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2章第99話 病室にて(3)

すみません、間が空きました。

いつもよりちょっと長いかな……

気まずい。


ただただ、気まずい。

そして私は、ただただ神を呪っていた。


神様、いくらなんでも酷くね?

何だって、よりによって、あんな台詞を口走ってる時に会いますかね?そりゃ不用意でしたよ。でもほら、あれは女子同士のトークってやつじゃないですか。

そこに当人が出現します?間が悪いにもほどがあるでしょ?

つーかよぉ、先生も何か知っていた風だったし、それならそうと教えてくれたって良くないっすか?


私は誰ともなく呪いの言葉をぶつけると(強いて言うなら神に対してだ)、チラっとアーノルドさんの方を見る。


「………………。」


そら見ろ! メッチャ複雑な表情してんじゃねぇか!そりゃあ、そうなるよなぁ!


「アーノル……」

「エリ……」


かぶった。

ようやく意を決したというのに、何と言う事だろう、アーノルドさんと会話の口火が被った。

そして再びの沈黙。


だあああああああああああああああもおおおおおおおお!!

気まずさに拍車がかかるうううううううう!!!


「あ……どぞ……」


「いや、お前からで良いぞ」


「いえいえ、アーノルドさんから」


「いやいや、お前からで……」


こうなるよ、そりゃこうなるよ。千日手に陥りますよ、そりゃよお!!


「あー……」


お、アーノルドさんが口火を切るか。ならばよろしい。私は黙っておきましょう。ここで変に口を挟むと、また沈黙が流れるからな。


「怪我の具合はどうだ?」


「あ、まぁまぁです」


「そうか」


………………。

……………………あ、終わりっすか、そうですか。


って、うおおおおい、会話下手か!? 全然広がらねぇな、会話! まぁ、私も、無難すぎる返事だったけども!


「…………………」


ああ、もう駄目だ、アーノルドさん、沈黙したわ。ちょっと会話デッキ、貧弱すぎない?

もっと、こう、あるだろ!女の子と弾む会話が! 具体的には私にも分からないけど! 頼むぜ、アーノルドさん。そんなんじゃノエリア様とデートする日が来たとしても、上手くエスコートできないですぞ!

いや、ノエリア様、出来る女だからなー。こんな情けない義弟の言動を見ても「うふふ、面白い」とか大人の余裕で受け流しつつ、自分から会話振っちゃったりなんかして。あ~~、女子としての器の差、感じちゃうわ―。

いやいや、できますよ? 私だって、ちょっとした小粋なトークくらいかませますけどね。アーノルドさん弄りくらい、余裕っすよよ?

いいでしょう、見ていてごらんなさい。このエリーさんの軽妙なトーク術をな!


「あ~、そういえばアーノルドさん」


「?」


「私が付けたキスマーク、どうでした?アーノルドさんは、私の首筋に、し~っかり歯型つけてくれちゃってましたけど、もしかして私の白い肌に興奮しちゃったんですぅ?」


「………………。」


「……………………。」


滑った。

ここは「ふざけんな、してねぇよ!」みたいなツッコミ待ちだったのに、ガチ困惑させちまった。

私は私で痴女みたいになったし、最悪だわ、この流れ。

ごめんて! 謝るから何か言ってくれよお!!


「……いや、なんか、すまん」


やめてぇええええ! 謝るのはこっちの方だってええええ! もう頭から布団を被って消えてしまいたい!


「あ、それでよ……」


おおっと、何と言う強引な切り替え方だろう!だがいいぞ、この局面を打開するのには多少、強引に話を進めた方が良いからな!


「で、さっき入室した時に、お前が騒いでいた件だが……」


なあああんで話を蒸し返すかなああ!?転換した先が地獄に逆戻りじゃねぇか!言及されたらもう、何て返して良いか分からねぇぞ!一番、戻っちゃいけねぇ話題に戻ってきたよ!


「………あの時、何て言っていたんだ?」


「は?」


おおっと、どういう事だね?私の恥ずかしい告白、聞いてなかったのかよ。さっきは冒頭から聞いてたってゲロったじゃねぇか。


「早口すぎて、何つってるか聞き取れなかった」


衝撃的である。何と言う僥倖。

私のこっ恥ずかしい言葉は、アーノルドさんには難解過ぎて聞き取れなかったようだ!ちょっと風向きが変わってきたぞ!


「ちゅー、ちゅーと、鼠の鳴き真似みたいな事をしていたようだが」


はいはい、それそれ、それです! 鼠なんすよ、ネズミ。いやぁ、お恥ずかしい所を見せてしまいまして。

そーゆーわけなんでね、もう全部忘れていただいて結構です。


「いや、あそこでいきなり鼠の鳴き真似なんておかしいよな。他に考えられる擬音は……」


「あー、あー、聞こえません! もうそれでいいじゃないですか、ネズミさんで!!」


私は首をかしげるアーノルドさんを思索の淵から無理矢理引き剥がした。先輩、変な所で勘が鋭いからな。いきなり正解にぶち当たる可能性がゼロではない。


「………何か隠してないか?」


「ハハッ」


ズバリ言い当てられ、妙に甲高い笑い声が出てしまった。これでは違うネズミさんである。主に浦安辺りで見かける彼だが、この世界の人に言っても同意は得られないであろう。


「で、ここに来たのはお見舞いですかね?いやー、わざわざのご足労、申し訳ない」


強引に話題を変えてしまおう。話は何度もうやむやのままに飛んでいるのだ。これくらい、怪しまれないはず。


「まぁ、そんなところだ。それに謝罪をしないといけないと思ってな」


「謝罪?」


はて、こちらから感謝こそすれ、謝られるような事をされただろうか?


「お前に負担をかけさせただけじゃなく、しっかり守れずに大怪我をさせた」


そういうとアーノルドさんは頭を下げる。

おいおいおい、それはお門違いってもんでしょう。謝られる筋合いはない。私はアーノルドさんが救出に駆けつけてくれなかったら死んでいたはずなのだ。


「そこはけじめをつけないとダメだ。一生残るような深い傷を負わせていたらと思うと、心が張り裂けそうで、夜も眠れなかった」


おお、アーノルドさんが下げた頭をそのままに項垂れている。先輩、こんな殊勝な人間だったっけ?何か、こう、背中がむずむずしてきます。


「もう二度と、お前を傷つけないと誓おう。もし怪我の跡が残るようなら、一生をかけて償う。責任を取りたい」


「ふおあ」


思わず変な声が漏れた。どうした、どうした、アーノルドさん?何か今日はトーンが真剣だぞ。なかなか的を外していない、素晴らしい文章が連なっているじゃないですか!


「恥ずかしながら」


そう言って、アーノルドさんは言い淀み、ひとつ咳払いをする。


「……最後、お前を抱きかかえた時の事は、良く覚えていない」


「覚えてねぇのかよ!」


おっと、大きな声が。なーーにーーー?あんなにラブラブしていたのに、忘れてんのかよ!

ちょっと……いや、結構、がっかりだ。興奮したり、照れたりした私が馬鹿みたいじゃないか。


「ただ覚えているのは」


多分、シュンとしてしまったであろう私に視線もくれず、下を向いているアーノルドさんは、さらに言葉を続ける。

だが一度、萎えてしまった私の心に火が灯る事は………もうなさそうだ。


「どうしても、お前を離したくなかった。お前を抱くのは他でもない、俺だと。傷ついたお前を保護するのは俺しかいないと、みっともなく独占欲が沸いた事だけだ」


「ふえ?」


え? 何と言いました? 独占欲? 私に? 保護欲と独占欲をそそられてしまったと?


「何度も言わせるなよ」


いやあ、言いますよ!事件ですよ、事件!これまでどんな状況でも泰然自若としていた、素っ気ないアーノルドさんがですよ? 私にそんな想いを抱くだなんて!!

ともすれば、そう、劣情! 劣情ですよ、劣情!!


「首筋のアレ(・・)も」


とんとん、とアーノルドさんが右の首筋を指で叩いて場所を示す。そこはそう、私がしっかりと、噛みつかれちまった場所ですし、つまりアレ(・・)って、跡の事ですよね?」


「気が付いたら、そうなっていた。想いが高じたというか、なんというか……」


バツの悪そうな口調で告白するアーノルドさん。

先ほど、心の灯火とか、もう灯らないとか何とか言ってましたっけ、私?

あー、前言撤回します。心臓がバクバクしてきた。ちょっと冗談で場を和ませよう。

今回は失敗して、場が凍りついても構わない。一度、インターバルを挟まないと、顔から火が出てしまいそうだ。


「あ、あはは、つまり、マーキングってやつですか?やだなぁ、もう。犬じゃないんだから~」


その言葉に、アーノルドさんはハッとして、床に落としていた視線を私の方へ向け直した。


「そうかも知れん」


「は?」


「お前の体に、俺の物だと言う証拠を刻みたかったのかも知れない」


「いやん」


おおおおおい、反則だろおおおお。場の空気を氷点下にするつもりが、一気に熱波が襲って来たぞ、この野郎。

あの歯形は所有権の主張だったって事? やだー、拘束されちゃうー、分からせられちゃうー。

しかし私の体に刻むとか、表現がエロいなぁ。そんなエロい表現すんなよー。いいんですか? 本当にあなたのエリーさんになっちゃいますよ!?


「ん……そういえば俺の胸にも何かの跡が……」


「ウエイト、ウエイト。オーケーだ、ミスター。その話は思い出さなくていいぜ」


どさくさに紛れて、私のキスマークに言及される所だった。思えば、あれも私の独占欲なのかな……感極まって無意識にやっちゃいましたけど。


「そこでどうだろう。元気になったら一緒に食事でも招待したいんだが」


俯きながらアーノルドさんは提案して来た。おお、これはデートのお誘いではないのですか?

え?マジで?全然、アーノルドさんらしからぬ行動だぞ、これは!そんなテンション高まるイベントが発生するとは想像だにしませんでしたわ。


…………ん?

ちょっと待って。何でアーノルドさん俯いてんだ?そんな気を落とす場面じゃないと思うんですが。


「アーノルドさん」


私は下を向くアーノルドさんの顔を覗き込んだ。

緊張と柄にもない行為に顔を赤くしている……ってんなら、全然OK、むしろ好感を持っちゃうんだけど。

彼はバッ、と顔を上げると、手にしていたものを後ろに隠した。


「それ、なんスか?」


「ななななななななななんでもねぇ」


………おう、動揺し過ぎだろ。何でもないはずがない。


「じーーーーー」


「何だ!?何も隠してないぞ!」


じろりと睨みつける私に弁解をするアーノルドさん。まだ何も言っていないのに、何かを隠したと白状しやがった。


「出してください」


「だから何も……」


「出せ」


「………はい」


おずおずと差し出したのは………「エリー・フォレストに謝罪するに際しての注意事項」と書かれたメモ書きだった。

そこには何に対して謝罪するべきか、相手をいかに傷つけないかの要点がまとまられており、会話の流れごとに整理整頓されたFAQが羅列されていた。


「おい」


「はい」


「やったな、お前」


◇◇◇


秋晴れの日差しも心地いい病室にて、対照的に萎れて神妙な顔をして項垂れるアーノルドさん。

私はアーノルドさんから渡された紙を見ながら、ドスの利いた声で改めて言った。


「やったな、お前」


その言葉に、ますます小さくなるアーノルドさん。

ようやく面会を果たした彼から、丁寧かつ珍しく的を射た謝罪の言葉をいただいたかと思ったら、まさかまさかの模範解答と手引書(カンニング)である。

私は思わず深く溜息をついた。


「どうりでアーノルドさんにしては真っ当な謝罪だと思ったんですよね」


「……すまん」


おそらく主なFAQ作成者はノエリアさんだろう。一貫性が揺らいでいる箇所もあるので、クリフォードさんやラルスさんの助言も含まれているに違いない。

しっかし、ようやくシスコンから脱却したかと思ったら、それすらも義姉の手のひらだったとは……どんだけ義姉好きなんだ。


「途中までは良かったです。ちょっと感動しちゃいました。不覚にも」


そう言い終えた後、メモの一文を指差して続けてやった。


「ですが、ここ!丸々、例文とおんなじ台詞とかありえなくないですか!?この辺からシチュエーションが想定と若干ずれてきてますんで、上手く調整しないとダメですよね?」


振り返ってみれば、途中で大仰な表現が入り込んできていた。

よくよく考えたら『一生をかけて償う。責任を取りたい』って、なかなかに突拍子がない台詞だ。とどめに話の繋がりもなく提案された食事へのお誘いである。

場にそぐわない上に、アーノルドさんらしからぬスマートな詫び方。さらにメモをガン見しながら、視線を落としての棒読みであった。


「その辺はノエリア義姉さんがノリノリで例文を考えていた」


あー、ノエリアさん、意外と乙女だからなー。普段、頼りになるお姉様像で通している反動か、言動の端々に乙女願望が垣間見えるのだ。残念だが、一生とか責任とか重い台詞は現実世界では、滅多にお目にかからんぞ。

食事へのお誘いもマニュアルとか恋愛小説の定番っぽいしね。残念だがアーノルドさんはグルメ要素皆無なので、その例文は演者が口にすべきではなかった。クリフォードさんとかなら納得だったけど。


「おめーも少しは考えろや。食事って柄じゃねぇだろ。どこに誘うつもりだったんスか?」


「騎士団いきつけの居酒屋に」


「デートで行く場所じゃねぇなぁ!雑然とした雰囲気が優雅なお食事感がないのは良いとしても、後日冷やかされる事、間違いなしだね!」


多分、ノエリアさんの脳内イメージは高級料理店だぞ。私も騎士団の方々と面識やお付き合いが多少なりともありますし、多分、あそこのお店かなー、って何となく想像つくよ?想像つくし、実際に行った事あるし、そこなら料理は美味しいし、食事するのは全然、構わないんですけどね。

あの流れから近所の居酒屋に連れていかれたら、大半の女子は、がっかりすると思うんだけどなー。


………でもまぁ……。


「らしいっちゃ、らしいか」


「………?」


捨てられた子犬……にしちゃデカいな。まぁ、いいか。

そんな風にしょぼくれているアーノルドさんを見ると、怒りよりも出来の悪い愛玩動物を前にしている気分になってきて、腹を立てる方がバカバカしくなってきてしまうのだ。


「牛肉の串焼き」


「は?」


「あそこの串焼き、タレが美味しいんですよね。香ばしくて食欲をそそって。退院したら、絶対に行こうって思ってました」


項垂れて、目の前に半ば投げ出されているアーノルドさんの頭を、動く右手でよしよしと撫でた。


「あれを3本と蜂蜜水で手を打ちますか」


私の大好物な居酒屋メニューを告げると、ぱあぁっ、とアーノルドさんの顔が輝く……文字通り光り輝くような笑顔を見せた。

なんだ、この神々しさは。イケメンともなると、笑うだけで神聖魔法が発動するのか。ずるいぞ。


「お安い御用だ」


力強く宣言すると髪の毛を撫でていた手を取って、甲の部分にキスをした。


「その約束、命に代えても」


アーノルドさんの所作は、まるで絵画で描かれる騎士のように流麗優雅だった。そうなんだよなぁ。この人、ちゃんとしてれば、誰もが憧れる王子様になれちゃうんだよな。本当にもったいねぇわ。

……おっと、危ねぇ。思わずぼーっと見惚れちまった。


「うむ、よきに計らいたまえ」


カンニングはよろしくないが、まぁ、私を不快にさせないように頑張った証左でもあるし、あまりグダグダ言うもんでもない。許したのはそれだけが要因じゃあないけど……こうして軽口を叩きあえるようになっただけでも、生きて帰った甲斐があったというものだ。


「はああぁ………」


その会話が終わった後、アーノルドさんはくっそでかいため息をついて、突っ伏した。

おい、こら。病人の上に突っ伏すんじゃねぇよ。重い。


「緊張した」


アーノルドさんは突っ伏したままそう言って、心底安堵した声を上げる。


「そんな緊張しました?」


「百万の大軍を相手にする方が、まだマシだ」


「緊張の種類が違うとはいえ、そこまでです?」


「昨日は眠れずに、何度も練習をした」


「それであれかよ」


もう少し頑張れ。せめてカンペ見ないくらいまでは仕上げて欲しかったわ。

とはいえアーノルドさんは、緊張から解放されたせいか、警戒心の欠片もない、柔和な顔になっている。

よほど緊張していたのか、かなり珍しい表情だ。こんな顔、学校じゃ見た事ねぇぞ。眼福、眼福。

……と、こんな具合に私が拝みながらご尊顔を拝謁していると、急にアーノルドさんはガバっと顔を挙げた。

おお、どうした?びっくるするじゃないか。


「そういえば約束していたな」


「何をです?」


「お前の足の怪我、傷口がどうなったか見せる約束だっただろ?」


おっと、そう言えば、そんな約束していたなぁ。どんな醜い傷跡が残っても、綺麗だって言ってやるって。

ええと確か………


『塞がったら見せてみろ。たいした事ないって笑い飛ばしてやるから』


……うへぇ、思い返すと、なかなかキザな台詞だ。

ついでに「もう歩けないかも」と甘えたら「心配するな。今みたいに俺が抱えてやる」との言質もいただいている。

思い返しただけで……おっと、涎が。イケメンの甘い囁きは、それだけで御飯がいくらでも進むぜ。


「あ」


「なんだよ」


「見せるのに、やぶさかではないのですが……そうなるとですね、この患者衣ってんですか?検査衣ってんですか?こいつの裾、捲って膝を見せるってのも、少々気恥ずかしいというか」


「うーむ……」


アーノルドさんは天を仰ぐ。まぁ、入院着なんで、簡単に検査できるよう、膝くらいまでなら、ささっとスカート捲れるんですけど……何か背徳的な感じがしやせんですか?

つーか、脛とか、ずっと寝たきりだったから全然、ムダ毛処理してないな。産毛くらいなんですけど、きっちり処理してツルッツルのお肌にしてからじゃないと人様に見せるのは……


「とりあえず見てから決めよう」


こ、こいつ乙女の素肌を何だと思ってやがる。気恥ずかしいっつってんだろ。ねぇ、言葉分かる?

そもそも、あんな約束なんて馬鹿正直に守らなくても良いんですけど。


「今更、こう言うのもなんですが、ぶっちゃけ、見てもつまんなくないスか?ただ傷口が塞がってるだけですよ?何か裂けた後とか、ぱっくり割れてて、こう、痛ましいというか、醜いというか、見るだけ損というか」


「それを見てやるって話じゃないか」


あ~、いかん。そういう説得の仕方は逆効果だったか。

まぁ、包帯取ったし、見せるのは構わんのですがね。ただ見せてみて、「うわ」とか顔をしかめられたら、それはそれで精神的なダメージ喰らいそうというか。

触った感じ、動かしてもちょっと広げてみても傷口はきちんと塞がっているし、そんな変なものではないと思うんですが、そんなグイグイ来られると、何か、気にしてなかったのに気になってしまうといいますかね。


「良いから黙ってスカートの裾を捲り上げろ」


言い方ァ!! もう少し、言い方ってもんがあるだろうがよおおお!

だがアーノルドさん自身は、ちっとも悪びれもせず(最悪だよ、この人)、仁王立ちである。

こうなっちまうと梃子でも動かない頑固なアーノルドさんの面倒くせぇ性格を知っている私としては、大きく溜息をつかざるを得ない。


「………はぁ…。もう分かりましたよ。見せればいいんでしょ、見せれば」


幸い、右足は無事に包帯も取れて、傷口もまぁ、綺麗に塞がっている。

ちょっとばかりピンク色に蛇行した跡は、刃物でぱっくりと裂けた当時を想起させて、個人的にはちょいグロく思えるが、それをひっくるめて確認しなくては気が済まないんだろう。

しょーがない、見せりゃいいんでしょ、見せりゃあよ。ただお触りは禁止だぞ。


……だが私は気が付いていなかった。

この時、扉の向こうに災厄が近付いていた事に。


◇◇◇


「あの二人のお邪魔にはならないかな」


病院の入院棟を歩いているクリフォードが珍しく冗談を口にする。

彼の目的は、先の洞窟探索において瀕死の重傷を負った女学生のお見舞いである。

無論、その女学生とはエリー・フォレストの事であった。

そこに同行するのは、婚約者であり学園の運営を補佐してくれるノエリアと、公私に渡り親しく付き合い、右腕と頼りにするラルスである。

二人は各々、思う所があったのか、クリフォードの言葉にそれぞれ苦笑と笑顔を浮かべた。


「どうかな。自分の心配は二人が例によって、いかがわしい行為に及んでいないかが心配なのだが…」


「まぁ、それは杞憂と言うものでしょう。ここは病院ですよ。義弟に限って、そんな場所で破廉恥な行為に及ぶなんて事は……」


クリフォードもまた、二人の言葉に何か思う所があるのか、


「そう願うとしよう」


とだけ答えた。


「二人とも、心配し過ぎです。エリーさんもアーノルドも分別のつく年なのですから」


もう冬が近いと言うのに、ノエリアの笑顔はまるで春の日差しのように軽やかである。

だがノエリアの笑顔は、病室の前に到着した瞬間に凍りつく。


「そんなんじゃ見えないだろ。もっと裾を捲り上げて突き出せよ」


彼女の可愛い義弟の言葉が聞こえてきた。扉を開けようとした手が凍りつき止まると、続けて


「これ以上はちょっと恥ずかしいというか……」


「無事に戻ってきたら、見せるって約束をしただろ」


と扇情的な会話が続く。

何と言う事だろう、傷つき倒れた少女に対して脅迫にも近い約束を結んでいたとは…!信じられない言葉に声を失う一同。

しかし病室の中では、そうしている間にも事態は進行していた。


「そんな凝視しないでくださいよ!!ピンク色の割れ目なんか見て、何が楽しいんですか?」


危うくノエリアがその場に昏倒しそうになり、慌てて二人が支える。

アーノルドもアーノルドなら、エリーもエリーである。そんな台詞をうら若き乙女が言うものではなかろう。


「いいや、見るね」


アーノルドが断固たる決意表明をした。クリフォードは眉根を寄せながら「こんなに彼はスケベ心全開の青年だったろうか」と天を仰ぐ。


「何なら撫でるね」


欲望をまったく隠しもしない、すごい台詞が飛び出す。いくら内心で思っていても、わざわざそこまで決意表明をしなくてもいいだろうに。

魂が抜けかけて卒倒するノエリアと、病室の外まで聞こえてくるやりとりに、続々と野次馬が集まってくる。



「なんだなんだ」

「体調不良で女の子が倒れたらしい」

「あと……入院患者と見舞客の痴話喧嘩……らしいぞ」

「おだやかじゃないねぇ」


などと騒がしくなる中、その喧噪を切り裂くように力強い声が響く。


「だからさっさと裾を捲って突き出して、俺に割れ目を見せりゃ良いんだよ」


無慈悲なアーノルドの台詞が、一瞬にして場の空気を氷点下にまで下げる。

これに対し、


「長い入院生活で、その付近のムダ毛処理してないですし!」


と抗弁するエリーの言葉は生々しい。しかしながら、「さすがにこれに返す言葉はないだろう」と見舞いに来た諸先輩方も、野次馬たちも思ったが……


「ふっ……そんな些細な事を気にする俺だと思ったか」


アーノルドは楽々とそれを越えて来た。

台詞自体は状況次第では男らしいのだが、この場においては最低に近い。むしろ変態性を際立たせた気がする。


「アーノルドさん……」


表情こそ見えないが、エリーもさすがに言葉に詰まったようだ。


(少女よ、そんな変態の頬をひっ叩いてやれ)


その場にいた誰もがそう思っただろう。

だが少女の言葉は違った。


「まぁ、やっぱりそう言うと思いましたよ」


(((思ってたの!?)))


「しょうがないですねぇ。これでどうです?」


(((応じるの!?)))


意外な展開である。どこをどうしたら、こんな展開になるのだろうか。

ちなみにもうこの時点で、ノエリアは失神している。

こんな事なら、もっと早い時点で扉を開けて、二人の行為を遮るべきであったとクリフォードとラルスは心底、後悔した。

もういい、やめろ。誰もがそう心に思ったのだが……


「あの、グロくないですか?ぱっくりと割けますし」


「いや、想像より全然綺麗だ……桃色も艶がかっていて……」


「ちょっと、ガン見し過ぎじゃないッスかね……」


「なかなかこんな機会はないからな」


「意外ですねぇ。先輩ならお目にかかる機会は多そうですけれど」


「あったとしても、こんなにマジマジと見ねぇって」


ああ、若い性が迸っている。

クリフォードとラルスは逆にノエリアが失神して良かったと思い直した。こんなやりとりを聞いたら、死んでしまう。

病室の外にいる者たちが聞き耳を立てている事など知らない二人は、さらに踏み込んでいく。アクセル全開、フルスロットルである。


「もっと見せてくれ」


「んしょ…………こうですか?」


「おいおい、そんなに広げて大丈夫か?」


「加減を知らないアーノルドさんに触らせるくらいなら、自分で広げた方がマシです。右手しか使えないのですが、見るだけなら、こんくらいで十分でしょ?」


突入すべき機を完全に逸した一同は、エリーとアーノルドのやりとりを聞かされていた。

クリフォードとラルスは眉をしかめ、一方、野次馬たちは何人かが前屈みで撤退して行った。


(これはいかん、さすがにもう駄目だろう)


(しかし今、入室しては、とんでもない空気になるんじゃないか)


ふたつの懸念がぶつかり合う。クリフォードとラルスは明晰な頭脳で計算した。

これは悪手だ。千日手だ。刻一刻と変化する状況において、逡巡は危険である。ましてや悪化している状況なのだから、手をこまねいた1秒が取り返しのつかない事になりかねないのだ。

だが突入か否か、どちらが事態を収束させる事ができるのか、二人の叡智をもってしても答えが出ない。

そして事態は最終局面を迎える。


「ちょ……何してんですか!?」


「いいだろ、ちょっとだけだから」


「嫌ですよ!アーノルドさん、ちょっとだけじゃ済まないですもん」


「マジでちょっとだけだって!」


もう性欲に目覚めたてで、我慢も制御もできないクソガキみたいな懇願が聞こえてくる。怖い。このまま土下座でもしてそうな勢いだ。もしかしたら、すでにしているのかも知れない。


「う……う~ん……」


その時、失神していたノエリアが目を覚ました。


「わ……私、気を失って……?」


キョロキョロと周囲を見回すノエリアの耳に、病室内から二人の会話が漏れ聞こえてくる。


「先輩のそのちょっとってやつ、普通の人のちょっとじゃないから駄目です。マジで裂けます」


「ゆっくりとやれば大丈夫だ」


「自覚ないかも知んないスけど、先輩の、太い上に力強いからなぁ。覚えてます?口に突っ込んだの」


「お前だってあの時、自分から舐めてただろう」


衝撃的な台詞が出た。この二人の仲は、もうそこまで進んでいたのだ。

なお、一連のやり取りを聞いたノエリアは今日2回目の失神をした。目覚めの直後に聞かせる台詞としては、刺激が強すぎたようだ。


「とにかく駄目です」


「優しくするから」


もう必死過ぎであろう。

学園史上、最高の騎士と謳われる男とは思えぬ言葉の数々に、クリフォードは情けなくなり目頭を押さえる。

これだけ断られているのにも関わらず、諦めない姿勢を評価すべきか否か。しかしここは相手が怒って平手打ちでもかましてくる前に引き下がるべきだろう。撤退は恥ではない。戦術だ。


「……………」


「……………………」


「仕方ないですねぇ」


OKすんのかーい、とその場にいた全員が心の中でツッコんだ。

想定外の展開にクリフォードなどは「諦めなければ、いつか道は拓けるのか」と場違いな感動をしてしまったくらいだ。だが事態はもはや躊躇している時ではない。


「いいのか?」


「先輩が言い出したんじゃないですか。あの、あまり乱暴にしないでくださいね?」


「ああ、約束する」


「では……どうぞ」


「「「「衛兵ーーーーーーーーーー!!!」」」」


その場にいた全員が叫ぶと、どこからか駆けつけて来た衛兵が病室へ決死の突入をした。


「え?え?なに?なに?」


「うおっ!?何をする!?」


狼狽する二人の声。

エリーは右足だけをアーノルドの方に差し出している状態で、まだ事に及んではいなかったようだ。

ふぅ、セーフ。思ったよりも赤裸々な姿でなかったのが意外だ。


「またお前か! おとなしくしろ!」


「俺は何もしていない!!」


犯罪者お決まりの台詞を吐きながら組み伏されて確保されるアーノルド。普通に常習者扱いされており、心なしか衛兵たちの手際も良い。

一方、エリーもまた毛布を頭から被せられ、確保と保護、両方の面から拘束されていた。


「ななな、何?何がどーなってんの!?」


「エリー・フォレストさん」


「皇太子さま!?」


「君には未来がある。そう自分を安売りするものじゃない」


「何の話ィ!?」


混乱の中、アーノルドの言い分と、エリーの反応を見たラルスだけは、ほぼ事態を正確に把握した。

そして深いため息と共に、自分の事を棚に上げていると自覚しつつも、こう言わざるを得なかった。



「……馬鹿ばっかりだ」



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