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2章第90話 戦いの果て

「【嘆きの乙女(バンシー)】!!! 【首なしの騎士(デュラハン)】!!!!」



おそらくエリーの声の意味が分かった者は、この場にアーノルドだけだっただろう。

彼女の祈りにも似た声が洞窟に響き渡るとほぼ同時に、魔獣たちが声の主目がけて飛びかかる。それは傍目には絶望的な光景に見えた。

ある者は目を背け、ある者は目を閉じる。誰しも次の光景を拒絶するように。


グシャッ!


次に響き渡ったのは、何かが砕けた音。それがエリーの身体から発せられたものだと、誰しも疑わなかった。哀れな肉塊が転がっている姿を誰もが想像した。


しかし、その想像は完全に裏切られる。

代わりに人々の目に飛び込んだのは、ふたつの怪異が悠然と立っている姿であった。


鈍い銀色の鎧を身に纏う堂々とした体躯をした騎士が剣を振るった格好で。

その背後で、蒼白い容貌と栗色の髪の毛を有した女性が怪異とは思えぬ凛とした姿勢で。

それぞれ、まるでエリーを守護するように立っていた。


その怪異は嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)

ミノスの暴牛(ミノタウロス)に続くレアな異形の突然の登場に、その場にいた全員が、恐れおののき近付けぬまま遠巻きに眺めている。

だが一人だけ、その怪異を恐れもせずに笑顔を浮かべる者がいた。


「……やっ……たぁ……」


二人の姿を認めたエリーは、今度こそ、ずるずると壁にもたれながら崩れ落ちていく。そんなエリーを見下ろしながら、嘆きの乙女(バンシー)が口を開く。


「そのまま寝ていろ」


首なしの騎士(デュラハン)の方は、しゃべれない代わりに行動で示した。深い踏み込みと、続けた斬撃が包囲する魔獣を一網打尽に蹴散らしたのである。ここまで見せつければ、もはや疑いはない。

嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)はエリーたちの味方であった。


「まったく、あれから何時(なんどき)だ?ゆっくり休ませてもくれないのか」


「いやぁ……だって……」


「だって?」


「私とは、お別れの挨拶してなかったじゃないですか」


それを聞いた嘆きの乙女(バンシー)は、ふっ、と感情が揺れたような表情をした。恐るべき怪異なのにもかかわらず、だ。


「そうだったな」


「ああ、でも」


エリーは薄く息を吐きながら、激痛に苛まれているであろう状態にもかかわらず、大輪のような笑顔を浮かべて言った。


「もうお別れはしなくて良いんだよね?」


それを聞いた嘆きの乙女(バンシー)は、もう嘆きの乙女(バンシー)の表情をしていなかった。一言で言えば……それはイザーク・バッハシュタインの言葉に集約されるだろう。


「ア……アデリナ、パラッシュ……?」


その表情は嘆きの乙女(バンシー)ではなく、アデリナであった。耳にかかる髪の毛を掻き上げる仕草も、周囲を警戒するような油断のない眼差しも。そして……


「ああ、そうだな」


と、弱者に掛ける、ぶっきらぼうな言葉と相反する優しい口調も、すべてイザークには見覚えが、聞き覚えがあった。


「おい、そこの二人!!ぼーっと突っ立ってねぇで、戦え!!」


割って入ったのはアーノルドであった。まぁ、控えめに言ってエモい雰囲気台無しである。


「うるさい!!お前こそ、何でこの子がこんなになってるんだ!全然、護れてないじゃないか!」


「こっちにも都合があるんだよ!」


「まったく情けない……おい、何を笑っている!?」


嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)に文句を言い、それを受けた首なしの騎士(デュラハン)は存在しないはずの首を(すく)める。


「あれは……ハロルド・マクニールか」


懐かしい光景が、老将の胸に去来する。数年前、幾度となく目の前で交わされていたやりとりが、再びこの目で繰り広げられていた。そう、夢にまで見た光景が。


(ヘコヘコとしている姿を見られて特定されるハロルドさんって、よほど生前、尻に敷かれていたんだな)


などとエリーは失礼な事を思ったが、幸い口にするほど本人の体力がなかった(おかげで「恩人に対して失礼極まる感想を抱いた不埒な女」という不名誉な称号を与えられずに済んだ)。


「あれは………」

「旧型だが……確かにイシュメイル王国騎士団の……」


中堅以上の騎士たちが、首なしの騎士(デュラハン)の鎧を見て、顔を見合わせた。かの鎧は、現在、支給されている鎧とは形状こそ違えども、確かにかつて自分たちが身に纏っていた鎧であった。そして、首なしの騎士(デュラハン)の持つ大剣を覚えている者も多かった。


「あの大剣は……九番隊に所属していた……」

「ハロルド・マクニール、ハロルドの大剣じゃないか」

「じゃあ、あの横にいる嘆きの乙女(バンシー)は……」


小さなさざめきが、徐々に広がり大きくなっていく。そのうねりは、場の雰囲気を理解した首なしの騎士(デュラハン)によって、最高潮に高められた。

首なしの騎士(デュラハン)が無言で、だが高々と、その大剣を天に突いたのである。


「おおおおおおっ!!!」


それだけで十分であった。その仕草だけで、首なしの騎士(デュラハン)は自分たちが味方であると証明し、騎士たちが大声でそれに応え、戦意を高揚させる。その喚声は襲撃者たちを怯ませるに十分な効果があった。


「まだじゃ!」


イザークが注意を喚起する。その喚声に対して、ミノスの暴牛(ミノタウロス)が息を吸い込み、【雄叫び】をもって対抗しようとしたのである。【突進】と並んで騎士たちを苦しめて来た【雄叫び】。この直撃を受ければ、せっかく高まってきた反撃の機運は、一気に萎えてしまうだろう。

だが、その【雄叫び】はミノスの暴牛(ミノタウロス)の喉から先に出る事はなかった。


「黙れ、牛」


嘆きの乙女(バンシー)から伸びた【影】が、シュルシュルとミノスの暴牛(ミノタウロス)の喉に巻きついたのである。突然、首を締め上げられたミノスの暴牛(ミノタウロス)が、苦悶の表情を浮かべながら地面に転がり、大暴れしながら、もがき苦しむ。


「そんなに聴きたければ、聴かせてあげるわ。ただしミノスの暴牛(ミノタウロス)の雑音ではなく、嘆きの乙女(バンシー)の歌声だけれど」


状態異常の範囲攻撃。

洞窟探索隊の編成で、もし欠けているものがあったとすれば、その要員だったかも知れない。一方でミノスの暴牛(ミノタウロス)の【雄叫び】は、騎士たちにかなりの苦戦を強いた。騎士団側がここまで押し込まれた要因のひとつとして、間違いなくこの部分の差があったのは否めない。

だが、この瞬間、立場は逆転する。

しかも今度の範囲攻撃は飛び切りのものだった。何せ嘆きの乙女(バンシー)の【叫び】である。


『アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』


放たれた【叫び】は味方にも少なからず影響を与える。だがそれ以上に、襲撃者と魔獣に対して効果を発揮していた。魔獣たちは根源的な恐怖に恐れをなし、鍛えられた襲撃者たちの戦意がみるみる萎えていく。

さすがにドットやシャオらほどの手練れとなれば、射程から逃れたり、強い精神攻撃への耐性で凌いでみせるが、大半の襲撃者たちは変調をきたしていた。


「味方ごと薙ぎ倒して良いのなら、もっと凄いのだけれど」


歌い上げた後、涼しい顔で言い放つ嘆きの乙女(バンシー)。いや、その表情に嘆きの色はなく、アデリナと呼んで差し支えないだろう。また目標を限定して指向性を重視した歌声は、器用なアデリナならではの業であった。


「アデリナ……パラッシュか……」


イザーク以外に、その言葉を呟く者がこの場に一人いた。

ドット・スラッファ……かつてアデリナの上司であった人物である。その声に、アデリナは正面から見据えて一礼をした。


「お久しぶりです、隊長。いえ、元隊長」


丁寧な言葉だが、その瞳が赤く輝く。その爛々と輝く双眸は、怒りとも恨みとも言えぬ輝くを放っている。


「アデリナ・パラッシュか。息災……ではないな」


ドットはアデリナを労わるような声で、相手の心に寄り添うような言葉を紡ぐ。


「儂は心を痛めていたよ。元隊長と言ったが……実際、儂はその責を取り辞任した。前途有望な若者を失った事実に儂は耐え切れなかった。…許してくれとは言わぬ。恨まれて当然であろう。だが、ただひとつ……儂はお前たちの事を忘れた事は一日たりともない事だけは、信じてくれぬか…?」


なっ……と絶句したのはキャロルである。何をいけしゃあしゃあと、歪んだ事実を告げるのだろう。そして確かにアデリナもハロルドも、ここで暴露したドットの真実については知らない。あの声音に、かつての尊敬すべき上司からの謝罪に、心動かされる可能性は大であった。


「ドット隊長………」


アデリナの目が細くなる。


「私もこの暗く冷たい洞窟で徘徊している時、あなたの事を考えていました」


「アデリナ………」


ドットが手を広げてアデリナに、抱擁のポーズで近付く。怪異を前にして、偽りでも無防備な態勢を取る胆力にキャロルのみならず周囲は驚きを隠せない。そしてその胆力は、怪異をも騙しこもうとしていた。


「待って………」


キャロルが手を伸ばし、口を開いた刹那であった。


『その節ハ、大変お世話になりましタ』


アデリナの言葉が濁る。エリーを害している時の、あのざらついた、闇の奥深くから響くような声。続けて影が数本伸びてドットに襲い掛かる。


「…………!!」


ドットはあの無防備な態勢から背後へと回避運動を繰り出し、その攻撃を避けた。


「アデリナ、やはり恨みは深いのか。だがあの時は……」


『アりがたい事に、考えル時間はたくさんアりましタよ。どうしテ私たちガこうなっタのかを』


「………っ」


そう言い終えると激昂した気持ちを抑えるかのように、大きく息を吐いて告げる。


「ずっと考えていた。そして今の状況を見てもなお、察せぬと思われていたら……ずいぶんと見くびられたものですね」


口調が元に戻っている。だが発せられた言葉には嫌悪感が多分に含まれていた。


「ほっほ、気が付いていたか」


「ええ。気が付かなかった過去の私を、折檻してやりたいものです。そして、殺意の衝動に負けて、あと一歩、踏み出すのを待てなかった今の私も懲罰ものだ」


「左様、左様。確実に儂を殺すのであったら、せめて半歩は我慢せねばならんかったの」


「ご忠告、痛み入る」


そう返事をした後、アデリナは臨戦態勢になった。背後に影を揺らめかせながら殺意を隠そうともしない。


嘆きの乙女(バンシー)は、ドットさんが黒幕だと察しているみたいね)


さすが、徒手空拳で深層を生き延びた力量の持ち主である。頭の回転が早く、見極めの精度が高い、とキャロルは舌を巻いた。生前のアデリナは当事者であり、より何か感ずるものはあったのかもしれないが、少ない情報量の中でドットに疑惑の視線を向けるという発想は驚嘆するべきものだ。


(さすが、九番隊に所属していただけの事はある)


本人の頭の回転はもちろん、諜報や情報収集を得意とする九番隊に属していた経験が活かされている。その時の見識は今なお健在で……


「はぁ!?何がどうなっているのか分からないだと!?お前、洞窟を徘徊していた間、何を考えていたんだ!?つまりだ、私たちは隊長に嵌められてだな…………ああ、そうだ、それも伏線で……」


嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)に説教と解説を始めた。……まぁ、個人差が多少あるのはやむを得まい。向き不向きもあるだろう。


「いずれにせよ」


気を取り直したアデリナがそう言うと、ハロルドが構える。まさに不離一体の構えを見せつけると、その威容に襲撃者たちがたちまち戦意を失っていく。そう、この場にいる、誰もが風向きが変わったと気が付いていた。ならばアデリナとしては、それに乗らない手はない。敢えて誰もが聞こえるように言い切った。


「エリー・フォレストを痛めつけたお礼は私たちからさせてもらうわ」


その言葉は嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)が、騎士側に付く事を意味していた。

つい先刻からの状況は一変し、勝利の天秤は大きく逆側に傾いた瞬間だった。


◇◇◇


嘆きの乙女(バンシー)の宣言を聞き、騎士たちが歓喜する中で唯一、その言葉に強烈な反感を覚えた者がいる。

エリー・フォレスト本人であった。


(こ、この女、自分の事を棚に上げやがった)


なんという事であろう、ちょっと待って欲しい。

確かに爺の罠に嵌められて落石の直撃を受けるわ、足にナイフをぶっ刺されるわ、そのままえぐられた挙句に牛野郎の突進を直撃されるわ、そりゃもう酷い目に遭わされた。

だが、だが、ちょっと待って欲しい!


(そこに至るまでに、散々拷問したの、おめーだろうがよー!)


それをなんだ、危機に駆けつけたヒロインみたいな感じで受け入れられやがって。皆さーーん、騙されちゃいけませんよ!こいつ、私を嬲り殺しにしようとした悪党です!!


「この娘に降りかかった災難の元凶を、ここで始末する」


駄目だ。この嘆きの乙女(バンシー)、完全犯罪を成し遂げるつもりだ。すべての罪を爺に擦り付けて、自分の悪行をなかった事にするつもり満々だぞ。

くそ、おめーに殴られた顔面……は、落石の一撃で上書きされてるな……左肩……も同じく……

そうだ、右足!!あの【影】に潰された右足は……くっ、さっきのナイフでえぐられた方が痛々しくて相殺されてるじゃねーか。

そうだ、見てください、この爪!こいつが剥がしたんですよ!一本一本、念入りに剥がして……


「可哀想に、爪まで剥がされて……」


てめえええええええええええええええ!!!おめぇが剥がしたんだろうがよおおおおおおおお!!負傷した傷の大半はお前に付けられてんだよ!!

うぎっ……痛い痛い!!……うわああん、叫びたいのに痛いのと体力切れで口が開かないよお。誰か私の想いを受け止めてくれ!


「娘……」


お、どうした、どうした。私に顔を近づけて、謝罪でもするつもりか?


「私からの責めに致命傷はひとつもなかったはずだ。命を奪っては拷問できなくなるからな」


この野郎おおおおおお!!そりゃ致命傷はなかったかも知んねぇけど、すっごい痛いだろうが!!


「痛くない拷問などあるものか。生と死の間、覚醒と失神、正気と発狂のギリギリを責めなくては、相手の心をへし折る事などできはしない」


最低だ、この嘆きの乙女(バンシー)。確信犯だぞ。しかもこいつに負わされたほとんどの怪我が、爺や牛野郎の攻撃で上書きされて証拠が残ってねぇ。すごい。本当に完全犯罪だ。


「完全ではあるまい。何せ当事者が生き残っているのだからな」


アデリナさんが私の方をねめつけて来た。あれ?もしかして私が死ぬ事で完全犯罪が成立しちゃうのかな?


「……………」


「……………………」


「…………………………」


しばしの沈黙の後、私は彼女にこう言った。


「お願い……します………」


「任せろ」


怪異に屈服した瞬間だった。くそう、悔しい。でもさ!ここでそう言わないと、どさくさに紛れて私、殺されてたかも知んないじゃん!!


「聞いたか!?嘆きの乙女(バンシー)が仇討するぞ!」

「いや、嘆きの乙女(バンシー)じゃない、アデリナと呼ぶべきじゃないのか?」

「何て感動的な場面なんだ…」

「人間と怪異にも友情は成立するんだな…」

「とにかく、聖女の遺志は引き継がれた!」


何も知らねぇ騎士(ばか)どもが叫んでる。全然感動的じゃないよ!むしろ脅迫だよ、脅迫。友情もへったくれもない、圧倒的な捕食関係だよ。それと最後の奴、私を故人にするんじゃない。死んでないからな。

ちょっとイザークの爺さん、騎士団の長として何か言ってやってくんないかな。


「…アデリナ……」


駄目だ、涙ぐんで感傷に浸ってやがる。使えねぇ爺だな。ぐすっ、とか鼻水をすする音まで聞こえてきて、もう憤死ものだよ。悲劇のヒロインの帰還みたいな扱いしてんじゃねぇっつうの。

むしろ現在進行形で死へまっしぐらの私を誰か労わってくんないかね。みんな、目の当たりにした劇的な召喚成功と、それに伴う反撃の機運が高まり過ぎて、そのきっかけを作った私の事を忘れてる節があるんですが。

へへーん、もういいですよ。こうなったら地面にぶっ倒れてやる。

意識を失って戦線離脱してやるから、せいぜい私を介抱するがいいのだ。


「そうだ、念のためなのだが」


はい?


「召喚されている間、お前の魔力は消費され続けているからな。気を失ったら供給が途絶えるかもしれないから、戦いが終わるまでは意識を保っていてもらいたい」


生き地獄!生き地獄じゃねぇか!!最後の力を振り絞ったんだぞ、こっちは!!おめーも、さっき寝てろっつったじゃん!


「寝てろとは言ったが、眠って良いとは言ってない」


覚えてろよ、この野郎。今度こそ顔面にぐーぱんちをかましてやる。


「………………」


ガチャン、と音を立てながら、アデリナさんの代わりに首なしの騎士(デュラハン)のハロルドさんが、私の前で膝を付く。

そしておもむろに………親指を立てた。それだけ、そう、それだけだった。


『がんばれ』


彼が笑顔でそう言っているように見えた。

そんな彼を見て、私はこう思った。


何の解決にもなってねぇんだよ、本当に役に立たねぇな、このポンコツ。


◇◇◇


「いいんですか?向こうは盛り上がってますけど」


アーノルドと対峙しているシャオは笑顔を顔に貼り付けながら質問を飛ばす。アーノルドはその言葉にこう答えた。


「やるべき事をやっているだけだ。俺はそう教えた」


問いを一刀両断し、代わりにこっちから問いかける。


「それよりも移動は諦めたのか?今ならエリーに刃を突き立てる絶好の機会だろうに」


アーノルドの問いかけにシャオは答えぬ。エリーの側には嘆きの乙女(バンシー)首なしの騎士(デュラハン)が控えているものの、まだシャオの存在を認知していない。もし今、シャオが次元を横断してエリーの下に向かえば、彼女に致命傷を与える事が可能性は高い。しかしシャオはそれをしない。


「しないんじゃない。できないんだな?」


アーノルドの斬撃は、口での追求と比例して、より精度を増していく。シャオは笑顔を絶やさないものの、その足さばきに余裕はない。


「くっ…!」


かろうじて斬撃をかわして地中へと潜りこみ、すぐさま別の場所から顔を出し反撃を試みるものの…


「移動する場所が限られているようだな」


とアーノルドは難なく回避する。


「それよりもいいのか?」


「なにがです?」


「今、斬りつけた際に出来た、脇の剣跡がないぞ」


「……………!」


思わず脇腹を見るシャオ。アーノルドはトントンと剣を肩に担ぎながら、それでも隙なく続けていく。


「図星のようだな」


「………どうやら種明かしはする必要なさそうですね。いつから気が付いたんですか?」


「あれだけ追いかけっこしていたら、嫌でも法則に気が付く」


「なるほど。今までは苦戦する前に相手を屠れたのですがね」


ずずずず、とシャオが立つ別の場所から影が盛り上がっていく。その影がやがて人の形となり……そのままシャオと背格好も瓜二つの存在となって具現化された。


「……最初から次元など移動をしていなかった。二人いたんだな」


「ええ。種明かししてしまえば、何と言う事はないですね」


「移動範囲も影から影に移動するのが関の山。はるか遠くに移動する事などできない。相手の裏を取るくらいならば出来るだろうし、俺とエリーが近くにいるのならば怪しまれずにどちらもターゲットにできただろうが…」


途中からエリーとアーノルドは離れてしまった。次元を自由に行き来できるわけではないシャオは、どちらかをターゲットにせざるを得ない。途中まではエリーと交互に狙う事で牽制できたのだが、あまりにバリエーションの少ない攻撃に怪しまれ、エリーが逃げ惑うたびに移動を余儀なくされ、挙句に遠くまで吹っ飛ばされてしまったのなら、もう追跡は不可能である。


「基本的に闇の中に潜るだけの能力ですからね。せいぜい身を隠すのが精一杯。せめて自由に移動できるのであれば良いのですが、自由自在どころかその場を移動するだけでも一苦労と言う、ハズレ能力ですよ。

兄弟そろって(・・・・・・)ね」


「……それを見事な連携技にまで昇華したものだ」


掛け値なしで褒めるアーノルド。ただ闇の中に潜む魔法。場所が特定されてしまえば、何の事はない、ただ闇の中に追い詰められるだけの魔法。ネタさえ割れてしまえば、モグラ叩きのように叩かれるのを待つだけの、使い勝手の悪い魔法。それを二人は連携する事で次元を移動できるように錯覚させ、自由自在に空間を闊歩できると思わせていたのだ。


「さすがですね。いつから見破っていたのですか?」


「見破ってねぇよ」


「「え?」」


二人のシャオが同時に声を出してしまう。アーノルドは目を丸くした二人に対して告白する。


「ただお前が、いやお前らが嫌がっていた事をしただけだ。そうか、二人いたのか、って感心したのは、ついさっきだ。もしそんな種が最初から分かってりゃあ、もっと他にやりようがあったさ。しかし二人程度に苦戦するとは俺も腕が鈍ったもんだな」


悪びれもせずに言い放つアーノルドに、二人は半ば呆れ半ば恨みがましく言う。


「ネタはバレていなかったのですね。だったら…」

「もう少し僕らもやりようがあったのに」


「悪かったな。俺の事を買い被り過ぎだ」


「しかし」

「まさか思わなかった」


「なにがだ」


「あのお嬢さんを囮にするとは」

「あなたにとって手中の珠だと思ったのですがね」


アーノルドにとって、その言葉は逆鱗だったかも知れない。少なくとも禁句だっただろう。声のトーンがひとつ、いや、ふたつほど下げた言葉がアーノルドから発せされる。


「目で制された。お前はお前の役割を全うしろとな」


アーノルドはキャロルに言った。「エリーから目を離すな」と。

それはエリーの心身の衰弱を注視する以上に、あの少女が土壇場で何かをしでかす危険性を考慮したからだ。

そして結果として戦況は好転した………エリーを犠牲にして。


「なら、俺は俺の責任を果たすまでだ」


最初はあんな出来の悪い生徒はいないと思った。最初に魔獣の洞窟に挑んだ時、洞窟での心構えを教えているというのに上の空、さっさと帰宅したいという気持ちが態度に現れていた。

だが洞窟で遭難した時、エリーはアーノルドの言葉を忠実に守っていた。


「諦めるな、最後まで足掻け、自分が出来る事を最後までやり通せ」


最初の探索では最後まで足掻きつづけてアーノルドの救援に間に合った。そして今回は自分のやるべき事を、これでもかとやり通した。不肖の後輩は、実はとても優等生だった。


(ドット・スラッファが言っていた事で、ひとつだけ今でも心に引っかかる言葉がある)


偏屈で感性の曲がっていると半ば茶化された時だったが、同時に言われた言葉に今も心に残っている。嗚呼、まったくその通りかも知れない。あの言葉が正しいのだと、自分の魂が首肯している。


「まったく可愛い後輩を持ったもんだよ、俺は!」


アーノルドが叫ぶ。その剣を握る手が血に染まり、唇が切れているのを見て、二人のシャオは理解した。

この男は囮にする事を是としていた訳ではないのだと。

アーノルドはエリーに制せられ、自分を律して距離を取ったのだ。一刻も早く駆けつけたい想いを封じ込め、歯を食いしばり唇を噛み、血が滲むくらいに強く、強く、柄が壊れんばかりに拳を握りしめながら。


(避ける!!)


これまでならば回避できていたであろうタイミングだった。しかしアーノルドの動きはこれまでのどれとも違う。それを一言で言うならば、陳腐であるが「(はや)い」である。

あまりにも速すぎた。

振り上げる剣だけでなく、足捌きまでも炎を纏い、尋常ならざる速度で炎が叩きつけられる。まさに神速の一撃が炸裂した。


「あー……」


虚ろな意識の中、エリーの視界に鮮やかな赤が映る。口端が軽く歪むと、ふへへという呼吸音とも笑い声とも取れぬ息が漏れ、ずるずると態勢が崩れ落ちる中、誰にも聞こえないくらい微かな声で呟いた。


「最初から……それ、やれってんです……よぅ……」


―― 長い長い追いかけっこは、鬼の勝利をもってついに終焉を迎えた。


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