祐編 神谷探偵事務所
深橋探偵事務所を後にして、電車に乗る事30分……正味1時間程て俺は目的の新天地へ到着した。
中規模な大きさのマンションビルの1Fに『神谷探偵事務所』の看板が掛けてあり、2Fから上は各3部屋づつ住居スペースが設置されて5階建てとなっている。
俺の職場は看板が指し示す様に1Fの半分を使った事務所になるのだが、住居は2Fの201号室になる。
数日前に電気、ガス、水道は通してあり、生活用品も搬入済みなので問題なく住める状態になっていた。
まあ、流石に片付けまでは終わってないので現状では風呂に入って寝るだけのスペースなんだが、現状無職と変わらんから時間だけは有り余ってるので問題ない……ちょっと悲しけどな。
取り敢えず荷物を事務所に置いとくか。
ポケットの中から鍵を取り出して事務所のドアを開ける。
えっと、スイッチはこの辺に……大体の場所は分かっているが、慣れもなくこうも暗いと分からんもんだな。
仕方ないのでスマホの灯りで照らしてスイッチの位置を確認し触れる。
パッと明るく灯るが、人の気配がない事務所は若干寂しく思えた。
こりゃ無駄に広いな……自分で設計希望を出しておいて我が儘だなとは思うが、深橋に所属しているときのイメージだと手狭に感じていたのだ。
あ、因みだがこのビルのオーナーは俺である。
何故こんなビルを持っているかと言うと……それは秘密だ。世の中には知ってはいけない事情ってヤツがあるんだから察してほしい。
ぶっちゃけ探偵業などやらなくても、家賃収入だけで暮らしていけそうではあるが、そこはそれと言うヤツだ。
まあ、住居者募集もまだ掛けてない現状、このビルにいるのは俺一人なのだから寂しさも一入だった。
さて、これからどうするかな?
ポイとバックをソファに起き、その脇に腰を下ろすとケツからひんやりした冷気が上半身に伝わってくるようだった。
「寒っ!」
人気もない年末に差し掛かかった深夜のマンションだ底冷えするに決まってる。
暦の上ではまだ秋だが今年は寒くなりそうな予感がするな。
どうやら俺はそれなりに動揺していたみたいだ。ソファに腰を下ろして緊張がほどけるまで寒さを感じてなかったという事か。
荷物も置いたしこのまま自室に戻ってもいいんだが戻ってもなあ……やる事も特にないしTVをつけて、酒でもチビチビやって寝るだけだろうし、それならココでも変わらない。態々戻らんでも良いだろう。
寒さを和らげる為に壁に設置してあるエアコンのスイッチに触れ、その足で灰皿とTVのリモコンを取りソファに戻ってくる。そして、ジャケットの内ポケットから煙草とライターを取り出すとゆっくり紫煙を上げた。
「ふぅ……」
煙草が体に悪い事は分かっているが、これだけは止められそうもない。
開業したら事務所での喫煙は出来ないが今なら無問題。一日、二日で真新しい壁が茶色く変色する事もないしな。
大体、俺が愛煙家になったのもオヤジが元凶なんだよな……ユラリと事務所を漂う煙を見ながら思いを馳せた。
オヤジ……深橋喜介は日がな一日、常に煙草をくわえていた。
口癖は「健康増進法なんてなんぼのもんじゃい」だ。所構わず煙草に火をつけて、周り者から文字通り煙たがられていても全く気にも止めない暴君だった。けど、何故だか俺には煙草をくわえているオヤジが格好良く見えたんだ。
面と向かって話してやる機会もその気もなかったが、そこには憧れがあった。
まあ、車に乗れば車内が濃霧注意報が発令されてもおかしくないほど曇ったし、禁煙店で煙草を吸い出す事もあったのはご愛敬……な訳ないな。
物凄え迷惑を被ったわ……あれ? 俺、アイツのドコが格好良くと思ってたんだ?
なんか思考が混乱してきて、煙草の先端がプルプル震え出した。
うーむ、アイツの事思い出すのはヤメよう……故人を貶めても良い事はない。そうして、頭を切り替えようとした俺だが、オヤジはそれを望んでなかったのかも知れない。その理由が……
「あのどなたかいらっしゃいますか? 夜分遅くに申し訳ございません」
入り口の方から女性の声がした。
時刻は22時を過ぎた所、幽霊が出るには早過ぎる時間だ。だが、この辺はどちらかと言うと田舎で人通りは少なく、女性が独り歩きするにはあまり宜しくない環境である。故にこんな時間に訪ねてこられると若干不気味さを覚える。
べ、別にビビってる訳じゃないんだからねっ‼
誰も突っ込んでくれないのを知りつつ軽くボケてみて、やっと頭が冷えたようだ。俺は煙草を灰皿に押し付けると事務所の入り口に向かっていった。
「はいはい、ただ今向かいますよ~」
商売人にはあるまじき態度だが、まだ開業してる訳でもなしプライベートならこんなものだろ……と、入り口に設置してあるパーテーションを越えた瞬間、
「はいっ!?」
入り口に立っていた人物を見て絶句した。
声の質から判断すると訪ねてきたのは女性である……そう確かに女性なのだ。男でもなければ、女の子でもなかったはずだ。しかし、俺の視界に入るのは白猫を抱えた10歳くらいの可愛い女の子だった。
ホワイ? アナタダレデスカ?
前述の通り大人の女性でも独り歩きは避ける地区で子供一人? もしかして、昔の女が置いていった俺の子とか……
いやいや、流石にこの子の年齢からして俺の子である可能性は……0ではないのが笑えるが、可能性は超低い……はずだ。
なら、次の可能性は……ポンっ‼ と、閃く単語があった。
ああ、これがあの『合法ロリキタコレ』ってヤツだな。きっとこの娘は二十歳を超えて……おっとそうならこの娘じゃなくこの女性と呼ばねばならないな。
うんうん……って、そんな訳あるかーっ‼
最早、俺には答えは導けないと諦めようとしたが……
「あ、あの如何なされたのですか?」
その声は俺を呼んだ声だったが、少女が発したものじゃなかった。
声の主は扉から顔だけちょっと覗かせて、申し訳なさそうにも気持ち悪いものを見たようにも取れる視線を送ってきた。その顔は目の前の少女をそのまま大きくしたようで、間違いなく遺伝子の繋がりを感じさせる美人だった。
「えっ、えーと……どちら様?」
間抜けな答えなのは分かってる。けど、見た事もない親子に突然訪問されたらどうしょうもなくないか?
「水島あずさと申します。この娘は……」
「麻里だよ。で、この子が」
「にゃー」
絶妙なタイミングでにゃーが相づちを打った。
「みーちゃんだよ」
なんとにゃーちゃんじゃないのか……こりゃあびっくりだ。
「そっか、宜しくなみーちゃん」
「にゃー」
またも絶妙なタイミングで鳴く猫……ちょっと気味悪いな。まるでこっちの言葉を理解してるようだ。
「で、水島さん。何のご用でしょうか? 誠に申し訳ないのですが、当方まだ開業前でして依頼でしたらご期待には応えられないと存じます」
水島親子と俺には面識はない。あずさの俺を見る目からも向こうにだけ面識があったという事はないだろう……と、すればだ。
ここは探偵事務所なんだからクライアントという事に他ならない。
「そうなんですね……」
凄く困ったような表情になるあずさ。
普段なら丁重に帰ってもらいそのままサヨナラなのだが、この時は不思議と予感が働いた。
「ですが、お話しだけでもと仰るなら伺いますよ。ただ娘さんは大丈夫ですか?」
今はまだ元気な顔しているが、話が長引けばこの子には少々キツい時間になってしまう。
「一旦、お帰りになって明日またと言う方が宜しいかと」
「あ、それが……」
言い辛そうにもじもじしてるな……なんか事情があるのだろう。
「まあ、水島さんが宜しいのであれば本日でも構いませんが」
「はい、是非お願いします」
俺が出した助け船に全力ですがるといった感がある。
「では、ここでは何ですので中へお入り下さい」