2-43 天秤にかけるのは
「そう言ったつもりだが」
レイの表情一つ変えず言った台詞にエンディは昼間抱いた不安が込み上げてくるのを感じた。
「その事はテシーも知ってるのか!?」
「知ってるわけないだろう。もし知っていたら協力なんてしてくれない。誰が好き好んで殺人鬼をおびき寄せる餌になりたがる」
「それじゃ──」
エンディはレイを犯罪者でも見るような目で見つめて言った。。
「彼女を餌にしたのか」
レイはその視線と言葉に「酷い言い方だな」と喉を鳴らして笑って酒瓶を手に取る。
彼の軽薄な態度とあまりにも人命を軽視した罠にエンディは怒りを露わにした。
「君は自分が何をしたのか分かってるのか!?」
「そんなに騒ぐなよ。近所迷惑だ」
エンディは怒りに燃える顔でレイに近づき、椅子に座っている彼を見下ろす。だが彼は不敵に笑うと言った。
「まぁ、お嬢さんの言う通り。テシーは餌だ」
エンディは怒りのままレイの持っている酒瓶を叩き落とす。彼は床に転がって中身がこぼれる瓶を見つめ、「もったいないじゃないか」と呟く。
「このままだと彼女が危険だ。テシーはどこにいるんだ!?」
「彼女はこの集合住宅に住んでいるぞ。だからこの部屋を借りたんじゃないか」
「どこの部屋だ!? 一刻も早く警告しなければ──」
エンディは鎧をつけるために外していた剣を手にレイに聞く。
その行動にやはりこうなったか、とレイは呆れる。この正義感にあふれる人格者の騎士様は決してこの計画に同意はしないだろうと思っていた。だからぎりぎりまで隠しておいたのだ。
だが彼女を納得させる方法を考えていないわけでもない。
「そんなことしてみろ、今までの計画が水の泡だぞ」
そう言われたエンディは驚いた表情をして言い返す。
「そんなことはどうでもいい──」
しかしレイは彼女の言葉を遮るように言った。
「いいのか? ここを逃せば犯人は罠だと気付いて雲隠れするぞ。そしてもっと狡猾になって犯行を重ねる」
「なにを――」
「犯人を怒らせておびき出す、なんて手は一度しか使えない。もしこの場で逃せばもっと人が死ぬ」
その言葉にエンディがさらに怒りを露わにした。
「だから彼女の命を危険に晒せと言うのかっ!」
レイは顔面で怒鳴る彼女の顔に紫煙を吐きつける。エンディはせき込むと数歩下がり、怒りに燃えた真っ赤な瞳でレイを睨む。
彼は受け止めるように黒く冷たい瞳で見つめ返して言った。
「それじゃあ聞くが、お嬢さんに犯人を捕まえる術があるのか?」
「それは……証拠を精査して――」
エンディは言い淀む。事件の目撃情報もろくに集まっていない。そして騎士の数も足りていない。何の証拠も得られていない。それを見透かしたようにレイは続ける。
「ろくに証拠も集まっていないんだろう? それに殺人課の課長はまともに捜査なんてする気が無いみたいじゃないか。そんな状況で奴を捕まえる方法はあるのか?」
エンディは黙ってしまう。彼女自身が良く分かっていた。今のままでは犯人を捕まえることは難しいと。
しかし何の関係も無い市民の命を危険に晒すこの行為は決して許されない。そう伝えようとしたところにレイは畳みかける。
「何も俺だって彼女に死んでほしいわけじゃない。だからお嬢さんを連れてきたんじゃないか」
「え?」
「犯人が彼女を殺す前に捕まえればいい」
「ダメだ!」
エンディはやはり納得しかねる、といった顔でレイに食って掛かる。
「人の命がかかっているんだ! 彼女の部屋はどこだ──」
それにレイはツンとして横を向く。
「教えるわけないだろう」
「君というやつは──」
怒りにわなわなと震えるエンディは拳を固く握る。感情のままに殴り掛かりそうになるもすんでのところで堪える。もしここで彼を殴っても状況は変わらない。
何よりこの男は消して口を割らないだろう。
このまま部屋を出て一部屋ずつ回って標的となる娼婦を探すことも考えた。しかしそんな現場を犯人に見られでもしたら取り逃がし、彼の言う通りもっとたくさんの犠牲者を出すことになるだろう。
「何度も言うが、この犯人は捕まるまで殺し続けるぞ。連続殺人鬼が途中で飽きるなんてのは無いんだ。ここで逃したらもっとたくさんの人間が死ぬ」
もっとたくさんの人間が死ぬ──その言葉にエンディは唇をかむ。
これから捕まえられる算段は無い、しかし彼の言葉を信じればテシーの命を救い、なおかつ犯人も捕まえることが出来るかもしれない。
そのかもしれないで捜査する事は禁物だと騎士学校で口を酸っぱくして言われた。
だが自分の力では何もできない現状に加え、犯人を捕まえられるかもしれないという希望をぶら下げられたエンディの心は揺らいだ。
知らないうちにエンディは娼婦の命と、これからの犠牲者の数を天秤にかけていた。
もう一押しとばかりにレイは言った。
「奴がやってきたら教えてやるよ。それまでは大人しく待ってな」
「テシーに危害が及ぶ前に捕まえることが出来るのか?」
あたりまえだろう、と嘯くレイは机の上の水差しから床に水を撒いた。
水たまりができた床を見下ろすようにレイはベッドに寝転がる。
「だから大人しく待ってな」
エンディは観念したようにレイから離れた。彼の言葉を信じれば、彼女に危害が及ぶ前に捕まえることができる。今はそれを信じるしかない。
レイは彼女が観念したのを確認し、水たまりを観察することに集中する。
今は待つ時だ。標的を待つ狙撃手のように、決して動かず機会が来るのを待つのだ──




