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まっしろ  作者: 千羽稲穂
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八朔の日

【注釈】

水揚げ……処女喪失

身請け…… 身の代金(前借り金)を支払い、約束の年季があけるまえに、稼業をやめさせること

 八朔の日をご存知でしょうか。八月の一日に、遊女はこぞって白無垢を着るのですが、その日を八朔の日といいます。ちょうど私の店でもそうでした。禿も、遊女も、上級も下級も構わず、白無垢を着て、客を迎えます。ちょうど、小雛花魁の道中がある日でした。私は長柄の傘を持ち、花魁に差し掛け後ろを歩きます。花魁の前には二人の禿。一人は箔でした。もう立派な新造の身なりをしていました。まだあどけなさの残る丸い瞳をしていながらも、身なりはそこらの遊女と変わらぬいでたちです。私と肩を付き合わせて並びましても、立派な番いに見えたことでしょう。首筋までおしろいを塗り、髪を結い上げて、花魁からもらったかんざしを引っ提げ、紅をひき、溶けそうな白肌を纏っていました。あまりに目を惹いてしまいましたから、小雛花魁から、「また箔のことを見ているでありんす」とつっけんどんに返されまして。ですが、流石に花魁とでもあろうお方ですので、私を注意しながらも、毅然としてあの高い下駄を悠々と持ち運び、白無垢姿で歩いていくのです。周囲の野次馬もいながらに。大正にもなって、このような大きな花魁道中をしたのは、久方ぶりでした。


 そしてこれが最後になるとも思いませんでした。私がいなくなっても、また花魁道中は行い、連綿と続いていくと思っておりました。そして、この美しい白無垢の行列を、みなしげしげと眺めてくれる、と。桜が舞い散るような参列でした。花の渡り路を形作ることができるものなどそうはいません。私もその中の一人の花びらとして散っている。大きな流れの中にいる。思い起こすと、灯篭流しのように流れる花に思えます。私はそっと心に白花を咲かせていました。


 その夜、私は楼主から小雛花魁に身請け話を持ち掛けられたのを聞きました。私はすぐに箔にも花魁の身請け話を報告し、私と一緒になって相手方がどういった男なのか探りました。花魁道中で迎えに行った男なのは分かっておりましたので、その男がいるうちに、花魁とどういった会話をしているのか盗み聞くことにしました。天井裏にはりついたり、床下に潜り込んだり、ふすまから覗き見たり、宴会の最中の二人のほほえましい光景を眺めたり、遣り手や他の禿、芸者といった人から噂を聞きだしました。そうして花魁が男を見送る頃には、箔と私は笑顔を見せあいました。男は傘の老母店舗の御曹司で、悪評が全くといってありませんでした。以前、花魁が差していた白いレースの洋傘は、この男からもらったものでしょう。一つ懸念があるとすれば、無男だということ。顔は真四角で、若くしてしわが額に寄り、目が細く、力強く口を閉じていました。小雛花魁の好みとは正反対の者でしたが、気性は穏やかな方で、先行きがあり、何より花魁が楽し気に話しているのを見ると、箔も私も安心しました。


 八朔の日に起こったことは、これだけではありません。

 客が全員帰った後、縁側で箔と二人で、朝日が差し込むのを眺めていました。何年も、こうして私達は、一緒に喋っておりました。知らず知らずのうちに幾月も共に過ごし、レースの洋傘をあげた後も傘の貸し借りをして、他愛のない話を。特別な関係にもなることなく、縁側で朝日を眺めていました。それをとがめる者も、裏で何かを言うものも、もういませんでした。白無垢姿の箔が橙色の陽をあびます。その横顔は意を決した表情をしていました。


「来月、わっちの水揚げがありんす」と静かに箔が告げました。


 私は陽気な気分が一転し暗澹たる気持ちに陥りました。これまで大勢の禿が新造になるのを見てきました。それなのに、私は彼女の水揚げは耐えられなかった。気づいていました。私にとって彼女は特別だってことは。私だってもうその頃になると欲に敏感になっていましたから。覚悟はありました。そして決めていました。そっと背中を押し送り出そうと。


 零れ落ちそうな顔で、彼女は私に告げるのです。

「兄のように慕ってござりんした」と。


 いえ、それ以上に、と彼女は続けようとし、言葉に躓つまづき黙ってしまいました。その続きは私も聞きたくありませんでした。もう、送り出す気分になんてなれませんでした。


「清」と呼ばれたと思えば、今度は小雛花魁がおりました。今にも泣きだしそうな箔に謝りをいれて、私は小雛花魁に近寄りました。彼女は、私に身請け話を受け入れる話を晴れやかにしました。私よりも彼は、気持ちを分かってくれるんだと。自慢げに話した後、これまた壊れそうな顔をするのです。花を散らした花魁は、胸をつく。はっと顔を破顔させて、泣き笑いのような、曖昧な表情を浮かべました。


「私は、あなたを忘れません。ですから、あなたも私を忘れないでください」


 廓言葉をはずし、真正面から白い小指を突き出しました。

 指切りです。遊女は愛を誓った相手に、指を切ることで、本当だということを示すことがあります。そして、私から離れないように、約束するのです。この約束は重く、中には本当に小指を切る遊女もいました。それを見て、慄きました。


「心中などしたくない」

「まったく、清は相変わらず鈍いなんす。そうではありなんし」


 私はなくなく指切りを致しました。といっても、指を本当に切るのではなく、小指と小指を結んで、謡うだけでした。指切りげんまん嘘ついたら針千本のます、とね。私はその針千本をのますにあたいする価値があるものかどうかも分かりません。ですが、この小指のからみは、一寸たりとも忘れたことはありません。


 身請けは来月でした。箔の水揚げと同時期に、行われる予定でした。


 私は、何もかも裏切りたくなったんです。指切りの重さなんて、抱えきれるものではありません。あの雪のような肌が汚され新造になる、私を兄として慕っている禿を、見たくもありません。気づいたら、そこにはいられませんでした。傘を持つ気力も尽き果て、雑用も身が入らず、食ものどを通らない。


 私は楼主に相談しお暇をもらい、数日中に吉原からでることにしました。

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