大炎上させた者がいます」
「そ、それは……?」
「エリー・フォレスト。彼女こそ、あの騒ぎの常に中心にいた人物です」
ジャレッドの口から、エリーの名前が出る。
「そもそもの発端は祝賀会での騒動が起因。あの場でエリー・フォレストがラーシュ・ルンドマルクに拉致された事がすべての発端。それ以降のアーノルド・ウィッシャートの行動はすべて彼女の救出を第一に動いています。あの冷厳で家門を第一としていたアーノルドが、です。結果、ウィッシャート家内部で意見が衝突し、決闘にまで発展している。拉致以前から、彼の周辺ではエリー・フォレストとの関係が噂されていましたが、それを裏付ける行動です」
おお、と貴族たちから声が漏れる。
アーノルドがウィッシャート家に連なる親戚たちの反対を押し切って、決闘会に電撃参戦したのは美談として語り草となっていた。
だが見方を変えれば、次期当主たるアーノルドが自らの判断に対してNOを突きつけられ、家門をまとめきれなかったと捉えられるだろう。
「つまり一連の騒ぎの中、アーノルド・ウィッシャートは堂々と公表したようなものなのですよ。『自分の弱点はエリー・フォレストである』と。彼女によってアーノルドは強くなった半面、弱点にもなってしまった。これを利用しない手はないでしょう」
「なるほど……しかも幸いな事に、あの女は平民だ」
誰かが笑い声を立てて言うと、皆がそれに応じるかのように笑い合う。嘲笑と断じて良いだろう。
少なくとも感じのいい笑いではない。
しかし貴族たちは自分たちがどんなに下衆い表情をしているのかなど顧みることなく、既にエリーを手中に収めるべく話を進めていた。
「これが貴族の娘であれば、なかなか手出しは出来なかったが、平民であれば話は別だ」
「しかし貴族たちからの求婚話を悉く断っているとも聞くが」
「何を生意気な、平民風情が。平民は平民らしく、我らに頭を下げて恩恵をありがたく頂戴していればいいのだ」
「少し立場を思い知った方が良いのではないか?多少、手荒な真似をしてもよかろう」
「聞けば外見だけは、大層美しいと評判だそうだ。なかなか愉しみではないか」
アーノルドならずとも、エリーの友人知人が聞けば、その場で抜刀してもおかしくない台詞が飛び交う中、ジャレッドは冷めた目で彼らを見据えていた。
一方で、その話に乗って来ない貴族たちをも一瞥して行く。
まるで試験管のように、選別するように、ワインを軽く手で揺らしながら、少し離れた場所で鑑賞を決め込んでいる。
(この話を聞いて、平民の女を手籠めにするくらいの考えしか浮かばないのか。度し難いなぁ)
それが出来るのならば、ジャレッドがとっくの昔に実行している。
以前、ジャレッドもエリー・フォレストを要求した事があったが、クリフォードから
「エリー・フォレストはアーノルド・ウィッシャートと男女の中です」
とうやむやにされた経験がある。
あの時は、適当な方便だと思っていたが、実はかなり正鵠を射た返答だったのではあるまいか。
(彼女には【聖女】の資格があるかも知れないとも以前、伝えたのだが……その価値を推し量れんか)
上手く事を運べばアーノルドを、ともすればウィッシャート家を反王家陣営に引っ張って来れるかもしれない。
それも【聖女】という旗頭と一緒にだ。
そんな発想など毛頭なく、彼らの脳裏にあるのは拉致監禁して、ついでに平民娘の肢体を味わってやろうという程度である。
学園でエリーを呼び出して不埒な行為に及ぼうとし、強かに反撃を喰らった馬鹿貴族と同レベルだ。
(さて、これからどうするかな)
表面的にはニコニコと笑顔を浮かべながら、ジャレッドはワインを口に含みながら次の手を思考した。
ジャレッドのエリー評……というか、平民に対する意識は、ここにいる貴族と大差はないのだが、彼は駒となるべき者を軽視しない。
特に使える駒に関しては。
……数日後、ジャレッドが次に打った手は、悪辣そのものであり、クリフォードですら鼻白むものであった。
間接的ではあるが、そのジャレッドの行動によって、エリーやアーノルドは次の行動を決定付けられるのだが、それはまだしばらく先の話である。




