箔と清
【注釈】
男色……BL
楼主…… 女郎屋の主人
間男……遊女が惚れた男のこと
禿……遊郭に住む童子
遣り手…… 遊郭で客と遊女との取り持ちや、遊女の監督をする年配の女
私は醜い者です。本来あの時死ぬべきでした。しかし、こんなどうでもいい者でも、話さなければらない事はあるものです。
まずは、私の出自を言わなければなりません。私の生まれは不詳で、物心ついたときには、周りはきらびやかな女の牢獄の中におりました。そうです、あの吉原にいたのです。生まれつき体が丈夫で、足腰はかたく、しかし女受けが良い顔をしておりました。そんなもんで重いものを持たせられることや、花魁や遊女に気に入られては声をかけられ、いじわるにもちょっとそこらまでひとっ走りといったように体のいい小間使いにされることが多々ありました。吉原で行きかう荷物は着物、櫛と、ありとあらゆる男から女への贈り物がありますが、特に花魁に送られる着物は量も多く、私はそういった物をよく持たせられ、えっちらおっちらと吉原の端から端へと持ち運びました。
とりわけ長柄傘は重かった。花魁に指しかける傘は背中から背負うようにし、柄を前へ差しかけるのですが、長い柄、これがまた重く、それを花魁の足に合わせて持ち運ぶので、ゆっくりとしか動けない。しかしながら、慣れてきたらそんなに苦しいものでもありませんでした。なにしろ、近くで花魁を見ていられるのですから。
私は知らぬ間に男衆として吉原におりました。そうして傘持ちをし、教養もないままに花魁を見ておりました。そこに何も感じておりませんでした。花魁を傍で見ていることに、私は幸せを感じておりましたし、なにより花魁に傘を差しかけることに誇りをもっていました。花魁は見ているとやはりはっとさせられる美しさを感じました。若い男衆の中には、間男になって、遊女と深い仲になるものもありましたが、私はそういうものにもならず、ただ見ているだけで十分でした。中には男色家なのかと私をなじるものもあったほどです。
あの子とあったのは、そうした生活に慣れてきたころでした。大正になったばかりでしょうか。あの子はどこかの身売り業者に私の店へと売られて来ました。肌の色さえ見えないぐらい灰をかぶり、黒く沈んだ瞳を、こう、見つめてくるんです。売られた女はみな、そういった諦念を秘めた目をしているものです。幼いながらに全てを悟っている子どもも中にはいますし、何も知らずに無邪気にくる子もいます。そういった子たちがこちらの色に染まるのは早く、禿となり早々にしこまれていきます。あの子も最初はどこかの知らない土地の方言で話をしておりました。誰も彼女の方言に太刀打ちできず、最初は何と言っているのか、分かりませんでした。どういったらいいかはわかりませんが、言葉がぐずぐずに溶けていたのです。そういう方言がきつめの子たちには廓言葉を話させます。すると、もととなった言葉なんて関係なく、そこの空気に早く馴染んでいくのです。あの子は幼子でしたから、それはもう早かった。数週間と経たずに、吉原ではどこにでもいる、花魁にひっつく禿になっていました。灰をかぶったような肌は、拭うと雪のようにまっしろで人目をひき、幼いながらに顔が整っていて、それでいて押したら零れそうなほどの儚げな雰囲気を纏っていました。一方で臆病で、他の禿よりかは花魁にとりいることはできず、芯はそれほど強くありませんでした。私たち男衆にからかわれたら、屏風の裏に転がり込み猫のように丸くなって泣いていたこともありましたし、雨が降っているというのに外の裏手で唇を噛みしめて悔しそうに顔を歪め空を眺めていたことも、しばしばで。私はそういったところを盗み見て、いたたまれなくなり、何度か内緒で傘を差しかけました。長柄の傘はさすがに持っていくことはかなわなかったんで、番傘をね。暑い日差しの中にいられちゃ困るというか、あの肌が黒くなるのはどうにも嫌だったんです。雨の中晒された肌や、寝転がってしわがよった肌、汚れる肌がこの子には似つかわしくないように思えましてね。あの子のような禿はたくさん見てきてはいたんですが、あの子だけは、吉原の色に染まろうといっこうに消えないまっしろな肌色をしていて、それであの子の傍にいてやらねばと思うようになったのです。そうして幾月か同じようなやりとりをし、あの子と他愛のないやりとりをするようになっていきました。私の生い立ちや、あの子の心の持ちようといった、ある意味愚痴とそうそう変わらないものを数言、誰も知らない場所で交わすようになっていったのです。そのたびに私達は傘の貸し借りをしました。
そうしてある日、私の番傘を持っているところを遣り手に見られてしまったのです。遣り手は若い衆からあの子が番傘を盗んだと、勘違いしました。あの子は言い返す度胸などありはしません。結局、折檻を受けることになりました。
折檻の光景を見たことがありますか。裸にさせられ放置される、または冷たい水をかけられたり、殴る、蹴るといった暴力的なものもありましたが、どちらかといえば恥をかかせるものばかりでした。他の若い衆はそれをしげしげと見にいくのですが、なにせ今回は私の失態ですので、いたたまれず耳をふさいで、部屋の隅っこに縮こまっていました。こんなことなら、あの子に気をかけないでいたらよかったとも思いました。私はあの子の傍にいたいと思っていたはずが、こんなことになるなんて。
庭につるされたあの子の顔には、雪に咲く椿のようにくっきりと赤が残っていました。幸いにも折檻は、殴る蹴るのみで終わっていました。私はなぜか安心していました。おそらく私はあの子の肌が汚れることに何か感じていたのでしょう。どういったらよいのか分からないのですが、その幼子に対して、私は身内のように近く感じていましたから。誰もいなくなったのを見て、私はこっそりつるされた彼女に会いに行き、謝罪をしたのですが、彼女は痛む頬を無理やり上げて、笑って言いました。
「傘をありがとうござりんした」
と、逆に感謝されたのです。幼子にこのようなことを言わせてしまったことに、私は大変つまらない者だと自身をなじり、楼主に直談判しに行きました。あれは私の番傘であり、あの子にあげたものだと、昨日の折檻は不当のものでありますゆえ、私に責任を課し、あの子に謝罪をしてください、と申し立てました。しかし、私の申し立ては払いのけられました。あの子が受け取った時点でそれはあの子の過失なのだと説得させられたのです。私は何も言い返すことはできませんでした。むしろ、私の申し立てに、周囲は囃し立てました。禿から気にかけて、間男になるつもりかい、なんて言われまして。情けないことです。私は若い男衆の中でもそれほど奇異な立ち位置にいました。あそこがないのかとも、言われましてね。誓いますが、私はあの子に対して一回も欲情はしたことがありません。それよか、他の、そこらの遊女に対しても。今にして思えばそれがいけなかったのやもしれません。私はあの場の中でただ一人潔癖を気取っているように見え、さぞ気持ち悪い存在でしたでしょうし。吉原にいる者はみな、清濁を併せのんでいます。私は、清いところしか見せていませんでした。だからみな面白くなかったのかもしれないですね。
それから、私はあの子のいる居間を盗み聞くようになりました。障子に穴を開けるなんて禿のようなことはしません。ただ部屋の外からこっそりと会話を聴くだけです。あの子はひどいことをされていないか、いやに気になりました。今度何かあったなら、私が庇おうと思うようになったのです。すると今度は遣り手の手先にでもなったのか、となじられたりしました。いうやつはとことんいうのです。
花魁に飴をもらい、はしゃいでいるあの子を盗み聞いていますと、花魁が私を呼びました。
「清」と。私は呼びかけに応じて障子を開けます。花魁がこっちへと手を振りました。花魁となるものは、所作から違っています。あとは香りですね。あのように女性の香りを漂わせていると、私も気が変になりそうでした。花魁は私のことを禿に紹介すると、禿の名を教えてくださいました。
あの子の、禿名は「箔」と言いました。