11.公爵邸へ
「フレデリク! 大変だ。イェルドが斬られた!」
馬車の外から呼ぶ声がしたので、フレデリクが馬車を降りると、二人の騎士に抱えられるようにしてイェルドが運ばれてきた。彼の腕から大量に血が流れているのは、月上がりだけでよくもわかる。
「お兄様、騎士様を助けて! 私を庇って斬られてしまったの」
イェルドの後ろからブリットが叫びながら走ってきた。ドレスが血に染まっている。
「ブリット! 怪我は?」
「私は大丈夫。でも、騎士様が」
ブリットに怪我はなさそうなので、フレデリクはいイェルドにイェルドの方に向かった。
「とにかく止血しなければ」
フレデリクは剣の鞘を固定していたベルトを外した。そしてイェルドの傷口の上部をベルトできつく縛る。
「ぐうっ」
ぐったりとしていたイェルドが痛みのためうめき声をあげたので、フレデリクはイェルドが生きていると少し安心することができた。フ
「もう少し頑張れ、今すぐ医師のところへ連れて行ってやる」
フレデリクはそう声をかけたものの、イェルドをどう運ぼうか思案していた。一旦騎士団駐屯地へ戻り、寝台馬車に医師を乗せて連れてくるのが一番早いが、セシーリアとブリットも送り届けなければならない。その上、倒した襲撃者たちを放置することもできなかった。この場に騎士は四人しかおらず、どう考えても手が回らない。
「あの、この馬車を使ってください。早くイェルド様を医師のところへ」
馬車のドアから顔だけ出したセシーリアが、腕から血を流してイェルドを見て、慌てて声をかけた。その声は震えていて、とても怖かったのだろうとフレデリクは感じ、早く送り届けなければと思いながら、彼女の申し出を受けることにした。事態は一刻を争う。治療が遅れると、イェルドの命が危ない。
「お言葉に甘えさせていただきます。馬車を血で汚してしまうと思いますが、騎士団で弁償いたしますので」
「そんなこと気にしなくてよろしいので、急いでください」
セシーリアはフレデリクの上着に袖を通し、胸元を抑えながら馬車から降りできた。まだボタンを止めていなかったようだ。
「セシーリア様が馬車を提供してくださった。イェルドを早く馬車の中へ。そして、できるだけ急いで騎士団駐屯地へ」
そうフレデリクが言うが早いか、騎士たちがイェルドを馬車に運び込んだ。さすがに公爵家の馬車は広くて座席も柔らかい。振動も少なそうだ。
イェルドと一人の騎士を残し、一人の騎士が馬車を降りドアを閉めようとした。
「私も一緒に参ります」
そう言ってブリットが馬車に乗り込んだ。
「おい、ブリット」
妹を止めようとしたフレデリクだが、思い直した。その時間も惜しい。
「途中で一度ベルトを緩めてやってくれ。そのままでは腕が腐ってしまう」
ブリットが大きく頷いた。そして、ドアが閉められる。公爵家の御者は殴られて気絶していたので、騎士の一人が御者を務めることになった。
馬車が遠ざかっていき、馬車に吊るされたランプの光で明るかったあたりは一気に暗くなった。この広場にやってきた四人の騎士のうち三人が馬車で去ってしまったので、残ったのはフレデリクだけだ。隣にはセシーリアが震えながら立っている。
「もうすぐ騎士がやってきますので。そうすれば公爵邸までお送りします」
フレデリクは倒した襲撃者たちが逃げ出さないように一か所に集めて監視したいし、公爵家の御者の無事も確かめたかった。しかし、セシーリアの側を離れるわけにはいかない。
御者も襲撃者も気を失ったままなのか、物音もしない。ドレスを破られているセシーリアの方を見るのは忍びなく、フレデリクは空を見上げた。セシーリアもつられて上を見る。月は随分と下に降りて、いつもより赤くて大きい。セシーリアは満天に散る輝く星がとても美しいと感じた。
だからこそ、恐怖が襲ってくる。今まであまりの衝撃で恐怖さえ感じることができなかったのだ。
ドレスを引き裂く見知らぬ男の手。無理やり馬車から連れ出されたブリット。腕から血を流す苦しそうなイェルド。
それらの場面が目の前の蘇るようだ。
『もし、フレデリク様たちが助けに来てくれなかったら、わたくしはどうなっていたのでしょう』
そんな想像をしてしまい、セシーリアは震えを止められない。
カチカチと小さな音がする。フレデリクはそれがセシーリアの歯がぶつかる音だと気づいていた。しかし、細かく震え続けているセシーリアをどうすればいいのかわからない。上着は既に貸している。恋人でもない、ましてや王太子の婚約者であるセシーリアに不用意に触れるわけにもいかない。馬車を駐める広場なので、ベンチの一つも設置されていないので、座らせることもできなかった。
かける言葉さえわからず、フレデリクはただセシーリアの側で立っていることしかできなかった。
騎士としてセシーリアを守りたいと思うが、フレデリクは何もできない。そんな自分が情けなく、星の美しさを感じる余裕もない。
しばらくそうしていると、ようやく増援の騎士が到着したらしく、蹄の音が近づいてきた。
「セシーリア様、馬でお送りします。触れることをお許しください」
「は、はい」
フレデリクから声をかけられたセシーリアは震える声で返事をした。
すると、ふわっとセシーリアの体が浮く。フレデリクが横抱きにしたのだ。そのままふらつくこともなく歩き出したフレデリクに驚いている間に、セシーリアは軽々と馬に乗せられていた。すぐにフレデリクが彼女の後ろに乗り込む。
「賊は四人だ。捕縛して駐屯地まで連れて行け。それから、カルネウス公爵家の御者が倒れている。彼の治療を頼む。私はセシーリア様を公爵邸までお送りしてから駐屯地へ戻る」
近づいてきた十数人の騎士たちへ簡潔に伝えると、フレデリクはセシーリアの負担にならないように速度を落として公爵邸へと向かった。
フレデリクはできるだけゆっくりと馬を走らせたが、それでも一時間もかからずにカルネウス公爵邸へと着くことができた。深夜にも拘らず、門のところには煌々と篝火が焚かれ、五人ほどの門番が立っていた。
「近衛騎士のフレデリク・ノルシュトレームだ。セシーリア様をお連れした。通してくれ」
馬上からフレデリクがそう声をかけると、門番が二人で重そうな金属製の門を開けた。
馬に乗ったまま門を入ると、はるか遠くに建物が見える。フレデリクが馬を進めていると、男性が走ってくる。
「セシーリア! 無事か?」
それはセシーリアの父親であるカルネウス公爵その人だった。髪は乱れ、大きく息を繰り返している。
フレデリクは、公爵の手前で馬を止めた。
公爵は馬に乗っているセシーリアの姿を見て安心したが、彼女がフレデリクの上着を着ていることに気が付き、眉を顰める。
「こんな夜中に何があった? ノルシュトレーム伯、まさかセシーリアに何かしたのではないだろうな?」
公爵は不機嫌を隠そうともせず、フレデリクを責めた。
「お父様、止めてください! フレデリク様はわたくしを助けてくださったのです」
弱々しく父を止めたセシーリアだったが、それだけで気力が尽きてしまったようだ。颯爽と馬を降りたフレデリクが、セシーリアを抱きかかえるようにして馬から降ろし、公爵の腕の中に渡すと、安心したのか彼女はそのまま気を失ってしまった。
「セシーリア様!」
身動きしなくなったセシーリアに驚くフレデリク。
「今はセシーリアを早く休ませたい。君はもう帰ってくれ。話は後日聞く」
「わかりました。私はこれで失礼いたします」
心配そうにセシーリアを見つめていたフレデリクだが、目を覚ましそうにないので、諦めて帰ることにした。