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まっしろ  作者: 千羽稲穂
4/8

小雛花魁

【注釈】

振袖新造…… 振袖を着て出た禿上がりの若い新造級の遊女

 吉原のような閉鎖空間におりましたら、いらないところの知識が豊富になり、かえって大衆の知るような知識が欠けていきます。したがって、生まれながらにそこにいる私は自身の感情、とりわけ性欲というものが欠けていました。他の男なら持っているものが私にはなかった。花魁を見て美しく、天上の存在と感じ取るのは、みな同じでありますが、その花魁と一夜を共にし、箔をつけたいとも思いませんでした。箔のような幼子にも興味がなく、振袖新造ふりそでしんぞのような若い女にも、男色なんしょくにも、ついぞ興味がわかないのです。だからこそ、若い男衆としていれはしましたが、遊女を慰める間男まぶには向きませんでした。そんな私が唯一興味を示したのが、幼子の箔でした。しかし、これとの関係は性欲とは、はるか遠いところにありました。男女の交わりのような妄想に箔を放り込むと、いつも気分が悪くなりました。家族、母でしょうか、私にはいやしませんが、身内を犯すような気持ちの悪さを抱くのです。私は、それほどまでに何に対してもあまり複雑な感情と言いますか、性欲など特により強く感じる感情は持ち合わせておらず、ぼんやりとしていました。


 これは箔がついていた小雛こひな花魁の言葉ですが、「清はいつもここにいないようなんす」と。花魁の目の前に私がいるというのに何を言っているのだろうか、と当時は思っておりました。ですが、今ならはっきりとわかります。私は、当時、いていないような曖昧な存在でした。人の形をしたなんとやらと申しますか。


 私は欲がない人間でした。強くでることも、涙を流すこともない。母も父もいず、そこにただ存在している。楼主は私に目をかけ、人にしてくれました。仕事をくれ、生活をなりたたせ、私に声をかけて、女だって紹介してくれました。残念ながら、楼主と私の間には言い知れぬ距離があり、私という人間を持て余しているようにも見受けられましたし、最後まで楼主は私に欲という感情を湧き立たせてはくれませんでした。


 そんな私がただ一つ、ねだったものがあります。ただ楼主を介さず、小雛花魁から知りえたものでして、名を何というものなのかも、どう入手しようものかも分からなかったのです。私は小雛花魁のもとに通い詰めました。夜の仕事が終わり、みなが寝静まる時も、私は障子越しに圧をかけて見守り、食事の配膳も私が名乗りをあげて持っていき、贈り物があれば私がとりつぎ、花魁がほしいものがあれば私が率先して取り寄せました。あまりに幽霊のように取りつくので、小雛花魁は私を色情魔だと鬱陶しがるようにもなりました。花魁の夢にまで出てきたそうですので、それほどまでに私はあれのことを思い続けていたのでしょう。それでも、不思議と出禁や折檻などといったものを受けず、花魁も鬱陶しがるものの、払いのけもせずに、その状況を受け入れているようでした。花魁の真意も、楼主の取り計らいも、私は知りもせずに、突然に沸き起こった欲に私自身異様なものに振り回されている自覚はありました。しかしながら、どうにも止まらなかったのです。なにしろ初めて、物がほしくなったのですから。それは青く晴れた空の下、花魁と禿が庭に出ていたのをちらりと見た時から、私はほしくて焦がれていたのです。


 数日間べったりとくっついていたものですから、その後花魁も根負けし、ようやく私に時間をくれました。禿を外へやり、私とふたりっきりになりました。部屋は息が詰まるような空気が漂っていました。言い出せずに、じりじりと蝋燭の蝋だけが零れ落ちていきました。血気盛んになる夏の夜ということもあり、その夜も店は盛況でした。花魁の一日の小一時間をいただいていることに気づき、言いどもりながら少しずつ私が見た、ある光景を話しました。


「あれがほしいのです」


 小雛花魁は私の話に耳を傾けると、くつくつと笑い出しました。その見た目とは相反した、下卑た笑い方です。金銭のやり取りをする悪代官を思わせるような、いっさい客の前に出せぬ笑いを私に聞かせた後、今日はここで一杯飲んでくんなまし、と色っぽい口調で取り繕いました。


「てっきりわっちをたぶらかすことくのかと思いんしたが、とんだ早とちりでありんす」なんて言い、また下卑た笑いを浮かべるのです。


 小雛花魁はそれから、私に酒を一合ふるまいました。花魁といえども、何をするにもお金がかかります。禿の衣類、食、もそうですが、自身を磨くものもとり揃えなければならない。その上、借金もありますから、いつだってじり貧です。それなのに、小雛花魁は、私に酒をふるまい、私の欲しい物のために数銭あまりの充分な銭を、禿の小遣いのように持たせてくれました。私の年は小雛花魁よりも下だったこともありましたが、思うに花魁の器量がなせるわざなような気もしました。花魁というのは他の者と器量が逸しているのでしょう。

 その夜は、花魁とずっとおりました。


 それからです。私は小雛花魁の間男として、花魁の部屋にあがることになりました。ただ初めに言ってます通り、このように欠陥を抱えた男です。間男には向きません。その後どうなったかはあなたのご想像に任せます。ただあの部屋では、女の嘘も、私の欠陥も、重すぎて爛れてしまうのは容易だったことだけは言い残しておきます。

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