2-41 狩りの時間
エンディは朝早くから資料室で切り裂きジャックの犯行と思われる被害者を抜き出す作業に勤しんでいた。
しかし娼婦の被害者はあまりにも多い。彼女たちが生業としている娼婦という職は危険と隣り合わせだ。
その職業柄仕方がないのだが、それでもエンディの心にはやりようのない気持ちが渦巻く。
先が見えない作業中に、ふとレイが抜き出した被害者達のファイルを思い出す。
もし彼の弁を信じるならば、この作業は無駄だ。なぜなら彼は瞬く間に切り裂きジャックの被害者だけを抜き出したのだから。
しかしエンディは彼の言葉だけを信じるのではなく、自分でもしっかり事件を精査したかった。
休憩しようかと思って書類から視線を上げたエンディはそこで窓の外が騒がしいことに気付く。
凝り固まった体を伸ばしながら立ち上がった彼女は窓に近づいて外を見下ろす。そしてそこに群衆と会見用の台座の前に立つクワトロを見つけた。
何をしているのか思いを馳せる前に扉がノックされる。彼女は振り返ると「どうぞ」と返事をした
扉を開けて入って来たのはベルフェだった。その顔は怒りに満ちている。
また何かやってしまったかとエンディは思ったが、彼は窓際に歩いてくると騒ぎを見下ろして言った。
「あれは君の差金かね?」
「え?」
何のことが分からないエンディは困惑する。
その顔を見たベルフェは「本当に知らないのか?」と言った。
「団長は今、娼婦連続殺人事件を解決したという会見をしている」
「えぇ!?」
エンディはみっともないと思いながらも大声を上げた。
さっぱり意味が分からない。まだ何の成果も出ていない。そもそも資料の整理すら終わっていないのだ。
「彼が急に会見を開くと言って人を集めたのだよ。君が何か企んで彼を焚きつけたのでは無いかね?」
まさか、とエンディは首を振った。
「そもそも資料の整理も終わってないのに──」
「そうか……これは彼の独断という事か……ふん、何が『現場の事には口を挟まない』だ」
愚痴を言う彼にエンディは非難の目を向ける。そもそも、まともに捜査させようとしない人間が何を言っているのか──ベルフェは怒りが収まらないとばかりに資料室の扉を乱暴に閉めて出て行った。
エンディは会見の様子を見下ろす。そして群衆から離れたところに知っている人影を見つけた。
黒ずくめの男──レイだ。彼の姿を見つけた途端、エンディは自分の知らないところで何かが起こっている事に気付く。そしての胸の内に不安が浮かび上がってくる。
取り返しのつかない事が起きそうだ──エンディは根拠の無いそんな不安を否定することが出来なかった。
会見が終わり、レイと会見に参加していた緑髪の女が幾つか会話を交わして別れるのを見届ける。
エンディは抱いた不安を押し殺すようにとりあえず今は出来る事をしよう、と自分に言い聞かせ資料整理に戻った。
数時間後、部屋が暗くなってきた事に気付いたエンディは資料から目を話して一息ついた。
資料の精査に集中しすぎて彼女は気付かなかったが、窓の外の日は落ち、部屋は暗い。
エンディは机の上の蝋燭に手を伸ばし手のひらを掲げる。
「Ignis」
エンディの手から小さな火が出現して蝋燭に火をつける。明るくなった室内でエンディはこの部屋にいるのが自分一人では無い事に気付いた。
気配もなく目の前の机を挟んで置かれているソファに寝転がっている者がいる。
「ひゃあああっ!」
悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになったエンディはその人影が知っている者だと再度驚く。
「な、何をしているんだレイ!」
レイは彼女の悲鳴と大声に顔をしかめてソファから身を起こす。シーツ代わりにしていたジャケットが体から離れ、彼の上裸が露になり、エンディは思わず目を逸らす。
「大声出すなよ。迷惑だろ」
「え、あ……すまない──ではなくてだな! いつから──」
レイはタバコを咥えるとマッチを床で擦って火をつける。
「いつからって、二時間ぐらい前からだぞ」
丁度日が落ちたぐらいの時刻からこの男は目の前にいたのだ。しかしエンディはソファに寝転がるレイに全く気付かなかった。
そもそも、入って来たところすら見ていない。
「い、いやそうではなくてだな──どうやって入った!?」
レイは開いている窓をタバコの先で指し示す。
エンディはその先に駆け寄ると窓の下を覗く。そして自分でも馬鹿らしいと思いながらも聞いた。
「まさか……この壁を上って来たのか?」
「そうだが」
肯定したレイをエンディは信じられないと言った顔で見つめる。
確かに壁は複数の石で積み上げられて作られている。そのためわずかながら隙間がある。この男はそのわずかな隙間に指をかけて上がってきたのだ。
「ば、馬鹿じゃないのか──」
素直な感想が彼女の口から出た。それにレイが口を尖らして言った。
「失礼な奴だな。じゃあどこから入ればいいんだ」
「そんなの正面玄関からに決まってるだろ!」
「俺は騎士じゃないんだ。入れるわけがないだろう」
だからと言って騎士団に侵入するのは重罪だ。そもそも思い付いたとしてもそんな事はしない。エンディは窓の下を覗いて身震いする。
この高さを飛び降りるのも驚きだが、登ってくるのも驚きだ。そもそも殆ど出っ張りが無いこの壁を良く登れたものだ、と感心してしまう。
呆気に取られている彼女にレイは紫煙を吐きつつ口を開いた。
「それに馬鹿はお嬢さんの方だ。目の前に不法侵入者が寝っ転がっていたのに丸二時間も気付かなかったんだぞ」
「それは──」
エンディは言い訳のように思う。この男は気配が全くないのだ。それに加え、彼が身にまとっている黒い衣服のせいで闇があれば紛れてしまい、余計に気付くことは難しい。
一体どのような生活を異世界でしていれば、このような技術が身につくのか──エンディは呆れてため息を吐きながら昼間見た光景をレイに聞く。
「そういえば、昼間騎士団の外にいただろう? 何をしていたんだ?」
「罠を仕掛けてたのさ」
レイの言いたいことが分からないエンディは聞き返す。
「罠って……」
「狩りをするには罠が必要だろう」
ますます分からない。彼は動物狩りでもするのだろうか──そんな呑気な感想を抱いた彼女にレイは聞いた。
「お嬢さんは鎧はつけないのか?」
「鎧?」
レイは疑問に思っていた。騎士団の前に配置されている守衛は全身を鎧で覆っている。
しかし彼女やクワトロは騎士の制服を着ている姿しか見ていない。
騎士と言えば全身をがっちりと鎧で固めているイメージがある。
「持っているが普段はつけない。鎧をつけるのは危険な現場に乗り込む時ぐらいだ」
「普段はつけないのか?」
「つけない。機動力が犠牲になるし、何より市民にいらぬ威圧感を与えてしまうからな。ここぞというときに装着するんだ」
ここぞという時、その言葉にレイは頷いた。
「狩りの時間だお嬢さん。鎧を持ってついて来な」
「何を言ってるんだ?」
レイの言葉を何一つ理解できないエンディは何一つ理解できないレイの言葉に聞き返すも、彼はソファから起き上がり言った。
「ここぞという時が来たんだよ。クワトロから何か聞いていないか?」
「それは……聞いているが」
エンディは昨日クワトロから呼び出され、レイの指示に従え、と言われていた。その事だろうと彼女は頷いた。
「君について行けとは言われてるが――」
レイはブーツを履きなおす。そしてシーツ代わりにしていたジャケットを羽織ると髪を結ぶ。
「行くぞ、お嬢さん」
「行くって……どこに──」
ドアノブに手をかけたレイは振り返って言った。
「決まってるだろう。怪物退治さ──」
そう言ってドアを勢い良く開けた。




