3章第5話 北の狼と祝賀会(3)
誤字脱字のご指摘、ありがとうございます。反映させていただきました。
感想などもお待ちしております!
寒風が身に染みる冬の季節。
魔獣討伐の功績を称えるために、設けられた式典兼祝賀会場は、屋外の空模様と同じような寒々とした空気が流れていた。
宮廷内の一角に設けられた祝賀会場は、やや寂しい印象を拭えない。いや、熱気に欠けていたというのが正しい表現だろう。
「まぁ、こんなものだろうな」
会場を見回し、皮肉っぽく言うのはトレヴァー・リトルトンという名の学生である。
彼は直接、洞窟へ潜り魔獣討伐をしたわけではないが、医学の知識を活かして運ばれてくる騎士たちの治療に奮闘した功績が認められ、この式典への参列を果たしていた。
彼の同級生としてクラリッサ・チャップマンが同様の功績を認められ、また同じくガイ・ハモンドは国家を危険に晒した旧一番隊副隊長であるハーマン・タルコットの陰謀を阻止するのに協力した功績で参列している。
その他、彼らと同じくトラヴィス学園1年A組の学生たちが何人か顔を出している。
「主だった貴族たちは欠席。参加しているのは、中流貴族たちか、上流階級でも次男以下の後継候補でない人物ばかり……それでも人数は揃った方だと思うけど」
そう口にしながら、振る舞われたワインを口にしたクラリッサは「あら、美味しい」と言いながら、舌鼓を打っている。
もう一人の巨漢ガイ・ハモンドは、その体格通りの食欲を発揮して、あちこちの美味珍品を絶えることなく食べ続けていた。
その様子を見て、苦笑しながらもトレヴァーは呟く。
「野次馬根性のある奴ばかりで、本当の大物貴族やそのご子弟は両手で数え切れるくらいだけどな。ま、そりゃそうだろう。下手なトラブルに巻き込まれて家名は汚したくない。俺たちは学生の身分だから、不承不承参加をさせられているが、できれば欠席したいと思っている奴もいるだろうし」
かく言うトレヴァーの両親も、式典の欠席を最後まで模索していた口である。
学園ではまずまずの成績を残し、医学の知識をもって魔獣討伐に功を挙げた息子が、北方の愚連隊ごときに絡まれて栄達の道を閉ざされたら堪ったものではなかろう。
「あんたのとこは大変だね。私は次女だから、むしろ体の良い嫁ぎ先を探して来いって感じかしら」
「ぼくも同じだね」
クラリッサとガイは、嫡子ではない為、事情が異なるようだ。
こんな感じに列席者にもそれぞれに事情を抱えながら、周囲をうかがうようにしている。
貴族たちのパーティーを戦場に例える事があるが、まさにここは小規模でありながら、思惑渦巻く戦地さながらである。
「それならまだマシさ。ここに来ている物見遊山の連中の会話を聞いてみなよ」
二人がトレヴァーの言葉に従って周囲に耳を傾けると、貴族たちは底意地の悪そうな口調で、ニヤニヤとしながら雑談に花を咲かせていた。
だがその内容たるや、紳士淑女のものとは思えない内容であった。
「さてさて、見物ですな」
「噂の平民娘が、どの面を下げてやってくるのやら」
「ずいぶんともったいぶった登場ですわね」
「勲章辞退なんて謙虚な態度を取って調子に乗っているけれど、結局のところ、私たちのような本物の貴族に混じって馬脚を露す事を恥じていたんでしょう?」
「外見だけはマシとの噂だって、どこまであてになるのやら」
平民娘、という言葉に侮蔑の色が混じる。
そして参列者名簿の中で、資格を有する平民娘など、一人しかいない。
そう、エリー・フォレストただ一人である。
「なに、あいつら」
「これまで名前は聞いても学生以外は姿を見た人は少ないからね。わざわざ彼女の行動範囲である学校や騎士団の訓練場、市井にまで足を運んで見に行く物好きなんて、ほとんどいない」
貴族たちが個人的に友誼を結んでいる者同士以外で、新たに面識を得る機会は社交界の場である。
その為、交流を広げたい貴族たちは積極的にこうした会に参加をする。逆に言えば、社交場に姿を見せない者は貴族たちの交流の輪から弾かれ孤立していく。
だがエリーにしてみれば、そんな輪に加わる事自体、真っ平御免であり、むしろ好都合であった。ゆえにこれまで一切、顔を見せなかったわけだが、とうとう今回、年貢の納め時となった訳だ。
「まぁ、あの子、素材は良いけどドレス姿が似合うかというと、どうかしらねぇ」
そう評したのはクラリッサである。
口が悪いが、貴族たちのような下衆な評価ではなく、きちんと普段のエリーを見ていての評価であって、そこに嫌味はない。心底、こういう場が似合わないだろうな、という感想である。
この点、残る二人も大いに頷いく。
「エリーさんはニコニコして、大きな声で騒いだり笑ったりしているのが似合うよね」
というガイの評価にはトレヴァーもクラリッサも異論はない。
むしろこんな悪意の園に、天然育ちのエリーが迷い込んだら傷つくだけではないかと思っている。
「……おっと、顔見知りが来たようだな」
トレヴァーが祝賀会場の入り口へ視線をずらす。
その後、ほどなくして会場に現れたのは、同じトラヴィス学園に通う同級生の面々であった。
グレン・オールドリッチを先頭に、ケイジ・ウィンドヒル。
少し遅れてモニカ・ホールズワースに、いつもの取り巻きであるブリアナ、イヴェット、ミーアの3名が続く。
最後に入場して来たのがキャロル・ワインバーグと、D組の主要メンバーたちが勢ぞろいである。
中でも名門中の名門、ホールズワース家のモニカは、ひときわ艶やかな紫色の豪奢なドレスで着飾り、周囲の注目を集めている。
「さすがはモニカさん、注目を独り占めですね」
周囲の視線が一斉に集まった事に、思わずケイジが感心する。
かくいうケイジやグレンたちの見目が劣っているかというと決してそう言う訳ではなく、むしろ凛々しく堂々とした姿は、会場の女性陣たちの視線を集めるに十分であった。
「美しい大輪の花は自然と周囲からの視線を集めてしまうというもの……」
一方、謙遜すらせずに己が美貌を誇るモニカは堂々としたものである。こうした場所は慣れているのと、本人の性格が相まって、年上の貴族たちばかりという状況においても気圧されるという感覚とは皆無であった。
取り巻き三人組は手慣れたもので、背後に数歩下がっての完璧な礼をもってモニカを立てている。さすが鍛え抜かれている。
「うむ、華やかで結構だ!」
場違いなくらいの大声で褒めるのはグレンである。白を基調とした正装に身を包み腕を組んでいる姿は、モニカに負けず劣らず、堂々としたものだ。
隣にいるケイジは、黒い正装でこちらもなかなか様になっている。
二人の姿に、幾人かの女性が見惚れているが、なるほど、納得のいで立ちである。
まだ若輩ではあるが、逆にその年で戦功を立てているのは将来有望だし、グレンもケイジも生まれは悪くない上に長男である。上手く縁を結ぶことができればと思う貴族たちは少なくない。
「相変わらず派手な連中だな」
登場するや注目を集めた一団に対し、トレヴァーは嫌味でなく話しかけた。
「僕は不本意なんですけれどね。派手な級友と知り合ってしまったのが、運の尽きです」
にっこりと笑って肩を竦めるケイジのそつのない返事に、クラリッサは「相変わらず胡散くさ」と思いつつも言葉にはせず、口にしたのは違うものであった。
「良いの?いきなり真打ちが登場したら、あの子、出にくくなるんじゃない?」
あの子とは、他でもないエリーである。
ここにいるのは、エリーを笑ってやろう、どんなものか見定めてやろうと意地悪な視線を送り、こき下ろそうとしている連中ばかりである。
見目麗しい同級生が登場した後では、ハードルが爆上がりで、その厭らしい思惑に拍車をかけてしまうのは必定。
端正なイケメン男子とド派手な美女、側にいるのも負けず劣らずの眉目秀麗な同級生たちに続くには、相当な覚悟が必要だろう。
トレヴァーやクラリッサたちも、先に入場していたから話しかけられたものの、出番が逆で、この後に続けと言われたら全力で辞退させてもらいたいと思う。
「んー、どうかしら」
小首を傾げるのは、スレンダーな体型に合った、すっきりとしたデザインのドレスに身を包んだキャロルである。
青色が鮮やかで、まるで蝶のような光彩を放つキャロルもまた、この会場の華として遜色ない美しさである。何より派手になりすぎないデザインがキャロルの理知的な印象とピッタリであった。
「それにいくらなんでも、あの人たち以上に目立つ事はないと思いますけど」
キャロルの指摘の正しさは直後に証明された。
「おおお」
「まぁ……」
あちこちから感嘆の声が漏れるのも無理はない。
まるで童話の世界から抜け出してきたかのような王子様然とした、白い正装に身を包んだ皇太子クリフォード・オデュッセイアを先頭に、後ろに一歩下がって自らの属性である風をイメージした、淡い緑色のドレスを優雅に着こなす婚約者のノエリア・ウィッシャート。
そしてこちらも己の属性である炎を連想させる、赤を基調としたスーツ姿のアーノルド・ウィッシャートと、黒ベースに銀の刺繍も鮮やかな装いをしたラルス・ハーゲンベック。
トラヴィス学園生徒会役員であり、未来のイシュメイルを支えるであろう逸材たちのご登場である。
「皆、固くならず、楽に。今宵は楽しんでくれ」
頭を下げる出席者たちに気さくに話しかけるクリフォード。
「それに今日の私は皇太子ではなく、功績を称えられに来たのだ。皆も遠慮せずに私を褒めてくれて良いんだぞ」
そんな冗談を口にすると、来賓客たちもまた笑顔になってクリフォードの元へと挨拶にやって来る。
瞬く間に場の主導権を掴む感覚は、まさに天性のものであろう。
「さすがは皇太子様、場馴れしてる」
すでに挨拶に群がる行列を見ながら、学生一同は感心しきりであった。
その後ろに控えるノエリアと二人で大人たちを相手に、にこやかに談笑を交わしている。
居並ぶ紳士淑女たちにしてみれば、未来の皇帝と皇后に顔を売るまたとない機会であり、どうにかこうにか、記憶に残ってもらおうと必死だったり、媚びへつらったりと、なかなか貴族社会の負の縮図を見せつけられているような気持になるが、二人とも嫌な顔ひとつ見せない。
「私ならイライラして飲み物のひとつやふたつ、引っ掛けてしまいそう」
「モニカさんはやりそうだね」
苛立ちながら発した言葉にケイジが応じると、「どういう意味ですの?」と唇を尖らせるモニカ。
他方、クラリッサが
「私なら顔面に一発、食らわしちゃうわ」
と意気軒昂に言い放てば、それを聞いたトレヴァーは
「君は本当にやりかねないからな!」
と思わず鼻頭を押さえてツッコむ。
先の洞窟で、思いっきり顔面パンチを喰らった思い出が甦ったのだろう。何気にクラリッサは、無抵抗の人間の顔面にゲンコツをぶちこむ、恐ろしい娘なのである。
「しかし華があるとは、ああいう人たちの事を指すのだろうな!」
途中の話題をぶった切って、グレンが喝破する。
いつでも単刀直入のグレンだが、この時ばかりは反対する者はいなかった。
まさに彼が言うように、クリフォードらの登場によって、暗闇に明かりが灯ったかのように場が華やかになったのは間違いなかった。
だが好事魔多し。
ようやく祝典らしい雰囲気が流れ始めた時、再び雰囲気を暗闇に叩き落すような声が響き渡った。
「おー、おー、やってんなぁ!!」
この場に似つかわしくない、しゃがれた大声が優雅な場を打ち破る。紳士淑女たちの煌びやかな装いとは場違いな、黒い一団が闖入してきたのだ。
粗野、乱暴、下品、無駄に周囲を威圧し、場の雰囲気をぶち壊していく。
彼らは招かれざる客人としての条件をすべて揃えていた。
つまりラーシュ・ルンドマルクとその一団が、祝賀会場に到着したのである。
◇◇◇
「はっ、なんだ、なんだ。静まり返りやがって」
先頭を切って入場したのは、一団の中でも群を抜いて体躯が良いのだが、それ以上に柄の悪そうな軍人で、刈り上げた短髪に、顔には大きな傷があった。
もし、この男をエリーが見たら
「あ、街中で狼藉を働いていた奴だ」
と気が付いただろう。
市中行進中でも傍若無人な振る舞いで周囲の反発を買っていた男であった。
「感じが悪ぃったら、ありゃしねぇぜ。なぁ?」
振り返ると、黒いい出立ちをした男たちが、ある者はつまらなそうに、ある者は薄ら笑いを浮かべながら、同意の空気を醸し出す。いずれも共通しているのは傲岸不遜な態度である事だ。
「失礼するぜ」
祝賀会の一角にあるソファにどっかと座ると、傷面の男は態度も悪く足を前に放り出す。
一団がそれに続いていき、最後に悠々と、だが重厚感のある足取りで入場してきたのは、一際、豪奢な黒と銀の装飾が目立つ人物だった。
誰の目から見ても一目瞭然、この男こそラーシュ・ルンドマルクである。
「大将、こっちですぜ」
さすがの傷面の男も、ソファの中央は自らの親分に譲るという概念があるのだろう。特等席はラーシュが座り、自分はそのすぐ側でくつろいでいた。
他の者は、彼ほど野放図な態度は取らなかったが、それでもこの一角はルンドマルクの一党に占拠され、異様な雰囲気を放つ。
「おい、酒だ!早く酒を持って来い!!」
何が楽しいのか、ゲラゲラと笑いながら叫ぶ傷面の男。
給仕係の女性が慌てて、だがビクビクしながらお酒を運ぶと、下品な表情を浮かべて
「さすが王都、女を漁るには苦労しなさそうだな」
と尻を撫で回す。
「きゃあ」を悲鳴を上げて逃げ出す給仕女性を見て爆笑すると、今度は持って来てもらった酒を野放図に飲み始めた。
どこをどう見て蛮族のそれである。
「…………」
「やめておきなよ。接近禁止だ」
ケイジが小さい声でグレンに言いながら、片手を引っ張る。
どうやらグレンが、この行儀の悪い連中に一言、物申すべく一歩踏み出した所をケイジに引き留められたようだ。
「むぅ」
残念そうな、それでいて仕方ないという風な声を漏らすとグレンはおとなしく引き下がる。
それもそのはず、ここに来るにあたって、学生たちはルンドマルクの一団と接触しないようにお触れが出ていた。
接触すれば、必ずや衝突するだろう事は容易に予想できた。特に学生側からではなく、ルンドマルク側からちょっかいをかけられて、不測の事態が発生する事を危惧しての通達である。
そうした一連の様子を観察していたのだろう、傷面の男は口端を吊り上げると、侮蔑を含んだ口調で言い放った。
「その代わりに、ここにゃあ気概のある奴ぁいねぇんだな。素敵な紳士様や将来有望な学徒諸君がいると聞いていたが、こりゃあとんだ期待外れだ。こいつは王国の将来も明るかねぇわ」
がははは、と笑うと、それを窘めるどころか、周囲の仲間たちもこぞって笑い出す。
あまりの侮辱に怒りの目を向ける者もいたが、睨み返されると視線を逸らす。こんな野獣に目を付けられては堪ったものではない。
その様子を見ながらルンドマルクの一団は
「おい、あいつ目を逸らしたぞ」
「意気地のない…、それでも男か」
などとせせら笑い合っている。
その中央にいるラーシュは微動だにせず、醒めた目つきで場を眺めて制止する素振りすら見せない。制止をしないものだから、なおさら調子づいていく……といった具合に場が荒れていった。
このままでは空気が完全に壊れる…と誰もが思った時、黒い一団の前に優雅な足取りで向かっていく白い影があった。
「皆様、楽しんでいらっしゃるようで何よりです」
にこやなか笑みを浮かべながら挨拶をするのは、先ほどまで来賓を捌いていたクリフォードであった。
愚連隊を前にしても、臆する事なく堂々としている姿は、若輩ながらも将来、この国を背負うに十分な胆力が備わっている事を感じさせた。
「ほう、皇太子様直々のご挨拶、痛み入る」
答えたのはラーシュではなく、傷面の男であった。
しかも、わざわざ皇太子が挨拶に来たというのに、一団を統率するラーシュではなく部下が、しかも起立するわけでもなく、軽く手にしたグラスを掲げるだけという不遜な態度である。
思わず後ろに控えていたラルス・ハーゲンベックが苦言を呈そうとしたが、それをクリフォードは手で制した。
「ただ他の方が圧倒され、祝賀の雰囲気が醸成できないようです。少しお控え願えますか?」
正面を切って注意されたのは、ルンドマルク一行の今回の旅路で初めてだったかも知れない。
言われた事がすぐに理解できなかったのか、一瞬、彼らは顔を見合わせて沈黙したが、すぐに吹き出して笑い転げる。
「何がおかしいのか」
今度こそ、ラルスが口を挟むが、明らかに語気が強い。
あまりの無礼さに、いつもは冷静沈着な彼とて、心中穏やかではないのだろう。
その言葉に、笑い終えた傷面の男が、まったく悪びれもしなければ、態度も口調も変える事無く、無礼に言葉を続ける。
「いやぁ、お坊ちゃまが大層、お見事な口上を述べたので驚いたんですよ。それに、俺ら程度に萎縮してるんじゃあ……この国もお先真っ暗ですなぁ」
そう言って背後の仲間たちに同意を求める視線を送る。
これに対する返事は、再度の笑い声であった。つまり積極的な肯定である。一国の皇太子を前にして、侮辱侮蔑を並べていく一行には品位の欠片も感じない。
そして何より、彼らの盟主たるラーシュは、それを咎めない。
この態度に対し、ラルスは改めて苦言を呈する。
「ラーシュ辺境伯。部下の躾がなっていないのではありませんか?」
「躾?」
そこまで部下たちと違い、一笑すらしていなかったラーシュが、初めて口を開いた。
言葉の響きからは冷笑も怒りもなく、どちらかといえば虚を突かれたような風ですらある。
しばし思案した後、やがて問われた意味を理解したらしく、言葉を続けた。
「興味がない」
それだけである。
「どういう意味でしょう?」
今度はラルスの方が言葉の意味を図りかね、問い直す。
「言った通りだ。興味がない。興味があるのは……」
ラーシュはちらりとクリフォードの方を眺めやる。その視線は畏敬とは程遠く、もちろん友好的ですらない。
打算と冷徹さだけを具現化したような視線である。
「この国が我らに何を差し出すかだけだ。その為に、わざわざ来たくもない王都まで赴いたのだからな」
「要望は分かりました。ただその事と、あなた方の横暴な態度が、どのように繋がるのでしょう?」
「我らが北部にいるからこそ、王都は魔獣の脅威から守られている。多少の狼藉は許容してもらおう」
熱のない言葉が逆に、これが挑発ではなく事実であると伝えてくる。
そして組織のトップがそのような考え方であれば、他の一行も推して知るべし。ラーシュの言葉に嵩にかかって他の者たちも言葉を荒げる。
つまるところ
「王都の人間は俺たちにもっと感謝すべきだな。金も飯も女も、全部差し出して然るべきだ」
という主張である。
そして自分たちはそれが許される特権階級であると、自負して疑うところがない。
(唾棄すべき輩だ)
この場にいた全員が、そう思ったに違いない。これまでの横暴が、そうした思想に基づくのであれば、とんだ増長である。
しかしながら、戦闘力・軍事力においてはあながち、間違いとばかり言い切れないところもあった。
実際に北部に広がる魔族領と隣接し、その脅威を退け続けているのは彼らなのである。
だがクリフォードはきっぱりと言い切った。
「では敵ですね」
その言葉にラーシュは眉をぴくりと動かし、それまでせせら笑っていた部下たちも、口を閉じる。
彼らを代表し、傷面の男が笑顔を浮かべ、そしてこちらも笑顔を絶やさぬクリフォードに凄みながら問いかける。
「……いやぁ、俺の耳も悪くなったかな?皇太子様が、俺たちを敵だと言ったように聞こえたんだが」
「いえ、良く聞こえているようですよ?」
その言葉で、場の温度がルンドマルク一行が入場してきた時よりも冷え込んでいく。
「確たる意志を持って国民を危機に晒し、人心を一顧だにせぬ言動に終始する。これを敵と言わずして何と言いましょう。百害あって一利なしではありませんか」
次の瞬間、グラスが床に叩きつけられる。
傷面の男が怒気を発し、感情の赴くままに行動したのだ。
そして顔をクリフォードに近付けるや、不敬にも下から睨み上げるように抗議する。いや、それは抗議と言うより脅しに近いものであった。
「つまり皇太子サマは、俺たちとやり合おうってのかい?俺たちの強さを知らねぇってわけじゃねぇよな?まさか皇太子って立場に胡坐かいて、自分がやられねぇとでも思ってんのかい?」
傷面の男を先頭に、黒い一団が次々と腰に差した剣の柄に手をかけていく。
しかしクリフォードは、そんな動きもどこ吹く風、悠然と構えて一言だけ発した。
「ではセーテルを封鎖しよう」
「ああ!?」
その言葉に、ルンドマルクの騎士たちが顔を見合わせた。
先ほどの余裕綽々の表情ではなく、ラーシュですらも目を細め、その奥に殺気に満ちた光をちらつかせる。
「セーテルは北部へ続く重要都市であり、ここを中心に南北へ伸びる街道は北方への大動脈。すでに冬にさしかかっているこの時期に、南から物資が届かなくなるのは死活問題でしょう。封鎖しないまでも、関所の通行料を2倍とするだけで、物価高で暮らしもままならなくなる」
にっこりと笑いながらも、洒落にならない単語が要所要所に聞こえてくる。
他者が口にしたところで世迷言にしか聞こえないそれも、国の皇太子たるクリフォードが口にすれば、それはたちまち現実味を帯びた話となる。
「それは俺たちを切り捨てたら、北部の魔獣はどうなる?」
「非常に困る」
「だろうがよ」
困る、という言葉を発して表情を曇らせるクリフォード。これに対し傷面の男は、それ見た事かと笑みを浮かべた。
クリフォードは暗い口調のまま、嘆息をつく。
「本当に悩ましい事だ。しかし国の治安を維持する為には時に決断を下さなければならない……北部の魔獣よりも実害が大きいと判断されれば、先ほどの案は実行するしかない。実に困った事だと思わないかい?」
クリフォードは口調よりもはるかに明確に、時と場合によってはルンドマルクを切り捨てると断言し、それを受けた黒い団体は一様に鼻白んだ。
それでもなお、傷面の男は口端を吊り上げ、憎まれ口を叩きにくる。憎まれ口というよりも、本音か。
「そんな話を聞いて黙っていると思うか?俺らがテーレに帰還した後、矛先を北から南に変えるって選択肢がねぇとでも?」
これもまた挑発的な台詞である。王都のど真ん中で、これほど堂々と反逆の意思を示した者もいないのではあるまいか。
クリフォードはその言葉に対し、目を丸くして言った。
「え?戻れると思っているのかな?」
軽い驚きのジェスチャーをした後、説明口調で続ける。
「君らの帰途、セーテルを封鎖して都市に入れなくする。セーテルは軍備も整っているから、いくら君らが精強だとしても、100人程度では陥落させられないだろう。そこに王都から討伐隊を派遣すれば、南北から挟撃できるじゃないか。わざわざ帰還させて万の大軍を相手にする真似はしないよ。何より……」
一瞬の間を置くと、クリフォードは表情を笑顔に替え、
「二番隊が君らと一戦、交えたがっている」
と告げた。
ルンドマルクの面々は、それぞれがそれぞれに、飢えた野獣の面構えをした男を思い出す。
あの男ならば、国軍相討つという状況においても躊躇なく剣を向けて来るだろう。
苦い気分になり、誰もが沈黙を保つ中、口を開いたのは盟主であるラーシュ・ルンドマルクであった。
「我々の要求は対魔獣に有益な物資だ」
睨みつける眼光の鋭さに変わりはないが、クリフォードの目を見て話している。
実は、これは珍しい事で、話すに足るであろう相手にしか視線を配らぬラーシュからすれば、初見の相手に意識を向けるなど、なかなかない事なのだ。
「北部で魔獣が押し寄せる機会が増えてきた件に関しての調査費用ですか?」
「金、食糧、武具……何でも良い。報酬は言葉ではなく、物質を望んでいる。可及的速やかに、だ」
「父上には伝えておきましょう」
それだけ言葉を交わすと、ラーシュはぷいっ、と反転し、再び郎党の居座っている中央へ戻り、飲み直し始める。
一方でクリフォードもまた、睨みつけて来る傷面の男に満面の笑みを向け
「私の戯言が現実にならない事を祈っています」
と言い放った。
あれだけ挑発をしておいて何を今さら、という感じだが、多少行儀悪く手をひらひらさせながら踵を返し、その場を後にする。
向かったのは、親しい友たちのいる会場の正面。
片や悠々と、片や口を尖らせながら二人が「戦場」から戻ってくると、そこにいたノエリアとアーノルド姉弟が出迎えてくれた。
「おつかれさまでしたわ、殿下」
模範的な一礼で出迎えたノエリアに、唯一失点を付けるとすれば、アーノルドの袖を握っていた事だろう。
それは不安だったから掴んでいたわけではなく、むしろアーノルドを押しとどめるための所作であった。
「アーノルドもお疲れ。よく耐えてくれた」
「義姉さんが抑えていてくれなかったら、あいつらの喉笛に噛みついてましたよ」
アーノルドはかなり不機嫌であった。
そもそもルンドマルク一党が入場して来た時から不機嫌であり、その所業には一言も二言も言いたい事があったが、ノエリアに押しとどめられて耐えて来たのだ。
ましてやクリフォードへの、いや王室に対する侮蔑、不敬な態度には腸が煮えくり返る思いであり、何度も柄に手をかけて飛び出そうとしたのだが、ノエリアに袖を掴まれて我に返り、憮然として見守るしかなった。
「まぁ、大ごとにならず良かった」
クリフォードは一安心といった表情で肩を竦めた。
ひとつはルンドマルク一党に対して、ある程度の牽制ができたこと。
あのまま狼藉を許せば、この祝賀会はもちろんの事、王国自体の格に傷がついたであろう。
いかにルンドマルクが強い勢力を誇るとは言え、王室と対等の貴族の存在を内に許せば王権の弱体化と見做されかねない。
もうひとつは、ここまで女性を見ればちょっかいをかけている連中の前に、ノエリアを晒さなくて済んだことである。
先のやりとりで分かった通り、ルンドマルクは王家に対して傲岸不遜、無条件で頭を下げる事を良しとしていない。それが家風なのか、驕りなのかは分からないが、あのまま会が進行していれば、やがてノエリアに対して下品な接触を試みてきた可能性は高い。
クリフォード自身が側にいればいくらでも盾になるつもりだが、来賓の対応でそうもいかない時間は必ずやってくるし、連中がそれを見計らっている節もある。
そうなる前に先手を打って、こちらへの干渉を抑えられたのは収穫だった。
今回の来賓客名簿を確認したが、この会場にノエリアに匹敵する存在感を放つ女性はほぼいない。
強いて言えば名門ホールズワース家出身で、先の洞窟での一戦で勲功を挙げたモニカと、同じく先の事件で頭脳明晰さを称えられたキャロル・ワインバークくらいであろう。
モニカは性格的に、突っかかっていく可能性が無きにしも非ずだが、さすが大貴族としての振る舞いを幼少期から叩き込まれているだけあって、こうした社交場での丁々発止は心得ている。
またキャロルは石橋を叩いて渡るような性格であり、そんな彼女が理由もなく自ら接触を試みる可能性は皆無だろう。
「これですべてよし、かな」
クリフォードが先ほどの棘のある言い草ではなく、呑気な口調で言うと、ラルスがなかなか盛大に舌打ちをした。
「何がすべてよし、だ。見ろ、この場の雰囲気を」
ラルスの言葉に振り返ると、ルンドマルク一行はもちろん、他の招待客や祝われるべき殊勲者たちまで沈黙している。会話も声を潜め、なるべく目立たぬように発しているのが分かった。
「氷点下まで下がり切った空気をどうしてくれる」
「あははは」
クリフォードは笑って誤魔化してみたが、ラルスの視線は冷たい。
「まるで開戦するかのような言動が繰り返されたのですから、無理もないですわね……」
ノエリアもまた、困り顔である。
クリフォードからすれば、優先度順に課題をクリアしたつもりであったが、それに波及して祝賀会の空気を完全に冷やし切ってしまった。
これでは主催者としては失格であろう。
ノエリアの横で思案顔をしているアーノルドもまた、この状況を憂いているようであった。
「……アーノルド。こういう状況を打開する方法があれば、ぜひ教えて欲しいんだが」
「はい……俺が愚考するだに……」
クリフォードの問いかけに、アーノルドはキッとした顔で応じる。
「クリフォード様が裸踊りでもすれば、この冷え切った空気は粉微塵になるんじゃないかと」
「それ、私の尊厳も粉微塵になるよね!?」
とんでもないアイディアに、思わず声を荒げて突っ込んでしまった。
真面目な顔をして出てきたのが、とんだ策である。
まさか自ら「愚考」と言い切ったアイディアが何の謙遜でもなく、本当に愚考だったとは恐れ入るばかりだ。
アホノルドの面目躍如であろう。
「裸踊りとは言わないが、どうにかしてもらいたいものだな」
「卓絶した智謀の持ち主であるラルス・ハーゲンベックに名案はないのかい?」
「ない」
ラルスはラルスでつれない返事である。
「そうかぁ」
「仕方あるまい。我々は宮廷道化師でもなければ、話術の達人でもない。無事に祝賀会が執り行われただけでも良しとしなければ」
いかに宮廷道化師であろうとも、この場の雰囲気を明るくしろ、など無茶振りされたら逃げ出すだろう。
場の空気を一変させる便利な魔法などもない。
あるとすれば、皆の精神に働きかけ、笑い上戸にさせる魔法や料理くらいだが、それは話術の範囲と言うよりも、むしろテロとか犯罪の分野といって差し支えあるまい。
そして誰もが、ここからつまらない地獄のような時間を過ごす事になるのかと諦めかけた時である。
突如として、冷え切った場の空気をまったく読もうともせず、一考する事すらしない闖入者が現れた。
バーン、と勢いよく扉が開き、まるで真打登場と言わんばかりに派手な音を奏でる。
「すいませんっ、道に迷いました!!」
あっはっはー、と笑い声と共に登場した女性に、会場中の注目が集まる。
「は?」
視線を一身に浴び、女性は目をぱちくりして首をかしげた。
その仕草にある者は笑みを浮かべ、ある者は天を仰ぎ、ある者は目を見開いて驚く。
―― エリー・フォレスト、社交界デビューの瞬間であった。




