2章外伝 かくして決闘の火蓋は落ちる
イザーク・バッハシュタインは、すでに覚悟を決めていた。
バッハシュタイン家の悪しき慣習を打破できず、生まれて来た娘を死んだと偽った事。
失意の中、ハーマン・タルコットの誘いに乗って、一番隊の勢力拡大を図り、部下の暗躍を黙認した事。
その為、他国の諜報員……ドット・スラッファに付け入る隙を与えてしまった事
すべてが国家の重鎮である騎士団一番隊隊長としてあってはならぬ失態であった。
イザークはすでに職務・名誉・地位を返上を申し出ると共に、厳しい処罰を下すように申し出ている。
これに対し、あちこちから翻意を促す使者がひっきりなしに訪れていたが、イザーク自身は応じる姿勢をまったく見せていない。
「すでにハーマンの単独犯という判決が出ているではありませんか」
中にはそう言う人もいたが、それがより一層、イザークの顔に深い皴を刻み込む。
世論がハーマンに同情的な理由として、副隊長であるハーマンが己の智謀を誇示し真の憂国者は自分だと訴え、そればかりかイザークをこき下ろして自己弁護に終始した事も一因であった。見苦しく保身に走ったハーマンに比べ、イザークの潔さは多くの人に高潔の士であると映った。
(何の事はない。儂のせいじゃ)
イザークは、ハーマンの言動が偽りという事を確信していた。
おそらく彼は、こういう日が来た時の事も想定していたのだろう。その時は、自分一人に咎を集中させ、イザークは逃すと。
実際にハーマン逮捕後から城内外でイザークに対して減刑嘆願運動が起きている。
完全に先手を打たれたイザークは、その後、いくら抗弁してもハーマンを庇っての虚言だと認知されてしまい、逆に声望を高めてしまうという皮肉な結果を招いていた。
ますます罪悪感を募らせたイザークは、自死か出奔かと思い悩むほどの追い詰められている。
そこに来たのが、ノエリア・ウィッシャートからの書簡であった。
『殿下にお話したい儀がございます』
話の内容は聞かずとも察しが付く。おそらく自分を引き留めるための説得であろう。
これまで他者の説得に対して沈黙か拒絶のいずれかの反応しか示さなかったイザークであったが、ノエリアとなると勝手が違う。
なぜなら今から3年ほど前、彼女の励ましによってイザークの精神は持ち直し、精彩を欠いた日々から脱却を果たしたのだから。
そのノエリアからの書簡を前にして、無下に切り捨てるのは、さすがのイザークとて憚られた。
期待に応えられなかった事を詫び、その上で今の決心が固い事を告げるべきであろう。
その時、申し訳なささを抱いていたイザークは、本来ならば気が付くはずの違和感を見逃していた。
ノエリアが面会を求めている場所が、王宮でも隊長室でも学園でもなく、以前、ノエリアの義弟と対戦した、あの訓練場であった事を。
おおよそ、話し合いとは無縁の場所へ案内されたイザークは、疑う事なく、その足を言われるがままに訓練場へ向けたのであった。
◇◇◇
王立病院の廊下を4名の人物が歩いていた。
名目は集中治療室への見舞いであり、患者の名前はエリー・フォレストと言う。
4名はエリーの同級生で、彼女と共に洞窟へと向かった戦友であった。
「まだ目は覚めないのか?」
廊下を闊歩しながら、学友の一人、グレン・オールドリッチは残念そうに言う。声が大きいが、別に威嚇しているわけでも驚愕しているわけでもなく、地声である。
「グレンさん、声が大きいですわ。ここは病院なので、もう少し声量を落としなさい」
苦言を呈したのはモニカ・ホールズワース。年齢よりも大人びた容姿をした豪奢な雰囲気を纏った美女だ。喋り方も育ちの良さを感じさせる令嬢然としているが、実際にホールズワース家は、イシュメイルきっての名門なので間違いではない。
「傷は塞がったみたいだけど、だいぶ頭も強打していたみたいだからね。もう少しずれていたら、もっと重篤な怪我を負っていたみたいだし、まだ命があっただけ、喜ぶべきかな」
いつも笑顔を絶やさないケイジ・ウィンドヒルの表情にも多少の陰りを感じさせる。
事実、エリーが昏倒したまま、未だに目を覚まさない一因として落石の直撃を受けた影響が指摘されている。左肩が粉砕されたのも重傷だったが、頭部においては頭蓋骨骨折していたのが判明した。
もう少し位置が悪かったら……、もう少し落ちて来た石が大きかったら、ちょっとでも何かがずれていたら、おそらくエリーの体は治療の為に病院に送られる事はなく、埋葬するために教会に送られていただろう。
「一命を取り留めたのは運もあるけど……」
そう語り始めたのはキャロル・ワインバーグである。先の洞窟調査と一連の陰謀対応に従事していた為、この中では最も事情に詳しい。
「アーノルドさんが【竜の角】を提供してくれて、強力な薬を調合できた事が大きいわね」
この話はキャロルよりも詳細を知らない他の者たちですら、風の噂で聞いていた。
曰く、アーノルド・ウィッシャートがすべての功績を投げ打ち、さらには実父の形見である貴重な素材【竜の角】を提供してエリー・フォレストを救ったと。
「まったく果報者だわ。それなのに、当の本人はぐーすか寝てるのだから」
「まぁまぁ、本人も寝ていたくて寝ているわけではないんだし」
「だからさっさと起きなさい、と言いたいのですわ」
と、モニカはぷんすかしているが、心配の裏返しなのだろう。
口を開けばエリーの容態はどうなっているのかと聞いてきており、ケイジは応じつつも苦笑している。
二人のやりとりを聞いていたグレンは、それらを喝破して
「今はまだ事実確認や処理で騒がしい!エリーが負担に感じるかも知れん!ならば寝ていて良し!」
と笑顔で断言した。
それを聞いたモニカとケイジはやれやれ、とため息をつくが、一方で事実を指摘していた。
洞窟調査で判明した数々の策謀は、当然、王宮に報告されると共に、聞いた者たちに少なからず戦慄を与えた。
元騎士団九番隊隊長が、部下たちを嵌める形で遭難させ、さらに現一番隊隊長に真偽ない混ぜた情報を与えて惑わし、さらに副隊長を絡め取って国を揺るがそうとしていたのである。
それに伴い、王族であるバッハシュタイン家の隠された家是や、洞窟で跋扈していた魔のモノの正体が、遭難した2名の騎士であった事など、処理が追いつかないほど大量の情報が出てきたのだ。
今も「どの情報を公表し、どの情報を門外不出とすべきか」を議論中である。
ただの参加者であるグレンたちにすら、聞き取り調査が行われたのだから、もっと中枢にいたエリーに対し、厳しい事情聴取されるのは間違いない。状況も把握していない病み上がりのエリーに、その取り調べは酷であろう。そういう点においては、彼女が目を覚まさないのは幸いかも知れない。
「キャロルさんは極秘の情報などをご存知なくて?」
この場にエリーよりも状況を知っている人物がいるとすれば、それはキャロルだろう。
当初、洞窟調査に不参加だった彼女は、それゆえに地上での状況変化に対処しつつ、大局的に事件を見る事が出来た。
また彼女の優秀さはそれだけに留まらず、最終的にはラルス・ハーゲンベックの意を受けて現場に急行し、ドットの陰謀阻止に一役買う活躍を見せたのである。
「………………」
「キャロルさん?」
そのキャロルが思案の淵にしゃがんでいる。
モニカの呼びかけに反応するでもなく、上の空で何事かを考えているようだ。
「キャロルさん、どうしたんですか?」
ケイジの再度の呼びかけにようやく我に返ったか、びっくりしたようにキャロルは目を見開く。
「え?あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「貴女でも上の空になる事があるのね」
呆れたようにモニカが言うと、キャロルは苦笑で応じた。
「私の知っている事の大半はラルスさんに報告済みだし、目新しい情報もないわね。そもそも、極秘事項が一生徒である私まで下りてくる事はないんじゃないかな」
「つれない話だな。キャロルほど今回の事件解決に貢献した人物もいないだろうに」
「それとこれとは話が別でしょうね。もし何か情報が入っていたとしても、きっと他言無用と釘を刺されるはずよ」
その言葉に目を輝かせたのはグレンである。
「ほう、ここでは言えない情報を実は握っている可能性があるという示唆か?」
「それが、残念ながら持ってないのよね…。誓って言うけれど、本当に何も知らないの」
「ふむ、信じよう」
あっさりと引き下がるグレンである。その辺、実に漢らしい。
そして彼は何かに気が付いたのか、視線を級友たちから前方へと移動させる。
「もし俺たちが機密情報を得たいのならば、あの人くらいにならなければな」
病院の長い廊下の向こうから人影が見える。
その先にあるエリーの病室方向から、真っ直ぐこちらに歩いて来る影は、やがて長身の美丈夫のシルエットとなり、さらに近付くと、燃えるような赤い頭髪と、隙のない身のこなしが確認できる。
それを認めると、一同全員、頭を下げて挨拶をする。
「お見舞い、ご苦労様です。アーノルド先輩」
「おう」
軽く手を挙げ、楽にしろと返礼したのはアーノルド・ウィッシャート。
彼らの頼れる先輩であり、洞窟調査において多大な勲功を挙げた若き英雄というべき人物である。
「エリーの容態はどうですか?」
「まだ目を覚まさないが、医者が言うには命に関わるような重篤な状態にはもうならないだろうという事だ。まだ傷は深く、治療は続けないといけないって事だが、とりあえずは一安心だな」
何事もなさげに言っているが、アーノルドはこの病院に、ほぼ日参しているといって良いほど足繁く通っている。もちろん、エリーへのお見舞いの為である。
さらにいうと、一時期はあまりのダメージに昏倒し、重体となっていたエリーを死の淵から呼び戻したのにもアーノルドが一役買っている。
なにせ治療の為、自らの報酬返上はもとより、秘中の秘、アーノルドの実父の形見である【竜の角】を提供して万病に効く特効薬を調合してもらったというのだから、憶測が憶測を呼ぶのも無理はない。
これが貴族同士の男女であればラブロマンスなのだが、残念な事に貴族と平民なので
「どうやらあの年にして平民の愛人を囲うつもりらしい」
という観測がほとんどなのが残念なところだが。
「もうお帰りですか?」
「ああ、今日は所用でな。代わりに側にいてくれると、あいつも寂しくなくて喜ぶんじゃないか」
聞く所によると、エリーは生命の危機は脱したものの、まだ高熱が出たり傷が痛んで苦悶に呻く事があるそうだ。実際、お見舞いに来た時、何回かは苦しげにしていた事もある。
ただアーノルドがいると落ち着くのか、そうした症状は治まるそうだ。愛の力だ、というのは医学的に正しい見解ではないだろうが、精神安定剤としての役割を果たしているのは確かだろう。
そんなわけで、主治医から「暇を見ては見舞いに来て欲しい」と要請を受けたアーノルドは、律儀にもそれを守っているようだ。
「あの、アーノルドさん」
別れ際、アーノルドに対して語りかけたのは、キャロルだった。
「洞窟でのエリーの言動、何かおかしな事はありませんでしたか?」
その言葉の真意をつかみかね、アーノルドも級友たちも首をかしげたが、やがてアーノルドは慎重に言葉を選びながら答えた。
「あったとしても、ここでは話せないな。本人が寝ている時に、自分の話をされるのは嫌だろうし、詮索をされるような内容ならなおさらだ」
「あ……」
「逆に、「そう言う事を尋ねるという事は、何かおかしな言動があったのかい?」と聞かれたら、君は素直に答えられるかな?」
アーノルドからそう言われて、キャロルは赤くなって自分を恥じた。
「申し訳ありません。この場で聞くような事ではありませんでした」
「あまり不確定な事は聞かない方が良い。エリーの立場も微妙だからな」
先に話した通り、エリーの立場自体が微妙なところである。あまり憶測で物を話すと、何がどう影響するか分からない。
利用価値が高いと判断されれば政争の具にされるだろうし、危険人物と判断されたら排除の動きが出かねない。
今だって誰がどこで聞いているかも知れないのだ。
それじゃあ、と別れたアーノルドの背中を見ながら、キャロルは深々とお辞儀をした。
その心中は複雑である。
『私の知っている事の大半はラルスさんに報告済みだし、目新しい情報もない』
先ほど口にしたキャロルの言葉は正しくもありつつ、100%、正しくはなかった。
あの洞窟で、ドット率いる刺客たちと対峙した時。
混戦の中だったため、皆は違和感に気が付かなかったのだろう。
(でも、あれは)
あの言葉はおかしい、と感じた。
なぜ、エリーはあの言葉を発する事ができたのか。
先にキャロルは「知っている事の大半はラルスさんに報告済み」と言った。
つまり一部は報告していないという事だ。そして今、キャロルの脳裏に浮かんでいる疑念は、ラルスに告げていない。
何か開けてはいけない封を開放してしまう……そんな気がしたからだ。
(まだ確信がないどころか、推察すら出来ていない。そんな事を軽々に口走るわけにはいかないわ」
そう思い、キャロルの胸の中にしまっていたのである。
奇しくもそれは、アーノルドとアデリナが語り合った疑念にも通じているのだが、キャロルはその事を知る由もない。
(アーノルドさんだからと甘えていたな)
ふぅ、とキャロルは息を吐いて気を取り直す。
気持ちが先走り、まとまっていない想いを口走ってしまった。窘めてくれたアーノルドの感謝しなくては。
彼以外が聞き手であったなら、深く詮索されていたかも知れない。
そんなアーノルドだからこそ思わず聞いてしまったのだが、褒められた行動ではなかった。
「キャロルさん、行きますわよ」
モニカに促されて、再びキャロルは前を向く。
(いけない、いけない。今はお見舞いに来ているんだったわ。エリーさんの事を考えないと)
自らの行動を反省したキャロルはモニカたちと並び、エリーが眠る病室へと向かった。
未だに包帯で全身をぐるぐる巻きにされて痛々しい事、この上ない友人はいつ目覚めるのだろうか。
あの苛烈な戦場で、エリーをずっと膝枕をしながら手当をしていたのはキャロルである。あの時、致命傷に近い状態でぐったりと横たわっていたエリーが、今も尚、生死の境を彷徨っているとはいえ、息をしているのは奇跡とも言えた。
結局、最後の最後、相手を撤退させる瞬間まで、【加護】と【召喚】の力をもってエリーは相手の脅威となり続けたのだ。
その代償は大きく、目を覚ましても後遺症に悩まされる可能性は高い。
「なに、その時は俺たち全員でエリーの手となり、足となれば良い!」
グレンの前向きな言葉に、異論はない。むしろ、ここのいる全員、望むところである。
「早く目覚めないと学校行事、ほとんど終わってしまうしね。エリーさんも残念に思うんじゃないかな」
ケイジの言葉はもっともであろう。
前に入院した時、エリーは楽しいバカンスは全キャンセル、代わりに学友たちがBBQしながら回復祈願という名目で有名寺院観光旅行を楽しむという、結構、悲しい事件が起きた。
「もっとも今更、目が覚めたところで、退院するのはもっと先ですわよね?体育祭も文化祭も間に合わないのではなくて?」
「身もふたもない……」
モニカの冷静なツッコミに、ケイジは言葉を失う。だが概ね、事実である。
そこにキャロルが笑顔で
「まだ期末試験があるわ。あれなら病室で勉強をしておけば、きっと間に合うと思うの」
と、さも名案みたいな感じで言葉を挟んできたので、さらにケイジは絶句した。
多分、エリーにその事を告げたら、絶望的な顔になるだろうな、と思ったが、賢明なケイジはニコニコと笑顔を崩さず「そうですね」と合いの手を入れる事でやり過ごす事に決めた。
「勉強の遅れは、2ヶ月……いえ、3ヶ月は見た方がいいかな……ちょっと急いで詰め込まないと間に合わないと思うの。要点をまとめて、実技はちょっと無理だから……今、目が覚めたとして一日8時間……目が覚めるのが遅れれば遅れるほど、取り戻すのに時間がかかるから……多少睡眠時間を削って、10時間あれば……」
ブツブツとキャロルが何か言っているが、聞かない事にしよう。
目が覚めて聞かされるエリーが、再び昏睡しないかどうかは心配だが、そこは心をしっかり保ってもらうしかない。
取り留めもない会話をしながら、廊下を歩んでいくエリーの友人たちは、洞察力に優れた、優秀な者たちである。
そんな彼らでさえ、気が付かなかった事があった。
彼らとすれ違ったアーノルド・ウィッシャートが帯剣していた事。
―― そして本来、戻るべきであろう学校とは別方向へ去って行った事を。
◇◇◇
騎士団の訓練所に誰もいない。
九番隊まで設立されているイシュメイル騎士団において、常にどこかの隊が訓練しているのが日常であり、あまり見ない光景だが、この日は珍しい状態であった。
ガチャリ
柄の音を重く響かせながら姿を現したのはイザークだった。
「はて、ここで良かったのかの?」
周囲を見回しながら、今更ながらにノエリアと待ち合わせするには相応しくない場所だと思い至る。
対話をするくらいであれば、出向いて来るならば騎士団の執務室、会いに行くならウィッシャート邸でも良かったのではないか。
「イザーク殿下」
凛とした声が聞こえる。
聞き間違えるはずもない、ノエリアの声である。
イシュメイル広しと雖も、鈴の音のように澄み、春の風のような涼しげな声色は二人といない。
「ノエリア嬢、そこにいたかね」
意外や、ノエリアは訓練場の中に姿を現した。
イザークも慌てて下りるが、図らずも逆側の門から現れる形となり、ノエリアと対戦をするような格好となる。
「このような場所で話し合いとは、意外でしたな」
「ええ。ですがここほど相応しい場所もありませんわ。イザーク・バッハシュタインと言えば、戦場でこそ輝ける存在ですから」
「昔の事ですわい。今ならば、嬢の義弟殿の方が、よほど戦力じゃて」
お世辞ではない。
まだまだアーノルドと戦って負けるつもりはないが、戦場で輝けるかというと別問題である。
覇気や勢いにおいて、若さあふれるアーノルドと肩を並べて戦うのは、なかなかに骨の折れる事だ。老いを認めたくはないが、そんな齢に差し掛かってきたのを嫌でも感じる。
「まぁ、今日はこのような話をするために呼び出したわけではあるまいて。この老骨に何の用ですかな?」
「引退を留まっていただきたいのです」
「ほう」
思わず声を上げたイザークだが、ノエリアの言葉に驚いたのではない。何の装飾もせずに切り込む彼女の物言いに驚いたのだ。
まさかいきなり、単刀直入に言われるとは思わなんだ、という驚きである。
「ノエリア嬢ほど頭の回転の良い方であれば、撤回が難しい事、よくご存じのはず」
「そこを曲げてお願いします。あなたの力は、まだこの国に必要なのです」
「皆がそう言って引き留めてくれる。その評価はありがたいが、実に過大評価……やや重荷でしてな。そろそろ休みたいというのが本音なのですじゃ」
肩をトントンと叩いておどけるイザークだが、ノエリアは視線を外さずに続けた。
「それではハーマン殿も報われません」
「……それは……耳に痛いの」
ハーマンは見苦しく、自己弁護と共に収監され、その時の態度が逆にイザークの評価を高める結果となった。
いや、間違いなくハーマンは意図的にそうしたと確信している。
そればかりか、自分が雇い面倒を見た貴族の子弟たちについて、その不当さばかりでなく、親たちの不正な献金に至るまで次々に暴露して一大スキャンダルを引き起こしていた。
どれもすべてイザークが一番隊を再編する上の露払いと言えた。
「ノエリア嬢、貴女にはよくしてもらった。結果的に期待と信頼を裏切った儂を責めぬばかりか、頭まで下げてもらった。じゃが、儂はそのような温情に値する人間ではない」
「………………」
「ただの罪深い老人よ。ならばこのまま、罪を償わせてくれんか」
「殿下の覚悟はよくわかりました」
ノエリアはイザークの告白を首肯した。
その事にイザークも安堵したが、次に発せられた言葉はおよそイザークの想像したものではなかった。
「それほどまでに罪が深い事を自覚しているのでしたら、いよいよ楽隠居させるわけにはいきません」
「…………なんと…?」
「殿下、言葉で貴方を説得するのは難しいと思っています。ならば……」
ノエリアは懐中から何かを取り出すと、そのままイザークに向けて投げつけた。
それは白い手袋であり……手袋を相手に投げるという行為は、貴族においてひとつの意味しか持たない。
「イザーク・バッハシュタイン。貴方に決闘を申し込みます」




