2章第53話 出自(3)
「行方……不明………」
その凶報に接した時、イザーク・バッハシュタインはよろめき、近くのテーブルに手を突いたと言われている。
「調査中の「魔獣の洞窟」にて、予期せぬ大襲撃に遭遇し、九番隊の複数の隊員が行方不明。うちアデリナ・パラッシュとハロルド・マクニールは深層方面への移動を余儀なくされ生還は絶望」
生還は絶望、との文字にイザークは目を疑うも、すぐに顔を上げた。
「まだ死亡は確認されておらぬのだな?」
「はい、詳しい情報を収集中です!」
「そのまま収集を続行せよ。アデリナとハロルドであれば、深層方面へ向かったとして、すぐに餌食になる事はあるまい。その間に救助隊を編成し、すぐに駆けつける!」
イザークは隊長室を飛び出すと、そのまま九番隊隊長であるドット・スラッファの下へと向かった。彼は混乱する状況の中、情報を収集しながら部下への指揮を取り続けている。そんな中に割り込むのは気が引けたが、今後について対応を協議せねばなるまい。
「ドット・スラッファ!」
「……イザークか」
イザークを見るなり、「すまぬ」とドットは頭を下げた。
「事前に調査をしたわしの不徳よ。あの時は、魔獣の痕跡など欠片も見当たらなかったというのに…」
「己を責めるのは後にせい。おぬしが発見できねば、他の誰もが発見できなかったであろう」
あのドット・スラッファをして痕跡がなかったというのだ。他の誰が深層級の魔獣が襲撃してくるなど予期できたであろう。
「行方不明者の安否は?」
「いまだに消息がつかめぬ。調査部隊を派遣しようにも魔獣どもの規模が分からん。やみくもに派遣して、二次、三次の被害を出すわけにはいかぬからな。だが間違いなく……」
元々低かったドットの声が、さらに低くなり絞り出すような声になる。
「……アデリナとハロルドについては、3層を捜索しているがまだ見つからん。さらに奥に行ってしまったか…」
3層より奥。
それは地図もなく情報もない、未知の領域に足を踏み入れてしまった事を意味する。そこまで足を踏み入れる事を想定していない装備では絶望的な状況と言って良い。
「すぐに隊長会議を開く。多忙だとは思うが参加をしてくれ」
「もちろんだ………じゃがな……」
「なんだ?」
「わしらも思うような話の流れには……ならんじゃろう」
その言葉に首をかしげるイザーク。彼がドットの言葉の意味を知るのは、それから数時間後、騎士団会議の場においてであった。
◇◇◇
「なぜだ、なぜすぐに捜索隊、救援隊を送らぬ!?」
「落ち着いてください、イザーク隊長」
激昂するイザークに対して他の騎士隊長たちから嗜める声が上がる。
「イザーク殿の主張はもっとも。我々とて前途ある若者を失いたくはない。だが情報を聞くところによると、彼らはすでに深層に片足を踏み入れている」
「だからこそ、早い救助が必要だと言っているのだ」
「誰を向かわせるのですか?地図もなく魔獣の生息地域すら定かではない奥地へ」
「誰も行かぬというのであれば、わしが向かう」
イザークは胸を叩き宣言した。だがその言葉に対して、次々に反論の声が輪唱のように紡がれていく。
「いや、お待ちあれ。魔獣の洞窟に、しかも新兵に近い騎士の捜索に一番隊隊長が危険を冒して赴くなど言語道断」
「さよう。その人選は承認できかねる」
「ならばどうするというのだ!この間にも、若い命が消えかけているのだぞ!!」
イザークは拳を振り上げると、円卓を力一杯、叩きつけた。なるほど、ドットの言っていたのはこの事であったか、と唇を噛む。
要するに、その程度の事では騎士団は動かせないのだ。勲章が与えられるような戦場でもなければ、S級の魔物相手の華々しい英雄譚にもならない。新兵や学生が動員される警護活動の一環のような「魔獣の洞窟」調査で、しかも未知の領域に向かわなければならない。命を賭してまで行う事かと忌避したのである。
「しかも今は東西から隣国が虎視眈々と我が領土を狙ってきていると情報が入ってきている。その為、陛下も前線に向かい、兵士たちを鼓舞しているのだ。こんな状況において大がかりに兵士を動かすわけにはいくまい」
「彼らは我々にとって子供も同然ではないか。数字や理屈ではないぞ、相手は」
「冷静になりなされ、イザーク隊長。それでは正しい判断ができますまい」
「何を持って正しい判断というのか。助けられるかも知れぬ部下を見殺しにする事をいうのか!?」
「その行動の為に新たな犠牲を出す事こそ、誤った判断ではないのか」
「さよう。判断を誤れば部下を失うだけではなく、国の行く末すら誤りますぞ…!」
「しかしイザーク隊長の言葉も分からんでもない。窮地に陥った者を見殺しにするとなれば、今後、危険を冒してまで任務を遂行しようという者が出て来なくなるぞ」
「それを言うならば……」
……こうして会議は空転し、救助隊即時派遣どころか編成すらも行われないまま貴重な時間は浪費されていった。そんな中、ドットが何やら報告を受けると目を見開いた。そして苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、成り行きを見守っていたイザークに近付くと席を外せないかと囁く。
「……………?」
こんな時に何事だ、と訝しく思うイザークをよそに、ドットはやや強引に離席を促すと誰もいない控室に向かう。そしてイザークに一枚の報告書を手渡した。
「なんじゃ、これは」
「………落ち着いて読んでくれ。錯乱はしないように」
「錯乱?これ以上、わしが混乱するはずがあるまい。今は二人の捜索で頭が一杯で……」
「いいから」
強い口調で促されると、報告書に目を落とすイザーク。そして……ドット以上に驚愕の顔をすると、大きな体が揺らぎ、近くにあったテーブルに両手をついて苦しそうに息を吐く。まるで過呼吸を起こしたかのように。
「………こ、これは……まことか?まことなのか!?」
「………間違いない」
イザークの受け取った報告書の最初に、簡潔な結論がこう書かれていた。
『アデリナ・パラッシュはイシュメイル歴201年 8の月 13日、バッハシュタイン家から孤児院に出された女子である』
◇◇◇
バッハシュタイン家は栄光の血統である。
それを維持するために、光魔法を受け継がず、黄金の髪色でない者は「間引いた」。ラルスはその可能性について言及したが、その指摘はほぼ正解である。しかしながら実際には、そのように産まれた子を間引くのに忍びないと、バッハシュタイン家にこそ置いてはおけないが、命までは取らずに「孤児」という形で生き延びさせた例が少なくない。歴代当主の中たちは苦悩しながら、または当主の苦悩を読み取った執事が独断で、赤子を逃していたのだ。また遺伝的なものなのか、光魔法を受け継ぐ子息が大半であった事から想像以上に間引かれた子は少ない。
イザークの娘も、執事であるベンノが手を回して「孤児」として逃していたのだ。イザークに告げなかったのは律儀で嘘が下手な性格を見越し、
「仮に逃したとして、きっとイザーク様は隠し通せるものではない」
と判断したようだ。そして折を見て、いつの日か事実を告げようとしていたと推測される……報告書にはそこまで記されていた。
「ドットよ、ああ、ドット・スラッファよ!なぜそれを今、告げた!?」
「知らせぬ方が良かったか?すべての事実を、事が済んだ後に告げた方が。もしアデリナたちが無事に帰還すれば良い。だがその可能性が低い今、すべてが終わり、事実を知って後悔するくらいならば……今、知るべきだと判断をした」
「………………。」
「事態が最悪のケースを迎えた時、おそらくおぬしは今と逆の事を言うだろう。「どうしてあの時、知らせてくれなかったのか」と」
「……その通りだ。すまぬ、冷静さを欠いた」
「何を今さら。報告を受けてからずっと、おぬしは冷静さを欠いておるわい」
ドットの軽口に幾分イザークの表情は和らいだが、それが事態の解決を意味するものではない。しかしイザークはますます、事態の解決に邁進する決意をした。
「子を見捨てる親がどこにいるというのだ!」
そう熱弁を振るうイザークの姿は後世までの語り草となり、隊を問わず、騎士たちの信頼を盤石のものとした。世間一般には「子=すべての騎士たち」という認知であるが、事実を知ればまた、違った見方が生まれるだろう。
―― この先の流れは世間一般にも知られている通り、白熱した議論はついに多数決と言う結論に至る。
その会議後、憮然とするイザークとドットはしばし動こうとしなかった。やがて二人が退出した後、片付けに入った侍従は、何かに叩きつけられて壊れた椅子を片付けるはめになる。
多数決の結果、賛成したのは一番隊と九番隊。反対したのが三、四、六、七、八の5つの隊。残る二番隊と五番隊は条件付きの消極的賛成の反対多数で救助隊の派遣は見送られた。




