祐編 家なき親子
「はあ?」
「……」
「Zzz……」
「にゃー」
俺、あずさ、麻里、みーの順である。
一体どうなっているかと言うと、時間を20分前に遡って話す必要があるようだ。
水島親子を招き入れると、あずさが麻里にみーを移動式の猫ハウスに入れるように言った。しかし、麻里はこう拒否したのだった。
「ヤダっ! やっと出られたのに可哀想だよ」
やっと出られた? そんなにも遠くから態々俺の所に来たのか?
その時の俺は漠然とそんな疑問を抱いたのだが、その推理は悪い意味で裏切られる事になる。
「人様のお宅でミィを放し飼いには出来ないでしょ」
「大丈夫だよ」
うーん、この辺の感覚はまさに子供だな。何を以て大丈夫だと言い切れると言うのだろうか……
俺が頬をポリポリ掻いていると、あずさは困ったように頭を下げて本格的に麻里の説得に入った。
その親子問答で5分ぐらい掛かり、挙げ句、麻里が号泣する結末に……
「あ、あの私としては構いませんよ。みーちゃん大人しい猫の様ですし……」
麻里の事を考えればこの妥協は良くない事だと思う。俺が妥協した事で麻里には他人の家で猫を放し飼いに出来ると言う認識が生まれ兼ねないのだから……
けどなぁ……泣く子供には勝てないデスヨ。ある意味無敵の存在だよなコレ。
「でも……」
当然のようにあずさは困惑の色を強く出している。
「まあ、そうですよね。なら麻里ちゃん、良いかい今回は特別だよ。それとみーちゃんはしっかり抱っこしておく事。もし、暴れたらちゃんと猫ハウスに入れるって約束出来るかな?」
「いいの?」
涙目のまま上目遣いで覗き込むのは反則だな。小生意気な糞ガキ相手ならここから突き落とすのだが、そんな事はとても出来そうにない。
「約束を守れるならね」
出来るだけ柔和な表情を意識しながらそう答えると、麻里は泣き止み満面の笑みで、
「ありがとう、お兄ちゃん」
アカンこれはアカン、核並の破壊力だわ。これやられた今後、全部許してしまいそうだ。
下手すると条令に引っ掛かる趣味に覚醒めてしまうかもしれん。
末恐ろしい娘やで……
そんなこんなで俺と水島親子は向かい合う形でソファに座ると、程なくして麻里ちゃんは瞼を閉じた。
さっきの俺と同じようなものだろう……緊張が解けて、更には泣いたものだから限界が来たのだ。
で、みーは麻里の束縛から開放されて自由になったのだが、チョこんと横に座り俺を見ている。
……ホントに言葉を理解してるのか?
みーの目を見ると「さあ、早く話しなよ」と言われてる気がしてくるのだ。
「神谷さんの寛大なご配慮に感謝します」
「いえいえ、私こう見えても動物好きなんですよ。それにしても、随分頭の良い猫ですね」
「ええ、主人が居なくなる前麻里に連れてきたんです。私以上に麻里を見守ってくれてます」
「失礼ですがご主人は?」
亡くなったにしては言い方が変だ。
深読みなどしなくても良い、これは間違いなく失踪している……と、すれば今回の依頼はご主人の捜索になるか。
「もう1年になりますわ」
「そうでしたか。では、ご主人の捜索が依頼で?」
「いいえ、そうではなく……神谷さん、私をここで雇って下さい」
な、はあ? ってなるだろう。
バイトだっていきなりやってきて「働かせて」って言ったって雇ってくれる所なんてまずない。
経営者の想像を超えて緊急事態にでもなってれば話は別なのだが、ウチは生憎開業前だし、この先俺の予想を超えて大繁盛なんて事は有り得ない……言って哀しいがこれが現実だ。
「水島さん、何を仰ってるのか分かってますか?」
「はい、履歴書も持ってきました」
「…………」
誰でもいい助けて……俺、もう嫌だよ。
見た目もこれまでの言動も常識的なのに何故に突然トチ狂うんですか、貴女は……
涙を流して無言で訴えようと努力するがあずさは動じない。
はあ……仕方無いな。
「拝見致します」
いつの間にか面接になっているが、それならば不採用を出してやればいい。面倒くさくはあるが、納得してくれるなら付き合おうじゃないか……
履歴書に掛かれた文字は、少し丸字ではあるが読みやすく綺麗な字だ。文字列も斜行する事なく、几帳面さが伺える……そして、学歴も申し分ない。
これならば、あずさの容姿も相まって普通の企業でも十分採用されるんじゃないか……態々、俺の所に来る理由がない。
んっ!? 理由? 理由がないだと……そんなはずない! 特別な理由があるからこそ、俺の所に来たはずだ。
この履歴書に書かれてない理由があるはず。となれば、履歴書を眺めているのではなく本人に確認した方が建設的だろう。
俺は履歴書を机に置き、視線をあずさに……ちょっと待て! これは……
この履歴書には普通なら絶対に空欄になってはいけない所に空欄がある。真剣に面接をする気なら見逃すはずがない箇所、そう住所欄が空欄になっている。
あぁ、これ地雷踏んだわ……動けば木っ端微塵になる予感がする。しかし、動かない訳にいかない。最悪だ……
ギギギと擬音を鳴らしながら顔を上げると、あずさは涼しげに微笑んだ。
「一応聞くけど……これは忘れた訳じゃないよね?」
もう敬語も出て来ない。トントンと住所欄を指で叩く。
「はい、私達ここ二週間は駅前のビジネスホテルにいましたから」
「何でそんな事になってんの?」
「そうですね。主人名義の家が差し押さえられてしまったのもありますが、いつ神谷さんがここに来るのか待つのに丁度良かったと言うのが一番の理由です」
住所不定の子持ちの女性……これじゃ確かに雇ってくれる所などない。そして、あずさもそれは十分理解している。
この水島あやめという女……初見の通り至って常識的な人間だ。それでいて、こんな異常行為をすると言う事は……
「オヤジの差し金か?」
「神谷さんが仰る方がこの方かなのかは存じませんが……」
そう言ってあずさは、バックから一枚の名刺を取り出して俺に差し出した。その名刺には『深橋探偵事務所所長 小鬼王 深橋喜介』と書かれている。
「……100%オヤジだ」
名刺に自分が揶揄されたアダ名までしっかりと書くアホはアイツしかいない。
俺はこめかみ辺りに鈍痛を感じて、指でグリグリ押して痛みを散らした。
「裏面をご覧下さい」
あずさに促され名刺を捲る。すると、ここの住所と『困った事があったなら愚息の神谷祐まで起こし下さい』などと書かれている。
あんのクソオヤジぃぃぃ‼ 地獄の最下層まで落としてやるぞコラァ‼
死期を悟って自分の仕事押し付けやがったな。
「と、言う訳で来ちゃいました」
来ちゃったじゃねぇよ……
もう思考も何もない、オヤジがそう言ったのなら逆らう術はないんだ……俺はただただ呆然と天井を見上げるしか出来なくなっていた。
「水島さん、すまないが詳しい話は明日でいいかな? 取り敢えず行くトコがないなら今日は俺の部屋を使ってくれ……麻里ちゃんは俺が連れて案内するから」
「はい、構いません」
麻里を抱き抱え事務所奥にある自室への階段を登りながら、俺は一つの恐ろしい考えが頭に浮かんでいた。
まさかこの子、オヤジの娘って事はないよな……
慌て振り返るとあずさはきょとんとした表情で見返してくるが、怖くて聞けない……
あずさは掛け値なしに美人だ。独身だったら引く手あまただろう……あの見境のない小鬼王ならモラル無視して突っ走る。
「水島さん、俺責任取りますから」
「はあ? ありがとうございます」
意味も分からずにあずさはコクコク頷いたのだった。
二階に着くと麻里をベットに寝かせ、あずさにバスの位置と冷蔵庫の中身は自由に使ってくれと伝え、ついでに冷えているビールを二本取って俺は下に降りてきた。
飲まなきゃやってられん。
正直な所、ビール二本じゃ全然足りないくらいなので後でコンビニに行こうと思ってる。
そんな俺を見て哀れに思ったのかみーがそっと右前肢を膝にポンポンと乗せた。
「お前いいヤツだな。俺はいいから麻里ちゃんのトコに行ってやんな」
俺がそう言うと「にゃー」と一鳴きして、階段を駆け上がる。
ほんとに不思議な猫だなアイツ……