12.セシーリアは修道院へ
騎士団駐屯地の厩に着いたフレデリクは馬丁に馬を預け、急いで医務棟に向かった。
処置室の前には椅子が置かれていて、蒼白な顔のブリットが座っている。その横には彼女を護衛するようにイェルドと一緒に馬車に乗った騎士が立っていた。
フレデリクの足音に気がついたブリットは顔を上げる。
「お兄様、セシーリア様は?」
フレデリクの顔を見たブリットは、気にかかっていたセシーリアのことを訊いた。
「セシーリア様は無事に公爵邸まで送り届けてきた。心配ない」
カルネウス公爵の腕の中でセシーリアが気を失ってしまったことをフレデリクはブリットに話さなかった。ブリットも今にも倒れそうなほど顔色が悪い。フレデリクは怖い思いをした妹にこれ以上心配をかけたくなかった。
「それは良かったです」
フレデリクの言葉を聞いて安心したのか、ブリットが微かに笑顔を見せた。
「フレデリク。イェルドも無事だ。止血の処置が早かったので命にかかわるようなことはないと医務官が言っていた。ブリット嬢はずっと励ましてくれていたので、イェルドが意識を保っていたのも良かったらしい。それに、ペータルも脚の骨が折れているが、若いので完治するだろうとのことだ」
ブリットの横に立っていた騎士がフレデリクに報告した。彼もイェルドとペータルが無事だったことに安心している。
「そうか。ブリット、よく頑張ったな。一緒に家へ帰ろう」
フレデリクがブリットの手を取って立ち上がらせ、ゆっくりと歩き出す。
こうして長い夜は終わった。誰も失わずに済んだことをフレデリクは安堵していた。
一夜が明けて、セシーリアは目が覚めた。そして、昨夜のことを思い出す。
王太子がセシーリアの護衛をフレデリクからイェルドに変更するように命じた。しかし、イェルドはセシーリアの護衛に来なかった。代わりに来たのは騎士服を着た五人の男。その男たちは暴漢へと変わった。目的はセシーリアを汚すこと。
『まさか、王太子殿下が』
あまりに不敬な考えだと声にできなかったが、セシーリアにはそうとしか思えなかった。
『何とかして逃げなければ』
今回は未遂であるし、父親であるカルネウス公爵の権力をもってすれば、セシーリアと王太子の婚約は継続されるかもしれない。女性として最高の地位につくのがセシーリアの幸せだと、カルネウス公爵は信じて疑いもしないのだから。
もし婚約が解消されなければ再び襲われる危険がある。
王太子は婚約者の純潔を奪ってでもアデラと結ばれたかったのかと、セシーリアは泣きたくなった。王妃など、彼女が望んだわけでもない。すぐにでも手放すのに。
それから数日が経ち、セシーリアとブリットが暴漢に襲われたことが社交界で噂となっていた。事件は深夜だったので目撃者がいたとも思えない。暴漢は全て捕らえた。もちろん、騎士たちには緘口令が敷かれていた。
噂の発信源はこの事件の黒幕だと思われたが、捕らえた暴漢を取り調べしても、見知らぬ中年の男に頼まれたとしかわからなかった。拷問による取り調べも許可されたが、元々何も知らないと結論つけるしかない結果に終わった。
暴漢たちが着ていた騎士服は粗悪な偽物だった。夜でなければ騎士と騙せないような代物で、出所は明らかにできなかった。
依頼料は全て流通量の多い銀貨で支払われており、貴族が使用するような金貨は含まれていない。そこからも依頼人を特定できないでいた。
フレデリクはアデラの父親であるグランフェルト伯爵が怪しいと考えていた。アデラが王妃となるには爵位が低いが、無理を通せないわけではない。セシーリアとの婚約を破棄するような事態になれば、王太子との結婚も可能だとグランフェルト伯爵が考えたのではないかと推察したが、どうしても証拠が出てこない。
イェルドへの伝言を頼まれたエーギルとナータンは、イェルドを探すことができなかったと弁明した。
王太子の命令に背いたことになるので、二人は謹慎を命じられたが、騎士団による取り調べの許可は司法局から下りなかった。
そんな中、フレデリクは王宮内のカルネウス公爵の執務室へと呼び出された。
「ノルシュトレーム伯、あの舞踏会の警護担当は君だと聞いた。セシーリアは王太子殿下の婚約者であり、近衛騎士が護衛につくと聞かされていたので、我が公爵家からは護衛を出さなかったが、なぜ暴漢に襲われるような事態になったのだ? 暴漢はたった五人の与太者だったと聞く。そんな訓練も受けていないような素人五人にも勝てぬような腕なら、近衛騎士など辞めたらどうだ」
カルネウス公爵の声はとても冷たく、その目は鋭くフレデリクを睨んでいる。
「申し訳ありません。私が至らぬせいでセシーリア様にはとても辛い思いをおかけしました」
フレデリクは胸に手を当て頭を下げた。王太子からアデラの護衛を命じられ、彼女から離れることができなかったとはいえ、イェルドへの伝言をエーギルとナータンに任せたのは失態だ。
「今更謝っても遅いわ! 心に深い傷を負ったセシーリアはアルムグレーン修道院へ入ってしまったのだぞ。もう帰ってこないと言っている。全てお前のせいだ。許さないからな!」
公爵はフレデリクの胸元を掴みながら大声で怒鳴る。抵抗することもせず、フレデリクは公爵のなすがままに任せた。それほど公爵の言葉は衝撃だった。
アルムグレーン修道院とこの国で一番戒律が厳しいと有名なところで、夫や父親でさえ面会は許されない。
意に染まぬ結婚を強要されたり、夫から暴力を受けたりした女性が逃げ込むところでもある。貴族女性でも特別扱いされることはなく、平民に交じって奉仕や作業をこなすという。
貴族女性が入る緩い修道院も選べるのに、そのような厳しい修道院へ入ってしまうほどにセシーリアが傷ついたのだと思うと、フレデリクはとてもやるせなかった。
もっと早くセシーリアを助け出せなかったのか? 怪我をしたイェルドを優先して馬車を借りたのは本当に正しかったのか?
そんなことをフレデリクは自問していた。
「騎士団長に今回のことを正式に抗議する。回答によっては騎士団の予算を減らすからな」
王宮の金庫番を任されているカルネウス公爵は、騎士団の予算を減らすことも可能だった。
フレデリクの父親はかつて戦争を勝利に導いた英雄と呼ばれ、前王に乞われて騎士団長に就任した。しかし、平和な時代が二十年以上続き、権謀術数渦巻く貴族社会にあって、謀略より馬術と剣術の腕を磨いてきた男は影響力を徐々に落としていく。騎士団の維持は国防にかかわるが、平和に慣れた貴族たちはその重要性を忘れがちだ。そのため、予算削減が脅しとして通用することになる。
ようやく公爵の執務室から解放されたフレデリクは、セシーリアを救うことができなかったと後悔しながら騎士団駐屯地に戻った。未だ医務棟で治療を受けているイェルドを見舞おうと思ったのだ。
イェルドが医務棟に入ると、医務官から声をかけられた。
「イェルドの右腕の傷から毒が入ったらしい。腐り始めているんだ。イェルドを救うためには腕を切り落とすしかない」
フレデリクはそれを聞いて眉を顰めた。イェルドの利き腕は右だ。騎士にとって剣を持つ大事な腕なのだ。