9.セシーリアの護衛
先日の舞踏会の帰りに襲われた。セシーリアが襲撃犯に命じたに違いないとアデラから告げられた王太子は、セシーリアが犯人だというアデラの言葉には同意できなかった。嫉妬するほどの激情をセシーリアが持っているとは思えなかったのだ。しかし、カルネウス公爵ならばやりかねないとも感じていた。
「フレデリク、アデラを護衛して無事グランフェルト伯爵邸まで送り届けてほしい。私の愛情を得たことでアデラが襲われるようなことがあれば、王家の体面に傷がつく」
王太子は再度フレデリクに命じた。こうなれば命令の背くことはできない。フレデリクは心配そうにセシーリアを見た。王太子がアデラへの愛情をはっきりと口にし、アデラへの襲撃があたかもセシーリアのせいであるような態度だったので辛い思いをしているのではないかと心配した。そこで初めてセシーリアの後ろに立っている令嬢がブリットであることにフレデリクは気がつく。ペータルはブリットを放っておいてどこへ行ったのだと怒りを感じるが、王太子の護衛中に私事で気を逸らすことはできない。
「殿下。それではイェルドに数人の騎士を選びセシーリア様の護衛をするように伝えてきますので、しばらく任を外れることをお許しください」
今夜の舞踏会には王は参加していないので、当然王の近衛騎士もこの会場にはいない。王太子の筆頭護衛騎士であるフレデリクが今夜の護衛責任者だった。
「いや、フレデリクはこのままアデラを送ってほしい。イェルドにはエーギルとナータンに連絡させよう」
少し離れて立っているエーギルとナータンは王太子の側近なので、もちろん王太子の護衛騎士であるイェルドのことを知っていた。
「しかし、エーギル殿とナータン殿の手を煩わせるのは忍びません」
フレデリクはイェルドのことを信頼しているので、セシーリアの護衛を任せるのは吝かではない。しかし、エーギルとナータンが確実にイェルドへ護衛の件を伝えてくれるか疑問だった。
「フレデリク殿、気にするな。イェルド殿にセシーリア様の護衛を頼めばいいのだろう? 先ほど会場内の護衛をしていたイェルドを見かけたから大丈夫だ。フレデリク殿はアデラ嬢の護衛を頼む」
フレデリクが止める間もなく、そう告げたエーギルが小走りで会場の中へと消えていく。慌ててナータンが後を追った。
そんな二人と入れ替わるようにテラスに出てきたのは、ブリットを探していたペータルだった。
「ブリット姉さん、こんなところにいたのか? あ! 王太子殿下。失礼いたしました」
十五歳のペータルは正騎士に叙任されたばかりだが、年が近いこともあり、第三王子の護衛騎士を務めていて、王太子とも顔見知りだった。
「ペータル、良いところにやってきた。これからブリット嬢と一緒に馬車止め場まで行くのだろう? セシーリアもついでに連れて行ってやってくれないか」
ついでに連れて行けとは、王太子の物言いは婚約者のセシーリアに対してあまりにも軽いと、フレデリクもブリットも不快に感じるが、王太子に意見することもできない。
ペータルも驚いてすぐに返事ができずにいた。
「それでは、殿下。お言葉に甘えて、わたくしはこのまま下がらせていただきます。ペータル様、馬車までご一緒お願いできますか?」
王太子に向かって優雅に礼をしたセシーリアは、ペータルに微笑みかける。美しい年上の女性に微笑まれたペータルは顔を赤くしながらも大きく頷いた。
「お任せください」
「わたくしも失礼いたします」
ブリットは緊張しているのか、少しぎこちなく礼をして、歩き出していたセシーリアとペータルの後に続く。
「ブリット嬢はとても愛らしい女性になったね。フレデリクの妹とはとても思えない。でも、ベンノから婚約を破棄されたのだって? 可哀想に。先ほどベンノを見かけたのだが、新しい婚約者はとても魅力的な女性だった。私が先に彼女と出会っていれば、私のものにしたのに。そうすればベンノは婚約を破棄することもなかったのにね。とても残念だ」
王太子は軽い冗談のつもりかもしれないが、アデラの機嫌が目に見えて悪くなる。
「あら、私を捨てるつもりなの?」
「そんなことはしないよ」
王太子はできればドリスを手に入れたいと思っていたが、公妾は一人とは限らないので、アデラを捨てるつもりもなかった。
「殿下。ブリットは婚約を破棄さたわけではなく、話し合いのうえ婚約を解消したのです。ブリットの願いでもありましたから」
そこは譲れないフレデリクだった。
「そうなのか? ブリット嬢が辛い思いをしていないのなら良かったな」
王太子は笑っていたが、アデラは不快そうに眉を上げる。王太子の口から他の女の名が出ることに我慢できなかったらしい。伯爵令嬢であるアデラは王太子の公妾などになるつもりはなかった。彼女は王妃の座を望んでいたのだ。愛されていないセシーリアより、自分の方がよほど王妃に相応しいとアデラは思っている。
「それでは、フレデリク様、護衛をよろしくお願いいたします」
自慢の角度で長身のフレデリクを見上げながらアデラは微笑んだ。あざとい女だと彼は思ったが、仕事なので頷くしかない。
馬車止め場では、カルネウス公爵家の馬車にブリットとペータルが乗っていた。公爵邸と騎士団長邸は同じ方向にあり、距離もそれほど離れていない。護衛を待つ間一人になるのが心細かったので、セシーリアが二人を誘ったのだ。
ブリットが乗ってきた馬車は先に帰してしまった。
「それにしても、イェルド殿たちは遅いな」
馬車に乗ってかなりの時間が経つ。セシーリアとブリットは楽しそうに話をしているが、ペータルは手持ちぶさたに感じていた。
何台も停められていた馬車も一台一台と出ていき、数台が残されるだけになった。あたりは一段と暗さが増したようだ。日付が変わる時間が迫っている。
「本当に遅いわね。連絡が上手くいかなかったのかしら」
セシーリアとの話に夢中になっていたブリットも少し不安になってきた。このままでは眠くなってしまいそうだ。とおに就寝時間は過ぎている。
「本当ですね」
セシーリアもブリットとの会話は楽しいと感じていたが、年下のブリットやペータルをあまり遅くまで引き留めることはできない。年若いとはいえ近衛騎士のペータルもいるので、このまま家へ帰ろうと思っていると、ようやく蹄の音が聞こえてきた。
「セシーリア様、お待たせいたしました。我々が護衛いたしますので、出発いたしましょう」
馬車に近寄ってきた五人の騎士の一人が車内に声をかけてきた。
「ちょっと待ってください。イェルド殿はどうしたのですか?」
窓の外を見たペータルはその五人の誰にも見覚えがないことに戸惑っていた。近衛騎士になって日が浅く、顔を知らない同僚も多くいるのは事実だが、フレデリクの友人で兄と並び近衛騎士最強と称えられるイェルドのことはよく知っていた。
「我々はイェルド殿から頼まれました」
近衛騎士の制服を着ている男たちを疑う根拠はなかった。なぜか違和感を覚えながらも、ペータルは頷くしかなかない。もう夜も更けている。これ以上セシーリアの帰宅を遅らせるわけにはいかない。