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7.婚約は解消された

 騎士団長邸を訪れたベンノは、家令に応接室に案内され、ソファに座るように勧められた。向かいには騎士団長が座っている。無表情なのが却って怖い。騎士団長の横に座ったブリットは、俯いたままで表情がわからない。その後ろには憤怒の表情を浮かべたフレデリクが立っていた。今にも剣を抜きそうな勢いだ。

 いきなり婚約解消の話をするよりいいだろうと、予め手紙を出していたが、ベンノはそのことを少し後悔していた。

 沈鬱な表情の侍女が茶を淹れるが、とても喉を潤すことができるような雰囲気ではない。

「手紙は受け取ったが、もう一度君の口から説明してもらおうか?」

 相変わらず騎士団長は無表情だが、その声はとても低く怒っていることが手に取るようにわかる。


「はい。ブリットは僕にとって妹のような存在なのです。家族としての親愛は持っておりますが、このまま妻とすることに躊躇いを感じます。このような気持ちで結婚しても上手くいかないのではないかと」

「嘘をつくな! そんな綺麗ごとを言っても騙されないぞ! おまえが地理局の侍女と仲良くしていることは把握している。フェーホルム男爵家の娘らしいな。彼女と結婚したいがため、ブリットを捨てようというのだろう!」

 ベンノの弁解が終わらないうちに、フレデリクが大声で怒鳴った。彼の真っ赤な髪がまるで怒りの炎のように見える。


「僕は燃えるような恋がしたい」

 しばらく答えを考えていたベンノは、ぼそっと口にした。ドリスのことを否定しようとは思わない。

「勝手なことを言うな! そんなわがままでブリットを悲しませるのか! 絶対に許さない」

 大きく息を弾ませながら、フレデリクは剣の柄に手をかけている。大切な妹のためならば、国に捧げた神聖な剣でベンノを脅してでも考えを改めさせようと思っていた。


「お兄様、やめて! もういいの。私もベンノと同じ気持ちだから。ベンノのことは好きだけど、その想いがフレデリクお兄様やペータルへ向けるものと違うとは思えないの」

「しかし、こんなにブリットが蔑ろにされて、黙っているわけには」

 ブリットに止められても、フレデリクの怒りは治まらない。一方的に婚約を解消すると言われて、唯々諾々と同意できるはずはなかった。

「こんなところで剣を抜くなら、お兄様とは一生口を利かないからね」

 ブリットが振り返って睨みつけてくるので、フレデリクは剣を鞘に収めるしかない。可愛い妹に嫌われるのは何としても避けたかった。


「ブリットはベンノ殿との婚約を解消して本当にいいのか?」

 騎士団長の声は随分と優しくなっている。彼もまたブリットに嫌われるのが怖い。

「はい。私もお父様とお母様のような恋がしてみたいの。ベンノ、この前の舞踏会の時はごめんなさい。私があんなことを言ったから、気にしたのでしょう?」

 ブリットがベンノと婚約したのは七歳の時。三歳上のベンノは当時十歳だったが、子どもとは思えないほど落ち着いた少年でとても物知りだった。同じ年のフレデリクはその年に従騎士として家を出てしまったので、ブリットはベンノを兄の代わりだと認識してしまう。婚約や結婚の意味もわからない子どもだったのだ。

「違うよ。悪いのは僕だ」

 十歳のベンノにとっても、三歳差はとても大きくて、ブリットは恋愛の対象ではなかった。何にでも興味を持つ明るくて可愛い妹でしかありえない。


「わかった。ベンノ殿とブリットの婚約は解消しよう。円満な解消で、お互いに賠償は求めない。それでいいな?」

 騎士団長がベンノに確認するが、家格が上の騎士団長の決定に異議を唱えられるはずもない。そして、ノルデンソン伯爵家に咎がいかない決定に異議もなかった。


 こうしてブリットとベンノの婚約は正式に解消された。



「ブリット、本当にごめんね」

 玄関ホールまで見送りにきたブリットに、ベンノは再度謝った。ブリットはまだ十六歳でとても可愛らしいので、これからいくらでも婚約者を探せると思うが、婚約解消はやはり醜聞となる。

「いいのよ。これでベンノと他人になると思うと少し寂しけどね」

 ブリットは少し涙ぐんでいた。悔しくも悲しくもないけれど、喪失感は持っていた。まるで結婚して家を出ていく兄を見送るような気持ちだ。

「そうだね。本当に寂しいね。ブリット、今までありがとう」

 ベンノも同じ気持ちだったが、無理に笑顔を作った。新しい門出なのだ。涙は似合わない。

「こちらこそ、ありがとう」

 ブリットもベンノに倣い笑顔になった。婚約は解消となったが、ベンノとの思い出に悪いものはない。優しい兄のようだったとブリットは思う。



「ベンノ、王太子殿下の高位従者の話を断ったんだって」

 ブリットとの別れが済んで外へ出たベンノにフレデリクが聞いた。天文に興味がある王太子は、従者としてベンノを望んだが、ベンノが断っていた。特殊技能を持つノルデンソン一族なので、そんな自由が許されているのだ。

「最近殿下と仲が良いグランフェルト伯爵令嬢がちょっと苦手でね。フレデリクの方こそ、彼女の取り巻きになっているとの噂を聞いたのだけど。仕事か?」

 フレデリクは曖昧に微笑む。それだけで、ベンノは理解した。

「女の扱いに慣れていないのに、あまり無理をしない方がいいよ」

「おまえにだけは言われたくない」

 不快そうにフレデリクは両肩を上げて見せた。



 その夜、騎士団長と妻のエイラが深刻な顔で話し合っていた。

「私は愛情を履き違えていたのかもしれない」

 大きな体を丸めるようにして、騎士団長は自信なさげにそう言った。ブリットの幸せを願って婚約を調えたのだが、ブリットの思いを踏みにじるものだったのかもしれないと悩んでいるのだ。

「私も反対しなかったので同罪です」

 エイラもまた後悔していた。最初に産まれたのが嫡子となるフレデリクだったので、立派に育てなければと思うあまりに厳しくしすぎ、次に産まれたのが小柄なブリットだったので、甘くなりすぎた。三人目のペータルを産んで、やっと親として余裕をもって子育てができた気がする。


「ブリットは私たちのような恋をしてみたいと言った」

 泣いてしまいそうだからと、エイラはベンノとの話し合いの場にはいなかったので、騎士団長はブリットの様子を説明する。

「そうですか。あの時、英雄のあなたならば私と弟を救ってくれるだろうと思っていましたが、でも、何よりも国を救うほどに強くて逞しいあなたのことを好ましいと思ったのです。だから、あなたのもとへと行きました。私はあなたに恋をしていたのですよ。ブリットは私の娘なので好みが似ていてもおかしくないですね」

 ベンノのことはちょっと頼りないとエイラは思っていた。

「私だって、小柄な君のことが好ましいと思っていた。だから、君が私を頼ってくれたことが何よりも嬉しかったのだ」

 騎士団長夫妻は当時を思い出し、その輝くような想いは確かに燃え上がるような恋だった感じた。そして、二人は見つめ合う。

 しばらくして、騎士団長はそっと最愛の妻を抱きしめた。

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