3-7 ノイン・ハーミット
酒場は最初に来た時と同じように、まだ開店の準備をしている所だった。
あの時はリンが酒をふるまってくれたが、店を見回しても彼女の姿は無い。代わりに小柄な少女が床を掃いていた。
しかし彼女はただ漫然と同じ箇所を掃いているだけ。
決してその場から動かない彼女の掃除だと店は一向に綺麗にならないだろう。
何より彼女の佇まいからは明らかに嫌々掃除しているという雰囲気が感じ取れる。
そんな彼女はレイの姿を認めると、箒で掃くのを止めて口を開いた。
「まだ開店時間じゃないんですけど……」
そう言葉を紡ぐだけでも重労働だとばかりに言った彼女にレイは戸惑った。
リンが言うのはこの店は客が来た時が開店時間との事だ──レイは何と返そうかと悩む。
そんなレイが何の反応も返さないのを見た彼女は大きくため息を吐いて復唱した。
「まだ開店時間じゃないんですけど……」
機械かこいつは──レイはそんなことを思いながらも彼女の姿や雰囲気に親近感を覚える。
この世界の髪や目は色彩にあふれているが、この小さな女は黒に近い濃紺の髪と瞳を持っている。
レイは彼女の濃紺の瞳を見つめて言った。
「客が来た時が開店時間だと聞いたが──」
レイのセリフに彼女は馬鹿にしたような顔で答えた。
「ぷぷぷ……そんな馬鹿な店あるわけないんですけど」
お前はそのバカな店で働いてるんじゃないか──とレイは思わず突っ込みを入れそうになった。しかし彼女の軽口とは裏腹に、全身をつぶさに見るような視線にレイは気付いた。
品定めをしているような視線ではなく、まるで同類かどうかを確認するような視線にレイは居心地の悪さを感じる。
諦めてレイが背を向けようとした瞬間、カウンターの奥から鍋が飛んできた。
飛来した鍋は小柄な女の目の前にけたたましい音と共に着地する。
「ひいっ!」
小さく悲鳴を上げた彼女は小動物が外敵の急な到来に怯えるように飛び上がる。そして身軽な動作で後ろのテーブルの上に音もたてずに着地した。
カウンターの奥から鍋に次いで現れたのは恰幅の良い中年女。彼女は頭の頭巾を取るとテーブルの上で顔を引きつらせている小さな店員に言った。
「馬鹿な店で悪かったね」
レイはすぐに彼女の事が分かった。リンが言っていた店長だろう。体型も、店員を叱るその声音にも店の主としての貫禄がある。
「ノイン、何度言ったら分かるんだね! ここは客が来た時が開店時間なのさ!」
ノインと呼ばれた少女は箒を抱きしめるように持つと嫌そうな顔を隠そうともせずに小さく唸る。
「悪かったねお兄さん。好きなとこに座んな」
レイはその言葉に従いカウンターの端に座る。そして酒を注文しようとしたが、それよりも早く店長が酒とグラスを目の前に置く。
「まだ何も言ってないが──」
「こんな時間からウチに来る飲兵衛が贅沢言いなさんな」
レイはその勢いに飲まれつつ出された酒に口をつける。
この世界に来て初めて飲んだ酒だ。ウォッカに似たキツイ酒──しかし半日もアルコールを抜いていたのだ。酒ならば何でもいいとレイはグラスを空にする。
「いい飲みっぷりだねお兄さん」
そう言いながら間髪入れずに酒を注いだ店長にレイは聞いた。
「リンは?」
レイの問に店長は目を丸くする。
「なんだい、あの子の知り合いだったの」
店長はそう言うとレイに注いでいた酒瓶に直接口をつけて中身を呷る。客が来た時が開店時間。そして店の商品に手を付ける店長。あまりにも適当な店の経営にレイは苦笑いして酒のお代わりを貰う。
「それとも彼女にお熱な男の一人かい?」
「その両方さ」
レイの冗談に店長は豪快に笑う。そんな店長の横にいつの間にか気配もなく立っていたノインが言った。
「ここはそういう店じゃないんですけど!」
店長は横に立っていたノインに気づいて驚くと、彼女に怒鳴った。
「あんたはとっとと机を拭きな!」
怒鳴られたノインは「ひぃ」と顔を引きつらせる。そして慌ててカウンターから出ると布巾を手に机を拭き始めた。
先ほどの掃除とは段違いにてきぱきしている。彼女がしっかり掃除していると確認した店長は彼女から目を外すと言った。
「でもまぁ、ノインのいう通りここはそう言う店じゃないのさ。別に従業員の生活に口を出すつもりは無いけどね。店で女漁りをする奴は叩き出すからね」
「酷いな。俺がそんな軽薄な男だと?」
ノインは小さく、しかしレイの耳には届くような音量で「思うんですけど」と呟いた。
なにが彼女の不興を買ったのかは分からないが、嫌われているらしい、とレイは親近感を感じた彼女をチラリと見る。
ノインは呟きを聞き取った店長に怒鳴られながら慌てて止めていた手を動かし始める。
レイは硬貨をテーブルに置いてグラスを飲み干すと椅子を降りた。
「どうやら俺は嫌われているらしい。今日の所は帰るよ」
「懲りずに来ておくれよ。ウチは酒飲みは大歓迎だから」
店長は金をとるとそそくさと厨房に引っ込む。ホールに残されたのはレイとノインだけになった。
レイは入口まで歩いて行く。そしてスイングドアを押そうとしたところ、後ろに迫る気配を感じた。
それも意図的に殺した気配だった。
気配を殺して人の後ろに立つなど普通の人間ではない──レイは思わず腰のナイフに手をやり振り返る。
そこにはノインが立っていた。
彼女は振り返ったレイに驚いた顔をした。
「人の後ろにこっそり立つなんて趣味が悪いな」
そう茶化したレイだったが、少しだけ驚いていた。彼女の気配の消し方は明らかに専門的なものだった。
訓練し、それ相応の場数を踏まなければ得られない類のものである。
なぜ彼女がこんな事をしたのか分からなかったが、レイはその行動がお見通しだとばかりに笑って言った。
「バレバレだったぞ」
その言葉にノインは一瞬だけムッとしてすぐにすっとぼけるように答えた。
「一体何のこ──」
「じゃあなおチビさん」
彼女の言葉を遮ったレイはドアを開けて外へ出た。そして最初に抱いた親近感は見た目に感じたのでは無いのかも知れない、と考える。
だがすぐに考えるのをやめた。別に害があるわけではない。本気でこちらの背中を取るならば、あのような場では行動しないだろう。
それにあの店は気に入っている。無駄な揉め事を起こす必要もない。
当のノインは背後を取れなかったことに驚いていた。
父意外に見破られたのは初めてだ──しかし、と彼女は自分に言い訳をする。都会は自分にとって馴染みのない場所だから背中を取れなかったのだ。
それに彼は明らかに同業者だ。そういった相手の背後を取ることは難しい。
だが森であれば自分の方が強い、とやはり言い訳を胸中で呟く。
それでもレイの馬鹿にしたような顔にノインは思わず口に出して呟いた。
「むかつくんですけど……」




