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3章第20話 ぶちかませ

風邪で一週間ほど寝込んでおりました……

今年の風邪は咳が止まらないですね

紫電一閃、アーノルドからの強烈な剣撃がラーシュを襲う。

だがラーシュは、強い信念が込められた一撃をも受け止める。……いや、受け止めきれずに刃が下に流れ、受け止めたというよりも捌いたに近い形となる。

それに対するアーノルドの反応速度は、常軌を逸するレベルに到達していた。ほぼ間髪入れず、手首を返すとそのまま下向から、上に目がけて【斬り上げ】を放ったのだ。

これまでも同様な攻撃を見せてきたが、最初から狙っていたかの如き連続攻撃となると、ほぼ初見である。

大上段からの攻撃をいなして一息ついた所に下からの攻撃、しかもその攻撃はラーシュからの死角から放たれた。

もはや手槍を返して下からの攻撃を受け止める術はない。

誰しもこれで決まったと思った事だろう。


だが驚くべき事に、この攻撃をラーシュは受け止めた。

穂先ではなく柄の先端、【石突き】と呼ばれる部位でだ。

ラーシュの手槍の石突き部分はUの字になっており、刃を滑らせる事無く受け止め、そればかりかアーノルドの大剣を叩き落としにかかる。

片手だけでなく、細剣を持つ右手を添えて、全力で押し戻してきた。


「ぐっ……!」


アーノルドの剣がわずかに押し返される。


「叩き落す!」


ラーシュが力を込めて手槍を押し込む。

両者の力は甲乙つけがたいものであったが、重力の存在ゆえに下方には力を入れ易い一方で、剣を上に斬り上げなくてはならないアーノルドには歴然とした不利がある。

拮抗した激突が、徐々にではあるが旗色が鮮明になっていく。


「いったん離れて仕切り直せ!」


ナイジェルが叫ぶ。


「相手は剣を地面に叩きつけて折る気か」


隣にいたジュマーナが唸る。

ラーシュの狙いはこのまま剣を地面へ押し付け、折り曲げ、あわよくば腕力だろうが足だろうが、何が何でも圧力をかけてへし折るつもりであろう。

だが仕切り直したところで、これまでの攻勢をリセットする事になり、体力面で限界ギリギリのアーノルドの不利は否めない。ここで決めなくては、勝機はほとんど失われるに等しい。


「ちぃっ!」


劣勢に陥ったのを自覚したアーノルドは思わず舌打ちをする。

だがここまでのアーノルドの攻めに落ち度があった訳でも詰めが甘かった訳でもない。むしろ勝利を決定付ける一撃を、強引に覆したラーシュを褒めるべきだろう。


「終わりだ!」


ここが勝負所と見定めたラーシュがさらに力を込めた。

押し込まれていくアーノルドの大剣が、じりじりと地面に近付く。


(いかんな)


アーノルドはこれまでの経験から、拮抗状態から劣勢に陥った時、ほとんどの場合、逆転はない事を身体が覚えている。

間違いなくこのままでは剣を地面に叩き伏される。その前にこの状況から脱するべきだ。

震える両手を構え直し、相手の搦め手から抜け出そうと試みる。


その時である。

アーノルドの視界に、白い物が目に入った。


それは己の左手首に巻かれた白い布であった。

何の変哲もない、ただの布切れであり、防御効果もなければ攻撃力を高めるような能力上昇(バフ)効果も込められていない。

ただそこにあるだけの、ただの布である。

だが一点、ただの布と違う所があるとするならば、その白い布には【祈り】が籠められていた事だろうか。

そして、その【祈り】は青年にとって、ともすれば逃げに転じようとしていた己の心を再び燃え上がらせるに十分なものであった。


(思い出した)


アーノルドの心に炎が着火する。

明らかな劣勢からの、数少ない逆転劇。


その時もそうだった。確かにあの時も、自分の視界の端に。

戦闘中、しかも雌雄を決さんという分水嶺であるにも関わらず、アーノルドはつい、と視線を横に逸らす。


―- その視線の先には、真っ直ぐに自分を見つめる金髪の少女の姿があった。

エリー・フォレストの姿が。


◇◇◇


押されている。


戦前の、下馬評通りの結果に落ち着きそうな闘技場。

悲鳴と絶叫が交錯する喧騒の中で、私は真っ直ぐにアーノルドさんだけを見ていた。


既にアーノルドさんの身体が限界である事は分かっている。みんな、熱狂して気が付いていないのかも知れないけれど、かなり無理をしている。

どうしょうもないとは言え、見ているしかない自分にやきもきする。握りしめた手のひらがジンジンするのだが、それでも力が入るのを止められない。

こんな事なら、洞窟での戦いみたいに、自分が傷ついても側で一緒にいる方がマシだ。

今、出来る事は声を上げて応援する事だけなんだけど、何と声を掛けていいものかすら分からない。


(あ)


そんな私の目に、アーノルドさんの予期せぬ動きが飛び込んでくる。


(こいつ、引こうとしてやがるな)


ほんのわずかだけれど、相手の圧に負けて、引きの態勢に入ったのが分かる。

いやいやいや、違うだろ。

そりゃあ相手の反撃も見事なものでしたけど、そこで不利になったからって引いちゃダメだろ。

力及ばず押し負けたのとはわけが違うじゃん。


だけど私の心配は杞憂だったみたいだ。

一瞬、引こうとしたアーノルドさんだったけど、すぐに足を踏ん張らせて、もう一度、相手の剣を押し戻すべく力を入れ始めた。

小細工なしに、真正面から相手をぶち破りにかかる。

そうそう、それだよ、それ。

私が知っているアーノルドさんは、そうでなくっちゃ。


思い出した。

こんな状況でアーノルドさんが逆転勝ちした事が一度あったじゃん。

それは騎士団の模擬戦で、爺さんと一騎打ちをした時。


アーノルドさんは打ち負けそうな自分を奮い立たせて、爺さんの剣を叩き折ったんだっけ。

いやいや、あの時のアーノルドさんの格好良かった事よ。

そんなアーノルドさんが、今更、力で負けちゃいそうだから仕切り直しますねって、格好悪いにもほどがある。


分かってる。私だって、今、思っている事がどんなに的外れな事かくらい理解している。


それでも、ここに至るまでのアーノルドさんの歩みから、対戦相手との因縁を考えると、押してダメなら引いてみな、じゃダメなんだ。

真正面から、ぐうの音の出ないほどに打ち負かして、「どうだこの野郎、参ったか」と宣言しなくてはならないんだ。

それが利口なやり方じゃないのくらい、分かっているけれど、これはそういう対決なんだと、少なくとも私とアーノルドさんは思っている……と信じたい。

……私だけが妄想よろしく突っ走ってないよね?

そうならないためにも、何かここは気の利いた声援のひとつでもかけてあげなくては。


(普通は「頑張れー」とかなんだろうけど)


騎士団の爺ちゃんと模擬戦やった時は、そんな声を上げたと思う。

だけど今はちょっと状況が違う。

何せアーノルドさんは、もう頑張っているからだ。

頑張っている人に、頑張ってと言うのは禁句だ……と、ネットで見た記憶がある。だから多分、間違いない。多分。

まぁ、それを抜きにしても、こんなに頑張っている人に対しての掛け声としては、ちょっと躊躇する。

今、頑張ってないみたいじゃん。


その時、アーノルドさんがわずかに顔をこちらへ向けた。

余所見をするな、と怒鳴りつけてやろうかと思ったが、あのアホ、目と目があった途端……笑いやがった(・・・・・・)


ああそうか、そういう奴だったか。

こんな状況でも、あの先輩は全然、変わらない。

「俺を見とけ」と雄弁に目が語っていた。口端がわずかに吊り上がってさえいた。


(なんだよ、よゆーじゃねぇか)


一瞬、心配した私が馬鹿みたいじゃないか。

ならば、もう私から言う事は何もない。頑張れの声援も、心配する声掛けも、全部不要だろう。

強いて言うならば、背中を押してあげる一言くらいか。


私はアーノルドさんと同じく、口元をにんまりを笑顔に変えて、親指を下に向けながらこう言ってやった。



ぶちかませ(・・・・・)


◇◇◇


アーノルドは苦笑した。


おいおい、仮にも淑女として遇されている奴が、親指を下に向けるなよ。

幸い、俺に視線が集中しているから、そっちに目が向いていないが、大問題になるぞ。

俺の気が抜けて押し切られたら、お前のせいだからな。


だが口とは裏腹に、アーノルドの剣が徐々にラーシュの手槍を押し返していく。


「任せておけ、ぶちかましてやるよ」


「任せた!!」


そんな簡単な軽口を交わした後、明らかにアーノルドの剣が勢いを増す。


「たかが柄ごときで、俺の剣を止められると思うなよ!!」


エリーは、「さっきまで完璧に止められた感じだったけどな」と思ったが、あえてスルーを決め込んだ。

ここで異議を挟むのは、ノリノリになっているアーノルドに対して野暮というものだろう。


炎が湧き上がり、剣に纏っていく。

ここまで決定的な場面にならない限り、両者ともに魔法を使って来なかったが、ついにアーノルドが魔法を解禁する。

いや、解禁ではなく、溢れ出たという印象が正しい。

全力を込めた一撃に対し、無意識のうちに反応したとでも言おうか。まさに気焔万丈を体現したような姿である。


「ようやく思い出したのかい。儂との戦いを活かせぬかと冷や冷やしたぞ」


一番隊と二番隊の模擬戦の時、アーノルドの渾身の一撃を身を以て体験したイザークが、「やれやれ」と顎を撫でる。

あの時も、娘の檄で発奮したのがきっかけだったと思い出し、


「あれほど献身的な勝利の女神がついているとは、羨ましい限りよ。あれがなければ、まだまだひよっこなのじゃが」


と、呵々と笑う。

その言葉を聞いたか聞かずか、勝利の女神に後押しされたアーノルドが咆哮を上げた。


「おおおおおお!!」


放たれた一撃が、ついにラーシュの手槍を弾き飛ばす。

下からの斬り上げに抗する事ができなかったラーシュの態勢は、左手を勢いよく天に伸ばす態勢となり、ついに隙を見せた。

対するアーノルドは斬り上げから間髪入れずに袈裟切りに入る。


(決まった!!)


誰しもそう思った瞬間、ラーシュの細剣がアーノルドの袈裟切りに合わせて交錯する。


「この期に及んで迎撃(カウンター)か!」


観戦をしていた同じ剣士であるグレンが呻く。

驚くべき事にラーシュは押し負ける事を悟った瞬間、すぐに頭を切り替えて細剣による迎撃に勝機を見出したのだ。

あとはアーノルドの剣速とラーシュの剣速勝負だが、迎撃を取った事と、細剣による【突き】という技の性質上、ラーシュの方が一瞬、いや半瞬だけ速い。


「大将にはこれがあるんだよ!!」


傷面の男(スカーフェイス)がガッツポーズを見せ、親衛隊の面々も同じく盛り上がる。

決定的な勝利の瞬間を、彼らは固唾を飲んで見守った。


……だが、彼らは目を見開いた。

同じく、ラーシュも目を見開いた。


(攻撃が、来ない)


それはここまでアーノルドがラーシュの迎撃を阻止し続けた、剣技ともいえぬ強引なタイミングずらし。

確かにそれまで、幾度なく放ち続け、勝利を引き寄せる一助となっていたが。


(ここで、それを放つか)


全力で相手を退けた一撃の後に。

全身全霊で放った勝利目前の一撃において。

すでに体は強引な動きを駆使したせいでボロボロなはずなのに。


(ここで、それを放つのか)


もう一度、ラーシュは呟き、ふっ、と微笑を浮かべた。


ラーシュの細剣が、タイミングを失って流れて行く。

かろうじて、アーノルドの頬を掠めたのは最後の意地か。だがこの態勢で放ったにも関わらず、この正確性は、もしアーノルドがそのまま単純に剣を振り下していたら、逆転されていたに相違なかった。

しかし現実は、ラーシュの左手の手槍、右手の細剣、いずれも制御を失って態勢が崩れている。


「ありがとうよ、北の狼」


アーノルドは礼を述べた。


「あんたのおかげで、俺はエリーに良い所を見せられた」


袈裟斬りの途中で止めた剣が、無防備な【手槍】を狙うと、三叉の根元から両断される。

返す刀で細剣を横に薙ぐと、大剣の剛直な一撃は細剣では受け止めきれずに、パキン、と高い音を立てて折れた。


この瞬間、ラーシュ・ルンドマルクの両手の獲物は継戦能力を失ったのである。


◇◇◇


あまりに一瞬の出来事に、闘技場が静まり返る。

逆転に次ぐ逆転が起こりすぎて、まだ何かあるのではないかと、皆が疑心暗鬼になっているのだ。


そんなざわつく観衆たちを尻目にアーノルドが静かに、だが堂々と、そして高々と左手を上げる。

その手首には、試合開始前に巻かれた白いハンカチが翻っていた。


(こいつが目に入ったおかげか)


炎と氷、紅と蒼の激突の最中、飛びこんで来た異質の【白】。

これが消えかけていた炎の灯火を再点火させたのは認めなくてはなるまい。

そして持ち主の淑女らしからぬ激励の言葉が、背中を痛い程ぶっ叩いて後押ししてくれた事も。


アーノルドは掲げた腕を水平に下すと、そのまま来賓席にいるエリーに向けた。


「見たかよ」


悪戯っぽく快活に笑うアーノルド。

それに対して満面の、してやったりの笑みを浮かべてピースサインで応じるエリー。


そんな二人の姿を見て、ようやく観衆は実感する。

それに続けて高らかに宣言(アナウンス)が会場に響き渡る。


『勝者、アーノルド・ウィッシャート!!』


この後は実況どころか隣の人間との会話すら、まともに聞こえる状態ではなくなった。

爆発的な歓声が会場全体から湧き上がり、地鳴りのように闘技場を揺るがせる。


「やったやった!!」

「勝ったぞ!!」


などと言語化されているものは、まともな部類だろう。

大半は叫び声同然の、言葉にならない怒号のような、悲鳴のようなものばかりであった。


そんな大歓声の中、かろうじて聞こえる声で敗者たるラーシュが冷然と、確かめるようにアーノルドへ声を掛けて来た。

彼は不思議そうな顔をして、折れた矛と細剣を見つめながら問いかける。


「なぜだ?」


「なにがです?」


「お前は私の敗因を述べた。私の力が、親衛隊の者が束になったって敵わないゆえに負けるのだと。あれはどういう意味だ?」


「ああ、簡単な事ですよ」


「簡単な事?」


「そんなに突出して強かったら、さぞかし切磋琢磨する相手に恵まれてないんだろうなってね。俺の周りと来たら、マックスさんやイザークさんをはじめ、まだまだ敵わない人ばかりだし、そんな人たちを相手に勝ち星を挙げようとするなら、一戦ごと……下手すりゃ一合ごとにでも成長しなきゃならない」


パチン、と剣を鞘に収めながら肩を(すく)めて続ける。


「最初から最強だったあんたは、自分より強い相手に遭遇した時の経験値が足りない。劣勢を跳ね返すだけのブレイクスルーを果たせなかったって訳です」


まぁ、それでもギリギリでしたけどね、と付け加えた。

口を尖らせながら、小さい声でぼそぼそと言ったのは見立てより苦戦したのを認めたくないからだろう。


「なるほど……競い合う相手が不在だったゆえ、か」


「あとは停滞しようとすると、後ろから蹴り飛ばしてくる奴もいますし」


そう言うアーノルドの視線の先には、「よくやった」と言わんばかりにピースをするエリーの姿があった。

ラーシュもまたエリーの方を向くと大きく息を吐き、呟いた。


「同情する」


互いに冗談ではなく、真実味を帯びた口調で交わす会話。

言葉の通り、ラーシュは同情した。

当然のように勝つと信じて疑わない相手がいるという事に。

ラーシュに対するルンドマルク親衛隊の立ち位置もそれと似ているが、それでも彼らは臣下としての一線を引いている。

だがエリーの、アーノルドに対する信頼感は、それと毛色が違っていた。


全身全霊でアーノルドの勝利を疑わず、殉ずる覚悟を以て臨んでいる。

負ける事など1mmとて疑っていない。

そんな視線を背負いながら期待に応える事の、何と重い事か。

だがこの男には、その重さなど羽毛一枚にも感じている様子はなく、それどこから、その期待を推進力に変えて爆発させていた。

でなければ、「同情する」の返事として


「それが期待されればされるほど、力が(みなぎ)ってくるんですよ」


とは言わないだろう。


ここに至り、ラーシュは己の敗因をほぼ正確に悟った。

決して力でも、魔法力でも、剣技でも、敗因となる点はなかった。多少、受け過ぎたかという反省はあっても、初見の相手に対して慎重に対応するのが鉄則である事から、同じ状況が訪れれば、再度、同じ戦術を取るであろう。


敗因はひとつ。


何の事はない、最初から公平(フェア)ではなかったのだ。

そう、公平(フェア)ではない……1 vs 1ではなかった。

相手はアーノルド・ウィッシャートとエリー・フォレスト、2人が一心同体になって立ち向かって来たのだから。

挫ける心あらば奮い立たせ、猛る魂があれば呼応して勇気付ける。片や、相手の信頼と期待に比例するように限界を超えて力を発揮する。

その信頼が無限大であれば、どこまでも強くなれるというのであれば、ハンデもいいところだ。


そこまで察したラーシュは、おとなしく勝敗の結果を受け入れた。

敗北の象徴たる、折れた両手の武器を放り捨てながら、彼は栄誉ある勝者に向かって告げた。


「勝利の美酒を堪能するがいい。お前にはその資格がある」


そう言うと元々自分がいた来賓席の方へ歩み始める。

アーノルドがその先に視線を向けると、来賓席の柵をドレス姿ながら軽やかに乗り越えたエリーの姿が見せた。

淑女らしからぬ、お転婆な姿である。


「おま、あぶっ……!」


転んでは一大事とアーノルドは慌てるが、当のエリーは華麗な着地を決めるや否や、ステップを踏むように走り出す。

退場するラーシュと飛び入り入場するエリーがすれ違うが、互いに一瞥する事もなく通り過ぎていった。

片や爛漫の笑顔で、片や無表情のままで。

それが勝者と敗者を明確に分かつコントラストとなって映し出され、この激闘の結果をより深く彩った。


無言のままに来賓席に戻ったラーシュを、傷面の男(スカーフェイス)らが迎え入れるが、その表情は当然だが暗く、重い。

最強を自負する【北の狼】ルンドマルクの者として喫してはならない痛恨の敗北。

たかが一敗と言うには重すぎる、犯してはならない大失態。

周囲からの心無い野次に対して誰もが無反応であり、それだけ衝撃の大きさを物語っていた。


親衛隊の皆がラーシュに視線を向ける中、傷面の男(スカーフェイス)だけは、遠くで勝利を分かち合う男女へ視線を向けた。


(なるほどな)


傷面の男(スカーフェイス)はラーシュとはまた別の角度から、今回の勝敗について心中納得するものがあり、それは奇遇にも盟主たるラーシュとほぼ同じ結論に達していた。

アーノルドとエリー、この両名の関係性こそが勝敗の鍵であったと。


傷面の男(スカーフェイス)は戦いの最中、エリーに対して「なぜ戦いを止めないのか?」と尋ねた。

勝敗は明らかにラーシュに傾き、応援すべきアーノルドの敗北が濃厚だった時にだ。

この挑発的な問いに対してエリーは答えた。


『それはまぁ、私が北に行く必要がなくなっちゃいましたし』


あまりにはっきりと断言するので、傷面の男(スカーフェイス)は皮肉ではなく、正直に興味をそそられた。


「へぇ、それはそれは。勝ち筋も見当たらない、反撃の手もないってのに、勝つつもりか?」


「勝つかどうかは分からないですけど」


「んん?」


禅問答のような、意味不明な返事に毒気を抜かれた傷面の男(スカーフェイス)は、真意を測りかねて珍しく曖昧な言葉を返した。

逆にエリーの方は、何が不思議なのか、逆に不思議と言う風な顔をする。


「だって勝ったら私、そちらの故郷に行かなくて済むんですよね?」


「いや、負けた時の事だよ」


「え?」


「は?」


噛みあわない。どうにも話が噛みあって来ない。

傷面の男(スカーフェイス)の疑念を嘲笑うかのように、エリーは当たり前のように返す。


「でも負けたらアーノルドさん、生きてここを出るつもりないですよ?」


平然と恐ろしい事を言う、と傷面の男(スカーフェイス)は思った。

だが確かにそうだとも思う。

あの赤毛の男は、決死の覚悟でここに来たに違いない。

ウィッシャート家の家是に背き、この娘を取り返すと宣言して闘技場に、あんな形で現れたのだ。

今思えば、自らを死地に置き、退路を断つ行動だと納得できる。だがそれが、エリー・フォレストが連行されない事と、何の因果関係があるのだろうか。

だから、傷面の男(スカーフェイス)は、次の台詞を聞いて、今後こそ驚愕した。


「え?アーノルドさんのいない世界で、私が生きる意味、あります?」


驚愕と同時に納得した。

納得と同時に、背筋に戦慄が走った。


(こいつ、イカれてやがる)


つまるところ、アーノルドは敗北と同時に自害の道を選ぶだろうし、そうなれば自分も後を追うという事である。

悲壮感もなければ、純愛に殉ずるという風でもなく、まるで散歩にでも行くかのように、エリーはその命を捧げる事に決めていた。

誰に宣言するでもなく。

強いて言うならば、アーノルド・ウィッシャートには伝わっているだろう。

言葉ではなく、以心伝心、そういうものだと伝わっているのだろう。

そもそもアーノルドからして、平民の女一人に対して命を賭けるなど、酔狂を通り越して狂気の沙汰である。


(こいつではなく、こいつらだ。こいつら、おかしい)


よりによって、何でこんな連中に絡んでしまったのか。

こんな奴らに心理戦を仕掛けるなど、ちゃんちゃらおかしい。

負けた時点で死ぬと決めている連中に対して、北に連行するだの、家門に傷がつくだの、何のブラフにもならないではないか。


『勝ったら北に連行だぞ?将来がどうなってもいいのかな?嫌なら手を抜いて、負けた方が良いんじゃないか?』


……嗚呼、何とまぁ滑稽な台詞だろうか。

負けたら自らの命も、大事な人の命も失う覚悟で来ている相手に、間抜けな道化師でもこんな台詞は吐かないだろう。


改めて横を見れば、先ほどさらりと死ぬと宣言した少女は、何事もなかったかのように前を向いて激戦に魅入っている。

傷面の男(スカーフェイス)は、王都に到着してからこの時まで、一度たりとも揺るがなかった己の自信に亀裂が入る音を聞いた。

自らは敗北したとしても、ラーシュさえいれば翳る事はないと信じていたルンドマルクの威信。

もしそれが倒れるとするならば、おそらくはこいつらの如き異常者の手によってであろう。


―― そして十数分後、それは現実のものとなった。

勝利の栄冠は、彼らの頭上に輝いたのだ。


「化け物ども(・・)め」


傷面の男(スカーフェイス)は忌々しげに呟いた。

この言葉は先にアーノルドからとどめの一撃を受ける直前に口走ったものと同一であったが、今度は意味合いが違う。

あの時は身体的に圧倒された事に対して、そう評したのだが、今度は精神性にである。

身体ならば鍛えればいつかは肉薄する事もできよう。

しかし心の在り方については、そう簡単に形成できるものではない。もしかしたらついに、その境地に至る事はないかも知れない。

それどころか最初から理解の埒外の可能性すらある。

そして何よりも、対象が一人から二人になっている。何故かはもはや、語るまでもないだろう。


「行くぞ」


傷面の男(スカーフェイス)は、ともすれば呆然自失となっている親衛隊の面々に声を掛け、闘技場に背を向けた。

折しも二人の男女がちょうど交錯する場面であり、観客席の熱い視線は二人に注がれている。


笑顔、拍手、歓声、歓呼、称賛……場が明るく陽気な色彩に染められていく中、もはや敗者のいる場所はなかったのだ。


◇◇◇


「どわっ」


アーノルドさんを目の前にして、私は危うく、闘技場の地面に顔面をダイブさせるところだった。

足がもつれて、がくんとつんのめってしまったのだ。


「おっと」


そう言いながら、アーノルドさんが加速して受け止めてくれなかったら、その懸念は現実のものになっていたかも知れない。

幸いにして彼の手によって、私の顔面は闘技者でもないのにリングに倒れるという恥ずかしい事態はかろうじて回避できた。

ふぅ、危ねぇ、危ねぇ。

空気を読まないアーノルドさんの事だから、もしかしたら「うお、あぶねっ」とか言いながら私を回避した可能性もあったわな。

幸い、そこまで非情ではなかった先輩は、両手でキャッチしてくれた。せーふ。

しかも勢いを殺す為にくるくるっと回転したものだから、キャッキャウフフとダンスをするかのように可憐に舞ってみせてしまった。

ああ、美少女って怖いわぁー、何しても絵になっちゃうんだから、怖いわー。

ひらひら~っとスカートを膨らませながら、さながら蝶のように優雅に、アーノルドさんの前に舞い降りた。


「いえい♪」


親指を立てて笑ってみせるが、アーノルドさんは反応はいまいちで、じーーーっとこちらを眺めている。

あれ? おかしいな。ここは喜びを分かち合う場面ではなかったのか。

ニコニコ笑顔のエリーちゃんの、飛び切り微笑にすら無反応ってどういう了見よ。

まるで品定めされているかのように、足先から頭のてっぺんまで、まんべんなく観察されている。


「あの~~~?」


「………………」


「アーノルドさん?」


「………………………」


沈黙だ、沈黙。

多分、何か小難しいけどアホな事を考えているに違いない。

観衆たちも固まったアーノルドさんに気が付いて、野次ってきてんじゃねーか。


「おーい、色男、彼女に何か言ってやれー!」

「緊張して固まっちまったのかい?」

「しょうがねー野郎だな、せっかくの勝利が台無しだぞー」


まったくその通りである。

いくらクールなアーノルドさんだとしても、私だって頑張ったんだから頭を撫でてくれたり……いや、私、何か頑張ったっけ……?

観客席でのほほんと観戦していただけな気がしてきた。

いやいや、精神的!精神的にアーノルドさんを支えていたはず!!

初っ端にアーノルドさんの手首に手製のハンカチを結んであげたのは、何を隠そう、私だという事をお忘れじゃありませんよね?

あれが勝敗を……左右するわけねーな、あんな布切れ一枚。

ま、いいでしょう。

勝利を収めた時点で及第点、あとはカーテンコールに応えながら、滞りなく退場すれば万事めでたく解決と相成り申す。


「さーて、アーノルドさん、応援してくれたみんなにお礼を言って退場を………」


そこまで言った瞬間である。

皆様は遭遇した事があるだろうか。自分の想像のキャパシティを超える事態に直面した事が。

私は、ある。

なぜなら、まさに今、そんな感じだ。

そして、そうなると思考が停止してしまうのだよ。


ああ、どうしたんだろうか。

あのアーノルドさんが、いつも格好つけ屋でクールぶって、特にノエリア義姉様の前では少なくとも態度の上では冷静沈着を装っていたアーノルドさんが。


実に感情的に、私を真正面からハグしたのである。

それも思いっきり、背中まで手を回してのぎゅーである、ぎゅー。


「どどどどどどどどどぅしますた?」


どもった上に噛んだ。最悪だ。

だがそれ以上に視線が痛い。今日も何度か大観衆から視線を浴びたが、これは極め付けってもんだ。


ぎゅうううっ、とさらに力がこもると、私の身体は完全にアーノルドさんの身体に密着というか、埋もれた。

合わせて会場のボルテージが高まる。それはもう、これ以上ないと思っていたアーノルドさんの大勝利と同じくらいに盛り上がった。

お前ら、他にもっと盛り上がるところあっただろ。

まぁ、応援一色だったさっきに比べて、「いやあああああ」とか「きゃああああ」とか「死ねえええええ」とか悲鳴と罵声が大いに混じっていますけど。


「アーノルドさん、私が美少女すぎて劣情を催してしまうのは無理なからんと思うのですが、さすがにちょっと大胆じゃないですか?先輩らしくないなぁ。ここはクールに私の頭をポンポンと撫でて、それに対して私が「な、なんだよう、子供扱いして!」と顔を真っ赤にしながらぷんすかするくらいがちょうどいいと思いますよ?」


「………………」


返事がない。マジでこいつ、屍のようだ。


「あの、アーノルドさん」


「……………………」


「ちょっと、いい加減に……」


さすがに抱擁タイムが長すぎるので、両手で押し返してやろうかと思って、ぐっと力を入れる。

だがそれと呼吸を合わせるように、この野郎、体重を預けて来た。

やめろ、重い、苦しい。

乙女のか弱い身体に負荷をかけるんじゃない。


「せんぱ……」


抗議すべく声をかけようと、顔を見上げた時だった。

私の目に、安堵と苦渋を入り混じったような、不思議な表情をしたアーノルドさんが飛び込んできたのは。

まさにその瞬間、私は抗議を止めた。


あの表情には、一見で色んな感情が渦巻いていた事を想起させた。

私を無事に救出できた安堵、ここまでの苦しい道のり、こんな状況に陥らせてしまった不覚、あとはそうですね、ようやく没収されていた【玩具】を取り返す事ができた達成感も多少はありますかね。

こんな私ではありますけれど、奪われたとあっては取り返したくなるのが人情ですから。


「……………………はぁ」


しょうがねーなー、と私は天を見上げた。

決闘での勝利、しかもこれまでの鬱憤を晴らす大大大大勝利を挙げたんだから、そりゃもう気も抜けちまうってもんでしょうよ。

もしかしたら私の知らないところで、色んなものを背負って来たかも知れない。

そう考えたら、そりゃあちょっとくらい抱っこ人形になって、彼のストレス軽減の一助くらいになってあげなくては可哀想だというものだ。

考えてみれば王都中の期待を一身に背負わされたんだもんな。

他のみんなだって頑張ったけど、私が足枷になって実力を発揮できなかったんで、申し訳ない事したなー。

皆が皆、アーノルドさんやフランクさんみたいに吹っ切れるわけないのだ。

(他に約1名、学校の先輩が自爆したかのように敗退して行ったのを目撃したんだけど……あれは何だったのだろうか)


(まったく、でけぇ子供みたいなんだから)


そう考えると、思わず私はポンポンと手のひらでアーノルドさんを優しく叩いていた。

抱き締められて、頭には手が届かないから、手をぐるっと回して背中をですけど。

客観的に見て、なかなかにイチャついていて恥ずかしいのだが、それよりも母性本能が打ち勝ったようだ。恥ずいよりも、愛おしさが勝ってしまった。

簡単にいうならば、てぇてぇんだわ、甘えん坊アーノルドさん。赤ちゃんをあやしてる気分だ。


ついこないだまで孤児院で子供たちを世話していたのを思い出す。

よく泣いている子供たちを抱っこして背中を叩いたり撫でたりしてやったっけか。

ふふふ、こう見えても母性に溢れているのだよ、私は。

ママと呼んでくれてもいいぜ。


「アーノルドさん」


この場合、何と言えば良いのかな。

無茶しやがって、とも思う一方で、ありがとうございますっていう感謝の念もあるし、ご苦労様と言う想いもあって。

それが全部が全部、外れじゃないんだけど、どうにも私たちらしくないというか。


…………。

…………………。

…………………………。


「エリー?」


沈黙が長すぎて、アーノルドさんが聞き返してきてしまった。


……ええい、ままよ!

呼びかけるだけ呼びかけてしまったせいで、きょとんとした顔で見られている方がこっ恥ずかしいじゃんか。


私はぐいっ、と両手でアーノルドさんの顔を掴むと、私の顔に寄せた。

そして至近距離で言ってやった。


「来るのが(おせ)ーんですよ」


それを聞いたアーノルドさんはどう思うかな?

じーーっと先輩の瞳を見ると、その中に満面の笑顔をした私の顔が映った。

むぅ、私、そんなに笑ってたのか。もちっと口を尖がらせて拗ねたイメージだったのに、これじゃまるでベタ惚れしてるみたいではないか。


「はう」


その直後にアーノルドさんが見せた表情は、それはまぁ、私が惚れ直す……というと、何か前から惚れていたみたいでイラつくな。

まー、顔だけは良かったアーノルドさんについて、改めて顔だけは良いと再認識したとしておこうか。

とにかく語彙力の乏しい私では表現できないくらい、とびきりの良い顔をしてくれてですね、そりゃ思わず変な声も漏れますよ。

そんな表情をしながら、アーノルドさんは私の目を見たまま返事をした。


「悪ぃ。遅れた」


「うん」


「ギリギリだったな」


「うん」


間抜けなくらい、気の利かない返事しかできない私である。

そりゃそうだろうよ。あんなイケメン、イケボで囁くように言われたら、あわあわして思考停止しちまうのも当然だろうがよ。

おめー、場所変わるか? 絶対に勘違いするからな、このシチュエーション。

んな事を考えているうちに、アーノルドさんの手が、私の手に重なる。

いい加減、顔を押さえるのを止めろと言いたいのだろうか。確かに失礼な態勢ではある。

だがアーノルドさんは、手を振りほどこうとせず、そのまま握りしめながら言葉を続けたのだ。


「エリー」


「はい」


「お前を(さら)いに来た」


おいおいおい、ちょっと待て待て。いかん、鼻血出そう。顔がにやけちまう。

頬を両手でパンパン叩いて気合を入れ直したいのに、その手も握られて恋人繋ぎされちゃってる始末だ。

言葉を額面通り受け取れば、そりゃ失礼な台詞ですよ。ええ、そりゃあもう失礼ですが、この状況、この雰囲気の中で、額面通り受け取る人、いる? いねぇよなぁ!?

そりゃメス顔になってヒロインムーブのひとつも出ますよ。


「うん」


私はそれだけ言うと、アーノルドさんの首に目一杯、抱きついてやった。

ああ、何て至福の時。何と言う役得だろう。

大観衆の生暖かい視線も、冷やかすような口笛も、万雷の拍手も、女性たちの嫉視と金切り声(負け犬の遠吠えざまぁである)も、何もかも気にならない。

もう邪魔立てする者もいない、二人だけの世界。


ああ、私たち、これからどうなっちゃうの……?


「すみません、プログラムを進行したいので、勝者の勝ち名乗り、受けてもらってよろしいでしょうか?」


「あ、はい、ごめんなさい」


二人だけの世界は司会進行役の方のツッコミで敢え無く霧散した。

あれほど分かちがたく、物心共に、しっかりと結ばれたはずの私たちはいったん離れて、改めて機械的に、淡々とプログラムが進行する。


私一人、勝手に燃え上がった挙句、競技場に別々に立たされてめちゃくちゃ恥ずい。

あっちこっちからヒソヒソと語り合う声が嫌でも耳に飛び込んでくる。


「なんか………」

「拍子抜けしたな」

「梯子外された感じだよね」

「しっ!あんな雰囲気出してたのに中断させられた二人の気持ちを察してやれよ」

「俺ならいたたまれなくて、明日から外歩けねぇよ」


やめてーーーーっ!

誰かこの場から私を(さら)って行って!!

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