10.セシーリア襲撃
無事グランフェルト伯爵邸へ着き、アデラが家令に手助けされながら馬車を降りたことで、フレデリクはやっと護衛の任務から解放された。アデラが友人だという令嬢たちを誘ったので、彼女たちを順に家へと送り届けたため随分と時間がかかってしまった。
『最近物騒なので、お友達も一緒に送ってあげたいの』
そうアデラにと言われてしまうと、フレデリクは拒否できなかったのだ。
「一度王宮に戻ってから解散する」
フレデリクは同行していた近衛騎士の仲間にそう告げた。近衛騎士たちも王族やその婚約者でもない令嬢たちを護衛することに不満に抱いていたが、王太子の命令なので顔には出していない。しかし、いつもより疲れは感じているようだった。それでも、セシーリアが無事に公爵邸に戻ったことを確認しなければ、フレデリクの仕事は終わらない。
フレデリクが空を見上げると大きな丸い月が浮かんでいる。その高さからもうすぐ日付が変わる時間だと知ることができた。
フレデリクたちが王宮の厩舎に着き、馬から降りていると、イェルドが歩いて近寄ってきた。その姿を見てフレデリクは安堵のため大きく息を吐いた。
「セシーリア様は無事に公爵邸に戻られたようだな」
イェルドのことは信頼しているフレデリクだが、急に護衛を変えられたことに胸騒ぎを感じていた。セシーリアの護衛責任者は元々フレデリクだったのだから、彼女に何かあれば責任問題になる。
「セシーリア様の護衛はフレデリク達ではなかったのか?」
イェルドは怪訝な顔をした。セシーリアの護衛はフレデリクたちと聞いていたし、今その護衛から帰ってきたのだと思っていたのだ。
「何だって! セシーリア様の護衛はイェルドだったのではないか?」
「いや、俺は今までダンスホール周りの確認をしていた」
夜会の後、広大な王宮の庭に不審人物や不審物がないか確認するのも近衛騎士の仕事だ。イェルドは今までその任務に当たっていた。それは以前から決まっていたことだ。
フレデリクの顔色が変わる。
「疲れていると思うが、皆ついてきてくれ。イェルドも頼む」
そう声をかけると同時にフレデリクは馬に飛び乗っていた。詳しいことはわからないイェルドだが、緊急事態であることだけはわかる。慌てて自分の馬に乗り、フレデリクの後を追う。
一縷の望みをもってフレデリクは馬車止め場に向かったが、公爵家の馬車は既に出発したらしく姿はどこにもなかった。
「全速力でカルネウス公爵邸へ向かう」
フレデリクは馬の腹を蹴った。尻を浮かせ前傾姿勢をとり、できるだけ早く馬を走らせる。
空に浮かぶ月は丸く、先ほどより高く昇っている。その明かりだけを頼りに騎士たちも後に続いた。
セシーリアが無事に公爵邸へと戻っていることを強く願っていたが、そのフレデリクの願いは届かなかったようだ。
しばらく馬を走らせていると、道端に人が転がっているのが見えた。フレデリクが慌てて馬を止めで目を凝らすと、それは弟のペータルだったのだ。
「ペータル! どうした! 何があった!」
フレデリクが馬を降りて駆け寄ると、ペータルはそちらのほうに目を向けた。弟が生きていたことにフレデリクは安堵する。
「うう、兄上、申し訳、ありません。セシーリア様とブリット姉さんがさらわれました」
よく見るとペータルが着ている夜会服は血で汚れているが、その場所は破れはなくそれは返り血のようだ。しかし、馬車から無理やり引きずり降ろされた時に脚に怪我を負っていて歩くことができない。それでも助けを呼ぶために道を這いながらここまで進んでいた。
「襲撃してきた男は五人。皆騎士服の偽物を、着ていました。そのうち一人は、僕が倒しました。行先は中央公園。御者を脅して中央公園へ向かえと言っていたので、間違いありません。あいつらはセシーリア様の、純潔を奪うつもりです」
脚が痛いのか、大きな呼吸を繰り返しながらペータルは必死でフレデリクに伝える。
「わかった。これから中央公園へセシーリア様とブリットの救出に向かう。グスタフとフーゴはペータルと犯人を騎士団まで連れて行き、増援の手配を頼む」
経験の浅い後輩の騎士にそう伝え、フレデリクは再び馬上の人となった。
フレデリクが駆る駿馬は月明かりだけの夜道を力強く走り抜けていく。
貴族の住まう地区と他を隔てるように造られている中央公園はかなり広い。昼間には散歩や休憩に訪れる人は多いが、深夜になると人影はない。近隣には家屋もなく、悲鳴が響いたとしても、気づく者はいないだろう。
中央公園の中に馬車の立ち入りは禁止されているが、周辺には馬車を止めるような広場が至る所にある。
気が急きながらもフレデリク達は端の方から一つずつ確かめて行った。そして、十番目にやってきた広場に公爵家の馬車が止まっているのを探し当てた。
馬車が止まったと思うと、狭い馬車の中に二人の男が乗り込んできた。そのうちの一人がセシーリアのドレスを破ろうとしたので、ブリットがその男を蹴って阻止しようとしたら、もう一人の男に抱えられるようにして馬車から降ろされてしまう。
「セシーリア様!」
ブリットが叫んでも男の手が緩むことはない。ブリットを抱えたまま、男は広場の端の方へと歩いて行った。
「他人の心配をしている暇はないぞ。ついでだからおまえの体も楽しませてもらう。心配するな。殺しはしないさ。そんなことをすれば騎士団が煩いからな。あんたみたいな貴族の娘を汚すだけなら、そう大っぴらにできないからな」
その男は上機嫌であった。依頼は薄い金髪の美しい公爵令嬢を汚すことだったが、指定された馬車には真っ赤な髪の可愛らしい少女も同乗していた。依頼金は既にもらっている。その上一生触れることもできないような極上の女たちを抱けるのだ。自然と笑い声が漏れた。
しかし、男の笑い声は複数の蹄の音にかき消されていく。
「助け……」
助けを呼ぼうとしたブリットの口を男が塞いだ。彼女はその掌を思い切り噛んだ。掌には歯形がくっきりとつき、血が流れ出る。
「助けて!」
塞ぐ手が緩んだ隙にブリットが大声で助けを呼んだ。
「何をしやがる!」
手を噛まれた男は激怒し、短剣を鞘から抜きさった。殺すつもりはなかったが、怒りで我を忘れてしまう。
男が短剣を振り上げる。そこにイェルドが走りこんできた。ブリットを抱え込むようにして短剣から庇ったイェルドの腕に短剣が振り下ろされる。
イェルドの右腕の肘の下に短剣が食い込む。短剣は骨で止まったので腕が切り落とされるようなことはなかったが、血があふれ出た。
「うぐく」
イェルドは歯を食いしばって激痛に耐える。それでもブリットを庇う左腕の力は緩めなかった。
近衛騎士の一人がイェルドの救援に向かった。男の短剣はイェルドの腕に刺さっていたので、近衛騎士はあっけなく倒してしまう。
フレデリクは公爵家の馬車に向かって全力で走る。そして、その勢いのまま馬車を守っていた男の一人をあっという間に倒して、馬車のドアを力一杯に蹴破った。
馬車の中には、ドレスの上半身が破られてコルセット姿をさらいているセシーリアがいた。馬車につるされたランプの光に彼女の白い胸元が浮かび上がる。
セシーリアを押し倒そうとした男を無理やり引き離し、フレデリクは男を馬車の外に蹴り出した。
そして、慌てて騎士服の上着を脱ぎセシーリアの上にかけた。