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13.右腕切断

 イェルドはまだ意識を保っていた。しかし、傷から侵入した毒は右腕を蝕み、常に激痛を彼に与え続けている。イェルドの限界が近づいているのはフレデリクにも感じ取ることができた。

「イェルド。このままでは命さえ危険だ。すぐに右腕を斬り落とさなければならない。俺が処置するから」

 フレデリクは声量を抑え、イェルドの耳元で囁いた。

 イェルドの右腕は独特な臭いを放っている。傷の周辺が腐り始めている証拠だ。


「フレデリク。腕を落としても、助かるとは、限らない。もういい。このまま楽に、死なせてくれ」

 途切れ途切れにイェルドが言葉を紡ぐ。それさえも彼の命を削り取っていくように感じた。それでも、フレデリクは頷くことなどできない。

「駄目だ! ブリットがとても心配している。妹はイェルドが自分を助けるために怪我をしたことを気にしている。おまえに何かあればブリットが悲しむだろう。だから、生きてくれ。お願いだ」

 イェルドがブリットに淡い恋心を抱いているのをフレデリクは気がついていた。その気持ちを利用するようで罪悪感を覚えたが、それでも友の命を救いたい。

「ブリット嬢の、せいではない」

 力を振り絞ってイェルドは小さく頭を横に振る。その微かな振動だけで腕に激痛が走った。まるで心臓が腕に移ってしまったかのように痛みが鼓動している。

「わかっている。でも、妹は苦しむだろう。そして、自らを責め続ける。お願いだ。ブリットを助けてくれ」

 こう願えば騎士道を重んじるイェルドは拒否できないとフレデリクはわかっていた。更なる苦しみを与えることになるだろうと思いながらも、友の命を諦めきれない。そして、フレデリクの言葉は真実でもあった。ブリットは毎日イェルドの無事を祈って過ごしているらしい。


 イェルドの瞼がゆっくりと開いていく。黒にも見える深い茶色の目がフレデリクを捉えた。

「腕を、斬ってくれ」

 しばらく思案していたイェルドだったが、思った以上に力強くそう言った。腹を括ったようだ。

「俺に任せろ」

 フレデリクは大きく頷いた。失敗は許されない。できるだけ速やかに毒に侵された部分を全て斬り落とさなければならない。


 準備は複数の医務官によって進められていた。柳の樹液から作った鎮痛剤を小さなスプーンでイェルドに少しずつ飲ませ、最後に痛みと恐怖心を和らげる葉を口に入れる。

「しっかり噛んでください」

 そう声をかけた医務官は、寝台と同じ高さのテーブルをベッド脇に設置し、イェルドの右腕を乗せ革のベルトで固定した。

「ぐっ!うぅ」

 葉を噛みしめていてもイェルドの口から悲鳴が漏れる。少し移動しただけで腕がもげそうなほどの痛みを感じた。


 フレデリクは雑念を振り払うように頭を振って大きく息を吸い込む。そして、(おこ)した炭が入った鉄製の桶に鋭く研がれた大剣を突っ込んだ。


 目標を定め、まだ熱い剣を一気に振り下ろした。一振りで骨まで断つことができるのはフレデリクだからこそだ。

「ぐうおぉ!」

 まるで獣の咆哮のような悲鳴が響き渡る。

『絶対に黒幕を暴き出してやる!』

 歯を食いしばったフレデリクは心でそう叫んだ。飛び散ったイェルドの血がフレデリクの髪にかかり、頬に落ちてまるで涙のように流れていく。



 フレデリクの腕が良かったのか、医務官の処置が適切だったのか、イェルドは一命を取り留めることができた。傷口は腐ることなく出血も止まり、熱も徐々に下がっていく。

 腕を斬り落として十日が過ぎる頃には、イェルドは身を起して食事をとることができるまでに回復していた。

 


 その頃、フレデリクは父親の騎士団長に呼ばれていた。優雅なカルネウス公爵の執務室とは違い、団長室は武骨で装飾品の一つもない。フレデリクはこの部屋の方が落ち着くなとぼんやりと思っていた。

「カルネウス卿から騎士団へ抗議があった」

 騎士団長は苦虫を噛み潰したように顔をしかめている。

「俺を勘当して平民に落としてください。伯爵位も父上に返します。それで、公爵閣下も納得してくれるでしょう」

 フレデリクは騎士を辞め、身分を捨ててもセシーリア襲撃の黒幕を探すつもりだった。セシーリアを修道院へ追いやり、恋がしたいというブリットの夢を壊し、イェルドの腕を奪った。許すことなどできるはずがない。


「わかった。おまえを勘当する。しかし、騎士を辞めることは許さない。騎士として今回の決着をつけろ。その方が動きやすいだろう?」

 騎士道に則り行動しろと騎士団長はフレデリクに命じた。自由は制限されるが、組織が使えるのは大きい。

「承知しました」

 十歳で従騎士となり、先輩騎士の世話をした経験があるフレデリクは、平民騎士の生活でも不自由を感じることはないだろう。

 


 フレデリクが団長室を出ると、嬉しそうな様子のブリットが立っていた。

 セシーリア襲撃の後始末や黒幕の捜査で忙しく、フレデリクは事件の翌日から家に帰っていない。イェルドの見舞いに来るブリットとは何回か顔を合わせたが、イェルドには会うことができなかったと辛そうにしていた。そんなブリットが嬉しそうにしているので、今日はイェルドとの面会が許されたのだろうとフレデリクは考えた。

「お兄様! イェルド様に会うことができて、直接お礼が言えたのです。それで、焼き菓子の差し入れも許されて、イェルド様が食べてくださったのですよ。これ、残ったのでお父様にもと思って持ってきたの」

 ブリットから予想通りの言葉を聞き、父親には残り物なのかとフレデリクは思わず笑みを見せた。


「それは良かったな。イェルドも喜んだだろう?」

 ブリットのためにイェルドは右腕切断にも耐えたのだ。顔を見せるだけで喜ぶはずだ。

「はい。イェルド様は焼き菓子がお好きのようで、とても喜んでくださいました。頑張って作った甲斐があります」

 イェルドが好きなのは焼き菓子ではないだろうとフレデリクは思ったが、もちろんそんなことは口にしない。


「ブリット。父上からも説明があると思うが、俺は勘当になったのでもう家に帰ることはできない。御免な、不甲斐ない兄で。母上とペータルのことを頼む」

 母は泣くだろうなと思うと、フレデリクは小さくため息をついた。完治すると診断されているが、ペータルの脚の骨折も心配だ。

「そ、そんな、お兄様がなぜ?」

 信じられないことを聞いたというようにブリットは目を見開いた。そして、すぐに顔を雲らせる。

「俺はあの舞踏会の警護責任者だったから、責任を取らなくてはならない」

「だって、セシーリア様の護衛を交代を命じたのは王太子殿下なのに?」

「それ以上言うな。セシーリア様もブリットも守ることができなかった俺の責任だ。それに、俺は平民になっても騎士を続けるから大丈夫だ。それより、ブリットの方がもっと大変だろう?」

 貴族女性にとって、暴漢に襲われたという噂は致命的である。たとえ純潔を失ってはいなくても、疑われるだけでまともな結婚は望めない。


「私は大丈夫。イェルド様やお兄様たちが守ってくれたから、何もなかったのよ。でも、誰も結婚してくれなかったらセシーリア様が入った修道院へ行くの。ほら、私はお菓子作りが得意でしょう? 奉仕活動だってできるもの。だから、心配しないで。でも、今はイェルド様のために菓子を焼くわ」

 フレデリクが気に病んでいることを知っているブリットは、なるべく心配をかけないように、できるだけ明るく微笑んだ。

 そんなブリットをフレデリクは悲痛な眼差しで見つめる。

「ベンノを殴りつけても婚約解消を阻止すればよかった」

 ノルデンソン一族の者はあまり細かいことを気にしない。こんな噂になったブリットだからこそベンノは捨てないし、ノルデンソン伯爵もベンノが望めば結婚を許すだろうとフレデリクは考えていた。

「お兄様! 馬鹿なことを言わないで。ベンノ様にはもう新しい婚約者がいるのよ。哀れみの結婚なんて私は望まないわ。それに、素敵な恋をする希望をまだ捨てていないの。セシーリア様のところへ行くのは最終手段だから」

「そうだな。頑張れ」

 貴族相手では難しいと感じるフレデリクだが、ブリットが希望を捨てない限り応援するつもりだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱり、イェルドの腕は切断なのですね…。フレデリクも降格。ドリスの役どころが変わってもダメということは王太子が一番害悪なのかしら…。でも今回もブリットちゃんが明るくて救われます。セシーリ…
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