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3章第24話 祭りが終わって(2)

年度末の忙しさで今月、登校できないかと思いました…

ギリギリ2月末日投稿です。

よろしければお気に入り登録やご感想お願いします~

「アーノルドに?」


クリフォードは怪訝な表情を浮かべ、ラーシュの真意を測りかねた。

あの友好的とは程遠い決闘を経て、勝敗が決した後も友誼が芽生えた様子もない。

そんな二人の間に、何をやりとりする事があるのだろうか、と。


「近いうちに辺境伯の身分を下り、アーノルド・ウィッシャートに譲り渡す。都合の良い日取りを教えてくれと伝えて欲しい」


「そう来たか」


クリフォードはその意を悟り、嘆息した。

この鉄面皮で感情を読めぬ武人は、戦前の約束を守るべくルンドマルク伯の座をアーノルドに譲ると意思表示をしているのだ。


「すまないが、その要求には応じられない」


「なぜだ」


ラーシュは問い返した。

皮肉でも詰問でもなく、心底、なぜ勝者が勝者たる権利を行使しないのか、不思議なのかもしれない。


「確かにルンドマルクには何もない。夏は短く、冬は極寒の地。大地は痩せ、作物はまともに育たないばかりか北部には魔獣の森が広がり、東西には我らに友好的とは言えない豪族部族がひしめいている」


アウトである。

まったく以て、そんな地に行く気が起きない。

もしラーシュが観光大使であるならば、その場でクビにされかねない謳い文句であった。


「だがそんなものは、臣に任せておけばいい。奴は安全な場所から命令を下すだけで良いのだからな。あとは我々が対処する」


「つまりアーノルドは名義上のルンドマルク辺境伯になると?」


「その方が都合が良かろう。少なくとも伯という称号を得られれば、仮にウィッシャート家を継がなくとも食い扶持には困るまい。むしろ現有する領地と、貧しいながらも精強な兵を有するルンドマルク領を併せれば、ウィッシャート家は名実共にイシュメイル随一の大貴族になろう」


「それはそれは……」


なかなかに甘い誘惑である。

元々備えていたウィッシャート家の力、今はまだ若い姉弟が経験を積み、アーノルドの驍勇とノエリアの智謀、そしてルンドマルクの軍勢が加われば、ラーシュの言葉通りイシュメイルに並ぶ者はなくなるかも知れない。

むしろ王家に匹敵する権勢を有する事になるだろう。


「伝えるのは構わないが、アーノルドはまだ激闘の負傷が癒えない。また学生の身分だから、何かと処理にももうしばらく時間がかかるだろう」


「沙汰を待つ」


「しかし良いのかい?決闘で敗れはしたものの、その後の経過は勝敗とは真逆だと言っても過言ではない。それなのにアーノルドに対して全面降伏のような申し出をして、後悔はないのかな?」


クリフォードの言葉は事実であろう。

あの決闘で敗れはしたものの、ラーシュが五体満足なのに対して、アーノルドは全身の疲労と肉離れで病院送りにされたまま、現在クリフォードの知っている範囲ではまだ目覚めていない。

この状況を見れば「どうだ、俺の勝ちだ」と堂々とは名乗れまい。

だがラーシュはそうした見方を一蹴する。


「愚問だ。偶然にせよ、必然にせよ、どんな形でも敗北を喫した事実は覆せん。戦場で首級を獲られた後で、やり直しを要求などできはしない。それと一緒だ。私は負けるつもりで、あの場に立った訳ではない」


「それはそうだ。失礼な質問だった。戦士としての矜持を傷つけるつもりはなかった」


クリフォードは素直に謝罪をした。

二人の勝負を見届けた者としても、あの勝負をなかった事にするかの如き言葉は、決して良い問いではなかった。


「とはいえ、だ。あの場でエリー・フォレストに対する君の行為に対して、アーノルドはかなり気分を害していてね。何せ首を絞めあげたんだ。今は素直に君の言葉を聞くとは思えない。時間が欲しい」


「………………?」


首を傾げるラーシュに、クリフォードもまた、やや首を傾げて


「いや、君、公衆の面前でエリー・フォレストを絞殺する勢いで首を絞めただろう?」


と追加で説明をする。

この言葉に対してラーシュは理解が追いついていない表情で疑念を口にした。


「エリー・フォレストが望んだ事だが、何かまずい行為だったのか?」


「え?」


「彼女自身が、そう言ったのだが」


今度はクリフォードの方が理解が追いつかなくなった。

エリーが首を絞めて欲しいと懇願したのだろうか。そんなはずはあるまい。


「エリーは何と言ったんだい?何かの聞き間違いではないのか」


「あの娘は間違いなく、こう言った。『おまえのものになるくらいなら、死んだ方がマシだ』と」


「は?」


「最初は決断を問うために時間を制限した。窒息させる事で、必然的に答える時間は限られる事となる」


もうその時点でダメである。

返事までのカウントダウンが、死のカウントダウンと同義になっている。


「その返信が、『死んだ方がマシだ』というものだったので、そのまま楽にしてやろうと思ったまでだ」


「……………………」


ラーシュと言う男の思考回路は把握した。

把握しただけで、まったく以て正しいとは思わない、というか、明らかに間違えている。

初手がおかしいし、続く行動も常軌を逸している。

クリフォードは隣で控える副将・黒兜の騎士ヘルゲに視線を向けると、彼は困ったように首を左右に振るだけであった。

よかった。この違和感は自分だけのものではなかったようだ。


「ラーシュ伯。これは説教ではなく、私からの助言と思って捉えて欲しいのだが……」


ひとつ咳払いをしてクリフォードは目の前の冷然と立つ偉丈夫に話しかける。


「今後、人との接し方を考えなければ、相手に誤解を与え続けるぞ。君ひとりならばそれもいいだろう。だが領主として上に立つのであれば、正していかなくてはなるまい。簡単に言うとだ……」


クリフォードは、やや口調をくだけたものにしながら、次のようにきっぱりと言い切った。


「上が馬鹿なら、下も馬鹿に思われるぞ」


あまりにも明け透けな言葉に、さすがのラーシュも鼻白む。

その様子にクリフォードは、ポンポンと彼の肩を叩きながら続けた。


「なに、逆もまた然りだ。上がそれなりに立ち振る舞うなら、下もそれなりに見える。精進したまえ。それに問題は………」


じろりと側に控える副将ヘルゲに視線が移る。


「忠言しない部下にもある。それとも領主の矯正は諦めて、自分たちが苦労すれば良いと方針を定めたのかな?」


「忠告、痛み入ります」


静かに一礼したヘルゲを見て、クリフォードはふと、何かを思い当たったようで、ひとつ質問をした。


「あの決闘会もそうだが、祝賀会での行動もだ。主君を諌める機会はいくらでもあっただろう。まぁ、それはいい。それよりも君の目から見て、エリー・フォレストはどう映った?」


「エリー・フォレスト?」


ヘルゲは一瞬、考え込む素振りを見せたが、やがて何かに気が付いたように溜息をついた。


「意地の悪い質問をする。誘導尋問ではありませんか」


「すまない」


くっくとクリフォードが笑いを浮かべながら謝罪をする。


「いつから気が付いたのですか?」


「今さっきだね。気が付いたのは私が初めてかな?」


「いいえ」


「私より察しの良い者が他にいたか。その者の名前は?」


「殿下のよく知った名前にございます」


「ほう、誰かな?」


「先ほど、殿下の口から既に発せられております」


ヘルゲは一呼吸置いて、クリフォードに告げる。


「その者の名はエリー・フォレスト。彼女のみが、気が付きました」


名前と告げられたクリフォードは、「ほほう」と感嘆した。

なるほど、彼女ならば気が付くかもしれない。それだけの下地(したじ)が彼女にはある。


「またもその名を聞くとは、よくよく今回の騒動の中心に彼女がいた事を実感するな」


「殿下」


ルンドマルク一行において、その武勇、ラーシュに次ぐと謳われたヘルゲが一言だけ意見を述べた。


「あの二人は恐ろしい」


あのふたりとは、間違いなくアーノルドとエリーの事だろう。

歴戦の雄将の言葉である、重みがあった。


「強い。だが危うい。存在もそうだが、立場が危うい。特にエリー・フォレストは平民出身の為、確たる後ろ盾がいない。今はただ茫洋と王家やウィッシャート家、学友たちとの繋がりで周囲は傍観しているだけでしょう。だがひとたび学園を離れれば、たちまち貴族たちの政争の道具にされ、毒牙にかけられる事、疑いない」


「まさかルンドマルクに連行しようとしたのは………」


「はて、我が主がどこまで考えていた事やら」


ヘルゲは仮面の下で苦笑したようである。それにつられてクリフォードも口端を吊り上げた。

ラーシュはさして面白くもなさそうに、咎めるようにヘルゲを睨みつけると、その眼光に彼は恐縮したように肩を(すく)めた。


「話を戻しますが、アーノルド・ウィッシャートの件はよろしくお頼み申す。決して悪いようにはしませぬ」


一礼するとルンドマルク一行は隊列を整え、出発の準備にかかる。

主将、副将共に手慣れた動きで馬上の人になると、その馬首を翻らせて、すぐに北方へ向けて帰路に就く。


(見事なものだ)


ラーシュとヘルゲだけでなく、他の親衛隊の面々もまた、見事な手綱さばきであり、一連の動きだけで、相当な手練れだと分かる。

この地で彼らと2番隊とが激突する事がなくて、心底良かったと思う。


その背中を見送るクリフォードに、退屈を持て余したような口調で語りかけて来た者がいた。


「何を話していらしたんで?」


そう言うのは2番隊隊長のマックス・ランプリング。

傍らには副将格と言って良いだろう、フランク・ペイスが控えていた。


「助言を受けていた。彼はなかなかの人格者だね」


クリフォードが煙に巻くような事を言うと、マックスはつまらなさそうに応じる。


「あの堅物がいなきゃ、もう少しお祭りを楽しめそうだったんですがね。喧嘩祭りってやつですが」


「彼がいてくれてよかったよ。この街を火の海にはしたくなかったからね」


冗談ともつかぬ台詞を飛ばすクリフォードに、横合いからフランクが茶々を入れる。


「上に問題があると、自然、優秀な部下が育つという見本ですな」


明らかな皮肉を飛ばされたマックスは嘆かわしいと(かぶり)を振る。


「ああ、何と言う事だろう。俺の周りにはどうして、こうも減らず口を叩く奴しかいないのか。もっと上司を思いやり、指示に忠実に従ってくれる奴はいないものか」


「そう嘆かなくても、古来よりこう言うじゃありませんか。「勇将の下に弱卒なし」ってね。隊長の力量よろしく、勇敢な部下はたくさんいますよ」


「お、お前、良い事言うねぇ」


「逆に言えば、似た者同士は集まるって事ですね。つまり隊長自身が普段から減らず口を叩き、目上を尊重せず、指示を無視してばっかりいるから、そんな部下しか集まらねぇんです」


「お前、言うねぇ!」


こうした隊長と部下とは思えない軽妙で不謹慎なトークは二番隊の特徴であった。

少なくとも他の隊は、もう少し上下関係がきちんとしている。

もっとも、これくらいふてぶてしくなくては、マックスの部下であり続ける事はできないだろう。

なにせフランクは、決闘会で勝利した後、ルンドマルクの一員になりすまし、そのまま情報提供しながらこの地で彼らを一網打尽にしようと動いていた節がある。まさに埋伏の毒。

実力十分なフランクの合流を退けたラーシュに誰もが首をひねったものだが、事前に不穏分子を排除した彼の慧眼と言えよう。


「……まぁ、何だかんだと縁ができたのだ。アーノルドとはまた会う事もあろう」


この日の総括として、クリフォードは奇妙な縁ができた二人について、そう予言した。

彼が口にした予言は、彼の想像したよりもだいぶ早く現実のものとなるのだが、まだその事について彼は知る由もなかった。



◇◇◇


病院でアーノルドは目が覚めた後、怒涛のように慌ただしい時間を送った。

エリーと駄話と状況の簡単な把握の後、主治医を呼ぶや次から次に訪問者がやってきては、やれ検査だ、事情聴取だ、お見舞いだのと千客万来。

まだ完全に復調したわけではなく、どこか薄ぼんやりとしているアーノルドにとっては、もうしばらくゆっくりとした時間を過ごしたかったのだが仕方がない。

3日ほど嵐がごとき日々が終わり、ようやく解放されたアーノルドは朝食を摂っている。

しばらく飲食をしていなかった為、トーストと卵にサラダ、それにレモンのモーニングティーと果物いう簡素なものだったが、それでも食べられるだけ、マシである。初日なんぞは食欲もなく寝てしまったのだから。


「そのくせ、性欲はなかなかのものでしたけどね」


そんなアーノルドの傍らに侍り、リンゴの皮を剥いているのはエリーであった。


「あれはお前のせいだろ。あんな事されたら、誰でもああなる」


「そうかなぁ」


「なんだ、その手刀は!どこを狙ってやがる」


「股間」


「躊躇ないな!それに何の意味がある!?」


「いや、再現性があるかなって……」


「そのやり方で再現はしねぇよ!」


「じゃあどうやったら再現するんですか?」


「そりゃ撫でるとか……」


「うっわ、キモ……」


「誘導尋問だ!今のは俺、悪くないぞ!」


エリーのからかいに、まんまとハマるアーノルド。

とはいう物の、口では何だかんだ言いつつ、まだ万全の態勢でないアーノルドを甲斐甲斐しく介護しているので、主治医が感心するほどだった。


「はい、先輩。リンゴ剥けましたよ」


「悪いな」


「美味いっすね。どこ産です?」


「おめぇが食うのな」


誰からかの手土産としてもらった林檎を剥くだけ剥いて、自分にはくれない事に不平を漏らすアーノルド。

その冷たい視線に、モシャモシャと果実を頬一杯に食しながらエリーが「へへん」と笑顔を向ける。


「なんですか。あーん、とかして欲しいんですか?」


「あーんは別にいらねぇが、その林檎は俺のだ」


「まったくどれだけみみっちいんですかねぇ。林檎のひとつやふたつ、そうケチケチしなくたって」


「はぁ!?誰がみみっちいと……」


「あーん」


「あ、あーん」


アーノルドの反論をを最後まで聞く事なく、物理的に口を封じるエリー。

林檎を見事に口の中に突っ込む事に成功した彼女は満面の笑みを見せ、他方、まんまと口の中に林檎を突っ込まれたアーノルドは、何か言いたそうにしながらも、咀嚼するのみであった。

傍から見れば、微笑ましいカップルの一幕のようにも見え、キャロル辺りが目撃したらジト目で「お前らやってんなぁ」と睨みつけるところであろう。


口の中で広がる甘酸っぱい林檎の香りと味を楽しみながら、アーノルドは珍しそうにエリーを見つめる。

その視線を受けながらエリーは首をかしげた。


「何スか?私の顔に何か付いてます?」


「意外だなと」


「何が?」


「存外、義理堅いというか、面倒見が良いというか」


そう言うと、誤解を招く前にアーノルドはブンブンと手を振って言葉を続けた。


「いや、貶めるつもりとか、嫌だとか言う訳じゃなくてだな。まさかお前に、こんな献身的に尽くされると思っていなかった。感謝しているんだが、その反面、ここまでされるような立派な事をしたつもりがなくて、意外に思ったわけだ。俺なんかにここまでする事はないと思っていたんだが……」


ちらりと簡易ベッドの方を見れば、エリーのお泊まりグッズが置かれている。

泊まりこんでまで看病されたかと思うと申し訳ない気持ちと、すぐ側で寝泊まりしていたのかという、くすぐったい気持ちが同居して、何とも居心地が悪い。

疑似的な同棲生活でもしている気持ちも浮かんできて、感謝と罪悪感が交互に顔を出す次第なのだ。


だが、そんな感情はエリーの机ドンの大きな音で遮られた。


「アーノルドさん」


驚くアーノルドにエリーは真剣な、しかも怒気を孕んだ声で語りかけた。


「その「なんか」っていうの、止めてください」


「え?」


エリーの怒気の源泉がどこにあるか測りかね、アーノルドは思わず聞き返す。


「アーノルドさんはご自身への評価が低すぎます」


「そうか?」


「いいですか!」


またしても机をドン、と叩く。

というか、リンゴの皮を剥いていたナイフを机に突き刺した。怖い。

目が据わっているので、有り体に言って怖い。


「これまでもアーノルドさん、まだ学生の身でありながら戦場に行って活躍したそうですね。私、よく知らないですけど。良く知らないですけど、もしその頃に知り合っていたら、不安で不安で仕方なかったかと思います」


「そ、そうか」


同じセリフを繰り返すアーノルド。完全に圧倒されていた。


「で、その後で落下した私を助けに洞窟の深層部まで助けに来たでしょ?それも2回も!最初なんて国の都合で捨てられそうになったのを、無理矢理、私を助けに強行軍で来たと聞いてます。私にも落ち度がないとは言えませんが、本来なら個々人の武勇とかに頼るんじゃなくて、国が捜索隊を組織しろってんですよ」


「まあ、色々な事情も絡んでいたからな。結果として、そもそもが旧九番隊隊長の誘引だったわけだし」


「結果だけで言うなら、2回目の洞窟調査で、旧九番隊の罠を破り、この国を転覆させてやろうっていう野望を頓挫させたのもアーノルドさんですよね?」


「そりゃそうだが。それこそ結果論だろ。あの時点で、野望を挫かせようだなんて、俺はちっとも思ってなかったぞ」


「んな事ぁ、どうでもいいんです!みんな感謝が足りない!アーノルドさんに負担を押し付けて、労いも報酬も足りないってもんです!」


エリーは鼻息も荒く断言し、アーノルドは困惑した。


「そんなに負担を押し付けられている気はしないし、報酬についてはまだ俺は学生だしな」


「それです、それ!学生だからって成果に対する評価がおかしい理由になりません。やり甲斐搾取です、搾取!」


憤懣やるかたなし、とエリーは地団太を踏む。

人の好さに付けこまれて、やり甲斐を搾取されている筆頭みたいなエリーが言うと「お前が言うな」感がどうしても出てくるが、本人は実に真面目なのである。


「洞窟だけじゃなくて、一番隊の爺ちゃんと戦ったり、北の狂った戦闘狂みたいなのと戦ったりと、休む間もなく戦ってるのに!国や騎士団に所属している立場だと面倒な厄介事はたいてい、アーノルドさんが対処してますよね?そんでもって、成果を出したら今度は打って変わって国や騎士団の連中、我々の手柄だみてぇな顔しやがって。しかも当人は疲労蓄積で入院ですよ?これが搾取じゃなくてなんだってんですか」


「まぁ、落ち着けよ。俺はそんなに嫌な感情は持ってないし、本当に大袈裟な感謝とか不要だと思っている。そもそもあまり事を荒立てたくない」


「それが悔しいんですよ!そんな度を越した間抜けの先輩だけが貧乏くじ引いてる状況と、それに甘んじている間抜けな先輩を思うと!」


「俺はお前に間抜けと連呼されて悔しいよ!同情してくれてんの!?それとも馬鹿にしてんの!?」


「失礼、感情が昂って素の反応が」


「それはそれでやべぇよ。お前が俺にリスペクトの感情を抱いていない事が白日の下に晒されちまったよ」


「ちなみに同情してもいますが、馬鹿にしてもいます。まぁ、些細なことは置いておき、とにかく!」


「ちっとも些細じゃねぇわ。聞き捨てならない事を口走りやがって」


「とにかく!」


エリーはアーノルドの言葉を打ち消すように、もう一度同じ台詞を口にした。


「働きすぎるアーノルドさんを楽にすべく、私がひと肌脱いでやろうって決意したわけです。で、まずはできる所からフォローをしようかなと」


「おー」


「それで、まずは身の回りの世話と介護から始めた次第であります」


「素晴らしい」


アーノルドは拍手した。

からかいではなく、割と真面目な拍手である。

途中経過はどうであれ、なかなか殊勝な心掛けプラスたいした有言実行ぶりではないか。


「やっぱり戦闘方面ではなかなか貢献できないですからね。むしろ足を引っ張る事の方が多いですし。まぁ、魔属性の方々が相手の時に限り、微力ながらご協力させていただこうと思いますが」


かく言うエリーであったが、どうしてなかなか、戦闘でも役に立つ事が多い。彼女なしでは解決できなかった窮地もひとつやふたつではないのだが、それに伴い瀕死の重傷を負ってしまうので、そういう印象を与えてしまうのだろう。

さらに言えば、エリーが大怪我を負ってしまって以来、アーノルドの方が戦闘に参加させたがらない。


「まぁ、そういう訳でよろしくお願いします。こう見えても包帯の取り扱いとか上手いんで、湿布の交換と合わせて介護しますよ」


「さすがにそれは、気恥ずかしいな」


「良いんですか?同年代の女の子に包帯やら湿布やらの交換をしてもらうなんて、なかなか経験できませんよ?」


まったくである。

看護婦や医療班所属ならまだしも、日常の看護で同い年に近い女子の世話になるなど、ただならぬ仲でもなければ経験できないだろう。

また全身の筋を痛めているアーノルドの介護となれば、当然、彼は半裸姿を晒す事になる。

別段、見せても減るものではないが、抵抗がまったくないと言われれば嘘になるだろう。


「なるべく身の回りの事は自分でしたい。とはいえ、まだ体中にダメージが残っているので手伝って欲しい時は言う」


「意識高いっすねぇ。どうせ年内は入院なんだし、少しはゆっくりしたらどうですか?」


「え?そんなに?」


「あんな捻じったり、無理矢理方向転換したりしたら、アーノルドさんがいくら強靭な身体をしていても痛めますよ」


普通にしていればまだ良いのだが、確かに動こうとすると痛みによる制約がかかる。

アーノルドの精神力なれば怪我を押して行動する事も可能だったが、それは患者としては悪い部類だろう。

怪我人はおとなしく傷ついた己の体を労わり、休むべきなのだ。


「っつーわけで、はい、あーん」


口の中が空になるのを見計らって、再びエリーの手で剥かれた林檎が差し出される。

気恥ずかしいが好意を無下にするわけにもいかないので、命じられるがままにおとなしく口を開けた。


(こんな姿を誰かに見られたら、何を言われるか分かったもんじゃねぇ)


同級生のナイジェルやジュマーナ辺りは、間違いなくからかってくるだろうし、尊敬する先輩であるクリフォードやラルス辺りも、チクチクと何か言ってくるだろう。

ましてやノエリア義姉さんに見られたら……何と言い訳をしようか、いや言い訳する必要はないのだが、「違う、違うんだ、義姉さん」と勝手に弁明をしてしまいそうだ。


「素直でよろしい」


片や林檎を口の中に突っ込んだエリーは、満足そうに笑った。

続いて自分も林檎をぱくつくと、もしゃもしゃと音を立てて咀嚼をし始めた。


「練習の成果ですかね。なかなか良く剥けていると思いません?」


「まあまあだ。70点はやろう」


「厳しいなあ」


エリーは際立って器用という訳ではない。

刺繍もそうだし、料理でクッキーを作った時も、何度も何度もやり直したりして、ようやく実現にこぎつけていた。

逆に言えば、呑気で面倒事が嫌いそうな印象とは裏腹に、存外努力家なのである。

林檎の皮剥きも、たゆまぬ反復練習のおかげで一丁前にどうにか見れる代物まで持って来れたのだ。


(その努力は認めてやらねばなるまい)


アーノルドは一人、納得顔で頷く。

なぜか上から目線であるが、この二人はいつも互いにマウントを取り合う習性があるので、通常運転である。


「まぁ、赤点は逃れたという事で良しとしましょう」


納得はしていないが、この辺が落としどころと見たエリーは、林檎の皮剥きについての話題をここで打ち切り、再び林檎に手を伸ばす。

ぱくん、と一口で林檎の一片を勢いよく口に含むと、アーノルドに視線を移す。


「で」


エリーが林檎を頬張りながら、アーノルドに尋ねる。


「3つ目の質問ってなんだったんです?」


何気ない一言だったが、それを耳にしたアーノルドは食べていた林檎を吹き出した。


「い、いきなり、何を聞くかと思えば」


「いやいや、そんな吹き出すほど変な事を言ったつもりないんですけど?」


「うーーーん」


何故か腕を組んで唸り出すアーノルド。

やがて彼は意を決してエリーに告げた。


「やっぱりあの質問はなしで」


「おい」


面倒くさい質問は御免だと思っていたエリーだが、なしと言われたら言われたで気になるではないか。

もったいぶって取り下げたところもまた、非常に気を引く。


「そりゃなしですよ。別に忘れた訳でもなさそうですし、むしろ思い悩んだ挙句に引っ込めるなんて、逆に誘ってるんですか?」


「いや、純粋にくだらない質問だったから、取り下げただけだ。エリーが気にするほどのものではない」


「そうですか、じゃあ、なかった事に……って、なると思いますか?そこまで言ったのなら、どんなにその質問がくだらなかろうが、責任持って最後まで言い切ってくださいよ」


「断る。お前の表情が消えうせる未来が見える」


「どんだけくだらない質問をしようとしたんですか!?それはそれで気になります!」


「聞くだけ損だ」


「とぅえいっ!!」


「だからその急所目がけてのチョップやめろ!動けない怪我人に対しての攻撃じゃねぇぞ!」


「嫌だったらおとなしく言えや!○○○へし折るぞ!」


「怖い!」


愚にもつかない押し問答を繰り広げ、朝っぱらからゼーゼーと息を切らす二人。

埒が明かぬと思ったエリーは、追及の方法を変えることにした。


「ああ、悲しいです。私はそんなに信用がないのでしょうか」


「信用?」


「私はアーノルドさんに対して先ほど、まぁまぁ、本音を話したと思うのですよ。それなのにアーノルドさんは、私に対して秘密を打ち明けてくれない。こんな悲しい事ってありますか?」


「むぅ」


良心に訴えかける作戦である。

なかなかあざとい作戦ではあるが、アーノルドには効果抜群であった。


「私は決して、アーノルドさんを笑おうとか馬鹿にしようとは思ってません。ただ、アーノルドさんの考えていた事を共有したいだけですし、何ならその質問に対して回答してあげたいと思っています。そうやって差しのべた手を拒絶されるなんて、悔しいですし、悲しいです」


わざとらしく、悲しむ素振りや声音でアーノルドを揺さぶる。

ぶっちゃけ、全然、悲しんでも悔しがってもいないのだが、これは駆け引きである。相手が動揺してくれたらめっけものだ。


「くっ……」


そしてまんまとエリーの罠に引っかかるアーノルド。ここまで単細胞だと、逆に不憫になってくる。


「正直言うと、言いたくはない。お前が信用できないというか、俺の人間性の問題だ」


「回りくどい言い方はやめて、もう少しストレートにお願いします」


「笑われるか軽蔑されるような質問なので、言いたくない」


「どんな質問をしようとしてたんですか……」


「気の迷いだ。目が覚めたばかりで、茫洋としていたに違いない」


なるほど。

テンションぶち上がるか、情緒不安定で普段なら抱かないであろう疑問を抱いたとみえる。


「で、どんな質問なのか、言ってみてくださいよ。笑いませんから」


「俺はその手で何度、痛い目を見たのか忘れたのか」


「どこの誰だ、そんな卑怯な手で単純なアーノルドさんを嵌めた奴は」


「目の前にいるんだよなぁ」


すべてを諦めたように頭を掻くアーノルド。

エリーの台詞は冗談だとは思うが、もしかして本気でそう思っているんじゃないかと疑いたくなる。


「で、で、で。そのアーノルドさんの不埒な質問って、なんだったんです?」


全然、話が逸れない。強い。

アーノルドは誇張抜きで3分、いや5分は逡巡し、さらに5分唸り続けた後、ようやくエリーの方を向いた。


「いいか、今から俺は、滅茶苦茶くだらない事を言う」


「はあ」


「これは俺が気の迷いがあったからの言葉だ。決して普段の俺じゃない。ちょっと寝起きでおかしかっただけだという事を忘れるな」


「予防線すげぇ」


呆れるというより、感心しながらエリーは頷いた。

どんなにくだらない事なのか、もうハードルが爆上がりである。


「わかりました、わかりました。そのつもりで心構えをするので、ぜひ、お聞かせください」


エリーが承知したのを見て、アーノルドは咳払いを1回……いや、4、5回繰り返した後、ゆっくりと語り出す。

(もちろん、そのあまりに逡巡しまくる女々しい姿に、エリーから白眼視されながら)


「エリー、お前……あの時、こう言ったよな?」


「あの時?」


「闘技場」


「ああ、闘技場」


「余所見したから、お仕置きだとか、おあずけだとか」


「うっ………」


確かに言った。

エリーはまさか、そんな話を蒸し返されるとは思わなかったので虚を突かれ、当時テンション爆上がりで、恥ずかしげもなくヒロインムーブを連発していた自分を思い出して絶句してしまう。

しかもあんな大観衆の面前で!


この恥辱プレイに身悶えるエリーをよそに、アーノルドは意外なほどに真剣に言葉を続けた。

だがその言葉が、さらに斜め上だったせいで、エリーの脳内は混乱に陥る事になる。


「もし、俺が、余所見をしていなかったら、どうなっていた?」


「ん?」


「だから、俺が余所見をしなかったら、お預けがあったか、なかったか、って質問だよ」


アーノルドは重ねて説明をしたが、エリーの脳内では言葉と認知が合致せず「?」が乱舞していた。

何度か頭の中をアーノルドの発した言葉が行き交い、咀嚼され、ようやく認知に至る。


「つまりアーノルドさんはもうひとつの未来が気になっているというわけですか。まっすぐに私だけを見ていた場合、もしかしたら頬やおでこだけではなく、その~~、く、口にもチューされるという未来が訪れたのではないかと」


「…………………」


返事はない。

だが沈黙は雄弁に、エリーの言葉を肯定していた。

一方、アーノルドの言葉を聞き、さらに質問に対する肯定の意思を感じ取り、当初は理解不能だったエリーの頭が徐々に事情を把握する。

それと同時にエリーは絶句し、眉をひそめジト目になってアーノルドへ語りかけた。


「おま………私が崇高な奉仕精神を固めた裏で………そんな事を……考えて……」


「だろ!?そう思うよな!?だから言いたくなかったんだよ!マジで自分が嫌になる!!」


ベッドの上で頭を抱えて絶叫するアーノルド。

被害者とも言えるエリーが、健気にもアーノルドを支えようと決意と覚悟を決めた一方、片方の当事者であるアーノルドは「もしかして口にチューしてくれたのかな?」とか夢想していたのである。

程度が低すぎて泣けてくるというものだ。


「殺せ!その果物ナイフで俺の胸を刺せ!!」


自己嫌悪のあまり命を断とうとするアーノルドに対して、エリーは呆れた声で言った。


「人を殺人犯にしないでくださいよ。死ぬなら御自分でお願いします。あと自殺幇助になるのでナイフをお渡しするのもお断りします。そうですね、私が出来る事と言ったら……」


エリーはにんまりと笑いを堪えきれないとばかりに「ぷくくく」と吹き出しながら


「不埒な事を考えたアーノルドさんに追加のお仕置きをしてやるくらいでしょうか」


と鼻っ面に指を突き付けた。


「お仕置き?」


「ええ、そうですとも。アーノルドさんが脳裏で描いていた夢想を思えば、それくらい軽いもんじゃありませんか?」


「仕方ない……甘んじて受け入れよう」


「え?いいんですか?お仕置きの内容も聞かずに、割に合わないとか後で言い出すのはナシですよ?」


「ああ。俺が3日間、妄想し続けてきた内容に比べれば、地獄の業火に焼かれてもおかしくない」


「私、先輩の妄想の中で、どんな事をされていたの!?」


地獄行きでも可笑しくないくらいの懸想というか、劣情というか、そんな事をされていたのかと思うと薄ら寒い気がする。

何をされていたのか聞きたくもあるが、激しく後悔しそうなので、それ以上の追及はしなかった。


「で、その仕置きとはどういうものだ?」


「んー」


アーノルドが問いかけると、どういうわけかエリーは歯切れ悪く、誤魔化すように横を向いてしまう。

何やら決心がつかないような振る舞いに、アーノルドは首をかしげる。


「エリー?」


「まぁ、なんていうか、お仕置きと言うか、呪いと言うか……」


「呪い!?」


「ええ。生涯、アーノルドさんに影を落とすような呪いなのですが」


「なかなか重いな。地獄の業火とそんなに変わらないような気がするぜ」


思ったよりも仕置きが厳しそうなので顔を歪ませるアーノルド。

そりゃ普通の人が呪いなど言われればドン引きする。下手すれば縁を切られるかもしれない。

しかしながら、(おとこ)・アーノルド・ウィッシャートは厳しい仕置きを示唆された程度では挫けぬ心を持っている。

むしろ、さぁ来いってもんであった。

別に決して彼がマゾヒストというわけではない。彼が自己罰的で己に厳しいだけなのだ。多分。


「では遠慮なく」


エリーがアーノルドに接近する。

顔が近い。

大きな瞳が真っ直ぐにこっちを見て来るので、思わず視線を逸らしてしまう。

そうでもしないと、何やら胸の奥がうずうずして、正気を保っていられないような気がしたからだ。

吐息がかかるくらいに顔が近付くので、さすがにアーノルドも焦りを覚えた。


「お、おい、そんなに近付いたら」


顔と顔がくっつくだろう、と文句を言おうとした瞬間、顔と顔がくっついた。


「………………!!!???」


正確には唇と唇が触れあい、そのまま強く押し付けられた。

かつて洞窟内で偶発的にかすったか、触れたか、とドギマギしたあの時とは違う。

明らかにエリーの意思で、唇が重ねられた。

何なら舌同士も触れ合うほどに、しっかりと重なったのである。


アーノルドは思わず目を見開きつつ、柔らかく蠱惑的な感触に思考が奪われ、頭の中に白い(もや)がかかったように朦朧としてしまう。

静寂が室内を支配し、風のそよぎが窓を叩く音、遠くで鳴いている鳥の声が聞こえる。

ようやく二人の間に音が発したのは、エリーが艶めかしい吐息と共にゆっくりと唇を離した時であった。


「お仕置き終了です」


さも悪女風に言うエリーだったが、彼女の顔は耳まで真っ赤で、何ならうなじまで紅潮している。

どこからどう見ても、羞恥に身悶えしているのが丸分かりであった。


「あ、いや、ええと、エリーさん?今の、どこがお仕置きで……?」


なぜか敬語になるアーノルド。

動揺丸出しで情けない事、この上なかったが、突然訪れたハプニングは思春期をこじらせた彼には刺激が強すぎたので無理もなかろう。


「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」


真っ赤になりつつも、気を取り直したエリーが自信満々に、にやりと笑ってアーノルドの問いに答える。


「さて、童貞のアーノルドさん」


「ど、ど、童貞じゃねぇ!」


「え? 違うんですか?」


「……違わねぇけど」


「なんですぐにバレる嘘をつくんですか。話の腰を折らないでください」


「すまん」


なぜか謝罪に追い込まれたアーノルドである。


「童貞のアーノルドさんは、どうせキスもした事なかったのでしょう」


「……………」


アーノルドは否定をしようとして止めた。残念ながらエリーの発言が事実だったからである。

代わりに反論を口にした。


「それが事実だったとして、仕置きと何の関係がある?」


むしろご褒美ではないか、とは恥ずかしさと、何か負けた気がするので言えなかった。


「これからアーノルドさんの前には素敵な女性が現れるでしょう。その中には恋仲に発展する可能性だってありますし、いつかは恋愛、政略を問わず、結婚をする事になりますよね」


「あ? あー、そうかもな」


若干、不機嫌そうにアーノルドは答えた。

機嫌を損ねたのは、エリーの淡々とした物言いに対し、なぜか胸中に寂寥の想いを抱いたからなのだが、その理由はとんとわからない。

ただ何となく気に食わなかった。


「で、改めてそれがお仕置きと何の関係があるんだ?」


「良く考えてみてください。その人とアーノルドさんは深い仲になる過程で、ちゅーをする事でしょう」


「お、おう」


「その時、今日の事を思い出すはずです。アーノルドさんが好きな人とキスをする時、目の前の女性ではなく、あなたは私の事を脳裏に浮かべるクズ野郎になるんです」


「最低だ!!お前、そんなしょーもねぇ事、考えてたの!?」


「ふははは、ざまぁねぇなぁ、色男!」


「ふざけんな!!どうしてくれるんだ!俺の人生、まだまだ長いんだぞ!」


「ふっふっふ、だからこその呪いですよ。せいぜいアーノルドさんは、私との初チューを胸に抱きつづけながら、これからの人生を生きていってください」


「とんでもねぇ呪いを吹っかけやがった……」


愕然としながらアーノルドは呻く。

そこでふと、マウントを取っていい気になっている目の前の少女に対して疑念が湧いた。


「つか、その論法だと、お前にも呪いかかるんじゃね?」


その言葉に、エリーは「はう!」と一言呻いて固まる。


「初めてのチュウがどうとかって、前に入院した時に言っていたような」


「よく覚えてんなぁ!!」


ぐぬぬ、とほぞを噛むエリーに、ようやく反撃の兆しが見えて来たアーノルドが逆襲に移る。


「どうなんだ、エリー・フォレスト。お前にも今後、恋人となる男、夫となるべき男が現れるだろう。その時、キスをして脳裏に浮かぶのが俺になっちまうんじゃないのか!?」


「まぁ、確かに、今、私はアーノルドさんに、初めてのチュウを捧げましたよ」


別にそんな宣言はしなくてもいいのに、正直に謎の告白をするエリー。

それを聞いたアーノルドは、先ほどまでの不機嫌はどこへやら、喜悦と安堵の表情を浮かべて、満足そうにうなずく。


「なるほど、お前も初めてか。うんうん、なるほど、俺の前にお前の唇に触れた奴はいないんだな。なるほど、なるほど」


やたらめったら「なるほど」と大いに頷く姿は、まるで自分に言い聞かせるかのようであった。

なぜか笑顔すら見せるアーノルドに対し、エリーは引き気味に顔を歪ませ


「そう言えばこいつ、処女厨かつ独占欲の塊みてぇな奴だったわ」


と彼の性癖について思い返していた。

そのとんでもないクズもまた、思い返したようにエリーに対してドヤ顔を向けて質問を投げかける。


「ならお前も、俺と同じじゃないのか?惚れた奴とキスする時、俺を思い出すっつーか」


「まぁ、そういう事になりますね」


アーノルドにしてみれば会心のカウンターだったのだが、対するエリーは呪われてしまったというのに、全然怯まない。

むしろ憐みの表情すら浮かべ、アーノルドを見下して続ける。


「ですが、お忘れですか、アーノルドさん」


「なにをだ」


「私は、未来永劫に呪われ、これからの人生に影を落とす事になったとしても、アーノルドさんに嫌がらせができれば本望だと考える人間だという事を」


「こいつ、本当に最低だ!人生をかけて俺に嫌がらせするとか、どんだけ性格悪いんだよ!」


「それだけではありません。林檎の甘酸っぱい味覚を堪能する時、落ち着いた気分でレモンの香り漂う朝のモーニングティーを口にした時、アーノルドさんは私の事を思い出すのです。可哀想に」


「そんな俺に誰がした!!お前だろ!どうしてくれんだよ!」


「あーあ、あの時、余所見したばっかりにねぇ」


「代償がでかくない!?」


「仕方ないですよ。誰かさんが、しなくてもいい、しょーもない質問をした代償です」


「それはお前が言えっつったんだろ!!」


頭を抱えるアーノルドに、エリーは満面の笑顔で告げる。


「んじゃ、学校ありますんで行っちきまする。私が不在の間、悶々とした時間をお過ごしください」


「最低だよな、その台詞」


その言葉を聞いたエリーは「にしし」と笑った後、びしっと敬礼をして


「また学校終わったら来ます」


と告げると、小鳥のように軽やかに翻って退室して行った。

その後、遠ざかる「うひゃああぃ」だの「やっちまった、やっちまった」という奇声悲鳴を聞きながら、アーノルドは脱力して深くベッドに身を沈めた。


「馬鹿馬鹿しい。何が呪いだ」


そんなものに、かかるわけがない。

誰もが通過するであろう経験ではないか。戯れにもほどがある。

は? 可哀想な奴は一生、経験がないかも知れないだって?

はははは、そんな哀しい奴、いるはずがないじゃないか。

健康な男女なら、成人を迎える頃にはキスのひとつやふたつ、未経験なはずがない。


ただアーノルドが意外にも幸いだと思ったのは、エリーがこの行為によって訪問を遠慮するとか、そういう話にはならなかったことだ。

これまでの経験上、都合が悪い事態が発生した時、彼女は逃走を図る事が多々あったのだから。

それが普通にこの後も、訪問してくれるという。

もっとも宿泊道具を置きっぱなしなので、取りに来なければならないというだけの意味かも知れないが、アーノルドには一歩前進したという手応えを得て、なんとも感慨深くなる。


「まぁ、いい。少なくとも下校時刻までは、この病室も静かになるだろう」


喧騒が過ぎ去った病室で、アーノルドはまだかろうじて温かさが残る朝食の紅茶に口を付ける。

そしてレモンの香りが、ふと鼻孔をくすぐった瞬間、彼の脳裏に記憶が甦った。


「……………っ!?」


慌ててティーカップから口を離すと、己が指で唇をなぞる。

その唇には、明らかにカップの硬質な感触ではなく、柔らかく濡れた感触が残されていた。


「………………」


しばし沈黙したアーノルドは、呆然としながら、深く溜息をつきながら呟いた。


「マジで呪われたかも知れねぇ……」

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