第78話 闇を抜けて
「無理ね、死ぬわよ」
「がーん」
これは洞窟を撤退中のエリー・フォレストとキャロル・ワインバーグのやりとりである。
エリーは、このままだと騎士たちに付与している神聖魔法の効果が切れてしまう事を懸念して、改めて全員に重ね掛けしたいと申し出たのだが、その提案は却下された。
「少しは自分の体を把握してちょうだい。貴女は要救護者で、下手をすれば頭部に致命的な負傷を抱えているかも知れないの。この部隊で群を抜いてダメージを負っているのは貴女なのよ」
「でも、ほら、みんなが助からないと意味がないっていうか」
「みんなって、ここにいる全員に魔法かけるの?数人単位ならまだしも、そんな事……」
「分断される前にやったから、きっと今回も大丈夫だよー」
「もうやったの!?」
驚きの声を上げて、思わずD組の仲間たちを見返してしまうが、彼らは静かにうなずくだけだった。それを見たキャロルは、エリーの言葉が真実だと理解し深いため息をつく。
「………呆れた。この人数全員に加護を付与するなんて。それだけで魔力枯渇してもおかしくないのに」
「ふふふ、たいしたものでしょう?」
「だからって、許可されると思わないでね。今の貴女の状態で魔力枯渇なんて起きたら、命にかかわるわ。それでなくても失血が酷いの。無理をして、これ以上の大量出血なんてしたら、それこそ死んじゃうもの」
特に状態が酷く、ぐっちゃぐちゃになっている左腕と右足の状態を見て、キャロルは痛ましさに眉根をひそめる。これから治癒の魔法を目一杯使って機能が回復したとしても、前と同じか、それ以上にリハビリをしなければならないだろう。
(痛ましい)
キャロルはそう思うのだが、当のエリーは事をそれほど深刻に思っていないようで「うー」とか「あー」とか不満たらたらのようだ。だがやがて観念したように息を吐くと
「わかった。おとなしくしとく」
と宣言して目を瞑った。観念したのではなく、疲労と痛みが限界に達したのかも知れない。その仕草に好ましく思いながら、なるべく静かに声を立てず同級生たちにお願いをする。
「寝ちゃったら起こさないように、静かに動かしましょう。特に頭には気を付けて」
「ああ。ここまで頑張ったんだ。ゆっくり休んでもらおう」
「賛成ね。グレンさんは声が大きいのだから、一層、お気を付けあそばせ」
「……………っ!」
口をつぐんで親指を立てて力一杯「了解!」と返事をするグレン。やがてすやすやと、寝息を立てるエリーを微笑んで見守る。
「………痛そうだな」
紫色に腫れ上がった顔の左側を見て、口惜しそうに言うグレン。止血してもなお、包帯に血が滲む頭部が痛ましい。キャロルが創出した綺麗な水で傷口を洗いながら、左手の甲にも添え木をして包帯を巻いていく。爪も剥げ、骨も折れた指は、こちらも紫色に変色していた。それを丁寧に丁寧に、手当てをしていく。その見事な手さばきに、一同は感心してしまう。
「キャロルさんは、前から看護技術を?」
医療教科書のお手本のようなキャロルの技術を見て、モニカは思わず聞いてしまう。少なくとも学校では、そのような教科はなかったはずだ。
「いいえ。でも私に出来る事は限られているから、せめて出来る事は全部しようと思って。月魔法は使えないけれど、応急処置ならできるでしょう?」
「十分すぎるね」
ケイジに至っては感心というより呆れてしまう。
「ただでさえ優秀な人物が、さらに高みを目指して色んなものを吸収して学んでいるんだ。そりゃあ凡人の僕らでは相手にならないよ」
「凡人?それは私の事でしょう」
「は?ここにいる誰一人、貴女を凡人だなんて思っていませんわ。むしろ頼りにされているの、分かっていなくて?」
モニカが指をキャロルに突き付けながら強い口調で異論を挟む。
「いいこと?貴女は自分の価値が分かっていないのですわ。もし最初から貴女がここにいれば、どれだけ助かった事か!謙遜は美徳、劣等感は成長に繋がる感情ですが、度が過ぎれば害となる事、ご自覚あそばせ」
思わぬ高評価にキャロルは目を丸くする。すると、膝の上で先ほどまで呻いていたエリーが目を閉じたまま微笑みを浮かべて呟く。
「……だから、言ったじゃん………いいん…ちょは……って……」
「エリーさん?」
「ムニャ……」
寝言である。その寝言は上手く聞き取れなかったので、改めて耳を澄ませてみる。
「……いいんちょ……は……すごいんだって……頑張り……屋さんで……世界一の……」
エリーは夢の中で、キャロルを絶賛している。ほほえみと共に発せられる、この無意識の言葉の数々は、飾り気がない分、キャロルの心に刺さった。そしてエリーは
「いいんちょ……ありがと」
と、穏やかな口調で優しい寝言を言い終えると、再び寝息を立ててまどろみに落ちていった。そんな彼女を、キャロルは目尻に涙を溜めながら丁寧に撫でる。嬉しさに声が出ない。もしここに誰もおらず、エリーが怪我をしていなければ、強く抱き締めてしまっただろう。
「まさかエリーさんに、ここまで言われておいてなお、自分を卑下し続けるつもりかしら?であれば、わたくしは貴女を軽蔑いたします」
モニカは髪をかきあげながら言い放ち、それに対してキャロルは涙ぐみながら、しっかりと首を振って否定した。
「……まだ私は実力があるとは思っていないわ。でも、エリーさんの信頼に応えられるよう、努力するつもり。この子の中にある委員長像を壊したくないもの」
「それで結構」
最初からそう言えばいいのよ、とそっぽを向くモニカであったが、目ざとくそれを見たケイジは悪戯心を刺激されたか、ニヤニヤと笑って茶々を入れる。
「素直じゃないですね、モニカさん。自分が見込んだ人が落ち込んでいるのを勇気づけたいなら、そう言えばいいでしょう」
「はぁ!?何を仰いますの?これは……そ、そうですわね。己の力を見誤っている迷える子羊を導いただけですわ。人々を率いる貴族としての責務というものでしょう?」
上手く答えたつもりのモニカだったが、この返事に対してグレンが「ほう!」と感心して膝を打つ。
「なるほど!モニカは、自分が惚れ込んだ者を奮い立たせたのだな!確かにエリーに対しても、委員長に対しても、言葉は厳しいが愛情にあふれている!突き放しているようで、実はこうあるべきだと諭しているところも感心するが……もう少し言葉を選ぶことで、相手に真意がより伝わると思うぞ!!」
「ばっ………!」
馬っ鹿じゃないの!?と、大貴族のご令嬢らしからぬ言葉を思わず発してしまうモニカ。下々の者の邪推には付き合ってられない、と怒りの台詞を口にするのだが、真っ赤になってアワアワしているので、説得力は皆無であった。さらにはグレンが「はっはっは!」と笑って取り合わないので効果ゼロである。
そんなやり取りを聞きながら、心底、キャロルはこのメンバーと同じクラスになれて良かったと思う。学校に来るまでは本が友達で、家族にすら心配されるような自分が、無垢な信頼や、忌憚のない意見をぶつけてくれる仲間と巡り合えるとは、半年ほど前には想像すらしていなかったのに。
そんなキャロルが彼らを見つめる瞳は優しく、つい先ほど、彼らを「3D(Dirty、Dusty、Drunker)」と罵ったのと同一人物とは思えない。
「ありがとうって言いたいのは私の方よ、エリー」
キャロルが感謝の言葉を呟いたと同時に、目を閉じたままのエリーが、にっこりと笑ったように見えた。そして何かをしゃべるように、口をパクパクと開閉させる。
「なに、かしら?」
同級生全員が耳を寄せ、その言葉を聞き洩らさぬよう、注視する。そんな中、エリーは絶え絶えではあるが、ゆっくりと、だがはっきりと口にした。
「うふふ……アーノルド、さん……また……べろちゅー……しよ……今度は……もっと……長……」
最後はぐふふうへへ、と聞き取れなくなったが、まぁ、だいたいの大意を把握した4名の思考が停止した。
そして誰よりも早く行動を起こしたのはキャロルである。
「不純異性交遊は校則違反です!!事情を、事情を説明しなさい!!」
うへぇ、とにやけたまま眠るエリーを起こすべく、がっくんがっくんと体を揺らす。さっきまで頭を動かすなと注意していたのと同一人物とは思えない。
「キャロルさん、気持ちは分かりますが、もう少し抑えて……」
「みんなも聞いたでしょう?「また」とか「今度は」という事は、つまりそういう事ですよね!?」
「……それは思っていても言わないお約束…」
「つまり俺たちの知らない間に、エリーとアーノルドさんの仲が進展して、少なくとも接吻を交わすまでに至ったという事だ!」
「言いきりやがったですわ!」
「グレン……それは正しい物の見方だと思うけど、今は言うべきじゃないかな……」
「そうですよね!?ちょっとエリーさん!エリーさん!?」
たちまち大混乱である。とどめとばかりにエリーが悩ましげに、だがどこか嬉しそうに
「ああン……そんな大きいの……口に入れて掻き回さないでよぉ……仕返しに……うふふ、舐めちゃうんだからぁ…」
と、割とはっきり言った。それも舌なめずりしながら。
次の瞬間、キャロルは眩暈を起こしたように天を仰ぎ、グレンは首を傾げてそれを支え、ケイジとモニカは「ああ、結局こうなるのか」と首を振って3人のフォローに回った。
「おーい、お前ら、行くぞ!!」
そんな無駄な労力を費やす学生たちのやりとりは、ピエールが呆れ果てながら注意を促すまで続いたのだった。
◇◇◇
アーノルドら騎士団の先遣隊は、早々に6層まで到達していた。
これまで3層までが活動限界だと言われてきた魔獣の洞窟である。いくら往路で拠点を確保しながら進んでいたとは言え、このスピードでの退路確保は驚異的であった。
それを実現している要因はいくつかあるが、先陣を進むアーノルドの近接戦闘と、それを補佐するドットの遠距離攻撃、そして騎士団全員に付与されている加護の力は無視できないだろう。
特に騎士たちは、伝説とも言える元九番隊隊長・ドットの妙技を目の前で見て感動しきりで、自由自在に投げては手元に戻る投擲暗具は芸術的であった。その手の道具に通じているケイジ曰く「クナイ」という東方文化の武具と酷似しているらしい。
また、その投擲技術もさておき、右に左に変化させて相手の急所に命中させるのは風魔法の補助だろう。これらの組み合わせで、ドットは加護なしでも十分に魔獣たちと渡り合えていた。
「さすがです、ドット様。素晴らしい技と魔法ですね」
「また九番隊に戻ってくれるんですか?」
などなど、騎士たちは興奮気味に語りかけて来るが、当のドットは驕りどころか感情を動かされた様子もなく
「なに、おぬしらが儂に魔獣たちを近寄らせんと体を張っているからこそよ。一時的にはどうにでもなろうが、儂一人では何もできんでな」
カカカ、と笑い飛ばし、
「それに今更、この老体が戻ったところで今の隊長であるサロモンに煙たがられるじゃろ。そもそもそんな軽口がサロモンの耳に入れば、おぬしら降格するぞい」
と、おどけて脅してみせると、騎士たちはハッとして顔を引き締めて直立不動で答える。
「配慮が足りませんでした!ですので、サロモン隊長にはこの事は内密に……!」
「申し訳ありませんでしたぁ!!」
豹変ぶりと必死さにドットは驚き、アーノルドを見やる。
「………サロモンの奴、何をしたらここまで恐れられるのかの」
「噂話ではありますが、心当たりはないわけではありません」
ふむ、とドットは思案顔になり、だいたいの予測はついたようで深くは突っ込まなかった。賢明な判断だと言えるだろう。一方でアーノルドが剣を振るいつつも、眼前の敵を見ていないような雰囲気を漂わせており、それが不思議であった。
「何を考えておる?心ここにあらずというほどでもないが、別の事を考えておるじゃろう?」
「そうですね。やっぱり俺は……」
「ん?」
「エリーに好意を寄せられるような人物ではないと思います」
ドットはさらに驚いた。目の前の騎士は、とっくの昔に終わったと思っていた話題について、いまだに考えて込んでいたのだ。
「エリーが俺を許している事は、本人からも聞いているので間違いないと思ってます。だが、それと自分のしでかした言動がなくなるかというと、そうじゃない」
「初対面で剣を突き付けたという、アレか」
「はい」
「生真面目じゃのう。まぁ、お前さんはそれでよかろう。じゃが、あの娘が抱いている好意はどうする?」
「…………………」
「それとじゃ。お前の「本心」はどうなんじゃ?一生、懲罰と言う名の蓋で閉じ込めておくつもりか。想像してみよ。あの娘は容姿も良く気立ても良い。お前にフラれたとしても、どこぞの貴族の養女ともなれば、縁談にも恵まれよう。やがてお前以外の者と結ばれるに相違ない。その報告は、一度縁を持ったおぬしの耳にいちいち届くであろう。それに耐えられるのかね?」
その言葉が終わらないうちに、アーノルドの剣からは「ぶわん」と過剰な炎の斬撃が巻き起こり、危うく味方にまで及びかけた。
「おい!アーノルド!!」
「すんません!」
騎士たちの抗議の声に、平身低頭するアーノルド。動揺は明らかだった。
「……動揺が剣に出るのは感心できんの」
「すみません」
素直に謝るアーノルド。以前の彼ならば、ここでも「そんな事はない」と否定していたところだろうが、精神的に柔らかくなったのか、それとも弱くなったのかは分からない。ただ先輩であるクリフォードや義姉のノエリアたちは好ましい変化だと捉えているようだ。側で戦っている先輩騎士たちからしてみれば、丸焦げになるのは勘弁して欲しいところだが。
「それでおぬしはどうしたい?今、考えている事が、お前の本心だと思うがね」
騎士団としても、人生としても先達のドットがにやりと笑って忠告する。アーノルドは「今の、俺が考えている事…」と思案顔になると、ぽつりとつぶやく。
「口にしたら、皆は怒るだろうから、言えません」
「ははは、拒絶もまたひとつの答え。それとも不埒な事を考えているのかね?どれ、言うてみい」
「俺は………」
迷った挙句、アーノルドはゆっくりと己の内なる心を吐露し始める。
「俺は………やはりエリーの好意を受け入れる覚悟がまだできていません。剣を突き付けた件を抜きにしても、俺は一度、ノエリア義姉さんに剣と忠誠を捧げ、生涯守り通す誓いを立てました。それを反故にするわけにはいかない。ただ……」
「ただ?」
「あいつが他の男と仲良くするのも嫌です」
「お、おう?」
「エリーには、ノエリア義姉さんとの関係を理解してもらった上で俺に対して好意を抱き続けてもらい、目移りする事のない純真な愛情を俺に注いで欲しい。俺はその気持ちを独占し、ずっと手元に留め、お互いに付かず離れず、今の関係を生涯続けていければと思っています」
「「「おまえ、女を何だと思ってんだ!!!」」」
次の瞬間、ドットだけでなく、聞き耳を立てていた他の騎士たちからも壮絶にツッコまれた。
「だから言ったでしょう!怒るだろうって!!」
「まさかそんな最低な発言が出て来るとは思ってなかったからな!」
「エリーちゃんが可哀想だろうが!!」
「鬼か、てめーは」
「このシスコン野郎!!」
「エリーちゃんには、もうこんな奴、捨ててしまえと忠告しておくからな!」
大ブーイングである。
まぁ、こんなにも堂々と「お前、俺の都合のいい女になれよ」と同義の返事をするアーノルドが悪いのだが。
「………素直な気持ちをそのまま表現するのが最善手ではないからの」
ドットも上手くフォローができず、一般論に終始した。
一連の台詞をエリーが耳にしたら、
「この野郎!一生思い続けるとか、都合の良い女を求めてんじゃねーぞ!お前はどっかの進撃する巨人の主人公か!最低だよ!」
とぐるぐる巻きの包帯を地面に叩きつけてプンプンしていただろう。それとも初めてといえば初めての好意(と言えるかどうかは微妙だが)を聞いて顔を赤らめるだろうか(それもそれでどうかと思うが)。
「くっ、だから言いたくなかったのに」
一応、アーノルドもそういう事を言ったらダメだという事は理解していたらしい。これまで口を開くたびに最悪の事態を引き起こしてきたアーノルドを考えれば、多少なりとも成長しているようだ。
「ま、とにかくじゃな」
気を取り直してドットが前方を見やって呟く。
「どうやら助かったらしいの」
前方からは明らかに騎士団たる面々が、松明を掲げてやってきていた。
「みんな!!」
その先頭にいる騎士が声を上げた。
聞き覚えのある声に、アーノルドの周囲から喜びの歓声が上がる。
苦闘の末、半ば遭難した先遣部隊は、ついにフランク率いる救助隊の第2陣と合流するのに成功したのだった。




