愛なんて
僕たち、いや『人間』は一人では生きられない。
俺は味方などいらない、などと曰う人間もいるが、そんなやつでも小さい頃誰かに育ての愛を受けなければ、そんな妄言を吐き散らすほど大きくはなれない。
要するに、人間は一人で生きられないほど『弱い』のだ。
そんな弱い人間が、後世まで種を繋ぐために行う
ことがある。今の言葉で言うと、『生殖』という。
そう、『生殖』とは、自己の記憶を、血を、そして種を残すための、本能に基づく行為なのだ。ただ、多様なものを存続させるためだけにあるものなのだ。
だからそこに、愛なんてものあってはいけない。
妻は太陽のような人だった。よく笑い、よく笑わせる。絶えず自分に語りかけてくるその姿に『あったかい』何かを感じてしまう。そんな人だった。
だからこんなにも早く、いなくなってしまったのだろう。
用はお天道様が嫉妬したのだ。
「自分よりあったかい人間がいるとは何事だ!」
なんて言ったのだろう。お天道様に嫉妬なんてされてしまったら、それはもう容赦なく連れていかれるに違いない。
まあでも逆に考えれば、お天道様に嫉妬されてしまうほどには素晴らしいお人だったという事だ。そんな素晴らしい人と少しの間でも一緒にいられただけで、幸せ以外の何者でもない。
一緒に夕飯のメニューを考えて、イタリアンを一緒に作って、メインのパスタは少し固かったけど幸せだった。星が降っているような夜景を見に行って、夜景に見惚れた君しか見ていなかったせいで夜景の感想などロクに言えなかったことも幸せだった。いつか出来るはずの子供の名前を考えたりして、女の子だった時には絶対私に決めさせろと意気込んでいる姿を見るのが幸せだった。そんな事を喋っているうちに張り切って、繋がった夜も幸せだった。
君が急に倒れたと聞いて、仕事を投げ出して病院に向かうと、君はわけのわからない器具を身体中に付けていた。
やっと意識が戻って、
「元気出しすぎてエンストしちゃったんだよ。
急に倒れちゃって申し訳ないね〜。」
なんて口だけの冗談を言っていた時も、君がいなくならないのであればそれでいいと幸せだった。
治療の影響で二度と子供は生めないと宣告されても、それで君が治るのであれば構わないから幸せだった。
いくら君が細くなろうと、青白くなろうと
「きっと帰れるよ。だからこれからも側にいてね。」
と強がってくれることが幸せだった。
でもやっぱりお天道様は許してくれなくて、妻が逝ってしまう時も、最後まで僕の手を握ってくれていた。
愛してる、とその手が言っていた。
だから幸せだった。
幸せだった、はずなのだ。
幸せだったはずなのに、残された僕はこんなにも苦しい。
話を戻すが、『生殖』に愛など必要ない。
僕たちがやろうとしたことは、とどのつまり『生殖』である。そこに、愛なんてものを、幸せなんてものを持ち込んでしまったから僕はこんなにも苦しいのだ。人間、生きてるうちに別れは来る。それが速くても遅くても、順番通りに必ずやってくるのだ。愛は、幸せは、それを苦しいものにしてしまう。苦しいから人を愛していたはずの僕たちは、いつの日か人愛していたせいで苦しくなる。
だからやっぱり愛なんて必要ない。いつか精算させられるような幸せなら、最初から無い方がよっぽどマシだ。
きっとそうだ。そうであってくれ。
そうじゃないのだったら、僕は苦しくて生きていけない。
僕のよりひとまわりも小さい靴下に、一緒に歩いた歩道橋に、フローリングに付いた傷一つに君を見つけてしまう。
過去に積み上げた愛をいつか乗り越えられるまで、僕が背負うこの幸せは、『呪い』に変わってしまうのだ。対象がいなくなって、形の変わってしまったこの『愛』という『呪い』を乗り越えられる日なんていうのは、僕が死んでしまうまで来ないだろう。
だって、君を愛してしまったから。幸せだったから。
愛したせいで、これから先『生殖』の出来なくなってしまった僕は、これからどうなってしまうんだろうか。本能も忘れてしまってただのうのうと生きながらえてしまうのか、それとも本能に反しているようなやつは世の中に必要ないと、神様がつまみ出してしまうのだろうか。答えは分からない、色を失った生活が、何十年後かにやっと教えてくれるのだろう。
重ねて言おう。
『生殖』に、愛なんてものあってはならない。
愛があると、本能も忘れて人を好きになってしまうから。