2章第101話 嫌な奴ら万来
「よくそこに気が付いたな」
考え方次第では、まるで馬鹿にしているような台詞だが、その言葉の主は本当に感心していた。
ラルス・ハーゲンベックという男は嘘はつかない。
一歳年下で生徒会の後輩であるアーノルド・ウィッシャートが、この日、生徒会室に駆け込んで来ての第一声が
「エリー・フォレストに求婚届が届いていたりしないですよね!?」
というものだったからだ。
ラルスが感心したという事実に至るまではいくつか説明せねばなるまい。
エリー・フォレストと言う少女が、平民の出身でありながら類稀なる資質、「神聖魔法」を扱えるという事が分かったのは、それほど前の話ではない。
その力は秘匿され、外部に漏らさぬように配慮されながら、異変、穏やかならぬ「魔獣の洞窟」攻略の柱に位置づけられた。彼女はその期待通り……いや、それを大きく上回る活躍を見せ、自らの身を文字通り削って、異変を解決に導いたのである。
(そこまではいい。だが………)
エリー・フォレストは活躍し過ぎた。下手をすれば全滅していたかも知れない窮地を脱し、殉職者を一人も出さずに解決に導いた力は、箝口令をいくら敷こうとも止める事は難しい。
そもそも魔獣の洞窟の一件は、様々な思惑が交差し、もつれ、絡まり、国家転覆の謀略にまで発展しつつあった。これを力づくで解決に導く流れを説明する中で、エリーについて触れられないのはどうしたって矛盾をはらんでしまう。
むしろ勲功第一として表彰する流れだったのだが、当の本人によって
「冗談じゃない!!」
と一蹴された。
「私は貝のようになりたいのに、これ以上、知らない人たちに嫉妬されるなんてまっぴら御免です。どうぞアーノルドさんたち騎士団の面々や、頑張ってくれた級友たちを表彰してください!援軍に来てくれたキャロルさんなんて、超お勧めの逸材ですよ!私については戦場を転がりまくって自爆したゴミがいたとでも記述してくれれば充分です」
以上がエリー本人の弁だが、あまりに自虐的すぎるだろう。彼女と共に洞窟調査へ参戦した級友たちは、こぞって表彰をされているのだから。
その中に名門貴族であるホールズワース家の息女モニカがいた事も話題となったが、彼女は高飛車に見えて面倒見が良いので、
「はぁ!?本来、一番に表彰されるはずの貴女が、どうしていらっしゃらないの!?辞退!?馬鹿なのかしら!こういうものは素直に受けておくものでしょう?」
と大変、ご立腹であった。
この件については他の級友たちのみならず、アーノルドたちも幾度となく授与すべきだと説得をしたのだが、ついに首を縦に振らず、周囲はどうしたもんかと肩を竦めた。モニカが立腹した理由の一つも、それと無関係ではなく、エリーが自分の立場向上に一切関心がないという、やきもきとした気持ちがある。
エリーは平民、しかも孤児と言う出自から学校の内外問わず、不当に侮られたり蔑まされたりと、攻撃対象となる事が少なからずあった。もし王宮から勲功第一の栄誉を受ければ、その雑音や不当な評価は大いに覆される事が期待できるのだが、本人はどうした事か、まったくその手の事に関心がない。
「だから、こういう失礼な手紙が堂々と来る」
ラルスと共に生徒会室で、たくさんの手紙を確認していた金髪の青年が呆れるように言う。
クリフォード・オデュッセイア、この学園の生徒会会長であり、この国の皇太子であらせられる。
普段は気さくでどちらかと言えば柔和な表情をしている事の多い青年にしては珍しく、眉根を寄せて不快感を隠そうともしていない。
彼から差し出された手紙を拝見したアーノルドは、同じように表情を曇らせる。
「求婚届……しかもこの男の年齢は50歳を過ぎているじゃありませんか。さらに言えば、求婚ですらない。妾同然で囲ってやろうとか、ふざけるにも程があるだろう」
アーノルドはその場で唾を吐きたくなるほど不快になった。とてもじゃないが、本人には見せられる代物ではない。差出人の身分は子爵であったが、明らかにエリーを見下し、奴隷かペットくらいにしか思っていないであろう事は文面から明らかであった。
「おい、アーノルド、どこに行く?」
「決まっているでしょう。こんな手紙を差し出した事を一生、後悔するような目に遭わせてやりますよ」
「やめろ」
クリフォードとラルスが制止した事で、かろうじて手紙の主は生命の危機を脱した。
アーノルドは相当、怒り心頭だったのだが、
「その短絡的な行動で、エリー・フォレストを断罪した失敗を忘れたのか」
と言われると、返す言葉もなく、逆に悄然としてしまった。まったく皮肉なものである。
「……と、まぁ、アーノルドの質問について答えるならば、Yesだ。ひっきりなしに求婚について問い合わせが来ているし、それ以外にも養子縁組などを含めると、相当な数に上る」
「しかしなんでまた学園に届くんですかね?」
「本来なら家に届くのだろうが、彼女は下宿住まいだからな。下宿先か、学園か、どちらかにしか宛先がない。その下宿先だが、当のエリー嬢が入院してしまった為、いつ戻ってくるか分からない。であれば、学園に届けるのが一番確実だ。しかも今日が再登校初日だから、それに合わせて来たんだろう」
アーノルドは一言、「なるほど」と呟くと、手紙を次々に読み漁る。しかしながら、見事なまでにエリーを人として扱っていない内容の多い事。
やれ金だの、光栄に思えだの、愛人契約だの、おとなしく従えだの、およそ15歳の少女に読ませるような文章ではない。ギリギリと歯ぎしりをしなければ読み進められないほどである。
まったくもってこんな奴隷契約に応じる理由はない。
だが何らかの理由……弱みを握られるか、他の者の為にという事であれば、自己犠牲的なエリーが首肯しないとも限らない。
そうなった時にエリーの身に降りかかるであろう苦難を想像するだけで、アーノルドは怒りで我を失いそうになる。
(ふざけるのも大概にしろ)
アーノルドは怒りと共に焦燥を感じていた。なぜなら当人の意志とは別に、弱味を握られたり、やむを得ぬ事態に陥った際に、当人が一言「応じる」と答えてしまえば成立してしまうのだから。
貴族の中には立派な人物も多いが、その一方で平民の意志どころか命すら塵芥ぐらいにしか思っていない者もまた多い。彼らがどんな手段でエリーを手中に収めようとしてくるか、分かったものではない。
存外、下衆で肥え太った貴族が舌なめずりしながら、嫌がるエリーを寝台の上で組み伏せる未来が現実にならないとは言い切れないのである。
そして、その光景を想像するだけで、自分のどこにそんな感情があったのかと思うほど、黒くチリチリとした物が胸を締め付けて来る。
「アーノルド、殺気が駄々漏れになっているよ」
知らないうちにアーノルドの手は血が滲むほどに握られていた。クリフォードが注意しなければ、アーノルドの感情が殺意ともいうべき衝動に転化していたかも知れない。それほどまでに生徒会室はピリピリとした空気に包まれていた。
「ちょっと待ってください」
アーノルドは答えると、瞑想するかのように目を閉じて、深く呼吸をした。しばらくして大きく息を吐き出すと、先ほどまで身を焦がしていた焦燥感や怒りが幾分、落ち着いて来る。
「………お待たせしました。すみません、冷静さを欠きました」
怒りの波動を抑えたアーノルドはクリフォードとラルス両名に向かって深く頭を下げた。
それを受けて口を開いたのはラルスであった。
「まったく世の中、何が起きるか分からないものだ。まさかアーノルド・ウィッシャートが義姉以外の女性にこれほどまでに入れ込むとはな」
ラルスの言葉は嫌味でも皮肉でもない。素直に感心していた。
「とにかく俺は」
柄にもなく我を失ったのが恥ずかしくなったのか、それともこれから口にする事が照れくさいのか、アーノルドは顔をそむけて言う。
「あいつの顔が曇るのを見るのは嫌なんです」
ずいぶんと遠回しな物言いだが、アーノルドの素直な気持ちだった。
エリーの威勢の良い言葉が、くるくると変わる表情が、こちらがうんざりするほど元気な姿が、そして自分に向けられる笑顔が、そのすべてがアーノルドにとっては今や欠かせないものであった。
そしてここにぶちまけられた唾棄すべき手紙の山は、それを奪うに十分な呪いのようなものであった。
そんなアーノルドを見て、クリフォードは笑顔を浮かべ、ラルスは親友の顔を見て嘆息した。
「大丈夫、安心してもらっていい。もう全員の名前を覚えたからね」
しっかりくっきりはっきりと、名前を覚えた点を強調する。見ればクリフォードの笑顔に普段の柔和さはなく、実に冷淡な雰囲気を纏わせていた。
そして皇太子たるクリフォードが「覚えた」と口にした意味は、だいたいお分かりだろう。彼に覚えられた家の命脈は尽きたと言って過言ではない。
アーノルドの憤激は激しく強かったが、それはクリフォードが怒っていない事を保証しない。静かだが、確かな怒りをクリフォードは抱いており、それを友人であるラルスは明敏に感じ取ったからこそ「面倒くせぇ」と嘆息したのだ。
「憤る気持ちも分かる。僕だってこんな書状、気持ち良いものじゃない。ノエリアが不在で良かった」
クリフォードの言葉に、アーノルドだけでなくラルスも賛成した。こんな汚物のような手紙、女性に見せるものではない。
「下衆な申し出をして来た者にはそれ相応の対価を支払ってもらうとして……中にはきちんとした求婚の手紙もある。エリー嬢に見せるのなら、こうした手紙が良かろう。求婚というからには、せめて良縁を取り持ってやらなくてはな」
もちろん、すべての手紙が下衆な貴族たちの私欲にまみれたものばかりではない。家の為とはいえ、きちんとエリーを妻として迎える意向を示した手紙も届いていた。
「そうですね。あいつに見せたら調子に乗ってのぼせ上がりそうだ。せめて俺たちが曇りなき眼で、相手を見定めてやらなくちゃいけません。例えば……」
アーノルドは持っていた手紙を見せながら熱弁する。
「この手紙の差出人は男爵家の長男からで一見良縁に見えますが……確か優秀な次男が跡を継ぐともっぱらなの噂。愛情よりも利用価値の高いエリーを妻として娶る事で、追い落とされそうになっている立場の失地回復を狙ってのものかと。こんな奴に嫁いだ所で幸せにはなれないでしょうよ」
アーノルドの言葉に偽りはない。以前、エリーという少女の真実を見る事を拒絶し、不見識による断罪をした男とは思えない真摯な言葉にクリフォードもラルスも大いに頷いた。
「同感だ。ではこちらの手紙の主はどうだ?三男だが、評判は悪くない」
「この家は継母が取り入り、家中に内紛の兆しがあると聞きます。後継者争いの道具として使われる可能性が高く、嫁ぎ先としては相応しくないでしょう」
「ではこっちは……」
「当主の浪費癖が祟り、財政が火の車ですね。裕福さと幸福度は比例すると断言するつもりはありませんが、意味もなく苦労する必要はないかと」
良く知っている、とクリフォードは舌を巻く。なるほど、アーノルドに任せておけば、エリーを付け狙う連中の防波堤くらいにはなるだろう。
「こちらの青年は文官だそうだ。宮中に努め、内務官僚として活躍をしているようだが……」
「ダメですね。エリーの立場的に、ある程度は政敵から身を護ってやる身体的な強さが欲しいです」
その言葉を聞いてクリフォードは「あれ?」と思った。何かおかしな予感が胸中をよぎる。
「こっちの青年はどうだ?家柄も申し分なく、六番隊に所属している騎士だそうだ。腕と言う点でも頼りになる」
「却下します」
「なぜだい?評判も悪くなさそうな好青年のようだが」
「俺より弱い奴に、エリーを嫁がせるわけにはいきません」
「それ、国の中に何人いるかな!?」
クリフォードは思わずツッコんだ。アーノルドより明確に力量を持つ者が、国内だけでなく世界を見回しても何人いるだろうか。
「腕っぷしはひとまず置いておき、この人物は……」
「ああ、駄目ですね」
「まだ何の説明もしていないのだが」
「勘で分かります」
ぴしゃりと断言するアーノルド。もう理由を作りだす事すら放棄したようだ。
「じゃあ級友たちはどうだい?彼らも貴族の出だし、仲が良い事も証明されている。当人同士の感情は恋愛に至っていないだろうが、少なくとも互いに悪い印象はもっていないだろう」
「立場を利用している不逞な輩と言いたいんですね?分かりました、すぐにクラス替えの準備をします」
「年下相手に大人気ない!誰もそんな事をしろだなんて言ってないからね!?」
完全に眼が曇りまくりである。断る為の理由を探してくるのだから、もうアーノルド審査に通過するわけがない。下手をすればクリフォードもラルスでさえも、失格の印が押されるだろう。
「とにかく、俺の目が黒いうちは、エリーを嫁になんかやりませんよ。欲しければ俺を倒してからにしてもらいます」
「お父さんなの!?」
もはや台詞としては完全に保護者のそれであった。
そんなやりとりを聞いていたラルスは、くいっと眼鏡を上げて提言する。
「とにかく状況はこの通りだ。ゆえにエリー嬢の身分と安全を確立する必要があると思う」
「この連中に思い知らせるという事ですか?」
「何もエリー嬢を狙っているのは、ここに手紙を出した連中だけではあるまい。むしろ手紙の内容はどうあれ、お伺いを立てるだけ礼節を弁えている方だ」
どくん、とアーノルドの胸が音を立てた。次の瞬間、制止の声も聞かずに飛ぶように生徒会室を飛び出す。
(そうか、迂闊だった)
アーノルドは目指す先を求めて学園を走り、すれ違う人たちが何事かと目を見張る。もちろん、目的なエリーとの合流だった。
先ほどクリフォードは「今日から登校を再開する」と言った。その時に気が付くべきだったのだ。
手紙など迂遠な方法を使わず、直接エリーと接触してくるであろう輩がいる可能性に。
この学園は必ずしも聖人君子ばかりが通う学び舎ではない。だからこそエリーに対して虐めは発生したし、鼻持ちならない連中が幅を利かせる事もある。
少し前は特権階級が己が家門を自慢し、実力とは無関係の派閥を形成するまで堕ちていたのを、クリフォードやノエリアら有志たちが改善を重ねて来て、ようやく復興して来た側面もある。
だが光あるところ必ず影があるように、悪事が完全に消滅する事はない。
いかに生徒会が有能であるとしても諸問題のすべてを解決し、あらゆる悪事に対して目を光らせられるはずはないし、ましてや貴族特有の特権意識に凝り固まった連中の考えを変える事はできない。
つまり、不埒な手紙を送りつけて来たような輩は学園内にも存在するのだ。
そしてそんな連中が何をしでかすか……火を見るよりも明らかである。
そしてアーノルドの予感は、ほぼ的中する。
彼が生徒会室から飛び出したと同時刻、松葉杖をついたよちよち歩きのエリーは、校舎裏で見知らぬ上級生に囲まれていたのである。
◇◇◇
「えーと……」
エリーは困惑していた。
なぜ自分は今、顔も知らない上級生たちに囲まれているのだろうか。こうならないように王宮への招待もご褒美も辞退したというのに。
こんな事なら褒美をもらっておけば良かったと後悔する。いや、別に勲章とか名誉はいらないのだが、単純に晩餐会で出て来た豪華な食事くらいは御相伴に預かれば良かった。
「これだから平民の女は困る。学がないというか、理解度が低いというか…」
上級生の一人が嘲笑うように言うと、周囲も合わせるように侮蔑的な爆笑が起きる。何が面白かったのだか、エリーにはまったく理解できないのだが、とりあえず馬鹿にされているのは分かった。
「いいかい、これは君にとって僥倖と言える。泣いてこの慈悲に感謝し、僕らの足に縋り付くべきほどのね」
誰かが講釈を垂れ始めた。興味は皆無なので、「はあ」としか返事できない。
口を開いた生徒は一瞬、鼻白んで沈黙したが、気を取り直して説明を再開する。
「まず平民である君が、僕らのような貴族と会話をする事自体が幸運な事だと思いたまえ。ましてや、こちらから出向くなど、驚天動地の事態だ」
「アーノルド先輩とかとは、普通に話してますけど」
「ふん、あの男は下賤の娘が好みか。趣味の悪い」
さすがのエリーもかちんと来た。まぁ、自分が上品な淑女と言い張るつもりはないし、趣味が悪いというのも否定はしないが、自分もろともアーノルドを貶めるようなニュアンスが気に入らない。
「いやいや、そう言うな。見ろ、外見だけは貴族に劣らないではないか」
「確かに、生意気にも容姿だけは立派なものだ。それでアーノルドの奴に取り入ったか」
「いかにも下賤の者が使いそうな手だ」
さらに続けざまの会話を耳にして、エリーはこいつらを嫌いになる事を決めた。
「なぁ、ちょっと付き合えよ。あんな剣術馬鹿より良い目を見させてやるぜ」
「お断りします」
「そうそう、じゃあ早速……って、ええ!?」
断られた貴族の生徒が驚愕して目を見開いた。
理解できない存在にぶち当たったような驚き方だが、エリーにしてみれば、逆に何をそんなに驚くのか理解が出来ない。どこをどう考えれば、その要求を呑むと思ったのだろうか。
「聞き間違いかな……?では、もう一度言うぞ。我々に付き合え」
「だから、お断りします」
「「「……………!!」」」
男たちの顔が、青なったり赤くなったり明滅するのを見て、エリーは単純に「器用だなー」と感心した。
「り、理由を聞かせてもらおうか?」
かろうじて冷静を保っている男たちの一人から質問されるが……言わないと分からないのか、とため息が出る。
「いや、どう考えてもアーノルドさんの方がカッコ良いですし、優しい……優しいかな……?まぁ、少なくとも皆さんよりは優しいですし、不埒で不遜な物言いはしませんし、徒党を組んで女の子を囲うような真似はしませんし………っていうか、皆さんの中で、アーノルドさんにどこかしらでも勝っている人、います?あ、品性の下劣さとかではなく、ポジティブなやつで」
そう言い切るとエリーは失礼します、と踵を返……そうとして失敗する。
「いい度胸だな、平民ごときが!!」
怒りに任せて突き飛ばされたエリーが地面に転倒する。
瞬間、痛みが走るが、声には出さない。悲鳴を上げて、こいつらの被虐心を満足させるなど、真っ平御免だった。
声一つ上げず、下から睨みつけるエリーに対して、貴族子弟一人が罵声を浴びせる。
「何だ、その目は!!可愛くない奴め」
次は頬を叩かれた。口元が切れたが、それでも睨みつける目を止めない。
エリーとて馬鹿ではない。そんな口を叩けば、こうなる事くらいは予想が付いた。
ただどうせ従順に従った所で、どこぞに連れて行かれて不埒な真似をされるのであれば、言いたい事を言った方がマシだと思った次第である。
それに、もし押し倒されでもしたら、まだ自由の利く左膝でこいつらの股間を蹴り上げて、一人や二人、血祭りにあげてやるつもりであった。そうすれば騒ぎになるだろう、と。
「おい、もしアーノルドが来ると思っているなら、そんな期待は捨てろ。あいつは生徒会室に行ったからな」
「ご丁寧にどうも」
何だよ、役に立たねぇな、と心中でエリーが毒づく。
現実では、アーノルドがエリーの危機に気が付いて生徒会室を飛び出していたのだが、神ならぬエリーが、ましてや貴族子弟たちが知る由もなかった。
その沈黙が落胆と同義だと思い込んだ男子生徒たちは、学生とは思えぬいやらしい笑い声を上げて嘲笑する。
「頼みの綱が切れた気分はどうだ?」
「もはやぐうの音も出ないようだな」
「アーノルドの威を借る女狐め。たっぷりとその体に思い知らせてやるよ」
などと言いながら迫ってくる様子はまったくもって浅ましく、知性の欠片も感じない。
よくもまぁ、これまでこの学園でやって来れたものだ。生徒会の面々が目にすれば一発で停学ないし退学処分が下っていただろうに。
エリーはそんな連中に付き合うのが、ほとほと馬鹿らしくなりつつも質問をした。
「まー、私は狐でも狸でもなんでも良いんですけれどね。仮に威を借りているのが正しかったとして、威の根源であるウィッシャート家に目を付けられるのは怖くないんですか?」
「はっ、ウィッシャート家、か。王家に尻尾を振る情けない家門には、いずれ天誅が下るだろう」
「おや」
その言葉にエリーは首をかしげた。ちょっと自分の印象と違う。ウィッシャート家は高位貴族であり、王の覚えもめでたく、その影響力は他の貴族たちより頭一つ抜きんでいたのではなかったか。いや、そもそも「王家に尻尾を振る」という表現自体、王家を軽んじていた。
「わからん、という顔をしてやがるな。はっ、だから平民は馬鹿だというのだ」
同じような言葉を散々、担任教師から投げつけられたエリーだったが、今になって思う。
あの先生は本気で毒づいていたわけではないのだろう、と。文句を言いながらも必ず、こちらが分かるまで懇切丁寧に教えてくれたし、だいたいこんなクソみたいな表情はしていなかった。
だが確かに、こいつらがウィッシャート家、さらには王家すら、ないがしろにするような態度が取れる事は気になる。
「すみません、馬鹿なもので分かりません。後学の為に教えてもらえますか?」
ぱんぱん、と埃のついたスカートをはたいて立ち上がり、唇を尖がらせながらも、ぺこりと頭を下げた態度は、エリーにしては上出来だったと言えよう。彼女の性格上、下手したら、松葉杖で貴族の子弟たちの顔面に一撃を食らわせてもおかしくなかった。そして、もしそんな真似をしていたら、生徒会や級友たちの弁明があったとしても、退学は免れなかっただろう。
とりあえず松葉杖は地面に置いたまま、抗戦の意思を見せなかったのは、彼女なりの配慮であった。
だがエリーの行動を、男子生徒たちは都合よく屈服と解釈した。この度し難い思考回路の持ち主たちは、目の前の少女を手中に収めたと勘違いし、そして当然の権利を行使しようとしたのである。
「それならば」
次の瞬間、不埒者の手がエリーに伸びた。その手は一直線にエリーに向かうや、欲望のままにいやらしく胸を揉むと、その感触に男は歓喜の声を上げ、周囲は勝利の凱歌とばかりに口笛を吹く。
自らの優位を確信した男は胸を揉みながら顔を近づけ、舌なめずりをしながら台詞を続ける。
「教えを乞うに相応しい態度ってもんがあるだろ?」
顔と顔が接触するくらいに接近する。
だがその刹那、下品な顔がひしゃげ、そのまま右へと吹き飛んで行った。
「あっ!」
その場にいた全員が括目した。
いや、ただ一人、吹き飛んだ男だけ、括目するよりも早く地面に顔面から突っ込んで、それどころではなかった。
それもそうだろう。
いきなりエリーから強烈な平手打ちをお見舞いされたのだから。
「すんません、口が臭ぇから、思わず手が出ちゃいました」
そう言えば、こいつにさっきビンタされた事を思いだしたエリーは、続けて
「これでおあいこっスね」
と冷たい瞳で見下ろしながら、ふっ、と口端を吊り上げて見せる。その姿はまさに悪役さながらの悪い笑顔だった。
そのまま他の貴族子弟たちに顔を向けると、笑顔のままで会話を続けていく。まるで今、起きた事がなかったかのように。
「教えてくれないなら、そろそろ解放していただけると嬉しいんですけど」
「お、おまえ、こんな事をして、どうなるか分かってんのか!?」
「どうなるんですかねぇ」
あっけらかんと言われた子弟たちは、間抜けにも口をポカンと開いたまま硬直した。おそらく彼らはこんな態度を取られた事がないのだろう。
「分からないなら、教えてやる!俺の父上は……」
「あの~、ちょっと良いですか?」
彼らが誇り高き家名を出すよりも早く、エリーはその口を制して黙らせた。そして、つまらなそうな口調で痛烈な言葉を投げつける。
「女を口説くのにパパの名前出すの、最高にダっせぇから止めてくれます?」
言われた貴族たちは反駁も出来ず、パクパクと口を開閉させてしまう。あまりの屈辱に口が回らないのか、そのまま一言も出ない。
そして代わりに出たのは手であった。
激情に任せてエリーに向かってくる顔は正気を失ったように目が見開き、振り上げた手は平手ではなく、ぐっと握りしめて蛮行に及ぶ。
(とうとう腕力にものを言わせに来やがった)
頭に血が上ったのは分かるが、まさかのぐーぱんちかよ、と呆れてしまう。そんな一発を受ければ、か弱い女子ごとき平手打ちなんかと比べ物にならない怪我を負うだろう。
多分、この連中はそんな事など頭になく、そしてこれまで、それを咎められた事もないのだろう。
(喰らってやる義理はねーわ)
ひょい、とエリーはその拳を軽く後ろに下がってかわす。
日常生活ならば悲鳴が上がるだろう暴力行為。だが洞窟内で文字通り死線を潜り抜けて来たエリーにしてみれば、ここにいる連中の怒気や今の攻撃など、児戯に等しいものであった。
それどころか、避けられると思っていなかったのだろう男の一人は、綺麗に空振りした勢いのまま、その場に転倒してしまい、エリーから平手打ちを喰らって地面に転がった男の上にのしかかってしまった。
「「ぐぎゃっ!」」
同じような悲鳴を上げて重なり倒れる不逞の輩。
(おいおい、弱すぎるだろ)
魔法学園に通学しているんだったら、せめてここは魔法で攻撃すべきではないのか。単純な物理攻撃で来た所を見ると、あんまり成績も優秀ではなさそうだ。
一方でこの光景に呆気にとられていた輩たちは我に返ると、小娘にあしらわれた怒りと恥ずかしさで感情が爆発し、罵声を上げ、今にも襲いかからんばかりに詰め寄ってくる。
「こいつ……っ!!」
「やっちまえ!」
「調子に乗りやがって…!」
女の子一人に、しかも怪我人相手に男が寄ってたかって殴りかかるとか、常識的にどうなのよ、とエリーは思いつつ、ちょっとまずい事になったなと内心で後悔する。もうちょっとスマートに解決する方法はあったはずなのだが、ついつい喧嘩腰で対応してしまった。
(ぶちのめしても、逆にアーノルドさんたちに迷惑かかるんだったら嫌だなぁ)
このまま、きゃあ、とか悲鳴を上げて、やられてやろうかと思ったが、それはそれで怪我を悪化させそうだし、何より加減を知らないこいつらが、どんな事をしてくるかも分からない。それに、あの余裕綽々の態度からして、平民ごときの訴えなど揉み消す自信もあるのだろう。
色々と考えているうちに、男たちが目の前にまで迫ってくる。
(あー、さすがに一発や二発くらい、殴られるかな)
ぼんやりとそう思っていた時である。
予期していた痛みや衝撃は訪れず、その代わりに若干、怒気を孕んだ叱責の言葉が放たれた。
「まったく度し難い輩だな。女の子相手に徒党を組んで襲い掛かるとは、学園の風紀を何だと思っているんだ」




