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3-9 トロッコ問題

 家に帰って来たレイはベッドに横たわってメスを眺める。


 クロスボウの襲撃者はこれで追っ払うことが出来たのだ。

 しかし血がついていないという事は体に命中した訳ではないのだろう。

 あの武器(クロスボウ)はやたらに機械的であった。

 さらにメスには粘性の高い機械油がついている事から、クロスボウの歯車にでも噛んで(・・・)その機構を壊したのかも知れない。


 メスを見て考察しているうち、レイの心には襲撃者に遅れを取ったこと──みすみす証拠(ネイヴ)を殺されてしまったことへの怒りが渦巻いた。

 次会ったときはしっかり勝負をつけようじゃないか──レイはそんな決意を胸に眠りについた。










 日が暮れた始めた時、エンディの来訪でレイは目を覚ました。

 彼女はいつも以上の仏頂面で言った。


「明日の朝一で騎士団に来て欲しいと団長から言伝(ことづて)を預かった」


 表情以上に()がある口調で彼女は言った。しかし怒りながらも仕事はしっかりとこなす彼女にレイは笑った。


「どうしたんだお嬢さん、いつも以上にご機嫌な斜めじゃないか」


 レイのからかうような言葉にエンディはキッと彼を睨んでツカツカと歩み寄ってくる。

 

「君は──」


 エンディは間近で睨んだまま続けた。


「君は自分が何をしたか分かっているのか」

「殺人犯を捕まえた」


 レイの答えにエンディは自分の拳を強く握りしめる。


「君は関係ない人間を騙して囮に使ったんだぞ!」


 彼女の目は怒りに燃えていた。火のような赤い瞳がさらに燃え上がるように輝度(きど)を増している。

 反対にレイの感情は深く深く沈んでいく。何の感情もこもっていない答えをレイは返した。


「それがどうした」

「どうした、って──」


 エンディはレイの瞳を見た。その目は何の感情も帯びていなかった。まるでテシーを殺人犯への餌にしたことなど、なんとも思ってないという風に。


「俺はアンタ達(騎士団)がずっと見逃していた殺人鬼をたった数日で捕まえたんだぞ? 褒められこそすれ、責められるいわれ(・・・)はないぜ」


 まぁ犯人は死んじまったがね、とレイは付け加える。その言葉にエンディはさらに怒る。


「君はテシーを騙して餌にしたんだ。そのせいで彼女は襲われた。罪悪感は──」

「罪悪感だと?」

「そうだ! 君のせいで関係ない人間の命が──」


 エンディの怒りの言葉にレイはふんと鼻を鳴らした、その言動でエンディは彼が何の罪悪感も抱いていない事が本当だと気付く。

 そして初めて会った時の自分の直感が正しかったのだと悟る。

 この男は危険だ──エンディは彼の感情のない黒い瞳にほんの少しの恐怖を憶えながらも、その瞳を見返した。


「それに犯人は死んだんだ。これ以上犠牲が出ることは無い。アンタ達からすれば一件落着だろう?」

「それは結果論だ! 犯人を捕まえるために市民の命を危険に晒すなんて──」


 レイはまたも鼻で笑ってエンディを見下ろした。


「だが事実だ。これ以上殺人鬼の犠牲になる人間はいない。それが一人の命で成し遂げられたんだ。万々歳だろ」


 一人の命と複数の命、それは決して天秤にかけられるものではない。

 しかしレイは人の命など何とも思っていない。だから単純(シンプル)に数で計算する。

 その考えにエンディは唖然とした。


「人の命は比べられるものでは──」

「じゃあなんだ。あの場で見逃してこれから何人もの犠牲者が出るのを待つのか?」

「それは違う! 正当(・・)な捜査で次の犠牲者が出る前に犯人を──」


 その言葉にレイはきっぱりと「無理だな」と遮って続けた。


「アンタ達じゃ捕まえられなかった。絶対にな」

「そんなことは無い! 全力を挙げて捜査すれば犯人は捕まえられたはずだ」


 レイは理想論を語るエンディを心底見下した顔をした。


性質(たち)の悪い楽天家(オプティミスト)だなお嬢さんは。まともに捜査する気が無い上司に、全く集まっていない証拠。被害者も碌に選定できないマヌケ(・・・)な騎士──こんな状況でどうやって捕まえるんだ?」

「それは──」

「理想じゃ犯罪と戦う事は出来ないんだよ、お嬢さん」


 エンディも分かっていた。彼の言う通り、あのままであれば犯人を捕まえる事など到底できなかっただろうと。

 それに、もしあの場で捕まえる事が出来なかったら、もっとたくさんの犠牲が出ていたことも分かっていた。

 しかしレイの言い方はまるで百を救うために一を犠牲にすることがさも正しいことかのようだ。

 騎士として、人として決して許されないとエンディは声を荒げる。


「だからって君のやり方は到底許されるものではない! 人の命は数で測ることは出来ないのだぞ!」

「いいや、出来るね。人の命に価値を見出すから面倒になるんだ。純粋な数字として(・・・・・)見ればもっと単純に物事を解決できる。今回がいい例だろ。一つの命で、これからの何十という犠牲を防げた」

「君はテシーの命を何だと思っているんだ!?」


 その言葉に呆然と疑問を呈した彼女にレイは答えた。


「ただの()だ」


 囮にされて襲われたテシーを数字で呼んだレイにエンディの怒りが頂点に達した。

 エンディは彼の胸倉をつかむと壁に押し当てる。

 壁を背にしたレイは正義漢を振り回し息巻くエンディをどうなだめようかと冷静に悩む。


「君は……あいつ(殺人鬼)と同じだ……人の命など何とも思っていない精神病質者(サイコパス)だ──」


 全く持ってその通りだと押し付けれらながらレイは思った。被害者(テシー)に同情などしない。

 犯人を捕まえるために一番手っ取り早い手段を選んだだけなのだ。

 そもそも人の命に価値を見出していない。レイは己の(さが)を自嘲するように笑った。

 

「私は君の様な奴を捕まえるために騎士になっ──わっ!」


 レイはエンディの言葉が言い終わらないうちに、咥えていたタバコを彼女の顔めがけて吹いて飛ばす。


 エンディは顔への飛来物に目をつむって顔を逸らす。レイはその一瞬の隙に、彼女の胸倉を掴んでいる両手を捻り上げた。

 そのまま自分のいた位置と入れ替えるように回転し、彼女を壁に叩きつける。


 エンディは自分の右腕で自分の首を、さらに左腕でその右腕を上から抑えるような格好になった。

 レイは彼女の右腕を片手で抑えつける。

 シラットや詠春拳で用いられる拘束技術──ほんの一瞬でレイは、片手でエンディを身動きが取れない状況まで追い込んだ。

 

 「離すん──」


 レイは彼女のがら空きの腹に拳を、それも中指の第一関節がせり出した拳──空手でいう中高一本拳(なかたかいっぽんけん)を打ち込む。


 横隔膜に鋭い打撃を受けたエンディは呼吸困難に陥り、両足から力が抜ける。

 レイが抑えつけている手を離すと、彼女は床に崩れ落ちた。


「前に感情で動くなって言ったろ。甘ちゃん(・・・・)め」

「うっ……くっ……」

「感情で動くから、近接戦が出来る相手の襟を掴むなんて素人みたいな事をするんだ」


 必死に息を吸おうと両膝をついて荒い呼吸で地面に(うずくま)るエンディにレイは聞いた。

 

「それにお嬢さんだったらあの場で彼女を救えただろう。何故それをしなかった?」

「何を……言って──」


 レイはタバコを拾う為にしゃがむと、涎と涙にぬれたエンディに顔を近づける。


「あの場でネイヴが彼女を襲う前に警告して保護してやればよかったじゃないか」

「それは──」

「俺は無理矢理止めなかったぜ。何処に住んでいるか言わなかったが、あの建物の部屋数はそう多くない。一件ずつ部屋を回って彼女を探し、襲われる前に保護する時間はあった。何故それをしなかった?」


 エンディは彼の言うことはもっともだと黙ってしまった。確かにあの時、レイの言葉を無視して保護しに行けばよかったのだ。


「あの時こう考えたんだろう。『ここで逃せばもっと犠牲が出る』ってな」

「違う……私は……」


 呆然と伏せっているエンディにレイは冷たく言った。


「お嬢さんはテシーの命を天秤にかけたんだよ。テシーを数字として考えたんだ。(テシー)と十ならば十を救う方を選ぶってな」


 レイの言葉にエンディは小さい声で「違う」とまた呟いた。

 決して数字として考えたのではない、と彼女は自分に言い聞かせる。しかしレイの言う通り、自分にはテシーの命を危険に晒さない選択肢があったという現実を突きつけられたエンディは言い訳もできない。


 そして彼女は気付く。あの場に留まり、レイの計画に乗ったことはテシーの命を天秤にかけたという事と同義では無いのか──エンディは腹部への打撃が原因ではない吐き気に襲われる。

 黙ってしまい、嗚咽を漏らすだけになった彼女を責めるようにレイは言った。

 

「それはつまり──お嬢さんも彼女の命を犠牲にする事を選んだってことだろ」


 レイの言葉をエンディは声を大にして否定したかった。だが何も言えなかった。

 返答が無いとみたレイは立ち上がって部屋を出ていく。

 エンディは暗くなっていく部屋で呆然と「違う」と呟き涙を流した。

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