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3章第14話 決闘会(3)

間が空いて申し訳ありません。次は早めに投稿したいと思います……

今、巷で盛り上がっている決闘会とはまったく別の、とある貴族所有の訓練場で、数人の騎士や魔導士たちが座り込んでいた。


「やるのう」


「まだまだ子供かと思っていたら……」


激闘の跡が色濃く残り、剣戟や魔法の衝突痕が訓練場全体に彩られていた。


「あれだけの腕前で不覚を取るとは、相手はどれだけ強いのか」


「いや、あの腑抜けた小僧は精神が弱い。大方、その辺をつけこまれたんじゃろうよ」


「ムラが多いという事か。まだ当主になるまでに修行せねばなるまいな。いや、それとも当の本人にやる気がないのか?」


「若い若い」


はっはっは、と一同が笑い合う。


「だが潜在的な実力は認めねばなるまい。いや、前々から分かってはおったが、危うさと同居していて、上手く発揮できんと思うていたが…力を振るう方向性を見出せば、あやつに敵う者は大陸広と(いえど)も、そうそう見当たらんわい」


不意に発せられた誰かの言葉だったが、それに他の面々の声が重なる。


「つまり…導いた者がいるという事か」


「てっきり義姉がその役割を担うと思っていたが……」


「ふむ、人生、一歩先は分からんものじゃの」


座り込んでいた者たちは、不意に空を見上げて、ここではない場所へ思いを馳せた。


「今頃は盛り上がっておろうな」


皆、一様に悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「相手も相手じゃが、まぁ、いい勝負にはなるじゃろて」


―― 彼らに共通しているのは、冠する苗字「ウィッシャート」。

もはや論ずるまでもない、イシュメイルの王国史に燦燦と輝く武の名門貴族である。


◇◇◇


「ほっほー、あの小僧、ド派手に登場して来たのう!」


来賓席にて、観衆と同じく手を叩いて喜んでいるのは、王国の騎士団を率いるイザーク・バッハシュタインであった。

国家の重鎮たる男だが、型破りな事が嫌いではない……むしろ好んでいる性格だ。

ましてやルンドマルクの暴挙に憤りながらも、立場上、自重をしていた分、アーノルドの登場シーンは我が意を得たりという所だろう。

文字通り、拍手喝采である。


「エリー嬢が救出されたのは喜ばしいが……いいのか……まさか無許可で……」


驚き、そして内心喜びつつも、不安を口にしたのは皇太子のクリフォードだった。

事前の告知で、参加者は家門ないし所属する団体の許可を得なければならないと通達していた。

もし無許可での参戦とあらば、命令違反である。どんなに皆が待ち望んでいた光景だったとしても、処罰をせざるを得ない。

アーノルドは婚約者の弟であり後輩でもあるが、そうした身内感情を抜きにしても、この状況を打破した功労者を罰するのは避けたい。

しかしそんなクリフォードの心配を杞憂と看破する人物が、来賓席に現れた。


「その心配は不要です」


鈴の音色のような凛とした特徴的な声に、その場にいた全員が振り返る。


「アーノルドの参加については、ウィッシャート家が許可を出しました。彼の行動に何ら問題はありません」


颯爽と現れた黒髪の美女が、しなやかな所作で一礼をする。

見間違うはずがない優雅な動きと声音、そしてウィッシャート家を代表するかのような発言。


「遅れて申し訳ありませんでした」


貴賓席に優雅に現れたのは、クリフォードの婚約者であるノエリア・ウィッシャートであり、ただ今、闘技場で衆目を一身に集めているアーノルドの義姉であった。


「ノエリア。許可を出したというのは…?」


「文字通り、ウィッシャート家がアーノルドの参加を認めたという事です。それ以上でも、それ以下でもありません」


つまり正式な手続きの下、アーノルドは闘技場に堂々と現れたのである。


「ウィッシャート家はそれで良いのか?大事な後継者を北方へ送り出す事になるのやも知れぬのだぞ?」


「もとより。ウィッシャートは、戦うべき時に戦わぬ事こそ恥であると知っています。アーノルドにとって今は戦うべき時。むしろ、この状況で戦わぬ事を選択する者が、ウィッシャートの名を継げるはずがありません」


きっぱりと言い切ったノエリアは、その容貌に笑みすら浮かべている。


「無論、父上も承諾いたしましたわ」


ノエリアは一通の書簡を取り出してみせる。

そこには炎と風の家紋、つまりウィッシャート家の家紋がはっきりと刻印されており、ノエリアの言葉が偽りではない事を証明していた。


「なるほど。どうやって闘技会に参加するか……搦め手を使うか、通達を無視するかと思っていたんだが」


クリフォードが頬に手を当てながら、楽しそうな声で呟いた。


「まさか正面から突破してくるとはね。だが、ひとたび、己のすべき事が定まった時のアーノルドは……」


「はい」


クリフォードの言葉を受けてノエリアが強く頷き、応じる。


「身内の贔屓目なく、こういう時のアーノルド・ウィッシャートは強いですわ」


その視線はしっかりと、闘技場に現れた義弟を見据えていた。


◇◇◇


「はぁ?そんな事、してたんですか!?」


一方、闘技場に舞い降りたアーノルドは、エリーから素っ頓狂な声で疑問をぶつけられていた。

きちんとこれまでの経緯を伝えて来たのに、なぜそんな質問をされるのが分からない、とでも言うようにアーノルドは大いに首肯する。


「闘技会への参加条件が一門の許可だというなら、許可を貰いに行くのが筋だろう?何をそんなに驚くんんだ?」


「いや、あれ、どう考えたって、有力貴族の子弟が北方に連れて行かれるのを阻止するための通達でしょ?アーノルドさん、出ちゃダメじゃないですか?」


「だから許可を取に行ったんだろうが」


「よく許可下りましたね」


「もちろん全員に反対された。義父も義母も含めて」


「でしょうねぇ。だからこそ、驚きです」


「幸い、ウィッシャート家には議論をし尽くしてもなお、互いに譲れないものがあった時に決着をつける方法がある」


「そんな便利なものが?神託とかそんなやつですか?」


「決闘だ」


「思ったより原始的ぃ!」


「いるかどうかも分からん神様に決めてもらう方が不誠実だろ。当人同士以外が入ってくると、忖度とか出て来るしな」


「そりゃそうですが、文治派には不利な方法ですね」


「頭が切れたり、言葉が巧みな奴は、決闘する前段階で相手を説得している」


なるほど、まぁ、力勝負に入る前に相手を説得できなきゃ、知恵者とは言えないもんな。

ノエリア様とか知恵比べでは負けなさそうだし。


「そう、義姉さんは頭脳で、俺は筋肉で相手を打ち負かすだけの違いだ」


「それだけ聞くと、すげぇ先輩が脳筋馬鹿に聞こえますので、止めた方が良いですよ」


名門ウィッシャート家も、こんな脳筋野郎が輩出されるだなんて想定外だっただろう。

このアホが気に食わない事象に対して拒否を貫けば、最後は決闘勝負になり、無理が通ってしまうのだ。幸い、アホ過ぎて事前の説得段階であっさり折れそうだから良いようなものの、狡猾で性格最悪な悪の親玉みたいな奴が現れたらウィッシャート家はそのローカルルールで没落しかねない。

エリーは他人事ながら、この一族の将来を本気で心配した。

ただこのアホなルールのおかげでアーノルドはこの場に来る事が出来たのだから、そこは承服しがたい事ではあるが感謝せねばなるまい。


「しかし脳筋先輩が、一門御一同の方々の説得に応じなかったのは意外ですね。何かコロッと納得させられちゃいそうなイメージがありました」


「馬鹿にするなよ。俺にだって反論する知恵くらいある」


「御見逸れしました。どんな反論をもって説得を拒絶したのですか?」


「なあに。『嫌だ』を連呼すれば、あとは我慢比べだ」


「あったま悪ぅ!」


悪用しようと思えばいくらでも抜け道のある、いわば紳士協定的なルールの中で、考えうる限りもっともやっちゃいけない手法を取った奴がいる。

しかも悪い事をしたという自覚がないのが、また厄介極まる。


「それで義父相手に一戦、交えて来たってわけですか」


「義父は決闘向きの方ではないので、ほどほどに。その代わり、一門の男子ほぼ全員と勝負して来た」


「破天荒過ぎんだろ、お前。ウィッシャート家全員敵に回してんじゃねぇよ」


「しかし義姉上は、俺の主張を支持してくれた」


「ブレねぇなぁ。マジで先輩の代でウィッシャート家、潰れんじゃないかって心配だわ」


エリーは心底、ウィッシャート家の将来を心配した。

事実、アーノルドはここに来るまでの間、ウィッシャート一門と激闘を繰り広げ、最後は昭和の不良たちよろしく、殴り合いの末に笑顔で送り出されたというのだから度し難い。

ノエリア様も止めてあげれば良かったのに、意外と好戦的なんだなと思ったものだ。

そしてあの脳筋先輩はノエリア様の支持だけあれば、世界を敵に回す事くらい何とも思ってないシスコンである事が証明されたわけで、改めて戦慄を禁じ得ない。


「いや、お前な……」


アーノルドが何事か反論をしようとしたが、急に口を閉じるとエリーの背後へと視線を動かす。

その動きにエリーもまた振り返れば、そこには眼光鋭く光らせた長躯の男が来賓席から悠々とした足取りで下りてきていた。


「負け犬が懲りずにやって来たか」


男の名は、ラーシュ・ルンドマルク。一連の騒ぎの元凶と言って良いだろう。

そのラーシュは熱を帯びぬ口調で言い放ち、ゆっくりとアーノルドの方を向いて正対すると値踏みするように視線を向ける。

常人ならば目を逸らしてしまうだろう恐ろしい眼光だが、アーノルドは意にも介していない。

むしろ目上であるラーシュに対し、軽口で応戦した。


「なぁに、少々、見るに堪えぬものがありまして、これは教えておかねばなるまいと馳せ参じた次第です」


「なにをだ?」


「エリーのドレスの好みは、そんな鴉みたいな真っ黒な服じゃない。水色の方が好みに合っているんですよ。それに寂しい胸元にはネックレスでも付けてやらないと可哀想でしょう」


エリーはそれを聞いて目を丸くした。

修道院でエリーがアーノルドに対して早口で告げた言葉である。まさかあんな些細な言葉を覚えていたとは。


「ま、そんな事も知らない人に、結婚式だの何だのと浮かれた事を言って欲しくないものですね」


軽口と言うよりも、不敬であろう。

嫌味と言うにはあまりにもストレートな物言いに、横で聞いているエリーの方がハラハラしてしまったくらいだ。

アーノルドにしてみれば、エリーとの仲をアピールしてラーシュの方から手を引かないか試してみたわけだが、あの無表情な顔を見るだに感銘を受けた様子はない。

それどころか、つまらなそうな表情とため息をつきながら言い放つ。


「人形に何を着せようが、所有者に自由だろう」


相も変らぬラーシュの物言いに対して、アーノルドは困ったような顔をしてエリーの方を向いた。


「……なぁ、エリー。あの人、馬鹿なのか?」


仮にも辺境伯という立場の人間に対して、公の場、それも公衆の面前でここまで罵倒したのはアーノルドが初めてだろう。

ラーシュに反発していた観客の反応でさえ、痛快な物言いに対して歓声というよりは、戸惑いによるどよめきの方が大きかったくらいだ。

その反応にエリーが苦言を呈する。


「やめてください、アーノルドさん、馬鹿に馬鹿と言うのは失礼じゃありませんか!侮辱罪は、それが事実であっても公然と人を侮辱したら成立するんですよ!」


エリーがフォローになっていないフォローをしでかす。侮辱を追認してしまった。

どよめきが大きくなる観衆に、しまったとエリーは舌打ちする。

アーノルドは、ふむと思案顔になり呟く。


「なるほど。馬鹿である事を指摘するのも失礼か。馬鹿の相手も大変だ」


かなり失礼な台詞である。

それを聞いているエリーも、「お前もたいがい馬鹿なんだけどなぁ」という顔でアーノルドを眺めやった。


「要するに私が、あの冷血男の色に染まっていないって事を言いたいわけですよね。湾曲的な表現ではなく、きちんと伝える必要があるのではないでしょうか」


「確かに人形とか言っている事を考えると、お前を着せ替え人形程度にしか思っていないようだ。だから平気でああいう事を言えるんだな」


「まったくです。おかげでこんな喪服みてぇなドレス着せられちまいましたよ」


「言い換えれば、そうやって所有権を主張してるって事か」


忌々しい、とアーノルドは憤然とした。別にエリーはアーノルドの所有物ではないのだが、何か嫌だな、という気持ちが沸き上がる。

アーノルドはその時点で、ラーシュという男を嫌いになる事に決めた。


「大丈夫ですよ、アーノルドさん」


エリーが強い口調でアーノルドに語りかける。

大きな瞳でアーノルドを見つめながら、大きく頷きながら続けた。


「ドレスは黒ですが、下着までは黒ではありません」


「んな事ぁ、心配してねぇよ!」


存外、大きな声で反論してしまった。

エリーは何故か、瞳をさらに大きく見開きながら、「え?そうなの?」とびっくりしている。

逆にアーノルドがびっくりした。


「さっき水色が好みだと口走ったから、何で今日の下着の色を知ってるんだと驚愕したんですけど」


「あの言葉から、それを連想したのなら、俺はお前の脳内構造に驚愕するわ」


呆れるアーノルドに、エリーはちょいちょいと手招きして耳を近づけるような仕草をする。

仕方なく耳を貸すとエリーは口を近づけ、周囲をキョロキョロと警戒しながら囁いた。


「……ちなみに上下ともレース付の薄手の下着です」


「聞いてねぇわ!」


「でも今、想像したでしょう?」


「…………………………」


「しっかり、してんじゃねぇか」


「してない。天地神明に誓ってしてない」


「じゃあその沈黙やめてくださいよ」


「わかった。もう沈黙はしない」


「じゃあ改めて聞きますが……私、今、黒いドレスと水色の下着を着用しているのですが……」


「改めて言う話題じゃねぇだろ」


「逆に水色のドレスを脱いだら、黒い下着とか、ぐっとキません?」


「何の話!?」


「ちなみにスケスケのレースで紐状の黒下着です」


「…………………………」


「あ、沈黙しましたね!しないって言ったのに!」


「質問がえげつなさ過ぎる!誘導尋問だ!!」


あまりにも低俗すぎる会話は、幸いにも(本当に幸いにも)観衆たちには伝わらなかった。

代わりに伝わったのは、互いが互いに耳打ちし囁き合っている、仲睦まじい様子である。しかも目の前にいるラーシュ・ルンドマルクという前に立つだけでも魂が凍てつく男を相手にして、まるで無視するかのような振る舞いであった。

常時ならば眉をひそめるような不敬な態度……それでなくとも年輩者から見れば


「まったく近頃の若い者は」


と苦言を呈される光景なのだが、ルンドマルク勢への挑発と考えれば話は変わる。

イチャつく二人と、無視され放置されるラーシュと言う構図に、市民たちはこれまでの溜飲を下げるが如く、口笛や拍手で会場を盛り上げた。


「いやぁ、やるじゃないか」

「なかなかに、えげつないパフォーマンスだな」

「あいつらがやってきた事に比べれば、あの程度、やられて当然だぜ」

「ああ、これまでやられっぱなしだったんだ、少しはルンドマルクの連中も馬鹿にされる気持ちを味わえってんだ!」


彼らの不埒不遜な言動は、わざと(・・・)行っていると勘違いしてくれたおかげで問題にならず、むしろ拍手喝采である。

この流れについて、副次的に救われたのは国政を司る王家の面々であろう。

市民たちが受ける屈辱は、当初は加害者側に向けられるだろうが、やがて王家に対する不信感に繋がらないとも限らない。特に反王党派とも言うべき貴族たちが、謀略の素材として用いるなど蠢動し始めれば厄介な事になる。


「あの二人に救われたのう、陛下よ。あとは勝てぬまでも良い勝負すれば、万事めでたしくらいには、盛り上がってきたのではないか?」


貴賓席でイシュメイル国王のエセルバート・オデュッセイアに、からかい半分で声かけたのは騎士団長のイザークであったが、あながち冗談ではない。

もっとも二人の実際の会話を聞いていれば、あまりのしょうもなさに、そんな軽口をたたく気力もなくなっただろうが。


一方、闘技場の片隅で観客たちの視線と期待を一身に集める二人は呑気なものであった。


「何か盛り上がってきたな」


「どうやら先輩が、あの陰険領主を無視するから、ざわつき始めてるっぽいですよ」


「俺だけの問題にするな。お前もだろうが」


「私は首絞められて殺されそうになったんだから、視線や会話を交わさなくても不思議じゃありませんし」


「おのれ、許せぬ。女性の首を絞めるとは、騎士の風上にもおけんな。人の心があるのなら、恥じて早々に剣を折り、僧院に籠るべきだ」


「自分を棚に上げて、ガチで怒れるお前の精神、どんだけタフなの?義姉上様への想いが高じて私の首を絞めた過去をお忘れか?」


「ノエリア義姉さんが俺の首を絞めるだと?歓迎すべき事態だ」


「誰もそんな事ぁ言ってねぇよ。つか、猟奇的な嗜好にガチ引きなんだけど。あと私の首絞めた事、完全に忘れてね?」


「そんな些細な事よりもだ」


「些細じゃねぇわ」


「用意してくれたんだろうな?」


エリーのお怒りに対して、アーノルドは都合の悪い点を華麗にスルーしつつ、自分の要求を告げた。


「なにを?」


「なにって……今度受け取りに行くと言っておいただろ?」


その言葉を受け、エリーは一瞬、眉根をひそめて思案顔を作ったが、すぐに何かに思い当たったか「ああ」と言いながら懐に手を伸ばす。


「これの事ですかね?」


やがて取り出されたのは白い布であった。

ウィッシャート家の家紋である風と炎の紋章が縫われた一枚のハンカチ。

それは別段、名人芸とも芸術的とも言えないものの、ただただ丁寧に丹念に刺繍が施され、縫い人の努力の跡が垣間見えた。


「そんな見映えの良いもんじゃないっすよ?」


うーん、とエリーはハンカチを広げて見せると、改めて「ここはもっとこうした方が綺麗だったかな」と反省しきりの出来栄えである。

しかしアーノルドはそれを受け取りながらエリーの意見には同意しなかった。


「こういうのは、気持ちだよ、気持ち」


などと、何だか世間一般的な、使い古された台詞を吐く。

それを聞いたエリーは本当に分かって使ってんのか、こいつとジト目で睨みつける。

「ふっ、分かってねぇな」みたいな面をしているのが、より一層、エリーをいらつかせたが、アーノルドは意にも介した様子はなく、ただ


「ん」


と左の腕を前に突き出した。


「なんですか、これ」


その要求の意図が掴めなかったエリーは、突き出されたアーノルドの手を何やら不気味なものを見るかのように怪訝そうな顔をしてみせる。

アーノルドは困惑するエリーに答えを教えるかのように、さらに左手を突き出して続ける。


「勝利の願掛けだ。腕に巻いてくれ」


「はあ?自分で巻いてくださいよ、それくらい」


「ふっ、お前は馬鹿だな」


「え?何か私が巻かなきゃいけねー理由があるんですか?」


「がっちり準備してきてしまったせいで、自分で巻けない」


「馬鹿はおめーだよ」


確かにしっかりと戦闘用の手袋をしているアーノルド。

そもそも自分の腕にハンカチを巻くのは難渋するだろうに、これでは確かに自分では巻けまい。

まだ籠手をしていないだけマシだろう。


「装備してこなきゃ、自分で巻くでも懐に入れるでも出来たのに、何だって着こんで来たんですか」


「ここに来る前に、ちょっとばかり訓練して来た。おかげで、もうちょっと遅れたらお前が窒息死する所だったな。間に合ってよかった」


「本当にな!!もうちょっと早く来て欲しかったよ!!」


ぶんむくれながら、ハンカチをアーノルドの手首に巻いて行くエリー。

二の腕に巻くにはアーノルドの腕周りは筋肉質で太く、長さが足りないのと合わせてよく動くので解けかねない。

とはいえ、さらに稼働するであろう肘は邪魔になるだろうし、残るは手首くらいしかないのだ。


(包帯じゃあるまいし、邪魔になんねぇのかな。魔除けなり、御守なら懐に入れた方が良いだろうに)


刺繍もそうだが、存外器用なエリーは、てきぱきと手首にハンカチを巻きつけてギュッと結ぶ。

料理も苦戦しながらも完成させているので、基本能力は低くないのだ(らしくないだけで)。


「っていうか、何で来たんですか。人生を棒に振るには早過ぎると思いますけど」


「分からん」


「おいおい、無責任すぎねーか」


エリーは最後に外れないよう、きつく巻きつけると、呆れた声を上げてみせた。

分からないのに、こんな何の得もない勝負を引き受けたのかと思うと二の句がつげない。


「分かねぇけどよ」


そんなアーノルドは空いている右手を伸ばすと、エリーの両口端をむにゅっ、と持ち上げて口角を上げさせ、


「お前が笑ってないと、何か嫌なんだ」


とマジ顔で言った。


「は……はぁ!?」


エリーは強めに聞き返してしまったが、本気で理解不能と言うよりは、「いきなり何を言いやがる」という気持ちの方が強い。

てっきり、ある程度の義理と過度な責任感から来たのだと思っていたが、そんな事を言われると、こう、少し勘違いしてしまうではないか。


(ずりぃ)


それは抗議や文句のような、先ほどラーシュに抱いた卑怯者という感覚とは全く違う、くすぐったいような、恥ずかしいような、半ば照れ隠しの部類に入る感情だった。

その証拠にエリーは、顔を真っ赤に上気させ、口を尖らせていながらも、目の色に怒りの感情は見受けられない。

アーノルドは、そんな面白表情をしているエリーを好ましい視線で見やる。そしてしっかりと結ばれたハンカチを眺めた。


「いいな。加護がありそうだ」


「ただのハンカチですよ。たいしたものではありません」


「そんでも、嬉しいぜ」


アーノルドはハンカチが結ばれた左の手首をパンパンと、右手で軽く叩いて見せると、微笑を浮かべて


「行ってくる」


と告げ、対戦相手の元へ向かうべく背を向けた。

向かう先には、難敵ルンドマルクの騎士たちが立ちはだかっている。どいつもこいつも、すっかり場の雰囲気を掻っ攫ったアーノルドに対して敵意を抱いているのは丸分かりだった。

それを見たエリーは、不意に「行かせていいのかな?」と思った。

アーノルドが行くのは止められないだろう。

頑固で頑迷、言い出したら聞かない男だ。ここから翻意する可能性はない。皆無である。

だが自分の為に現れた騎士に、「がんばれー」だけで後は任せたというのは、いかにも無責任な気がしたのだ。

せめて側にいられればいいのだが、景品である自分が一緒に戦うわけにはいかない。

もっとも相手が魔獣でも魔物でもないので神聖魔法も効かないだろうし、物の役にも立たずに足を引っ張るのは目に見えているが。


「おい」


悩むエリーに、困った顔をしたアーノルドが声をかける。


「あ」


エリーは思わず声を出した。知らないうちにアーノルドの手を引っ張っていたのだ。

周囲がざわめき、何事かとエリーの一挙手一投足に注目が集まる。

考えのまとまらないエリーの困った表情に、アーノルドは苦笑しながら軽口を叩く。


「今さら止めるなんて事はしないよな?」


「しませんよ、そんな事」


ちょっとだけ脳裏によぎった事を言い当てられ内心で赤面したが、それを口に出してはアーノルドの決意が鈍るだろう。

それどころか、自分の為に立ち上がったアーノルドへの侮辱ですらあると思う。


(私ってば、何の役にも立たないな)


物語の主人公ならば、アーノルドの役に立って然るべきなのに、何の役にも立たない。

むしろずっと世話になりっぱなし、迷惑をかけっぱなしである。

剣を突きつけられたり、首を締められたり、そりゃ迷惑をかけられた事もあるけれど、それが役立たずであってよい理由にはならないのだ。

であれば、もうエリー自身が出来る事など、極々、限られた行動しかなかった。


「アーノルドさん」


エリーは左手をぐいっと引っ張って引き寄せると、自ら巻いたハンカチ……つまりアーノルドの手首に顔を近づけ、唇を重ねた。

目を閉じ、大事な物を両手で抱きかかえるようにアーノルドの腕と自分の指を絡める。

観衆は、突然訪れた仲睦まじい恋人同士のようなシーンに目を奪われる。いや、アーノルド自身ですら、軽口を叩く事も忘れて魅入ってしまった。

まるで神聖な儀式のように、恭しくも慈愛の込められた接吻は、まさに乙女の祈りと称するに相応しいものであった。


「この期に及んで止めようとは思いません」


エリーはそう言い切った。

そしてアーノルドの腕を握る手に、さらに力がこめられる。

彼女の長い睫毛が震えると共に、紡がれる言葉もわずかながらに震えを帯びる。


「本当なら、側にいたい。一緒に戦いたい。でも、今の私にできる事と言えば、これっぽっちのお祈りくらいです」


これっぽっちと称したが、それを見つめるアーノルドは、それが卑下するようなものではないと思った。

これまでの人生で、こんなにも真摯な祈りを見たのは初めてだったかも知れない。

しかも、その祈りが自分に向けられているのだ。

否が応でも強く感情が揺さぶられていくのを自覚すると同時に、エリー唇が強く手首に押し当てられると、その柔らかな感触に心が昂ぶる。

きちんと己を律さなければ、人目も憚らずに抱き締めてしまいそうだ。


ようやくエリーが手首から唇を離し、ゆっくりと目を開いていく。

その瞳は真っ直ぐにアーノルドを見つめていた。


(こいつは……)


突き刺さるように真っ直ぐな視線を正面から見返しながら、アーノルドは思った。


(こんなにも美しかっただろうか)


潤んだ金と蒼の瞳は宝石のように美しく、真摯な表情からは信頼と祈りだけでなく、裏で揺蕩(たゆた)う不安が垣間見えるが、その分、儚げで消え入りそうな可憐さを漂わせている。

濡れた桃色の唇が震えているのを見れば、誰しも己の唇で塞ぎたくなる衝動が走るほど魅惑的であった。

アーノルドとエリーの真っ直ぐな視線が絡み合い、しばらく見つめ合った後、不意に手と手も絡む。


「勝って」


エリーは短く言った。

静かに二人の指が絡み合った手を胸に抱き寄せ、少し小首を傾げながら、春風のような微笑をたたえて言葉を続ける。


「勝って、私を浚ってください」


アーノルドはその言葉を耳にした瞬間、全身の毛が逆立ち心臓が高鳴るのを感じた。

気合が入った時の比喩的表現ではない。

エリーの願いが己に向けられたのを感じた時、得も言われぬ感情が全身を貫いた感覚が走ると共に実際に彼の身に起きた状態変化である。

アーノルドはその感覚をどうにか抑え、大きく息を吐きながらエリーを見返す。

何か気の利いた事を口にしたかったが、己には詩才もなければ女性を喜ばす話術も持ち合わせていない事に気が付き、最終的には


「おう」


と、様々な感情が押し寄せるのを、どうにか心中に押し留めながら一言だけ返事をする。

我ながら情けないと思ったが、エリーがその短い返事に「えへへ」と笑顔で応えてくれたのを見て安堵した。

どうやら短い返事の中に込められた感情が、ある程度伝わったらしい。


「行ってくる」


踵を返し、ゆっくりと闘技場の中央へと向かうアーノルドの背中に、エリーは一言だけ語りかけた。


「ご武運を」


その言葉に、アーノルドは振り返りもせず、手を軽く上げて答えた。


「任せとけ。お前の激励、ちったぁ足しになったぜ」


腰に下げていた剣をチンと鳴らして、一歩一歩、ゆっくりと歩む。

目の前にルンドマルク親衛隊が束になって待ち構えているが、まるで彼らなど視界に入っていないように悠然とした態度である。

アーノルドは彼らにただ一言だけ告げる。


「お待たせした」


威圧するでもなく、傲岸でもない口調で、ただそれだけ。

しかし歴戦のルンドマルクの親衛隊たちは、目の前に現れた青年に対して警戒をMAXまで引き上げた。

それは傲岸不遜を具現化したような傷面の男(スカーフェイス)とて例外ではなかった。


(化け物め)


それがアーノルド・ウィッシャートと相対した、ルンドマルクの面々の感想であった。


◇◇◇


「おいおい、アーノルド・ウィッシャートのご登場だぜ」

「ようやく盛り上がってきたな!」

「しかもあの登場の仕方を見たか?まるで演劇の1シーンみてぇだったぞ」

「囚われのお姫様を救いに来た騎士ってやつだな。悔しいが、かっこいいぜ」

「あの子は平民って事だが……なかなかどうして、お姫様役が板に付いているじゃないか」


群衆たちは一連の流れ……浚ってきた少女の首を公衆の面前で絞めるという暴挙から、間一髪、騎士が救出に入るまでの流れを。

さらには騎士と姫君の間でかわされるラブロマンス(に見える何か)を。

それぞれ老若男女問わず目撃し、屈辱に沈黙していた鬱憤を一気に晴らすべく、興奮して大歓声とヤジを飛ばす。

闘技場は次第にボルテージが上がり、興奮の坩堝の様相を呈して来た………ただ一角を除いては。


それはアーノルドの正面に対峙する形となっていた東側の観客席。

大観衆が手を振り上げて叫ぶ南北の客席、また来賓・貴賓席のある西側ですら、この光景に興奮して大声を上げているにも関わらず、東側だけが沈黙をしていた。


「おいおい、ノリが悪いな、あっちの客席はよ」

「もっと声を出して盛り上がれよ!」


などと東側の観客にヤジが飛ぶ。

その席には、エリーやアーノルドの学友たちもいたのだが、彼らもまた口をつぐんで闘技場を見下ろしていた。

一同、無言の圧を受けて沈黙する中、ようやく口を開いたのはアーノルドの友人であるナイジェルである。


「……何がちったぁ足しになっただ」


彼は冷汗を浮かべながら、苦笑いを浮かべて続ける。


「昂ぶるとか、鼓舞するとかいう次元じゃねぇ。ありゃ、まるで別人………もしくは覚醒した別の何かだ」


それを受けて続けたのは、隣にいたジュマーナだった。

彼女にしては珍しく気圧されながらも、表面上は努めて冷静に評した。


「普通、訓練されおらぬ一般人は闘気など感じられぬものなのだがな」


何事にも言える事だが、己の実力を把握して初めて相手の力量が分かる。つまり己を磨かなければ、相手の力を推し量る事も出来ないという事である。

ましてや殺気や闘気といった無形の圧などは、相対する敵が力不足だと感じる事もできないまま、受け流される事だってある。


(しかし今はどうじゃ)


もう語るまでもない。

アーノルド・ウィッシャートから発せられる圧は、目の前に戦士たちのみならず、その背後の観客席にまで届いていた。

例えではなく、肌が闘気によってビリビリと震えるほどに。

他の方角の観客席が大盛り上がりしているのとは対照的に、東観客席だけは明らかに気圧され、息をのみながら、視線は闘技場に釘づけになっていた。


「こんなあからさまな気をぶつけられては、観客たちもいい迷惑ぞ」


左右を軽く見回しながら、ジュマーナはナイジェル同様、苦笑した。

東側席の観衆たちは、皆、蛇に睨まれた蛙がごとく沈黙し、唾を飲み、歓声どころか声帯を開く事すらままならない状態である。

笑うしかないだろう。

何せつい先日までは、アーノルドが学生の剣技大会に出場するだの、しないだのと揉めていたのだ。

今、考えれば実に馬鹿馬鹿しい話題だった。

話にならない。向かい合う事すら、学生には酷な力量差だ。議論の余地すらない。


「本当にあのハンカチ、何の魔法もかかっていないのか?」


ナイジェルは、アーノルドの左手首に巻きつけられたハンカチを見やって、そう呟いた。

何らかの加護でもなければ、あれだけの能力上昇(バフ)は考えにくい。ナイジェルがそう考えるのも無理なからぬ事であった。


「ない」


ジュマーナの返事は明確だった。


「特段、魔力の流れが見当たらぬ。あれはただのハンカチじゃな。強いて言うならば……」


にやりとジュマーナが口端を吊り上げて笑いながら断ずる。


「魔力ではなく愛情がこめられておるようじゃが」


それを聞いたナイジェルは、「はっ」と呆れたような、感心したような声を出した。


「世の中の補助系魔導士たちが、昼夜問わず研究している命題が、布切れ一枚に負けちまうとはな。いや、敗北を喫した相手は布じゃなくて愛情か」


理不尽にもほどがある。

魔法による能力強化は後衛魔導士の得意とする所であるが、それでも術者の属性によって強化される能力は異なる。それに加えて効果時間や効果値なども違う。

それなのに、魔力消費なし、効果はほぼ無限、加えて全ての能力に対してとんでもない能力上昇(バフ)効果が付与されるとは。

王宮魔導士たちにとって、この光景は垂涎ものであろう。


「いつの世も、恋する乙女は無敵という事よな」


くっく、と愉快そうに笑うジュマーナであった。


また一方で、目の前で起きている事態に対して感嘆半分、呆れ半分なのは、ジュマーナらと同じく東観客席にいた同級生たちである。

彼らもまた、感情が昂ぶって抑えが利かずに溢れ出続けるアーノルドの桁外れの圧を受けていた。

ほぼほぼ、ジュマーナたちと似たような感想を述べ合った後、彼らの中で最も戦闘に長けているグレンが羨ましそうに笑う。


「まるで燃え上がるような気だ、今の俺では相手にもならないだろう!しかし、いつか手合わせして欲しいものだ」


常人ならば前に立つのも憚られるほどの闘気をまともに受けながら、なお怯まぬグレンの度胸たるや、大したものである。

この感想に対し、ため息をついたのは紫色の優雅なドレスに身を包んだモニカであった。

見事なまでに周囲から浮いた装いであるにも関わらず、至極自然な印象を受けるのは彼女の持つ天性の令嬢オーラ所以であろうか。


「それならエリーさんにもお願いする事ですわね。アーノルドさんお一人の力で、あの覇気が生まれた訳ではなさそうですし」


どこか達観したこのお嬢様は、俯瞰的に物事を見やりながら、続けて視点をアーノルドでもエリーでもなく、対戦相手であるルンドマルクの面々に向ける。


「これまであのならず者たちには腹立たしさを感じてきましたが……」


モニカが優雅な手つきで羽扇で口元を隠しながら、艶やかに笑って言った。


「今日のアーノルドさんと正対する羽目になるとは、初めて彼らに同情の念の抱きましたわ」


「同意ですね」


モニカがころころと笑うのを見やりながら、苦笑を浮かべて応じたのはケイジである。

皮肉屋の彼ではあるが、意地の悪そうな微笑の中に、わずかながら同情の粒子が混じっている。

凶暴なだけでなく、飢えた肉食獣の前に放り出されたルンドマルクの面々の気分はいかばかりだろうか。

何の心得もない一般人ですら声を出せなくなる圧を、あんな間近で受けているのだ。しかもその矛先は自分たちに向けられている。逃げ出さないだけでも拍手を送りたくなる。


「それにしても………」


皆が視線を闘技場に送る中、ケイジだけは真横にいる女性の方を向く。

そこには彼らの同級生であるキャロルが澄ました顔で闘技場を眺めていた。


「キャロルさんは、この状況を予測していたんですね。なるほど、「まだ早過ぎる」でしたっけ。あの言葉の違和感をもう少し考えてみるべきでした」


ケイジの言葉に、モニカも記憶を呼び覚ましたようで、手をポンと叩いた。


「ああ、キャロルさん、確かにそう言っていましたわ」


同級生たちは思い出した。

祝賀会で乱闘騒ぎが起きた時、キャロルだけは制止に入りながら、こう叫んでいたのを。


『やめなさい!!……もう!!どうしてこうなるの……早過ぎるってば……』


そう、早過ぎる(・・・・)と。

今にして思えば、この台詞はおかしかった。制止するには相応しくない言葉である。


「早過ぎる……。つまりアーノルド先輩が戦う状態になかったというわけですね」


ケイジの指摘を肯定するように、キャロルは頷く。


「洞窟での戦いを見たみんなは分かると思うけど、あの人は精神状態で戦闘能力が大きく変化する傾向があります」


心技体のうち、【心】が影響するところが大であるのだ。

それでも【技】と【体】が圧倒的なので普段は当人も気が付かないまま何でもこなせてしまうのだが、アーノルド・ウィッシャートの本領は心技体が揃った時にある。

祝賀会では圧倒的に【心】の部分……あの時点ではアーノルドとエリーは和解しておらず、精神的にふらふらした状態であった。

そのまま、あれよあれよという間に戦いが開始されてしまい、中途半端な状態でルンドマルクの連中と交戦するに至ったのである。


「それに比べて今は……」


言うまでもない。【心】の部分は乗り越えたようである。

いや、そればかりか公衆の面前でイチャついたかと思ったら、アーノルドが呆れるくらいにテンションアゲアゲになった。


「平気で予測も推測も超えられましたけど」


キャロルが「はは……」と死んだような目で闘技場を見た。

途中まで上手く進んでいた実験が、己の予想を凌駕してとんでもない化け物を産み出した科学者みたいな風である。


「とにかく、アーノルド先輩の精神状態が戻ったのは大きい。これなら勝負になる」


「勝ち方次第でしょうね。苦戦しての1勝ではなく、圧倒的な勝利を収められれば、王都側が決してルンドマルク側に劣っているわけではないと証明できますわ」


「10勝以上の価値のある勝利か………難しいね。仮に圧勝したとしても、13敗も喫したという事実は変わらないわけだし」


ルンドマルクの騎士たちは誰もが粒ぞろい、特に傷面の男(スカーフェイス)は大口だけではなく、実力も兼ね備えている。彼は祝賀会では不調だったとはいえ、アーノルドと互角に打ち合える腕前だ。

他の面々も決して油断はできない相手だが、今のアーノルドであれば勝利を得られよう……エリーの級友たちは、そう見ていた。

ましてや1vs1であれば、アーノルドの得意とするところだ。

そんな彼らが思う事はただひとつ、アーノルドがエリーに良い所を見せようと調子に乗らない事だけであった。


(頼むから普通に戦ってくれ。別に傷面の男(スカーフェイス)を指名しなくても良いから、普通に戦って勝ってくれ)


格好を付けて難敵とわざわざ戦う必要などあるまい。

それは同級生のみならず、この場にいた全員……国王や皇太子、義姉ですら、似たような感覚を抱いていた事だろう。特にアーノルドに近しい人なら、彼がどんな性格か把握しているのでなおさらである。


そんなアーノルドは、闘技場に記された対戦表を見て、呟いた。


「1勝13敗1分……か」


圧倒的な負けっぷりである。

これでアーノルドが状況を把握し、対戦成績を覆すくらいの勝利を収めるよう舵を切ってくれれば、この闘技会も無駄ではなかったというものだ(アーノルドが北方に連れ去られてしまうというリスクについては、後日解決しなければなるまいが)。


「よし、こうしよう」


アーノルドはルンドマルクの面々に言った。


「普通にやったら俺が勝っちゃうんで、そっちは13人、まとめてかかってきて良いっすよ」


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