第一章3 足りないもの
「……あの子、来ないな」
山の奥地に住んでいる青年が、すっかり太陽の落ちた窓の外の空を見て呟く。
人と出来るだけ関わらないように生きてきた彼だが、あのような別れ方をしては気にするなという方が無理だ。
青年の名前はイクス。二十年ほど前に死別した母親がそう呼んでくれていた。
彼こそがマクアの求める魔人だ。
魔力が暴走し魔族と分類されてしまった母と、人間の父親から生まれた魔族と人間のハーフ。そして、過去の戦争のきっかけになったのもイクスだ。
魔族の中でも将軍と呼ばれていた彼の母親と愛を契り、子を作った父親は人間に殺されてしまった。禁忌の行為だったから。
それは戦争の引き金となり、魔族と人間の両者から大量の死者が出ることになった。
今でこそ友好的な関係を築く事例すらあるほどだが、未だに魔族は人間に良い印象を持たれてはいない。
なので見た目は完全に人間であるイクスは、極力人間たちと関わらないように山の奥地でひっそりと暮らしている。
だがそれは彼にとって非常に退屈で味気のない日々だった。
目的もなく、生きる理由もなく、かと言って死ぬ理由もなく、生きているというよりは、ただそこに存在しているだけ。
そんな彼にとって、マクアのような人間と出会うのは軽い衝撃を与えるものだった。
山の奥地に住んでいると言っても、街に買い物に行くこともあれば、山に迷い込んだ人間を助けたり、行き摺りの女性と関係を持ったこともある。
だが、マクアみたいな人間とは出会ったことがなかった。
イクスのことを目的として山の奥地に進もうとし、更には言ってることも意味不明でめちゃくちゃな人間。身体も小さく力を持っているようにも見えないのに、やたらと自信満々な彼女にイクスは少し興味が湧いていた。
彼女は辿り着くから待っていろ、とは言っていたが少しばかり遅過ぎる。普通に山を登っていたらもっと前に辿り着くはず。
考えられるとすれば、イクス自身が逃がした魔物の親子に襲われている可能性。急に遅いかかってきたから返り討ちにしたものの、逃げる姿を見て何となく殺す気も失せて逃がした魔物だ。
もし襲われているとしたら、既に彼女は生きていないのかもしれない。
「少し見に行ってみるか」
そろそろ夕食の支度をしようとしていたイクスだが、その前に一度山の中を見回りに出かけることにした。
あの女の子の死体が転がっているのを目撃したら食事は取らなくていいか、などと思いながらも身支度を整えて家の扉を開く。
「!」
すると扉の数メートル前に、包帯だらけで多量の血に塗れた少女が右足を引きずりながらこちらに向かってくるではないか。
「よう、待ってろって言ったのに」
「お、おい! 大丈夫なのか?」
あまりに凄惨な姿にイクスは驚き駆け寄る。マクアはそのまま前のめりに倒れるが、何とか間に合い抱き留めた。すでに気を失っている。この出血量なら無理もない、本当に極限状態だったのだろう。
すると彼女の少女のような見た目不相応に膨らんだ胸部の間から、謎の小人が出てきて泣きそうな目でイクスを見て叫ぶ。
「むー! まくあをたすけて!」
「な、なんだ誰だ? 生き物か?」
「おねがい! たすけて!」
「……分かった、このままには出来んしな」
「むー!」
イクスはマクアを両手で抱き抱えると、家の中に連れ込んだ。
〜〜〜
……私はどうなった。死んだのか? 最後に残っている記憶は焦って駆け寄るターゲットの顔。
目の前は暗い、目を閉じているから。あちこち痛い、怪我をしているから。なんだ、痛いってことは生きているのか。
「意識が戻ったみたいだな」
目を開いて横を見ると、椅子に座るターゲットの姿。私の目的、強い魔人。
私は恐らくこいつのものであるベッドに横たわっている。ぶかぶかの大きなシャツだけ着せてあって、下着すら脱がされていた。包帯は新しいものに変えられている。こいつがやってくれたのか。
「あー、すまんな。色々と見てしまった」
「おめでとう、お前が男で初めて私の裸体を見た者だ」
「そ、そうか……すまんな」
冗談のつもりで言ったが嫌味に聞こえてしまったか。真面目なやつだ。
「時間は?」
「朝の九時だ、半日以上寝てたぞ。まだ動けないだろうから大人しくしていてくれ」
「そうだ! むーちゃんはどこ?」
「むーちゃん? ああ、こいつか?」
魔人の男は手のひらに乗せた小人の少女を私に見せる。すやすやと寝ている、とりあえずは無事なようだ。
「数時間前まではあんたを心配して起きてたんだが、流石に疲れたのか寝ちまったよ」
「そっか……って、もしかして私の看病であんた寝てないの?」
「ん、まあそうなる」
ず、随分と親切な奴だな……私の素性も知らないのに。しかも下心が無さそうだ、私の容姿に琴線が触れないという理由なら腹は立つが。
「色々迷惑かけたね。私はノスラプラ・マクア、あんたは?」
「イクス。好きに呼んでくれ」
「了解、よろしくイクス」
「ところであんた、俺に何の用があってそんなになるまで頑張ってるんだ? 特に良いものなんて持ってないぞ」
そうだ。それを説明しなくては、そして交渉しなくては。
私の二体目の召喚獣になってくれという、無茶なお願いを。
「持ってるよ。私が持ってなくて、あんたが持ってる大きなもの」
「それはなんだ?」
「力、だよ。強さ、それをあんたは持ってるじゃないの」
私には無いもの、と言い切ってしまうのも悲しいことなのだが、事実は事実だ。ねじ曲げようがない。
「つまり、私は力を求めて来たんだ。単刀直入に言うぞ、私の召喚獣になってほしい」
「……は?」
まあ、その反応になるだろう。私の言ってることは意味不明だし、詳しく説明すればより意味不明になってくるというものだ。
「私は召喚士なんだ、むーちゃんは私の召喚獣」
「召喚士か……知識としては知っている。召喚獣は一体しか持てないはずじゃないのか?」
「それは召喚魔法を用いての話しだ。あんたが私に付き従うってだけならルールも何もない」
「それで召喚獣になれってことか、ふむ……」
イクスは立ち上がると、あまり広くはない家の中を一周だけする。
「俺のメリットは?」
「メリットがないと付き従えないかい? こんな美少女の頼みだよ?」
「まあ容姿は良いとは思うが、多少幼過ぎ……いやなんでもない」
幼過ぎるって言ったなこの野郎。否定出来ないのが一番腹立つぞ。
「メリットはあるさ。イクス、今の人生満足してる?」
「…………」
返答に詰まっている。やはりそうか。私の読みは当たっていた。
恐らくイクスには生きている理由が自分で分からないのだ。力を持っているのにも関わらず、それを一切活用してないところを鑑みるに、自分が何をしたいのか、何をすればいいのかを何一つ理解していない。
「イクス、あんたは私と違って力を持ってる。でもね私もあんたに足りないものを持ってるんだ」
「俺に足りないもの、か」
「証明しようか?」
「そうしてくれると助かるが」
「ならイクス、私と戦ってくれ。証明してやる」
私はベッドから起きると、イクスの前まで進む。戦うことは目的ではないが、目的を果たすために戦うのが早い。
「待て、傷も塞がり切っていないはず。そんな状態でまともに動けないだろう」
「ああ、その通りだ」
言う通り。傷に対する処置はかなり丁寧に行ってくれたようだが、本調子とは程遠い。血液量も戻っていないだろうし、激しく動けば傷口が開く可能性も高い。
「そもそも、言いたくないがお前では俺に勝てん。その傷、俺が逃した魔物から受けたものだろう? あいつらにそこまで苦戦するようでは勝負にならんぞ」
「うむ、それもそうだ」
「だから……」
「で、それが? なんだって言うの?」
「は?」
イクスの言っていることは全て正しい。
私の実力では身体の状態が絶好調でも手も足も出ないだろう。遥かな力の差は毛ほども縮まらないのだろう。
だがそれは、勝てない理由だ。
「私が勝てないのはよく分かったよ。だから、さっさとやるぞ」
「何を言ってる? 意味が分からん」
「イクス、あんたが述べたのは私が勝てない理由だ。でもね、何一つとして戦わない理由にはならん」
「戦わない……理由?」
そう、勝てないのは百も承知。だからなんだ、それがどうした。勝てないから戦わない。
違う、私がイクスに示さねばならないことはそうじゃない。こいつに足りないもの、それを示すために私には理由がある、戦う理由が。
「……どうしても、って言うなら断らん。が、手加減はしないぞ」
「殺す気で来いよ、イクス」
ま、こんなこと言っても無駄だろうけどな。イクスの目を見れば分かる。
「んみゅ……? むー?」
私たちが戦いの約束をすると同時に、むーちゃんがイクスの手の中で目を覚ます。
「まくあー!」
むーちゃんは私に飛びつくと、胸のあたりに着地して何とかシャツをよじ登ろうとしている。なんだなんだ、可愛いなぁ。
「まくあ、げんきでた?」
「ぜーんぜん、もうフラッフラって感じ」
「ふにゃふにゃ?」
「似たようなもんね」
むーちゃんは私の胸の間にすっぽり入ると、ニコニコ顔で私を見上げる。気に入ったのかな、そこ。
「そのむーちゃんとやらが君の召喚獣なんだろ? 召喚士は召喚獣に戦わせると聞いたことがあるが」
「普通はね。召喚士はそのせいで肉体能力や魔法力が極端に低い。でも、あんた……この子に戦わせようって思う?」
「ん、んん……それは確かに思わんな」
「そゆこと。なぁ、むーちゃん」
私はむーちゃんの頭を二度ほど撫でると、先刻に突如出現した謎の赤い果実のようなものに触れる。
ティアラのように連なった七つの小さな球体は非常に美しく、むーちゃんのふわふわとした髪の毛によく似合っている。だが、ただのアクセサリーというわけではないのだろう。
あのタイミングで、むーちゃんはこの頭の果実のようなもので何かをしようとしていた。これが一体何なのかはまだ分からないが、何かしらの意味を持っているはず。多分。
「で、いつ戦おっか? 私としては今すぐでも」
「慌てるな、まずは朝飯だ。あと着替えろ、服は洗って乾かしてある」
「へぇ、気が利くじゃんか」
人との関わりが薄いとは聞いていたが、一般常識に乏しいというわけでもなさそうだ。私を裸にして処置したことは正直言って緊急を要するものだっただろうし、私も一切気にはしていない。
私はイクスが用意してくれた朝食を一緒に食べる。むーちゃん用にも小さな取皿で分けてくれた。
「美味いね、料理とかあんま得意じゃないから凄いと思うわ」
「そりゃどうも。一人でいることが長かったからな」
「母さんも料理上手だし、やっぱ女は料理出来た方が良いと思う?」
「え? どうだろうな。出来ないよりは出来た方が便利だろうが、出来ないのも個性じゃないか?」
へぇ、面白い考え方だ。嫌いじゃない。私に気を遣って言葉を選ぶなんてことはしてないだろうし。
「……一つ、聞きたいんだけどさ」
「どうした?」
「なんであの魔物の親子を逃したの?」
一瞬、イクスの食べる手が止まる。
「気まぐれだ、深い意味はない」
「ふーん、その気まぐれのおかげで私は死にかけってことだ」
「そ、それを言われると、すまん……」
私の冗談に少し本気で反省しているイクスを面白いなと思い微笑む。
やっぱり無意識なのか。気まぐれと言ったことは嘘ではないのだろう。本人はそう思っている。
「イクス、やっぱあんたは私と戦うべきだわ。今日があんたの人生の分岐点になる」
「随分と自信家だな。そんな力が君にあるとは思えないけど」
「力はないさ、でもあんたが持ってないものを持ってる。それに気が付かせてやっから、覚悟しときなー?」
「マクア、だったか? 変な奴だな」
「あはは、私は変な奴さ。そして天才にして最高最強の召喚士! あんたを手に入れてそうなる予定だ」
私は用意してもらった朝食を素早く食べ終えると、後片付けの手伝いをする。大人しくしていろと言われたが、ここまでしてもらってそうはいかないだろう。
片付けを終え、洗ってはあるが未だに血の跡が少し残っている元の服に着替えると、私は身体の具合を改めて確認する。うむ、最悪ってところだな。
「なぁ、本当にやるのか?」
「私に二言はない。やると言ったら必ずやるよ」
「どうなっても知らんぞ」
イクスがため息をつきながらも外へと出て行ったので、私もそれについて行く。むーちゃんはまだ食事中。
「食後すぐにとは、結構やる気じゃないの」
「さっさと終わらせたいだけだ」
「ルールとかは?」
「何でもありで構わん。君が勝てば召喚獣にでも何でもなってやる」
わお、何でもあり? 大得意だよ、そんなルール。本当に甘い、こいつは。多大なる力を持っているからこそ、私に対して余裕がある。だが余裕なんていうのは、言い換えてしまえば油断と同じ。
「ちょい待ち、靴紐結ばせて」
「ん? ああ、好きにーー」
私はしゃがむと同時に足元の砂を握り駆け出すと同時にイクスに投げつける。一瞬だけの目眩し。
「好きにするさっ!」
イクスは咄嗟に反応して砂を振り払うと、肉薄した私を止めるべく手を突き出す。だが遅い、あまりにも。
私の速度に合わせている、私を止めることだけを目的とした一手でしかない。
私は繰り出された手首を握り引き寄せ加速すると、さらに一歩踏み出して思い切りイクスの腹を殴り付けた。
「いって……硬い腹筋してんねぇ」
だが声を出したのは私の方だった。殴りつけた拳からジワジワと痛みが走る。
「……驚いたな、一発貰うとは」
「驚いたろ? 予想外の一撃ってやつだね」
私は手を引っ込めると、そのままイクスの肩をポンポンと叩く。身長差がかなりあるから叩きにくいなぁ、もう。
「例えばだが、私が猛毒のナイフを装備していたらイクスは死んでたわけだ」
私はヘラヘラと笑いながら淡々と喋る。
「例えばだが、私の力が想定よりも遥かに強く今の一撃でイクスを戦闘不能にしていたかもしれないわけだ」
「…………」
「例えばだが、私が触れたら即死させる魔法を持っていたらイクスはもう絶命してるわけだ」
「何が言いたい?」
「ナメてたろ? 私のことを」
「!」
そう、イクスは明らかに私を侮っていたのだ。警戒せずとも勝てるから、何かおかしなことをしたら見てからでも対応出来るから。
「猛毒ナイフを装備していたらもっと警戒してたろうな。私の言ってることは結果論でしかない。だが、事実でもある」
甘さ、油断、私はそこを突いただけ。何も難しいことではない。ほんの少しだけ想定を上回る行動をするくらい、私には簡単なことだ。
「あんたは良い奴だ。だがあまりにも甘過ぎるよ」
「甘い? 俺がか?」
「あんたは魔物の親子を逃したことを気まぐれだと言った。でも本当は、子を庇う親の姿に戦う気力を失ったんだ」
「…………」
「私は奴らを殺して生きている。生きていたいから、もっと広い世界を見て回りたいから。私には生きていたい理由がある」
イクスの肩から手を離すと、私は地面に大の字に寝転がる。
「だが、力がない。外の世界で生きていける力を持っていない。今この瞬間に、イクスは私を殺すことが出来るはずだ」
無防備な私を殺すことは何も難しいことではない。イクスにとっては息をするよりも簡単なことだろう。
「でもあんたは殺せない、その覚悟がない。あんたには生きている理由がない、目的がない、だから人の命を奪えない。殺してでも生きていたいと思ってないから」
魔物を殺すことは、自分に対して害があるものだから出来るだろう。だが意思を持ち、少なくとも一晩看病した相手を殺すことは、イクスには不可能なのだ。
力を持っているからこそ、自分の害になるかどうか分からない相手の生き死にを自分が決められる。不自由がないという不自由。
自分の世界の全てを決められる力を持っているからこそ、こいつは何も選ぼうとしない。
イクスの世界には色がない、音がない。何もない。
「イクスあんたに足りないもの、それは生きる理由。私に足りないものは力。私たちって、両方とも足りないものを持ち合わせてると思わない?」
「生きる理由……か」
「私があんたの生きる理由になる。私を守れ、私と一緒に進め、私の隣で、私の小さな歩幅に合わせてゆっくりと歩け」
「ふふ、随分と上からモノを言うんだな」
「もしそれが嫌なら、ここで私を殺すか、手足でも奪っておけよ」
「は?」
「警戒を強めたあんたに今打てる策はもう無い。だがここで私の頼みを断れば、私は力尽くであんたを従える。どんな手段を取ってでもだ」
私は上体だけ起こすと、真剣な瞳でイクスを見つめる。
「だから断るなら次に会うことがないよう、殺すか、手足でも奪うか対応しとけって言ってんのよ」
「……あんた、一々おっかないよ」
苦笑いするイクスに私は不敵に笑い返す。実際これは冗談ではない、それはあっちも分かっているだろう。私はやると言ったことはやる人間だ。
「どうする? イクス?」
「……本当にあんたと一緒にいたら、今の俺は変わるのか?」
「当たり前だ。私が変えてやるよ、あんたの全てを。だから、イクスは私を助けてくれ」
イクスは腕を組みしばらく考えると、参ったというような表情で笑った。
「ま、別にいいか。どうせ俺はここにいても仕方がない、だったらマクア……あんたと一緒にいてやる」
「そうかい、そいつはありがたいことだ」
「召喚獣って括りなんだろ? マスターとでも呼べばいいか?」
「んなもん好きに呼んでくれ。主従関係を徹底しろなんて言うつもりはないさ」
思ったよりもあっさりと納得してくれた。もちろん心から私に対しての信頼を預けたわけではないだろうが、今はそれでもいい。
これから私が信頼されれば良いだけだ。
「まくあー、おわった?」
開けっぱなしの扉からむーちゃんがトテトテと歩いて出てくる。食べ終わった後、私たちのことを見守っていたようだ。
「あ、イクス、むーちゃんはあんたの先輩召喚獣だから敬語使え」
「この子にか⁉︎ よ、よろしくお願いします……」
「あっはは! 冗談だよ」
二体目の召喚獣との契約を終えて、私たちはイクスの家に戻ると今後のことを話し合った。
「とりあえずは私の家に一緒に来て欲しい、母さんに紹介する」
「母さん?」
「魔族なら聞いたことない? ノスラプラ・シンテって名前」
「! あるさ、マクアの母さんだったのか」
一瞬イクスの顔が曇る。それもそうか、魔族にとっては母さんの名は恐怖の対象。過去の魔族と人間における戦争で最も戦果を挙げた母さんは、言ってしまえば最も多くの魔族を殺した人間ということでもある。
「……気、変わった?」
「いや、もう終わったことだろう。別に俺は魔族にも人間にも執着はない、恨むこともないさ」
「そっか、良かった」
次にいくつかのルールを決めておく。私たちの間だけのことだ。
まず、聞きたくないことは聞かなくていいということ。
私が一応召喚士でマスターという位置付けではあるが、それに逆らうことは一切咎めない。イクス自身が間違っていると思えば、従う必要は全くない。
また守りたいと心から思った時のみ守れば良いということ。命の危機に晒されて、それでも私のことを守りたいと思えば守り、そう思わないなら逃げてもいい。
召喚士と召喚獣という関係はあくまでも口約束の範疇で、イクスにはイクスの意思を優先してもらいたいのだ。
「なんか雑なルールだな」
ルール決めの最中にイクスがそう言った。
「人と人のルールなんてもんは雑でいいのさ。ガチガチに決めるよりも、あんたにはあんたの意思で選ぶということをしてもらいたい」
「俺の意思で選ぶ、か」
「私を見限るならそれでもいいさ、自分に背く必要はない」
「いいのか? そんなこと言って」
「見限られるわけがないからね。この稀代の天才召喚士マクア様だぞ? 例え神に見限られても、私は私を見限らない」
私は胸にトンと手を置く。
「あんたに見限られたらそれまでの女だってことさ。でもきっと、あんたには私が魅力的に見えると思うよ」
「魅力的かは知らんが、そこまで自信満々なのは面白いなと思うぞ」
「それが魅力を感じるってことさね。惚れるなよ? ま、惚れることは咎めないが」
「見た目が幼過ぎ……いや、なんでもない」
「おい、聞こえてるぞ。なんならさっきも言ってたろ」
幼過ぎる見た目も個性だ。とは言いたいが、私ももう少し大人っぽければなぁとは思う。私とイクスで歩いていたら歳の離れた兄妹にしか見えないだろう。
「旅の目的は世界を見ることだっけか? それは楽しいのか?」
「私と一緒に見るんだ、楽しくないわけがないさ」
「本当にどっから来るんだその自信、ふふ」
あ、笑った。ちょくちょく笑顔を見せてくれるようになったな。
「……面白いと思うのも本当に久しぶりな気がするよ」
「そりゃ良かったじゃんか」
「マクア、あんたは本当に凄いやつなのかは知らんが……俺の人生であんたと出会えたことは価値があるのかもしれないな」
「そういうのは価値を見出してから言えばいいの! 今はあんたに何もしてあげられてないんだから」
そう、全てはこれから。イクスが仲間になるのはゴールではない。スタートでもない、準備だ。
私の旅は全てここから始まる。
「あ、それとイクスの甘さも徹底的に直していくからね!」
「ああ、頼む」
「ず、随分と素直ね」
「自分を偽らなくていいんだろう? 俺はお前に頼りたいと思ったんだ」
「はん、任せなさいよ。ぜーんぶ私にドドーンとね」
イクスにとって、誰かを頼るということ自体が今までに無かったのだろう。だから、これだけでも大きな進歩なのだ。
なんだ、イクスはもう踏み出しているんじゃないか。
だから、私もイクスに見合うマスターに、むーちゃんが誇れるマスターに。
最高最強の召喚士になるんだ。
「よし! イクス! むーちゃん!」
「な、なんだ?」
「むー!」
「私は最高で最強の召喚士になる! そしてあんたらは最高で最強の召喚獣になれ! マスター命令!」
私は立ち上がると右手を掲げて大声で叫ぶ。
むーちゃんとイクスはきょとんとした後に吹き出したように笑った。
「了解、マクア」
「むー! さいこーさいきょー!」