2章第70話 決闘と書いてタイマンと読む
(おかしい、何かがおかしい)
エリーは痛烈に思う。
なぜ自分は、目の前の嘆きの乙女と決闘しているのだろうか。
本当ならば、とっくの昔に勝利の凱歌をあげていてもおかしくなかった。アーノルドと共闘しての圧倒的な勝利。それこそがエリーの頭上に燦燦と輝く成果ではなかったのか。
それなのに現実と言えば、なぜか訳の分からん殴り合いをしているのだ。自業自得と言えばそれまでだが、ここは勝ったエリーに慮って、2、3発殴り合ったら勝利を譲るべきではないだろうか。ジャンプとかの漫画だったら、だいたいそんな感じだ。今の時間は完全なエピローグタイム。ここでいかにやられ役が改心するかで、今後の扱いが決まってくるのだ。
(それなのに、こいつ忖度なしかよ)
そう思いながらアデリナを殴るが、それ以上のパンチが返ってくる。交互に殴り合っているが、感覚としては5倍くらい重いパンチだ。これはずるい。一発の重みが全然違う。そもそもアデリナの攻撃は、最初のうちは平手だったのに、いつの間にかグーパンチになっている。それもずるい。
「さっさとくたばれ!」
ぺちん、とエリーのパンチがアデリナの左頬に当たる。
『このくたばり損ない!』
どぐしゃ、とアデリナの剛拳がエリーの左頬を貫く。
(音が違いすぎるだろ)
ふら~~っと仰け反りながら、この世の理不尽さに思いを馳せる。事実、エリーの頬が腫れ上がって左目の瞼も塞がりつつある。向こうはほぼ無傷だというのに!
『聖魔法を纏わせて殴らないのは情けか?私に情けをかけているのか!?』
アデリナが叫びながら殴りつけて来る。その一発一発を受けながら、エリーは痛切に思った。
(違ぇよ!意識飛びそうで上手く魔法が使えないんだよ!)
纏わせようと必死になればパンチはおろそかになる。弱々しいパンチがアデリナの頬を撫で、それを手加減と取ったアデリナの「侮辱するな」パンチがお見舞いされる。理不尽である。お前も手加減しろ、何度だって言うが漫画ならその情け深さに感涙して和解するところだろ、怒るとは何事だ、と思う。
『情けをかけた拳で私の膝をつかせる事ができると思うなよ!』
思ってねーから!そもそも、いつの間に膝をつかせた方が勝ち、みてぇなルールになってんだ!?……と内心で叫ぶエリーの顔面を拳がクリーンヒットする。今度こそ意識が吹き飛びかけるのを
「こ、根性おおおおおっ!!!」
と意地と根性で持ち直す。もっともこの状態で、足にローキック一発もらえば、音を立てて崩れ落ちるのは間違いなく。ある意味、右手しか使っていないアデリナもまた、正々堂々としてるのかな……と思わんでもない。エリーの正々堂々は結果的なだけであるが。
『その根性だけは認めてやろう』
再び襲いくるパンチに、自然と顔に力が入るエリー。
「ぐえ」
次の瞬間、左の脇腹に拳がめり込んだ。フェイントである。
(全然正々堂々じゃねぇ)
肋骨がイッたエリーは涙目になりながら恨みがましい視線を向けるのであった。
◇◇◇
(まいったな)
一方で首なしの騎士と激戦を繰り広げていたアーノルドは唇を噛んだ。先の近接戦で圧倒的な勝利を収めたのと違い苦戦を強いられている。いや、ともすれば押されている。
その理由は明白だった。脇で繰り広げれらている女同士の戦いが気になってしょうがないのだ。アデリナが指摘した通り、集中力が完全に切れている。
「おい、エリー!正々堂々と加護なしで戦うのは感心するが、そろそろ限界だろ!」
声をかけるのだが、アーノルドの言葉を無視するようにエリーは加護なしのパンチしか繰り出さない。
「………そうか、そこまで覚悟を決めたという事か。堂々と自分を証明する為に。己を正しさを拳で立証しようと……!そうでなくては、こいつらを納得させられないと……」
アーノルドはエリーの覚悟を感じ取り、己の不明を恥じた。
その頃、エリーは胸中で
(余計な事、言ってんじゃねぇぞ、この勘違い野郎。ただでさえ魔法発動するんのに苦労してるってのに、ますます魔法使いにくくなるだろうが!こちとら逆転の芽を加護発動に賭けてんのに、萌芽する前に摘む気か!拳で正しさを証明するとか、そんな野蛮な決着方法があるかよ。昭和の漫画か、お前は。んなモンは平成の初期くらいに絶滅してんだよぉ!)
と叫んでいるのだが、息も絶え絶えなのと、直後に脇腹にイイやつを喰らって抗議する余力がなかった。たたらを踏んで、今にも倒れ伏しそうな状態で、かろうじて立っている。
そもそも両者が殴り合うという事自体に無理があった。怪異に堕ちたとは言え、生前からのポテンシャルが違う。手足の長さが違うのでパンチの深さが違うし、筋力以前に殴り方が素人と訓練したソレとで全く違う。フィジカルも技術も雲泥の差といえよう。そもそも打撃音が全然違う。アデリナの一撃一撃が鈍い音を立てるのに対し、エリーのなんて、ぺちぺちと赤ん坊がじゃれついているような音である。脇腹に入った一発など、ぐしゃというか、べきっ、というか、何か砕けた音だった。アーノルドでなくとも、そんな異音を響かせながら、辺り一面に血飛沫をぶちまけてるのだから、気にならないはずがない。
その光景に、アーノルドもまた、覚悟を決めた。
「おい」
アーノルドは大剣を収めると、その場にドカッと座り込んだ。その突然の態度に、ハロルドは振りかぶった剣を止める。
「斬りたければ、斬れ。あの嘆きの乙女の策略通りというのが癪だが、俺は戦いに集中できないようだ」
ハロルドの方を振り返りもせず、まるで斬首される罪人のように背を向けたまま言い放つ。いきなりの光景にエリーはぎょっとして
(なぁにやらかしてんだ、あのアホは!)
と抗議の視線を向ける。その視線にさすがに気が付いたアーノルドは手を振って
「すまん。負けそうだ」
と事もなげに言ったので、エリーも負けずにキレ散らかし叫ぶ。
「はぁ!?勝手に負けないでくれます!?どっちかっつーと、わざと負けてません!?」
「しょうがないだろ。お前がぶん殴られているのを横目にして、集中できねぇんだから」
「んな不満、手加減も忖度もしない、空気の読めないこの女に言ってください!」
「お前の漢気に、俺も乗ったんだ。悔いはない」
「救助の任務ほったらかして、何、一人で満足してんだてめぇはよおおおお!!」
対戦相手を無視して口論をおっぱじめる二人。エリーはぎゃいのぎゃいの騒いでいたが、アーノルドは一向に動じない。
「私は殴られてるだけですけど、このまま観念したらアーノルドさん、死んじゃうんですよ?そりゃあ私だって今にも撲殺されそうな感じですけど、アーノルドさんまで付き合う事はないんじゃないですかね?そもそも、アーノルドさん死んじゃったら、私、仮にこの女に殴り勝ったとしても、絶対にここから脱出できませんよ?」
「大丈夫だ」
「無責任!!」
「首なしの騎士が証明してくれてるじゃねぇか」
「は?」
「この騎士は彼女を、死んだ後も護るために首なしの騎士になったんだろ?」
両手を広げて、さも当然のように言い始めたので、エリーは眉根を寄せて怪訝な顔をする。
「だから俺がここで死んだとしても同じように甦れるんじゃないか?」
「うっわぁ」
この人、馬鹿だ、とエリーは思った。いや、そりゃ無理筋じゃないですかね、と。ハロルドさんが転生?したのもアデリナさんへの想いが強いからであって、そんなポンポンと起きるような奇跡じゃないぞ、と思う。それはアデリナもハロルドも同様のようで、あまりにお気楽なアーノルドに対して呆れているように見えた(そりゃそうだろう)。
エリーがこのように思っている事を、色んな表現を駆使して伝えてみたところ、アーノルドは首を傾げ
「お前が俺の事をどう思っているかは知らないし、そんなに好かれてないんじゃないかと自覚はしているが」
そしてさも当然のように
「俺がお前を想う気持ちは、ここにいる二人に負けてないと思うんだが」
と断言したので、もうこれで何度目か分からない精神的奇襲を受けたエリーは、不承不承で沈黙した。たったさっきも「お前以上に大事な事はない」とか何とか言われて「おおう」としか返事が出来なかったエリーである。もちろん今回も
「汚ぇ、くそ、汚ぇよぉ、こいつ」
とか言いながら顔を真っ赤にして、手をぶんぶんと振り回して抗議の意思を示す程度の反撃しかできなかった。無論、アーノルドは何の痛痒も感じない。
「どうした?当然だろ」
くらいの感じである。こんな態度を取られればエリーでなくとも勘違いしてしまうだろうに、罪な男である。幸いにして、アーノルドがこれくらいストレートに感情をぶつけられる相手はエリーの他、わずかしかいない(義姉のノエリアにさえ、尊敬と憧憬が入り混じって素直に感情を表現できないくらいだ)。従って、主な被害者がエリーに限定されている事が不幸中の幸いだろう。エリーにしてみればたまったものではないが、本人もアーノルドの性格を熟知しているので勘違いしないよう自制しているし、まんざらでもないようなので良しとしよう。仮に初心な貴族令嬢相手に同じことをしていたら、ウィッシャート家の責任問題となっていたはずだ。
「……ってわけだ。やるなら、ばっさりやってくれ」
言いたい事だけ言って、再びハロルドに語りかけるアーノルド。そして、その意気を汲んだハロルドは己が大剣を振り上げる。
『待て!』
アデリナが制止するよりも早く剣を振り下す。綺麗に風を切る音が響くと同時に、その剣はしっかりと振り下され、地面へと突き刺さった。だが、肝心のアーノルドの首は……繋がったままであった。
「……………?」
驚いて地に刺さった剣を見て、続けてハロルドの方を振り返る。すると騎士は柄から手を離すと、憤然とアーノルドの隣へと座りこんだ。横顔を見やるアーノルドに一瞥もしない。その視線は真っ直ぐにアデリナとエリーの方に注がれている。アーノルドはにやりと笑い、
「そうかい、あんたも見守ろうって腹か」
と再び二人の女性が対峙する位置へと視線を移す。それに対し、無言でこくりと頷くハロルド。どうやら騎士二人の間には、友情とは言えないまでも何か通じ合ったようだ。この気概はアデリナにも伝染し
『どうやら私たちにすべては委ねられたようだな』
と拳を握りしめていた。唯一、エリーだけがこの光景を絶望的な目で見ていたのだが、それに気付いた者はいない。
◇◇◇
(馬鹿ばっかだ。脳筋の馬鹿しかいねぇ)
顔面蒼白なのは出血の酷さだけではないだろう。陥った状況が絶望的すぎる。
そもそも適当に切り上げるはずだったキャットファイトがここまで長引いたのも誤算だし、アデリナが空気を読まずにガチで殴り返してきたのも誤算だった。それでもさっさとアーノルドがケリをつけてしまえば、2vs1で圧倒的有利に勝負できるかと思いきや、勝手に白旗を上げる始末。あちらさんが勝手にお付き合いしてくれなかったら斬首されて死んでいたという体たらくである。
『お互いによき相棒を得たな』
得てねぇよ。何言ってんだ、この嘆きの乙女。さっき顔面を狙うふりして脇腹ぶん殴った恨みは忘れねぇからな。
それはさておき、もう聖女の加護を付与してのパンチ炸裂一発逆転の芽は完全になくなった。もうそんな雰囲気ではない。脳内昭和な男共を観客として、脳筋嘆きの乙女とのガチタイマンをせざるを得ない状況である。無視してぶん殴ってやりたい所だが、残念な事に私にはもう、そこまで魔法を発動できる余裕が心身ともにない。前回の魔力枯渇もつらかったが、今回の肉体的限界もなかなか厳しいものがあるな。殴られ続けて顔面の左半分の感覚がない。乙女の顔に何してくれてんの、この人。
「へあ!」
気合を込めて嘆きの乙女の顔面を私の鉄拳が殴打する。
ぺちり
うむ、そうだよね。殴ったというより、撫でた部分が何とも情けない音を立てる。それに対して嘆きの乙女の野郎の一撃と来たら、
ぐしゃああっ!!!
鼻っ柱に拳がめり込んだ。鼻血を出して大きく仰け反ってしまう。マジかよ、顔面ありかよ。つか、鼻、曲がってない!?すげぇ血が噴き出したんですけど!口の中まで血の味で染まってるよ!
『さぁ、来い!』
うるせぇ。何が「さぁ、来い」だ。立ってるのも奇跡的なのに、それ以上、何を求めるのさ?今にも吹き飛びそうな意識の中、視線の端でアーノルドさんが心配そうに見つめているが、この状況を創り出した一因はお前にもあるんだからな!そんな顔をするんだったら、さっさとこっちに助太刀しに来りゃ良かったんだぞ。
あーー、何やってんだろうな、私。目の奥がチカチカする。こんな事なら、下手に長引かせずに、とっとと幕引きすりゃあ良かったよぉ。
くそ、考えろ。これから神聖魔法は使わないで相手に膝を付かせる方法を。
………………。
………………………………。
いや、無理だな。無理無理無理、無理ゲー。誰が考案したんだ、こんな難易度設定鬼高ぇクエスト。バランス崩壊してるぞ。いや、ひとつ閃いてはいるんですけどね。それを使って良い物やら。
……と、そうこうしているうちに、何発かもらって、いよいよ意識が飛び始める。あれ?このまま私、撲殺されちゃうのかしら。
『もう終わりか?』
あんにゃろう、目の前でマウント取ってきやがる。勝った気でいやがんな。まぁ、こちとら半死半生なんで、そうなっちゃうのも当然と言えば当然だけども。ただそれはそれで気に入らない。
ぺっ、と口から唾と言うより血を吐き出し、改めて目の前の嘆きの乙女さんを睨めつける。
「その台詞は、こいつを受けてからにして欲しいもんっスね」
へらっ、と笑いながら見得を切る。それが虚勢である事は、嘆きの乙女さんだけじゃなく、アーノルドさんや首なしの騎士もまた、理解していた。そりゃそうだ、ゾンビみたいに態勢が傾いた女に何が出来るだろう。振り上げた手にも加護が付与されてねーし。そもそも、そんな余力ねーから。
「その綺麗なお目目を見開いて、よーく見ときなよ」
『来い』
手招きする怪異。ああ、余裕っすねー。きっと自分がやられるなんて、微塵も思っていないんだろうな。もしくは最後になりそうな一発を、きちんと見届けようとする騎士道精神か。
「いずれにしても、ありがてーです」
力ない右手が嘆きの乙女さんの顔にかかる。そして次の瞬間………
ぶすっ…!
顔に押し当てた手が上にスライドすると、私の人差し指と薬指は、物の見事に嘆きの乙女さんの目を潰していた。
『ぎゃあああああああああああああああああああ!!!』
目を抑えながら、もんどりうって倒れる嘆きの乙女さん。
「いよっしゃあああ!!ダウン!めっちゃダウンした!ふはははは、私の勝ちぃ!!」
見事に目潰しが決まり、いきなりの衝撃に目を抑えて倒れた彼女を尻目に、私は高らかに勝利宣言をした。右手を突き上げ、相手を見下ろす姿はまさに勝者!!
『「…………………………」』
何で二人ともそんな呆れ果てた顔をしてんの!? もっと勝者を褒めろ!称えろ!!
……こうして私たちの熱き決闘は、冷たい視線の中、幕を閉じたのである。




