2-46 狩る側、狩られる側
ネイヴは窓から飛び降りて一目散に走る。
そして己の軽率さを後悔する。これは罠だったのだ。標的となるような娼婦に犯人を怒らせて、わざと襲わせたのだ。
よく考えるべきだった、と後悔するネイヴはなぜ騎士が何故こんな危険な事をしたのだろうと疑問を浮かべる。
このような危険なおとり捜査を騎士が行うとは思えない。そしてネイヴはあの騎士を名乗る赤髪の少女の後ろに立っていた黒い男を思い出す。
ネイヴはその黒い男──レイを騎士の肩越しにチラリと見ただけだった。
しかし一瞬で彼が自分と同族だと分かった。
他人の命など何とも思わない人間、他人の命を平気で奪う怪物、決して罪悪感など抱くことなく、簡単に倫理や法を無視する。
きっと娼婦を餌に自分をおびき出したのも彼だ、とネイヴは確信した。
そんな同族認定されたレイは窓から躍り出ると、前転で衝撃を前方に逃がし、その勢いのまま走り出す。
ネイヴは背後の足音に気付いて振り返る。そんな怪物──レイが追いかけて来ていた。
霧は濃く、闇は深い。ネイヴは余裕で逃げ切れると思ったが、レイは恐るべき速さで駆けてきた。
そこでネイブは自分の立場を察した。
今まで狩る側だったが、この瞬間に狩られる側になったのだ。
彼の内に堪えようのない恐怖が沸き上がる。
このままだと追いつかれる、とネイブは恐怖をふり払って思考する。
そして追って来ているのが一人だけだという事に気付くと横の路地に入る。
しばらく息を整えて、入って来た路地の入口に手を突き出すと魔法陣を展開する。
捕まってたまるか。あの黒い男が入ってきたら氷で蜂の巣にしてやる──待ち伏せをすることにしたネイヴは駆け寄ってくる足音に耳をすませた。
レイはネイヴを追いながら急に軌道変更し路地に入った彼の思惑を見抜いた。
待ち伏せだ──レイは走りながら傍らに落ちているボロボロの布を拾って路地の前で止まる。
そして布を路地の入口に放り投げた。
すぐに呪文と共に無数の鋭いつららが飛んできて布に穴をあける。
ネイヴは自分が射抜いたのがただの布だという事に気付いて作戦が失敗したことに舌打ちする。
そんな彼にレイは路地に顔を覗かせて言った。
「鬼ごっこは終わりか殺人鬼」
その言葉にネイヴは呪文で答えた。レイの顔めがけて氷の塊が発射されるも、彼はすぐに顔を引込めてひゅうと短く口笛を吹く。
路地は人が二人丁度通れるくらいの狭さだ。そして氷の魔法はまるで散弾銃のように広範囲へつららを発射する。
このまま突っ込んではいい的だ、とレイは腰のナイフを抜く。
自分が持っているの唯一の遠距離攻撃はナイフの投擲だけ。そしてナイフは一本限り。
何より奴との距離は遠い。ナイフを投げても簡単に避けられてしまう。
そもそも殺してはダメなのだ。生け捕りにして、何故奴がこちらの世界に自分を呼んだのか聞かなければならない。
そのためには近接戦闘に持ち込んで無力化することが必須だ。
攻めあぐねたレイはとりあえず会話で奴の気を引こうと、壁に背をつけながら背後の位置にいるネイヴに聞いた。
「なぁ、なんで俺をこっちの世界に呼んだんだ?」
無視しようとしたネイヴだったが、その不思議な問いに思わず答えてしまう。
「何の話だ?」
「今更隠さなくていい。俺をこっちの世界に召喚しただろう。切り裂きジャック」
切り裂きジャックと呼ばれたネイヴは再度「何の話だ」と困惑した声を出した。
声音からそれが嘘をついているわけではないとの感触を得たレイも困惑した。
「お前が切り裂きジャックを名乗って騎士団に手紙を寄越したんだろ」
「僕は騎士団に手紙など送っていない」
「とぼけるなよ。腎臓付きの手紙を送っただろう。『腎臓は美味かった』ってやつだ」
その台詞にネイヴは心外だと叫んだ。
「僕が腎臓を食べただと? そんな気持ち悪い事する訳ないだろう!」
そういうことか、とレイは死亡証明書を思いだす。たしかに襲ってきた女以外は腹を裂かれてなかった。
対するネイヴもレイの吐くワードに何かを察したのか悪態を吐いた。
「召喚……腎臓……そういう事か! 僕は実験動物だという訳か!」
ひとりでに納得しているネイヴにレイはある結論に至った。
「最後に殺した女の腎臓を抜いて誰かに渡したな?」
「何故それを知っている──」
やはりそうなのか。このネイヴという男はただの殺人犯だ。そして騎士団に手紙を送った者は別なのだ。
その手紙を送った奴こそが俺をこちらに呼んだ人物なのだ。ネイヴはただ身代わりにされていただけ。
誤った人物を追っていた事、さらに黒幕がいることにレイは舌打ちをした。
「どうやら俺が探している相手はアンタじゃないようだ」
レイはなるべく事を穏便に生ませようと取引を持ち掛ける。
「取引しようぜ殺人鬼。腎臓を渡した相手を教えてくれれば見逃してやるよ」
その取引にネイヴは驚いた。まさか騎士に関わるような人間が犯罪者を見逃すなんて信じられない、と断る。
「お断りだ。それに僕の事は既に騎士団に知られているはずだ。ここで見逃してもらったところで──」
「アンタが殺人犯だってことは俺とあの赤髪の騎士しか知らない」
ネイヴはもう捕まるしかない状況で希望の光が差したのを感じた。つまりこの男とあの騎士を殺せばこの事を知っている人間はいないという事になる──ネイブは笑った。
「君が見逃したところで、あの騎士が喋ればいずれ知れ渡るだ──」
「俺があのお嬢さんを殺してやるよ」
何の感情も籠っていないその声にネイヴは口を閉じた。そのような提案は間違っても騎士側の人間が口にしていい言葉ではない。それでも彼ならやるだろうとも思った。
やはりこの男は自分と同類なのだ。己の欲望を満たすためには他人の命など平気で踏みにじるのだ──ネイヴは笑って言った。
「僕が言える事ではないが……君もだいぶイカレているな」
「それで? 交渉は成立か?」
「する必要はない。僕の手で君たちを殺せばいいのだからね」
その言葉にレイはきっぱりと言った。
「それは無理だ。アンタじゃ俺に勝てない」
レイは作戦を組みたてる──奴との距離から考えて、近接戦闘に持ち込むには魔法攻撃を最低でも一度は避けなければならない。
だが散弾のような奴の氷を、この狭い路地で避けられるだろうか。
レイはそこで確信した。自分の身体能力であれば避けられる、と。
そのためには少しでも奴の隙を作らなければならない。今の状態では路地に入った時点で蜂の巣にされてしまう。
だが隙さえあれば接近出来る、と作戦を決めたレイにネイヴが吐き捨てるように言った。
「舐めないで欲しいね」
そんなネイヴの言葉にレイは嘲笑を含んだ声音で言った。
「そうか……じゃあ、試してみるかい」




