2-40 狩猟罠
翌朝、テシーはレイの指示通り東騎士団の本部前で辻馬車を降りる。
既に建物の前には人だかりができており、彼らの視線は誂えられた簡素な会見台に向けられている。
あそこであれだけの人数を相手に話をするのか、とテシーは少々後悔した。数時間前までは金をもって逃げようとも考えていたが、それは正解だったのではないかと思い始めた。
しかしここに来た以上もう後戻りはできない。視線を巡らせ、見知った人影を捉える。
レイは群衆から離れた場所で老齢の男と話をしていた。
そのレイは群衆を眺めながらクワトロに聞く。
「今日の会見はアンタが主導するのか?」
「そうだ。今回は私の一存で行っている会見だからな」
レイは彼の意図を見抜いた。彼は何かしらまずいことが起こると感づいているのだ。
そのために、何が起ろうとも自分の責任ですべて収まるようにしている。上に立つものとして見上げた精神だ、とレイは笑う。
「どのような段取りで行うんだね?」
「あそこに集まっていいる奴らの前で彼女を喋らせればいい。質問は一切なし。読み終わったらすぐに退席させるんだ」
レイは折り畳まれた紙をポケットから取り出して見せる。
「それは?」
「彼女に呼んでもらう台本だ」
一通りの打ち合わせが終わった彼らにテシーは近づく。レイは気さくに「やぁ」と挨拶した。
「来てくれたんだな」
「当然でしょ」
テシーの顔は緊張で青い。レイはそんな彼女をクワトロに紹介した。
「紹介するよ。彼女が今日の主役のテシーだ」
「よろしく。私は東騎士団の団長を務めているクワトロだ」
そう言って挨拶した彼の手を握り返した彼女も名前を告げる。自己紹介を済ませたテシーはレイの方を向いて聞く。
「それで……私は何を喋ればいいの?」
レイは手に持っていた紙をテシーに渡して答えた。
「この内容をそのまま喋ってもらえばいい」
レイはそこでふとテシーが文字を読めなかったらどうしようかと考える。
彼女は渡された紙を小さく口に出しながら読んでおり、識字能力に問題ないと安心したレイはクワトロに「包帯はあるか?」と聞いた。
彼は無言でポーチから包帯を取り出すとレイに渡す。
「どうも」
そう言ってレイは包帯を適度の長さに切断すると、台本を読み進めるテシーの首に巻く。
彼女も台本を読んでいく中でその包帯の持つ意味を察したのか、特に質問は挟まずに読み進める。
彼女が一通り目を通したことを確認したクワトロは金の懐中時計を開くと言った。
「そろそろ時間だが──」
レイは頷いてテシーを促した。
「あとはこの人について行って喋るだけでいい」
そう言われた彼女はやはり緊張が溶けていない。レイはポケットから小瓶を取り出すと渡す。
それが酒だと理解した彼女は中身を一気に飲み干し、ほんの少し赤みがさした顔で「行ってくるわ」と答える。
「頼んだぜ」
クワトロは彼女に手を差し出す。紳士的な振る舞いに「悪くないわね」とテシーは手をかけて一緒に歩き始める。
レイは群衆の中をエスコートされる彼女の背を見ながら煙草に火をつけた。
上手くやってくれよ──そう胸中で呟くレイの黒い瞳は狩人のそれに切り替わっていた。
記者や貴族の使い、街の娼婦達や事件に興味のある一般人。そして人だかりがあるからやって来た野次馬。
それらがクワトロの登場にざわめく。
彼らは口々に質問や野次を飛ばすが、クワトロは何も答えずにそのざわめきが収まるまで待つ。
期待した答えが得られないと理解した群衆は次第に静かになる。彼はそのタイミングで口を開いた。
「先日広告した娼婦連続殺人事件についての会見を行う」
クワトロはそこで咳払いを一つして続けた。
「先日、我々は有力な容疑者を拘束した」
最前列の記者と思われる女が鉛筆を持った手を上げて質問する。
「そいつはどんな奴なの?」
クワトロはその質問には曖昧な答えで返す。
「まだ捜査中であるため、犯人についての情報は出せない」
「だったら、どうやって逮捕したんですか!?」
繰り出された質問にクワトロは自分の後ろに立っているテシーをチラリと見る。
「それについては彼女に話してもらう方がいいだろう。どうぞこちらに」
そう紹介されたテシーはおずおずと台の前に立つ。
好奇、好色、侮蔑──数々の視線に晒された彼女はバレエ学校での審査会を思い出す。
「彼女のおかげで容疑者を捕まえることが出来たのです。勇気ある彼女はその様子を是非市民達に語りたいと声をあげてくれ、この場に立っている」
被害者の登場に群衆からどよめきが上がる。
審査会の時も多数の視線に見つめられ委縮していたな──テシーは苦い思い出をふり払う様にほんの少し瞼を閉じる。そしてレイから受け取った紙を台の上に乗せて読み上げ始めた。
「先日、ある男が私の家に男が押し入ってきました」
事件の被害者である彼女の言葉にどよめきが上がる。
バレエの審査会ではこうはいかなかった。審査員は終始無言で彼女の肢体を見つめていただけだ。だがこの観客は彼女の一挙手一投足に反応してくれる。その事がテシーをわずかながら興奮させた。
「奴は私を押し倒して首に刃物を押し当ててきました」
群衆の視線が彼女の首に巻かれた包帯に集中しさらに騒めく。
「あの男は私を犯そうとしていたんです。でも私が睨みつけたら、あの男のナニは急に元気をなくしちゃって──」
その言葉に群衆から小さな笑いが起こった。
「そこで私は落ちていた酒瓶であいつの頭を殴りました。そうしたら、あの男は……その……情けなくて笑ってしまうんですけど『許してくれママ』って泣き出したんです」
容疑者をこき下ろす言葉に群衆から先ほどより大きい笑い声が上がる。その反応にテシーの芝居にも熱が入った。
「もう一発殴ったらその男は気を失っちゃって──」
群衆が騒がしくなってきたが、それでも彼女の話を聞こうとすぐに静かになった。
「私はすぐに騎士を呼んで男を引き取ってもらいました。それで……下品だけど彼のナニがあんまりに小さいんで……目を覚ました彼に思わず言っちゃったの。『ママとヤってな、変態野郎』って。そしたらあいつ、わんわん泣き出しちゃって……」
人という生物は他人の下世話な噂が好きだ。ここに集まった群衆も例に漏れず、容疑者を罵倒する言葉に笑い声を上げる。
後方へはうまく声が届いていないが、群衆の前方からは犯人をこき下ろす内容が口々に伝わり、遅れて笑い声が上がった。
「以上が私が犯人に襲われた際の出来事です」
彼女はそう言って後ろへ下がる。
前列の記者が手を上げて質問をしようとしたが、クワトロがそれを制した。
「会見はこれで終了だ」
その言葉に残念がるヤジが飛んだ。しかしクワトロは相手にせず、彼女を伴って騎士団の中に入っていく。
群衆はそれを追いかけようとするも、あらかじめ配置しておいた従騎士達がそれを止める。
しばらくすると、犯人をこき下ろす噂話をしながら群衆は散っていった。
クワトロは群衆の大半が消えたのを見計らって彼女と共に騎士団を出る。そして影に潜んでタバコを吸っているレイの元に戻ってきた。
「いい会見だったじゃないか」
「そ、そう?」
上手く言った会見にまだ頬を赤くしているテシーは照れたように言った。
「いい演技だったよ。アカデミー賞ものだ。君の演技にゃバーグマンも嫉妬するだろうよ」
レイの言っている事はほとんどわからなかったが、それでも褒められているのは分かった彼女は思い出したかのように聞いた。
「それで……約束のお金は──」
レイは頷いた。
「勿論忘れてないさ。今晩は家にいるかい?」
「ええ」
「だったら夜に持ってくよ」
「分かった。待ってるわね」
そう言った彼女は足取り軽く去って行く。
見送ったクワトロは二人の会話の内容から察した疑問をレイにぶつけた。
「まさか……また金が必要なのかね?」
それにレイは酷く冷たい表情で声で答えた。
「いいや、たぶん必要ないさ──」




