2-45 ブリーチング
レイに声を掛けられたエンディは慌てて立ち上がり、壁に立てかけていた剣を腰に装着して聞いた。
「彼女の部屋はどこなんだ!?」
「この真下だ」
レイはそう言って地面を指す。
その言葉が終わる前にエンディは駆け出していた。乱暴にドアを開け、廊下を一目散に階段へと向かう。
階段を降りて同じ分の長さの廊下を走り、テシーの部屋の前に着いたエンディは少し遅れてきたレイに言った。
「しまった! 大家から鍵を──」
そう言ったエンディにレイは舌打ちをして扉から二、三歩下がる。
「剣を抜けお嬢さん。俺が扉を蹴破る。先に突入しろ」
そう言ったレイは返答を待たずに前蹴りでドアを蹴り壊して開けると横にずれる。
エンディは慌てて剣を抜きつつ室内に飛び込んだ。
遅かった──それがエンディの最初の感想だった。
部屋中が凍っており、吐く息は白くなる程気温が下がっている。
部屋の真ん中には地面に氷で張りつけられた女。その咽喉からは血が流れて湯気が上がっている。
そして彼女を挟んで反対側に立っている男にエンディとレイは見覚えがあった。
「あ、あなたは医法師の──」
エンディにそう言われた殺人鬼──ネイブは驚いた顔で闖入者二人を見ていた。
レイは警戒しつつ、部屋には入らず半身を覗かせ言った。
「こんばんは先生」
その目に宿る殺意にネイヴはたじろぐ。そしてエンディは剣を構えたまま叫ぶ。
「動くな! 両手を上にあげて膝をつけ!」
「わ、分かった」
ネイヴは観念したように両手を上げる。その手に握られているメスを見たエンディは彼に少しずつ迫りながら再度叫ぶ。
「武器を捨てるんだ!」
「ま、待ってくれ──彼女は治療しないと死んでしまうぞ」
その言葉でエンディはハッとする。テシーはまだ生きているという事だ。
「彼女の傷はかなり深い。医法師か薬法師でなければ直せない」
自分でつけた傷のくせに──エンディは怒りが湧き上がりながらも答えた。
「殺人犯の貴様に被害者の治療をさせるとでも?」
怒りの滲んだ言葉にネイヴは激しく頷く。
「すぐにでも治療しないと出血多量で死んでしまう。だが僕は医法師だ。彼女を治療できる!」
エンディは足を止めた。近くには専門家はいない。そもそも呼んでいる時間も無い。
だが今の今までテシーを殺そうとしていた者に治療など頼める訳がない──しかし彼女は迷った。
迷うエンディとは別に、レイは経験から、その傷と出血量が致命的なものだと分かった。
「その女はもう手遅れだ。お嬢さん。とっとと手錠を掛けろ」
レイはエンディの背後でそう言う。
そして不安を憶えた。この馬鹿なお嬢さんは殺人鬼に女を治療させようとしているのではないか──彼が危惧した通り、エンディはほんの一瞬ためらった。そしてテシーの方を見るためにネイヴから目線を切った。
その一瞬でネイヴには十分だった。彼は手をダレスバッグに突っ込むと水風船を取り出し、投げると同時に呪文を叫んだ。
「glacies!」
呪文が終わると同時にエンディはそれがまずい攻撃だと悟ってテシーに覆い被さっていた。
レイもエンディと同じく攻撃は予想できなかった。しかしまずいものだという直感は働いた。
予測できない攻撃に対しては身を隠すことが一番だ──レイは入口から覗かせていた半身を引いて隠れる。
二人の直感通り、その攻撃は部屋全体を引き裂いていた。
水風船が破裂し、中からは鋭いつらら状の氷が高速で四方八方に撒き散らされる。
言うなればつららの手榴弾──部屋には無数のつららが突き刺さっていた。
窓を開ける音を聞いたレイはナイフを手に部屋の中を覗く。
「クソ!」
部屋にはテシーと彼女に覆いかぶさっているエンディ。庇ったその背には何本かのつららが鎧の隙間から刺さっている。
ネイヴの姿は見えない。チクショウ、とレイは胸中で悪態を吐き、窓に駆け寄ると暗い路地を見下ろす。
そこには走り去るネイヴの姿が見えた。
レイはエンディを誤解していた事を知る。あのお嬢さんはあり得ない程の甘ちゃんだ。
攻撃が来ると分かっていたのに、それを止めようとせずに被害者の盾になったのだ。
彼女は連続殺人犯の逮捕でなく、目の前の命を救う事を選択した。
すでにテシーの出血量は致命的だ。
もう助からない人間の盾になるなんてあまりにも度し難い──しかしレイは悪態を吐いている暇はない、と窓から身を躍らせる。
鬼ごっこなら望むところだ殺人鬼──




