第71話 蓋し聖女か
「エリー・フォレストは勝者となった。※付きだが」
後日、アーノルド・ウィッシャートはそう語った。その表情は憮然とも感心とも諦めの境地だったとも伝えられるが、よくもまぁ、あの流れから決行したものである。
一方で完璧なタイミングで、完璧な目潰しを決行したエリーは白けた空気に不満たらたらだった。
「なんでこんな雰囲気になるんですかね?作戦ですよ、作戦。敗色濃厚だった女の子が、化け物みたいな奴に対して知恵と度胸と美貌を駆使して逆転勝ちを収めたってのに、何がそんなに不満なんですか」
「美貌は駆使してないだろ」
どさくさに紛れて変な要素を追加した点について言及した後、怪異二人に視線を移すアーノルド。目を押さえてうずくまる嘆きの乙女を労わるように肩に手をやる首なしの騎士。その光景はまるで騎士と姫君のようで、どう考えてもこっちが正義側である。
「知ってます?目潰しって、人差し指と中指で、こう、おりゃーって突き刺しても意外と狙いが外れるんですよ?だから相手の顔を手のひらで覆うように抑えて、中指を鼻筋に沿って上にスライドさせると……あら不思議、何と人差し指と薬指が自動的に両目をえぐってくれるわけです」
「なんでそんな事を知ってんだ、お前は」
「生活の知恵ですね」
「お前の日常生活、サバイバルだな!」
目潰しが必須科目の日常生活とは恐れ入る。しかしながら、確かにあの劣勢の中で卑怯卑劣と謗られようとも、神聖魔法なしで嘆きの乙女に膝をつかせたのは事実である。
「まったく恐れ入るぜ。お前の生き汚なさにはな」
「それ、褒めてます?」
「最高の褒め言葉のつもりだが」
「だったら先輩は一生、女の人にはモテませんね」
そう答えるエリーが、ふへへと笑った。その顔は左瞼は腫れ上がって潰れてるわ、鼻血は出てるわ、口は切れてるわ、女の子が負う怪我としては目を背けたくなるような状態である。それでもアーノルドの価値観からすれば、濃い化粧を施してギラギラとした宝石で着飾り、他者の陰口を叩き合って笑う宮廷の御婦人方に比べて、何と眩しい事かと思う。
「さて、私の大勝利で終わった決闘ですが……」
エリーは勝者として、敗者に向けて完全に上の立場から物申す。ふっ、と酷薄な笑みを浮かべて詰め寄る姿はとてもヒーロー側の人間がして良い態度ではなかろう。
「何でこんな事をしたのか……分かりますか?」
『…………………分からん……なぜだ?』
詰め寄られたアデリナは、エリーを見上げながら尋ねる。
『あのまま私たちを、そこの騎士によって討伐させることもできたはずだ。どうして止めた?そしてどうして今みたいな無茶な行動に出た?勝ち目などなかったはずだ。事実、お前は卑劣な手で勝利を手にしたとは言え、負った怪我は私の比ではないだろう』
「…………………」
『教えてくれ。そこまでして、私に伝えたかったものは何だ?……私には分からん。負けた今となっても、分からんのだ」
俯くアデリナは忸怩たる表情をし、それを見下ろすエリーは冷たい視線をぶつけている。息が詰まるような時間が流れた後、ようやくエリーが口を開く。
「ひとつ、言わせてもらって良い?」
『なんだ?』
「何で質問を質問で返すの?」
『……………?』
エリーの台詞が呑み込めなかったアデリナは、怪異にあるまじきポカーンとした間抜けな表情をしてしまう。
『なに?』
「質問を質問で返すなっつってんの!」
『意味が分からん』
「はぁ!?私が先に「何でこんな事をしたのか分かりますか?」って聞いたっしょ!?」
『いや、それは聞いたが……』
「だったら答えなさいよ!何で私たち、ガチで殴り合う事になったんだっけ?」
『え?本当に言葉の意味、そのまま?私に質問したの?』
「それ以外、何があるってのよ。さぁ、教えてちょーだい。ぷりーず」
『お前が始めたのだから、お前が一番知っているだろう!?』
「分かんねぇから聞いてだよおお!分かってたら、こんな質問しないから!」
その場にいた全員が「こいつ、本気か」と、声を失う。そう言えば、殴り合う前も色々とご高説を垂れていたが、最終的には何をしゃべっているのか分からなくなって挫折していたのを思い出す。マジでこいつ、何も考えてねぇのか、と絶句する一同に対し、エリーは不満顔である。
「なんだよー、まるで馬鹿を見るような目で私を見やがって」
「そこから「まるで」を外して構わない」
「むきー!」
『落ち着け。まずひとつひとつ、整理していこう。最初に私に絡んだ発端は……』
4名は輪になって座り、なぜか人と魔の間で一つの共通課題に対して取り組む事になった。
「そもそも、エリーはお前らに復讐心がない事を気に掛けていた。お前らほどの魔物が、欲求を自己完結した時点で満足してしまった事を惜しんだのだろう」
『得心した。だから復讐心を焚き付けるつもりで、私たちを挑発したのか』
「なるほど」
うんうん、とエリーが頷くと、アーノルドが無言で頬を引っ張った。
「なるほど、じゃねぇよ。何で俺らがお前の内心を探り当てなきゃいけねぇんだ」
「痛い!横暴!怪我人にはもっと優しく!」
「腫れてる方とは逆を引っ張ってやっただろ」
「こっちも腫れ上がったらどうするんですか!」
「……バランスが取れて良い…?」
「ちげぇよ!サイコパスかよ、おめー!!人の顔を何だと思ってんだ!」
「さい……コ……?」
「面倒くせぇなぁ、もう!」
以前のセクハラと言い、今のサイコパスと言い、この世界にない言葉である。そのくせ周囲にそういう行為に及ぶ連中が多い中、概念を共有できないのはつらいと、エリーは思う。ただその概念を理解してもらったところで「お前には言われたくない」と一蹴されるだろうが。
「まぁ、それはそれとしてさぁ」
エリーはさっきまで引っ張られていた頬を撫でながら続ける。
「あのまま、二人が討伐されて、ハイ、おしまいって何か違う気がしたんだよねー」
「何か?」
「うん。その何かは分からないんだけど、まぁ、直感かな。それにもったいないじゃん」
そう言いながらアデリナの方を向いて品定めをするように呟く。
「どんな形でも、またアデリナ・パラッシュとしての自我を取り戻せたんでしょ?だったら簡単に成仏するのはもったいないじゃん。色々と役に立ってくれると思うんだよね。例えば………永遠にこの洞窟を管理してもらうとか」
「……お前、しれっととんでもねぇ提案すんのな。今時の奴隷商人でもそんな契約結ばねぇぞ」
おそろしい事に未来永劫、この洞窟に縛り付けようというのである。近年、長期ではあるが勤勉に勤めた奴隷は解放される契約すらあるというのに、永遠に奴隷扱いである。しかも嘆きの乙女の一生など、いつ果てるかすら定かではない。
『討伐されるべき異形のモノが、洞窟の管理人か……』
それを聞いたアデリナなどは怒るのかと思ったが、予想に反してくっくと愉快そうに笑い出す。
『確かに私の詩を上手く使えば魔獣たちを指揮できる。それに私は騎士団の誰よりもこの洞窟に詳しいだろう。嘆きの乙女として徘徊した時間に加え、アデリナとして洞窟内を調査した経験と、九番隊に所属していた時に浅い階層で抜け道をいくつも作成した。管理人としては適役かも知れんな』
「おお」
意外と乗り気なのか、とエリーは目を見開く。だがその期待とは裏腹にアデリナはすぐ顔を伏せ、苦笑して頭を振る。
『それが成せるのであれば良いが、無理だろう。犠牲者を出したのであれば、その償いは必要だ。責任は誰かが取らなくてはならない』
「責任?」
『魔獣を引き連れ、地上へ向かった。その際に邪魔をする連中を駆逐しながらだ。その際に、お前が深層へ落下したが、それ以外にも犠牲が出たはずだが』
なるほど、アデリナはあの時の事件……魔獣たちを率いて浅い階層へと行進し、二番隊と学生たちからなる調査隊を蹴散らした。その時の事を指しているのだろう。だがエリーの返事は
「んん~、責任と言えば責任があると思いますが、一番の犠牲者である私が大丈夫ってんなら、まぁ、いいんじゃないですかね」
と、あっけらかんとしたものである。
「一番の犠牲が………お前だと?」
「ええ、まぁ。つか、今回の件だって一番の犠牲者、私ですからね!?人の体を好き放題に滅茶苦茶しやがって!………ん?なんスか、その顔?」
ぽかーんとしているアデリナ。それを受けて負けずにぽかーんとするエリー。それを見たアーノルドは何かを察したか咳払いをして二人の間に割って入る。
「信じられないかも知れないが、前の襲撃の時に犠牲者はいない。ほとんどこいつが回収した」
「おかげで魔力枯渇しましたけど。いやぁ、枯渇するとああなるのか。マジで死ぬかと思いましたよ」
いやははは、と屈託なく笑うエリーであったが、アデリナにしてみれば驚きだっただろう。例年通りなら初心者騎士と学生たちで構成されている調査隊である。それが魔獣たちから急襲を受ければパニックに陥り、ろくに抵抗できないはず。
その状況の中、彷徨える子羊たちをこの娘が回収したというのか。
「それよりも!」
エリーはびしっ、と指差して続ける。
「アデリナさんの言う事なら魔獣さんたちも聞いてくれるんですよね?だとしたら、お互いに良い事ばっかじゃありません?」
『魔獣を?……もしかして魔獣も助けるつもりか?』
あんな目に遭ったのに、と言葉を続けるも、エリーはその辺に対して本当に無頓着らしく、まったく気にしないどころか
「みんな、あんだけパワーあるんだから、仲良くできたら色々と役立てそうなんですけどねぇ。一つ目の大巨人とか、建築業なんてお似合いなのに。ふふ、金の匂いがしてきたぜ……」
などとブツブツ言っている。酷い目に遭わされたのは「まぁ、そっちもそっちで事情があるんだし仕方ないでしょ。そもそも生活圏に入って行ったのこっちだし」との弁。ドライすぎて怖い。
『だがそうなると、お前たちは手ぶらで帰る事になるのだが』
「で?」
『罰せられるとか思わんのか?』
「私が罰せられる程度の事と、アデリナさんたちに平穏が訪れる事を天秤にかけて、どちらが大事かなんて一目瞭然だと思いますが」
あっさりと断言した。さらに続けて
「どうせ罰せられるの、アーノルドさんとか二番隊の方々でしょうし」
「その言葉、今はいらないなぁ!」
「ああ、そうそう犠牲者が出てないって言ってましたけど、悪魔の巣窟で奮戦中の方々はやばそうですね。そこはカウントから外してもらえますか?」
「外せねぇよ!お前の同級生もいるだろ!大事だろ!」
と、台無しな会話に移行する。いずれにせよこの娘は、魔物の討伐という小事よりも、全部ひっくるめて丸く収めようとしているようだ。人間同士ならいざ知らず、魔物すらも救済するべき対象とするなど、価値観が突飛過ぎて、常人には理解不能だろう。
『なるほど、蓋し聖女か』
アデリナは目を閉じて、首を振った。どうやら彼女の中の常識が、この娘の前ではあまり意味を成さない事を悟ったようだ。
『……先の話、考えてみよう』
アデリナが初めて首肯する。もちろんハロルドがアデリナの意見に反対するはずもなく、彼女に続いて体で賛意を示した。元々ハロルドの方は自省的で己を罰しようとする傾向のあったアデリナを矯正したいと思っていた節がある。この話は渡りに船だろう。
「どうやら上手くまとまりそうだな」
話がまとまりつつあるのを確認したアーノルドがエリーに視線を向ける。
―― そして身じろぎした。
エリーの顔が、先ほどと違っている。ぶつぶつ何かを言っているのは同じなのだが、状況にそぐわない深刻な顔をしていた。
商機を感じ取っての本気顔か?いや、違うだろう。それだけで、あんな顔にはならない。ならば何が原因だ?
脅威は去った。嘆きの乙女も首なしの騎士も、今は戦意を喪失し、周囲にいる一つ目の大巨人や凶狼たちも襲い掛かってくる気配はない。
次の瞬間、エリーが飛びかかる。
怪我人とは思えぬ、弾丸のような体当たり。
あまりに突然の行動にアーノルドすら反応できず、嘆きの乙女と首なしの騎士とまとめて3人は後ろに吹っ飛ばされた。




