2章 第62話 剣舞(2)
(来る)
アーノルドは確信した。永らく感じなかった、ぬるりとした感覚。誰かの思考が自分の中に入ってくるような感じ。
始めは違和感しかなかった。自分の中に、もう一人の自分が入り込むような感覚は、まともではないと思った。
しかし戦いを続けていくうちに、自分の中に入り込んできたのがエリーの感覚だと気が付く。
(あれは素振りをしていた時だったか)
一人、黙々と素振りをしていた時。どうしても剣筋が自分の中で思い描いた形にならないので試行錯誤していた時。突然、剣を振るった瞬間にエリーから神聖魔法を付与されると、気持ち悪いぐらいに剣は理想の軌道を描いた。脳裏の感覚と完全に一致した。
(知らないうちに、俺はエリーの加護付与を前提として戦いを想定していたってわけか)
その時はそれで済ませたが、それ以後の戦いにおいて加護付与前提だけでは説明が付かない事が多々あった。何より他の学生たちには口頭で指示をしながら戦いを行っていたが、エリーについてはその確認は不要だった。彼女が次に何をして、どうして欲しいのかが会話せずとも分かったからだ。そしてこちらの動きを把握しているように、振るった剣が当たらないような場所へと移動していく。加護が欲しい時には何も言わずとも付与される。
あまりにも息が合いすぎて気持ち悪い。
本当に紙一重で衝突しないように動き合う事、それを何と呼べばいいのだろうか。強いて言えば剣舞が近い。だが、そんなレベルの高い事を、戦闘については素人であるエリーとの間で成立するだろうか。
その一致した感覚がなくなったのは、あの気まずいすれ違いからだった。間違いなくあの日、あの時以来、二人の間の意思疎通が著しく落ちた。剣を振るう時も、確認しないとどう動くか自信がない。口に出さなくてはエリーの動きが読めない。いや、至って普通だ。声を掛け合い、お互いのすべき事をしっかりと認識し合うのは当たり前である。これまで言葉が不要だった状態がおかしかったのだ。
(それでも)
エリーを探し出し、瀕死の状態の彼女を受け止めてから確信がある。今更もう余計な忖度はなしだ。あの気まずく、隙間風が吹いたような距離が縮まっている今なら。いつも通りに動けば、あの感じが戻ってくる確信めいた予感がある。
それよりも気にかかるのはエリーの体調である。酷く痛んだ身体、限界に達しているであろう心身は戦いに耐えられるのだろうか。今は最後の力を振り絞って心を奮い立たせているが、本来ならば動くどころか、とっくに倒れていてもおかしくない重傷である。見るからに酷い左肩や右足はもちろん、頭からの出血で顔も血塗れ、見れば指からは爪も剥がされ、へし折られているではないか。ふらふらの足取りは意識がいつ飛んでもおかしくない事を示している。
「いぎっ!!」
案の定、ちょっと右足に体重がかかっただけで鋭い悲鳴が漏れる。潰された太腿から血が噴き出し、がくがくと態勢を崩しながら、かろうじて踏み止まる。どんな風に痛めつければ、ここまで足が壊されるのか。踏み止まるだけでも耐え難いだろうに。ぎぃっ、と歯を食いしばり、ほとんど精神力だけで態勢を維持するエリーの姿に、こんな状況でありながら感銘を受けた。訓練を受けた騎士ですら、とっくに気を失ってもおかしくない状況で、明らかに狙い撃ちにされている恐怖心もあるだろうに必死に攻撃を回避する。
(それなのに、こいつときたら)
ちょくちょくアーノルドの方をうかがいながら、申し訳なさそうにしている。どうやら足を引っ張っていると思っているらしく、再び前を向いて、今度こそしっかりと回避すべく敵前の攻撃に備える。その真剣な横顔を見ていると、危険な戦場だというのに口端が緩む。いじらしいとも、健気とも、頼もしいとも言える感情に襲われたアーノルドは、再び視線を嘆きの乙女に向けながら、エリーに言った。
「別に足を引っ張られてるとは思わねぇよ」
その言葉にエリーは驚いたような表情を浮かべたが、アーノルドはそちらを見ずに剣を構える。
「そんな顔をするな。いつも通りに行くぞ」
そう、いつも通り。何の言葉も交わさずに、意思を疎通していた時と同じく、目と目を合わす事すら不要の連携。心配なのは、エリーがこちらの意図を汲んでくれるかどうかだったが、その心配は杞憂であった。
エリーは何を言わずに微笑むと、するりと行動を開始する。その動きはアーノルドが事前に想定していたのとほぼ寸分違わぬ動きだった。アーノルドが動き出しても、何の躊躇もなく、剣が衝突する事など微塵も恐れていないように動きは止まらない。
(良い動きだ)
アーノルドが剣に炎を纏わせ振り抜く。轟音と共に振るわれた剣は、ともすればエリーをも巻き込んでしまうように見える。だが本当にエリーの頭上を紙一重、ここしかないという場所を通過して、嘆きの乙女に襲い掛かった。
まさかそんな場所から来るとは思っていなかったのだろう、嘆きの乙女は今度こそ回避しきれず、それでもどうにか攻撃に使っていた影を駆使して剣を受け止める。思えば、嘆きの乙女本体にこれほど強い物理攻撃を与えたのは、これが初めてであった(エリーが「ぐーぱんち」、名付けて【か弱き乙女の拳】をヒットさせた事はあるが、あれは神聖魔法による攻撃というべきだろう)。
跳ね飛んだ嘆きの乙女が態勢を崩すのを見たアーノルドが、さらに追撃を開始する。
炎が嘆きの乙女を巻き込み、その切っ先は今、まさに怪異に届かんとしていた。
◇◇◇
腹立たしい事、この上ない。
さっきまで怒り狂っていた娘が、暴発気味に攻撃を仕掛けてきたかと思ったら、突如、気持ち悪い呪詛を投げかけてきた挙句に救出に来た騎士とイチャつきだした。その呪詛と言うのが、気持ち悪いというか、理解しがたい感情が大量に乗せられていて不気味としか形容できない。しかも先ほどまで盛大に乗せてきた悪感情が感じられない。むしろ喜びに近い感情が乗っている。おそろしい。この状況で、どうしてそんな感情を敵に乗せて発する事が出来るのか。精神に来る。
それだけなら耐えられただろうが、二人でくっついてヒソヒソと会話を交わし始めたら、もう駄目だった。敵を目の前にして何をしているのだ、この馬鹿共は。
またしても怒りに任せて、思わず手が出た。
「アーノルドさんのせいで、時間を無駄に浪費しました」
「俺のせいじゃねぇ!絶対にお前のせいだ!」
回避した後、今度は喧嘩を始めたが、あれは違う事くらいわかる。喧嘩ではない。喧嘩のような体をした慣れ合いだ。会話を楽しんでいるだけだ。私の行動をネタにして、イチャついているだけなのだ。言葉こそ憎まれ口だが、楽しそうな二人の会話に耐え切れなくなった私は、思わず叫んだ。
『ウルサイ!』
その言葉で二人は神妙になった……のは、一瞬で、すぐにまたイチャイチャと何事かを会話している。知性だとか、マイナスがどうとか、およそ戦いとは無縁の単語が聞こえてくる。
『この期に及んデも馬鹿ナ事ばかり……!』
追撃に影を飛ばし、二人を襲う。いや、正確には「娘を襲いつつ、その隙を突いて騎士に攻撃を仕掛ける」だ。
目の前の騎士は、前に8層に到達した騎士。そして数合、剣と影を交錯させただけだが分かる。この男は、自分よりも実力が上であると。この娘からの神聖魔法の付与がなくとも、1対1であれば後塵を拝する事になるだろう。しかし娘に対しては、神聖魔法があろうとも勝てる自信がある。ならば相手の「穴」を突くのが正しい戦略だろう。
(それで勝テる)
確信していた。事実、娘は攻撃をかわすたびに激痛に顔を歪め、かろうじて回避できているに過ぎない。致命的な攻撃は騎士によって阻止されているが、それも長期戦になれば必ず綻びが生じるはずだ。
その確信に亀裂が走ったのは突然だった。騎士が娘に斬りかかったのだ。だがそれは一瞬にして、私への斬撃へと変わった。
「いつも通りに行くぞ」
騎士は確かにそう言った。次の瞬間、娘の態勢が沈むと、ほぼ同時にその頭上を通過する形で炎を纏った剛剣が私に襲い掛かってきた。信じ難い行動に、全力で私は回避運動を取る。攻撃をして来た影をすべて引っ込め、防御へと展開する。6本の影すべてを使って、どうにか防げるほどの威力。同時に後ろへ飛んでいなければ、その勢いを殺し切れずに大きなダメージを負っていたはずだ。
……そして、その時、私は見た。見てしまった。
娘が、微笑んでいるのを。
この状況において微笑みを浮かべ、そうなるのが当然のように、何の心配もせずに剣をかわしたのを。
(これがこの二人の、いつも通りというのか。だとするならば)
ぞっとする。到底、敵う相手ではない。こんな事があってたまるものか。相手が次にどうするのか、言葉も視線すらも交わさずに意思が疎通できるなんて。そして、それを躊躇いもなく実行に移せるだなんて。信頼と同時に命を相手に預けている。「騎士の方は、相手を信頼し、己の剣を振るうだけで命を賭けていないだろう」と言うのは、この二人を目の前にしていない者の妄言だ。何かの間違いで娘を斬りつけてしまったら、騎士の方も自ら命を絶つ。それだけの覚悟で剣を振るっている。
しかし何より、二人はそんな事など起きる可能性を微塵も、頭に描いていない。こう動く、こうする、こう考えている、と確信している。「相手はこう動く」という思考ではない。「こう動く」という思考だ。そう、相手はなどとは考えていないのだ。相手などこの場にはいない。まるで鏡のように、自分と一心同体のような存在がいるだけだった。
(嗚呼)
嘆きの乙女は不覚を取った。目の前の難敵を前にして、まるで剣舞のような流麗な動きを前にして、怪異として考えてはならぬ事を考え、反応が遅れた。そして、それを認識した時、嘆きの乙女の視界に紅蓮の炎が飛び込んでくる。
(ヤラレタ)
この一撃はどうにか回避できるだろう。だが次の一撃、さらに次の一撃となればどうなるか。おそらくは回避できない。あの連撃をかわし切れないのは、頭ではなく全身が察知していた。
「取った」
「取られた」
攻撃する方と、される方。双方ほとんど同時に正反対の確信が走る。その確信を、突如として切り裂いたのは、甲高い抗議の声だった。
「熱っつぅぅうい!!」
場違いな声が洞窟に響き渡り、前髪を抑えながら少女が涙目になって抗議の声を上げると、アーノルドは剣の手を止め、嘆きの乙女はきょとんとした顔をした後、慌てて飛びずさった。
こうして良く分からないまま、戦いは次の局面を迎えようとしていた。




