2章第91話 戦いの果て(2)
ご指摘を受け、表現について修正いたしました(9/5)
アーノルドの神速の一撃が二人のシャオを捉えた。
これまで届きそうで届かなかった刃が、ついに到達した瞬間だった。
「がっ………」
「ぐっ…は………」
難敵を一網打尽にした一閃は、今もチリチリと焦げ付いている。衝撃の一撃をもってして、この対決は終焉を迎えた。
決着をつけたアーノルドだったが、倒した相手には目もくれずに、すぐさま踵を返すとエリーの方へと駆けていく。もうここに用はないと言わんばかりに。
「はは……最初から、眼中になかったというわけですか……」
ぐはっ、と吐血しながらシャオは言った。脇腹を切り裂いた傷は深く、致命傷だろう。もう一人のシャオもまた、胸を深く斬られて助かる見込みはない。
「眼中になかったわけではないと思いますよ。むしろ難敵だと認識していたからこそ、この場を放置してエリーさんの元へ向かわなかったんでしょうし」
そう二人に告げたのは、ケイジ・ウィンドヒルであった。にこやかな笑顔をたたえた雰囲気は、どことなくシャオに似ているのだが、それはどうやら東洋の血が混じっている事も影響しているだろう。実際に諜報活動を生業としていたケイジの家系とは共通点が多く見受けられた。
「そうか……それは良い事を聞きましたよ。慰めだとしてもね」
ふっ、とシャオが微笑んだ。
「あれほどの男の手を煩わせたのであれば、冥途の土産くらいにはなりそうです」
「いいですね。間諜としては、あまり褒められた死に方ではないですけど」
「まぁ、好きでなったわけでもないですし」
シャオが諦念とも達観ともつかぬ口調で口を開く。
「僕ら兄弟が生きていく上で、仕方なかったんですよ。孤児でしたし、能力だってろくでもない。そんな僕らを拾って育て鍛えてくれたドットさんに、きちんと恩返しをしたかったのですが……」
「僕らにとっては災厄以外何者でもないドット・スラッファも、あなたたちから見れば慈悲深い神様のような存在だったというわけですね」
「利用されていたと思ってくれて構わない。それでも僕らにとって、あの人は恩師であり、父だった」
はぁ、と大きく溜息をつくように息を吐く。もう一人のシャオは……事切れたのか、沈黙を保ったままだ。
「あなたは東方の言葉を少しは解するようですね。僕は笑、こっちは小……あの人は、そう名付け……鍛えてくれたんです」
なるほど、どちらも「シャオ」だったか、と得心がいく。二人で一人、離れられない二人組の形がここにもあった。
「恩返しとはならなかったかも知れませんが、よく頑張ったと思いますよ」
慰め、である。ケイジ自身、結果が残せない間諜の存在意義などないに等しい事を良く知っている。彼らは念入りに下準備をして、それこそ年単位の仕込みをして、破れた。この事実の前には「よく頑張った」という言葉、それも相対した者から言われた所で何の意味もない。
その事を違いに知っていたからこそ、シャオは失笑気味にではあるが、笑みを浮かべた。これが目的であるエリー辺りから言われたなら、これほど屈辱的な事はなかったに違いない。
「それを言うなら、こっちこそ……貴方たちは、頑張り過ぎだ……誰か一人欠けていても、もっと上手くいったはず…なのに……」
この点についてケイジは返事をしない。特に付け加える事がなかったのである。
アーノルドが深層に一人落ちたエリーを救出して戻ってきた事はもちろん、騎士団の結束と武勇、そして足手纏いになるかと思っていた学生たちは立派な戦力だった。
襲撃者側の目論見では、不慮の事態に対してドットが合流して与力する事になっていたが、それを援軍……中でもその中にイザーク・バッハシュタインがいたのは誤算だったし、それ以上にキャロル・ワインバーグが罠と策を看破していったのは目算違いだった。騎士団を生き埋めにするはずだった火薬はほぼ完封され、ドットの正体を見抜かれ奇襲も成立しなくなってしまったのは、著しく戦況を難しくさせた。
そしてエリー・フォレスト。
神聖魔法はもちろん、僅差で勝利を掴める流れだったところを、一気にひっくり返された。
多くの者は嘆きの乙女と首なしの騎士の召喚が勝利のきっかけだったと考えるだろうが、それは決定打に過ぎない。
流れを変えたのは、身を投げ打ってぶちまけた加護の付与と、命を賭けた喝であろう。
あの一言がなければ、心挫けた騎士たちが立ち上がる事はなかったはずだ。あれほど劇的に、戦況が変わる事はなかったはずなのだ。あくまであの召喚は、その前に出来た流れに乗っかった勢いであり、勝敗の潮流は、その直前で変わっていたのだ。
(漢を見せろ、か)
誰よりも傷ついた少女から発破をかけられて、奮い立たない騎士はこの場にいなかった。
多くのイレギュラーはあっても、勝利は揺るがないと思われた戦況に風穴を空けられてしまった。だからこそシャオは、ただひたすらにエリーを狙い続けたのだ。何かをしでかしそうな少女だけを。
その手練れのシャオをして、ついに護り続けたのがアーノルド・ウィッシャートである。最後の最後まで、シャオたちはアーノルドを中心としたエリーを守る壁を破れなかった。
(まさか僕らと同等の絆を持つ人たちがいるとはね)
「勇敢な騎士と守られるべきお姫様」ならば何の事はなかった。だがこの「お姫様」は守られているだけではなかった。勝利の為に身を犠牲にするだけでなく、騎士を勝利の為に遠ざける事も厭わない。そして騎士は盲目的に姫を守るのではなく、姫の意思を汲んで行動ができる人物だった。互いが互いに、すべき事を成し遂げると信じて行動した。
―― その結果がこれである。
(だが、それでも)
シャオは目を閉じて、ゆっくりと思考した。
(それでも最後に勝つのは僕たちだ)
◇◇◇
アーノルドは駆けた。
先ほどシャオたちに見せた炎の疾さと同じくらいの速度で、まさに一目散に駆けた。
その先にいるのは傷つきながらも、かろうじて身を起こしている少女。
「あ……」
その少女、エリーはアーノルドが駆けて来るのを認めると、ふわっと微笑を浮かべた後、ついに力尽き前のめりに倒れていく。少女の体が地面に叩きつけられる寸前、アーノルドの手が抱え込み、受け止める。
「よく頑張った」
アーノルドは、とっくに限界を超えている少女を抱き寄せ、頭を撫でてやる。だがその頭も出血で赤く染まっており、美しい金髪が重く濡れていた。
「……よく頑張ったな」
もう一度、アーノルドは言う。言わずにはいられなかった。この小さい身体で、よくぞここまで耐えたものだ。普通なら痛みと自分の体の状態に、気を失ってしまうだろうに。
そんな状態にも関わらず、エリーは健気に笑顔を浮かべて口を開く。
「そっちこそ、おつかれさんした……」
言葉に覇気はない。おそらく大半の力は、先ほどの喝と召喚で使い果たしたのだろう。
「やだなぁ、なんて顔、してんすか…?」
エリーの言葉自体は軽いが、声は確かに震えていた。時折、顔を酷くしかめるのは激痛が走るからだと思われる。
「……まぁ、そうジロジロと見られると恥ずかしいんですけど。ほら、今の私って、お世辞にも、あんま可愛くない姿じゃないですか?それに汚いし」
満身創痍の体はボロボロで、顔色は真っ白で血の気はすっかりと失せていた。汚いと言うのは血の事だろう。エリーの血が抱きかかえるアーノルドの胸元を赤く染めていた。
「汚いものか。お前は漢の中の漢だ」
「…全然、嬉しくねーなー、それ……」
ふはは、と笑うエリー。ツッコミにもいつものキレがない。
「あんま、見て欲しくないってのは本音なんスよね……右足とか、酷いじゃないですか……」
だらん、ともう動かない右足を見る。見た瞬間、目をそむけたくなるほどの傷。太腿から脛にまで蛇行した溝が走り、皮も肉も裂けて深くえぐられていた。ドットが脅すまでもなく、もし傷が塞がったとて、醜い傷跡は消える事はなさそうだ。
「酷くない」
アーノルドは右足に布を被せて止血と同時に傷跡を隠す。エリーはその配慮に一瞬、びっくりしたように身じろぎするが、やがて「ほぅ」と息を吐いて憎まれ口を叩いた。
「いつの間にそんな……配慮できるように、なったんスか……ったく、油断も、隙も、あったもんじゃない…」
「前から出来ていたぞ」
「嘘だぁ……」
冗談とも本気ともつかない台詞にエリーは苦笑するが、続けてアーノルドの発した
「傷は漢の勲章だ」
という台詞は看過できなかったようで
「そゆとこだぞ、おめー」
と、怪我人でありながら、語気を強めた上に良い感じにツッコんでしまう。だがそれで数少ない体力をさらに消耗し、苦痛にのた打ち回るはめになった。
「何が気に入らないのか知らんが、落ち着け」
と、人の神経を逆撫でする張本人が、いたって真面目に言ってくるのは噴飯ものなのだが、もはや反抗する気力もなくなる。
「……まー……どっちにしても……この傷じゃあ……水着も、ドレスも、着れなくなっちゃったな……」
この酷い傷ではオシャレな恰好はできないだろうし、そもそも歩けるようになるのかすら定かではない。前の傷だってこの洞窟に来るまでに完治しなかったのだ。機能が回復する見込みすら怪しいものだった。
「別にいいだろ」
「全然……よかねーよ」
「何か知らんが、俺はお前が他の男に肌を見せるのが好きじゃねぇ」
「おおう」
意外な発言に思わず変な声が出てしまうエリーであった。
「傷が癒えたら俺に見せてみろ。たいした事ねぇって笑ってやるから。それでもまだ気にするんだったら、俺が責任を取ってやる」
アーノルドはドンと胸を叩いて大いに頷いた。その姿を見てエリーは……
(ああ、こいつ責任を取るって意味、分かって使ってねえな)
とアホノルドである事を確信した。
「……あんま大貴族様が、責任とか、そういう事は言わない方がいいっスよ」
これは駄目だ、死んでも死に切れない、と思う。こいつを放置したら、勘違いさせられた紳士淑女たちと、無意味な軋轢を生みだすに違いない。特に義姉ノエリアが絡むと空回りが酷いのだが、彼女が将来の皇后陛下になるのであれば、そこで生じる勘違いは国際問題になりかねない。野放しにするのは、あまりにも危険だった。
「アーノ………ぐぎぃっ!?」
もう一声、かけようとした矢先、凄まじい激痛が右足に走る。気が緩んだのか限界を超えたのか、右足が激しく痙攣をし始めてエリーの意識を吹き飛ばしにかかる。
それを合図に、体中が軋み、悲鳴を上げ始めた。麻痺していた痛覚が覚めて来たのだとしたら、これはまずい。今ですら、意識が途切れ途切れなのに、発狂ものである。
「がっ……はっ……ぎっ……」
声にならない悲鳴を上げるエリーに、周囲も異変に気が付き始める。
「エリー!エリー!」
脂汗を流して痙攣するエリーを抱きかかえ、何度も声をかけるアーノルドの声が遠い。痛覚が磨り潰されるような激痛が、頭のてっぺんから足先まで駆け回る。
もう思考は働かない。痛みに耐える以外の事は不可能であった。
(意識耐えられるか分かんないぞ、早くしろよ、この野郎)
血塗れでのたうちまわるエリーは、恨みがましく2つの影を睨みつけるのであった。
◇◇◇
エリーに睨まれた二つの影のうち、ひとつが頭を掻いた。
「分かっている。もう限界だという事くらいな」
その影は栗色の髪の毛をなびかせながら頭を振ると、瞳を赤く光らせた。その双眸の光は人外を思わせ、ふぅと吐いた息は冷たい。
一方、語りかけられたもうひとつの影には頭がない。ただ鈍い光を湛えた銀の鎧があるだけだ。
その二人……アデリナとハロルドが対峙しているのは、鼻息も荒々しいミノスの暴牛。先ほど、アデリナの繰り出した【影】によって喉を締め付けられ、怒り心頭な様子だ。筋肉が盛り上がり、まさに暴力の権化となった雄牛は殺意を隠そうともしない。この純然たる殺意をまともに正面から受ければ、並の者なら失神してしまうような武威である。
その暴風雨のような存在の前に立っているアデリナとハロルドは、いくら怪異の身だからとて、あまりにも小さく見えた。事実、ミノスの暴牛の暴威に善悪の区別はなく、幾度となく魔獣たちも巻き添えになっていた。魔に属していたとしても、生半可な存在では太刀打ちすら敵わないだろう。
「大丈夫なんですの?」
この状況に思わず口を開いたのはモニカであった。側には守勢の状況を辛抱強く支えて来たフランクがいる。戦況について助言を求めるには最適の人物であっただろう。少なくとも、イケイケや脳筋の多い二番隊において、数少ない良識人であると睨んだモニカの判断力は正しい。二番隊全員を「尊敬すべき先輩であり、微力ながら力添えをしたい」と健気に頑張るキャロルの方が信じ難いほどに稀有で女神的な存在なだけである。
「召喚に応じたという事は、アーノルドさんに敗北したという事ですわよね?エリーさんと言うハンデを抱えたアーノルドさんに」
「そういう事になるな」
「もしミノスの暴牛がアーノルドさんやイザーク様相当の強さでなければ太刀打ちできないのであれば……」
荷が勝ち過ぎるのではないか、とモニカは思った。おそらくここにいる者の脳裏に、少なくとも一度はよぎったはずだ。
しかしながら、あの怪異に対して立ち向かえる存在は今の騎士団にはいない。
アーノルドはシャオとの戦いを制してエリーの元へ向かう最中だし、イザークはドットと対峙している。それ以外の者は、あの場に割り込めるほど余力はない。そもそも、体力が残っていたとしても、力添えになるかどうか怪しいものだが。
嘆きの乙女と首なしの騎士が怪異として、その辺の獣たちより上なのは明らかだったが、相手もまたミノスの暴牛なのである。
首なしの騎士は堂々たる体躯ではあるが、あくまで比較対象は人間であり、嘆きの乙女に至ってはか弱い女性とそう変わらない。その点、ミノスの暴牛は……化け物と言って差し支えないだろう。一つ目の大巨人より一回り大きく、筋骨については何レベルも上なのだ。
「ブ・オ・オ・オ・オ・オ・オ!!」
ミノスの暴牛が吠える。その嘶きは、これまでで最も長く大きく鋭かった。空気を震わせ、その武威が、遠くにいる騎士団の面々を硬直させるほどに。
その【雄叫び】をまともに正面で受けた嘆きの乙女と首なしの騎士は、次に移る必殺の行動【突進】を制止する事ができなかった。
ドンドンドンドンドンドン、と一歩踏み出すごとに大地が揺れる。おそらくエリーに対して、咄嗟に放った【突進】は不完全だったのだろう。獲物に瞬発的に飛びついただけで、ここまで腰を深く落とさず、渾身の力が込められたものではなかった。もしエリーが受けたのがこの【突進】だったら、今頃、彼女の体は四散していたに違いない。
「……………!!」
モニカが息を呑む。
その【突進】に対して、嘆きの乙女は影を繰り出し、ミノスの暴牛の前に盾を作った。複数に伸ばした【影】を器用に網のように交差させ、まるで牛を罠にかけるように。
だが牛を捕獲する網は無惨に蹴散らされた。捕えたと思ったのは一瞬で、次の瞬間にはブチブチと音が鳴り、そのまま【影】を破り抜いたのである。
「ブモオオオッ!!!」
突如現れた拘束を打ち破った悦びか、大きく声を上げて突進を再開する。その勢いを止める者は、もう存在しない。誰しもがそう思い、目を背けた。
「おい」
アデリナがここでようやく口を開く。目前まで迫った雄牛にではなく、背後にいる相棒に対して。
「お前の腕なら、この程度の拘束で十分だろう。きちんと仕留めるんだぞ」
その言葉が終わる前に、首なしの騎士が跳ぶ。巨体に対して、あまりにも身軽な跳躍であった。
これを見ていたフランクが、先のモニカの問いに対して、ようやく答える。
「さっき、首なしの騎士は、ハンデを抱えたアーノルドに敗北をしたと言ったね。……でもひとつ、勘違いをしている」
フランクは、絶体絶命の状況に目を背けていない。むしろ次に起こる事を予期しているようですらある。
「あの状況は、アーノルドにとってハンデじゃない。逆だ。高揚して、手が付けられない」
フランクは知っていた。
アーノルドは危地に陥るほど高揚し、何倍もの力を発揮する男だと。そしてこれまで見て来た中で、エリー・フォレストが絡んだ時ほど、アーノルドが力を発揮した事はない。
時に、その勢いは一番隊隊長イザーク・バッハシュタインを凌ぐほどに凄まじく、今また、神速の一撃を繰り出すほどに炎が激しく燃え上がる。
そんなアーノルドが、窮地に陥ったエリーをその手に取り戻し、共に戦うというシチュエーションで力を発揮しないはずがない。このアーノルドを前にして、互角に打ち合える人間がどれほどいるだろう。最大風速としては、国中見回しても、いないのではなかろうか。
「その状態のアーノルドと打ち合えた奴が、弱いはずがない」
エリー・フォレストと言う最強の強化効果を受けたアーノルドと渡り合える。それだけで一騎当千を名乗っても良い。
フランクの言葉を聞き終えたモニカが次に見たものは、天を駆ける銀色の甲冑だった。それ認めたミノスの暴牛が口を開く。
「ブ………」
己を鼓舞する為か、それとも驚愕の嘶きを叫ぶためか。だがその叫びが響き渡る事はなかった。
首なしの騎士の大剣がミノスの暴牛の首を正確無比に両断し、跳ね飛ばしたのである。
「御見事」
嘆きの乙女が言ったのはそれだけだった。
だがあの猛烈な【突進】に対し、ただの一歩すら後ろに引かなかった事実は、自分を護る騎士に対しての、圧倒的な信頼感を示していた。
彼女たちは【突進】を止められなかったのではない。止める必要など最初からなかったのだ。
轟音と共に沈む身体と、岩床に重い音を立てて落下するミノスの暴牛の首。
これをもって怪異同士の勝敗は決した。




