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いのり

 しかし、決意したところですぐに『永遠に続くおとぎ話』が完成するわけがない。

 どういった筋書きで始まるのか。どんなキャラクターがどんな目的で何をするのか。道中どんなことが起きるのか。そして何より、どんな結末を迎えるのか――ああ、いや、《《永遠に続く》》のなら、結末なんてあるわけがないのだから、それは考えなくても良いのか?

 何しろずっといつまでも続くお話でなければならないのだ。単純な筋書きならあっという間に終わってしまう。土台は広大に、構造は複雑に、しかし子どもにもわかるようにやさしく、飽きられないように波乱と変化に富ませて。ああ、やるべきことが多すぎる!

 モモに出会うまで、もう長い間筆を執っていなかったから、わたしの作家としての腕は野ざらしの鉄棒のように錆びきっていた。いつものように、終わったお話の続きを考えるのとはわけが違う。一からお話を考えることはこんなに大変だっただろうか。寝食も半ば忘れ、時には悲鳴を上げ、時には身体中を掻きむしりながら、わたしは来る日も来る日も机に向かって物語の骨子を育んだ。当然その間、他の物語のことを考えるのは不可能だった。

「お話を作るのってそんなに大変なの? じゃあ、『ナナシのぼうけん』の続きは我慢する。新しいお話ができるまでは他の本を読んで待ってる」

 事情を話すと、モモは快く了承してくれた。幸い、我が離れには本なら山のようにあった。そのどれもこれもが『終わってしまう話』なのは残念でならないが。

「ねえ、おじさん」

 いつものようにノートを広げて筋書きを練っていると、わたしの後ろで本を読んでいたモモがふいに訊ねてきた。

「おじさんはどうしてお話を書く人になったの?」

「え、ええと……?」

 唐突な質問だったから、わたしはとっさには答えられず面食らってしまった。なんで、だって? ええと、それは、どうしてだったか……。

「だって、おじさんの部屋にはこんなに本があるでしょ? こんなに本があったら読むだけでも大変で、それに、お話を作るのってそれ以上にもっともっと大変なんでしょ?」

「それは……まあ、そうだね」

 そんなに不思議なものだろうか。わたしの場合、気づいたら頭の中に空想が止まらず、ノートに思いついたことを書き留めることから始まった。どうして、とかではなく、例えば食べた食べ物が吸収されて排泄されるのと同じように、何か物語を読んでいると、自然と自分の空想が生まれてくるようになってしまっていたのだった。多分他の人とは違うのだろうけれど、それを上手くは説明できない。わたしには、頭の中に空想が生まれてこない人がいったいどんなことを考えて生きているかわからないからだ。

 だが――それをしっかりと物語として組み立てて、人に読ませようと思ったのは……。

「……わたしのお話を、誰かに読んでほしいと思ったからだよ。それで誰かに喜んでもらえて、心の中に残してもらえたら、どんなに幸せだろうって」

 わたしの身体は不細工な作りで、運動も勉強も人並みにはできず、社会での生活に馴染むことすらもできなかった。きっとこの世界には居場所なんてないと、物心ついたときから――いいや、今でも思わずにはいられない。

 だけれど、もしもわたしの物語が誰かに必要としてもらえたら、どこかの本棚に少しでも置き場所ができたなら。それこそがわたしが世界に残した痕跡になるのではないだろうか。

 物語は書き手の祈りから生まれ、読み手の願いによって生き続けていく。

 だからそれは、わたしの祈りだ。

「……じゃあ、おじさん、わたしに本を読んでもらえて嬉しかった?」

「ああ、もちろんさ。生まれてこのかた、これ以上に嬉しいことなんてなかったよ」

 そう言うと、モモは花のように破顔して、スミレの香りを部屋に振り撒いた。

「嬉しい! あたし、おじさんに会えて良かった!」

 モモの言葉にわたしは泣きたいような、力の限り叫び出したいような、不思議な気分に襲われた。自分も同じ気持ちであると言いたかったが、上手く言葉に出せず、捻じ曲がった唇を吊り上げて笑ったように見せた。

 早く完成させなければ、彼女のための物語を。それが当面のわたしの祈りであった。




 わたしの思いとは言いつつ裏腹に、物語はなかなか完成しなかった。

 ようやく骨組みができたと思っても、後から読み返すと退屈でつまらない話であることに気づいたり、今度は起伏を作ることに気を取られ、筋がめちゃくちゃになってしまったり。出来損ないの話をちぎり取っては捨てていたら、気づけばノートの余白がなくなって、新しいノートを買ってはまた同じことを繰り返す。こんなものじゃだめだ、早く完全させなければ。焦れば焦るほど、生まれる物語は乱雑に、ぐちゃぐちゃになっていく。

 モモは決してわたしを急かしたりせず、本を読みながら気長にわたしを待ち続けてくれた。彼女の瞳は未だ期待にきらきら輝いている。その光を見るたび、それがいつか失われる日が来はしないかと恐ろしくてたまらなかった。

 そんな日々が二月、いや三ヶ月近く続いただろうか。その日は、ひどいざあざあ降りの雨が降っていた。

 外を見るのにもうんざりするのに、そんなときに限ってノートを切らしてしまった。代わりに使えそうな紙もない。仕方なく雨合羽とコウモリ傘を引っ張り出して文具屋に向かった。

 外出は憂鬱だが、豪雨のせいか町に人影はほとんどない。お陰であの嫌な視線に晒されることのないまま、わたしは無事に文具屋にたどり着く。

「いらっしゃいませえ」

 ずぶ濡れのわたしを気怠げな声が出迎える。馴染みの店主の声ではない。アルバイトの店員か? つい気になって顔を上げると、まだ若い女性が見る見るうちに苦々しい表情になっていくのがわかった。

「うわ……」

 あ――やってしまった。

 店員はそれ以上わたしに何か言うことはなかった。関わりたくない、早く退店してほしいと思っていたのだろう。わたしはそそくさと棚からA4ノートを何冊か取り、会計へと持っていく。わたしが近づくのを見て、店員が小さく呻いた。

 釣りが出ないようぴったり合計額の小銭を出し、店員の会計を待つ。店員は一言も発することなくレジスターに金額を打ち込み、小銭を受け取ってノートを袋詰めする。わたしはそれを受け取ろうとして、手を伸ばした。

「わっ!」

「あ……」

 店員は驚いたのか手を引っ込め――袋はわたしの手に届かず床にばさりと落ちた。わたしは黙って屈み込み、のろのろそれを拾う。

「…………」

 わたしの手が目に入る。関節が奇妙に膨れ上がり、指先はおかしな方向に捻じ曲がっている。確かに気味が悪かろう。怪物の手だ、と昔言われた悪口を思い出した。

 ノートが濡れないように胸の前で抱え直し、店を出る。店員からの挨拶が聴こえなかったのは雨の音に紛れたせいだろうと思い込むことにする。なに、こんなのいつものことだろう。自分に言い聞かせようと呟くと、雨が口の中に入ってきた。雨の勢いはますます増しているようだった。

 本来、現実、こんなものなのだ。わたしの見てくれは、どうしても人を不愉快にさせるようにできている。あの店員にも悪いことをしてしまった。いつものようにうつむいて、顔をはっきり見せなければ、あれほど嫌な思いをさせずに済んだろうに。やっぱり、雨の日にわざわざ出かけるべきではなかったのだ。

 モモといると忘れそうになってしまう。世の中にとって、自分がどんな生き物として見られているかを。今日の店員、あれが普通の人の反応であるのだ。モモだけが特別なのだ。モモだけが、わたしを人間として見てくれる。モモの前だけは、わたしは人間でいられるのだ。

 雨に打たれていると嫌な考えばかりが浮かんでくる。ああ、いけない。早く帰ろう。早く物語を完成させなければ。彼女のために。モモに会いたい、今すぐに。

 豪雨の中、最早ほとんど役に立っていないコウモリ傘を振り回してわたしは家路を急いだ。離れでモモが待ってくれているに違いない。彼女の名前を呪文のようにぶつぶつ呟くたび、雨が口の中に入ってくる。

 しかしその日、モモが離れを訪れることはなかった。

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