オキモチヒョウメイ
言葉少なの僕だから、せめてこう言うところぐらいでは、饒舌になりたいと思うんだ。
酷く悲しい事に、僕は悪い言葉を沢山覚えてしまった。青い鳥が運んでくるのは幸せの言葉だけじゃなく、恨み言や罵声も紛れていて、それは僕の心を酷く憂鬱にさせる。
それはもしかして僕に向けられた矛先なのかな、なんて考えてしまう事もあるぐらいに、僕は臆病者なんだ。
昔、それはもう過ぎた昔の事、虐められていた頃の事。肉体が彼方此方悲鳴を上げて辛かったから、掃除の時間まで、職員玄関の掃除をしに逃げた僕は、どうやら大人には気に入って貰えたらしかった。だからなのか、年下が怖くて、年上の人に親しみを覚える事が多くなった。
あれから幾年たったかは、もう忘れてしまったけれど、今は青い鳥が運んだ言葉を、自分が覚えて使ってしまう事に酷く傷ついて、一人で言葉を発する事に怯えるようになった。それはあのころと違って逃げ場のない地獄で、支えてくれる人もいない。年を取る前からそうだったけれど、今はさらに猫背が酷くなって、醜く歪んだ眼鏡をいつまでもかけて、目を細めて遠くを見るようになったから、益々親しんでくれる人もいなくなった。
そして、親しむ事に怯えるようにもなった。かつて仲間だった彼らとの間に酷い隔たりがあるように、自分勝手に思い込む事はとても辛い。とても辛いけれど、彼らとの親しみは今では「虚構」で、「空虚」なものになってしまった気もしている。それはいつでも傍にいてくれた、居場所に失礼な事だと思う。そうやって、最近、また自分一人で傷ついたりする。
そうやって繰り返し、繰り返し、傷ついた心に対して、僕は本当に申し訳ないと思う。
酷い主人のせいで傷ついてしまう彼とか、耐え難い仕事に向けて「心の内」を暴露する独り言とか、そう言うものすべてに、申し訳ないと思う。
昔から、通り過ぎて行ったものに対して失われる事を避けるために、通り過ぎる事が多かったけれど、心の主人として、窮屈な彼らに、せめて、ごめんなさいくらいしたい。
今日も青い鳥が通り過ぎる。僕の言葉は改めて塗り重ねられて、益々自分の言葉を無くしたようだ。
それでも、もし、許されるならば。
もし、臆病な僕が、もう一度、言葉を発せられるならば。
傷つけてしまった上に神経質になった心を連れて、僕は、一歩だけ、踏み込んでみる。