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2-36 アナルセックスをしたがる客とこの街に求めるもの

 昨日の約束通り彼女(テシー)はそこにいた。

 だが彼女は先客(・・)に壁へと押し付けられている。

 この世界は暴力沙汰(トラブル)が多すぎる──いかに法があり、騎士がいるとしても暴力が日常になってしまっている。その証拠にネシャの時も通行人は誰も助けようとしなかった。


 それに彼女たちを見つめる視線からは『またか』という思いを安易に感じ取れる。

 嫌というほど見てきた表情──しかしこれは絶好の好機である、とレイは呼吸を抑えて気配を殺す。

 そして足音を忍ばせると影の中に入り、少しずつ彼らに歩を進める。


「金は払うんだからいいじゃねぇか」


 そう言った男はテシーの肩を強くつかみ壁に押し当てている。彼女の頬は腫れ、その目じりには涙が浮かび化粧が崩れていた。


「嫌よ! アンタお尻に入れようとするじゃない」


 テシーは客の手を振り払って逃れようとする。しかし客は逃げようとした彼女の髪を掴み乱暴に壁へと押し付ける。

 後ろから壁に抑えつけられた彼女は身をよじりながら言った。


「ちょっと、ほんとにやめてって!」


 客は抗議を聞かず、テシーのドレスをたくし上げ、無理やり彼女の下着を脱がす。

 尻に男の感触(・・)を感じたテシーは怯えた声で抗議する。


「じょ、冗談でしょ……こんなところで──」


 先客の男はそれに答えず、自分の手のひらにつばを吐くと、それを潤滑油(ローション)代わりとばかりにテシーの尻に這わせる。

 濡れた生ぬるい感触が内部に入って来た時、彼女は小さな声で言った。


「今日は勘弁してよ……先約が……」

「先約だって? お前が一体誰に──」

俺さ(・・)


 その場でいたそう(・・・・)としていた男は背後まで迫っていたレイに気付かなかった。

 後ろから聞こえてきた声に振り返る間もなく、首にレイの腕が這う。

 男はその鮮やかな動きに蛇が首に巻き付いてきたと一瞬勘違いする。

 レイは腕で男の頸動脈を締め上げる。男が自分の首に巻き付いているのが人間の腕だと気付いた時には意識を失っていた。

 テシーは慌てて振り向いて地面に転がっている客とレイを驚いた顔で見る。


「し、死んだの?」

「気を失ってるだけさ」


 レイの台詞にテシーは胸を撫でおろし、ポツリと「残念」と呟いた。彼女は慌てて周りを見渡すと誰にも聞かれていない事にもう一度胸を撫でおろす。

 そんな彼女にレイは笑って言った。


「死んだ方がよかったか?」

「死んでも構わないけど……こんな奴でも客だからね──」


 震える彼女にレイは柔和な声音と表情を作って(・・・)聞く。


「平気か?」


 はだけているドレスを直したテシーは目元の涙をぬぐうと言った。


「平気──とは言えないけど……でもまぁ、慣れたものよ」


 テシーは足首に引っ掛かっている下着を履き直そうとする。

 しかし無理に引っ張られて伸びきった下着はずり下がってしまう。履くことを諦めた彼女は下着を脱ぐと床に倒れている客の胸の上に放る。


「今日はもう仕事はやめよ。ぱーっと飲みたい気分だわ」


 そう言った彼女にレイは頷く。


「付き合うよ」


 二人が向かったのは昨日と同じ酒場。そして昨日と同じ酒を注文する。違うのはテシーの酒を飲むペースだった。

 入店して一時間、彼女はありったけの愚痴をぶち撒け、その間中ずっとグラスをあおっていた。愚痴と飲酒がひと段落した彼女は頬杖をついてため息を漏らす。


「みっともないところ見せちゃったね」

「ああいう事は多いのか?」

「ムカつく客にヤラれる事? そんなのしょっちゅうよ」


 テシーは再度ため息を吐いて続けた。


「あそこまでタチの悪い奴はあんまりいないけどね」


 レイは「ふぅん」と唸ると彼女たちの元締めはどうしているのだろう、と疑問に思った。

 外で客を取る娼婦であれば大概それらをまとめる元締めがいるはずだ。そう言う者が娼婦から手数料(マージン)を取り、場所を提供してある一定上の秩序を保っているはずだ。

 それともこの世界にはそう言った機構(システム)は無いのだろうか。


「元締めには言ったのか」

「言ったわよ」


 テシーの返答でこの世界も元の世界と構造はそう変わらないのだとレイは認識した。


「前に言ったけど殴られたわ。『尻ぐらい使わせてやれ、客に歯向かうな』って」

「中々にタチが悪いな」

「まったくよ」


 テシーは手を上げて酒のお代わりを貰うとレイを不思議そうに見つめた。


「こんな話聞いて面白い?」


 面白いかと聞かれれば、決して面白いものではない。レイは誤魔化すように答えた。


「最近ここらへんに越してきたからな。地元住民の話が聞けるのは新鮮だ」

「あら、そうなの」

「それに……美人の話を聞くのは好きなんだ。美人であればつまらない話でも聞いていられる」


 その冗談にテシーが笑った。


「何よそれ! 褒めてるのか貶してるのか分からないじゃない!」


 一通り笑った彼女はグラスの中身を飲み干すと言った。


「さっきのあれ、何をしたの?」


 さっきのあれ──客を絞め落としたことだろう、とレイは先ほどの技術の解説をする。


「頸動脈を締め上げたんだ。十秒もあれば気を失わせることが出来るのさ」

「ふぅん、凄いのね。軍人さんだったの?」


 何気なく言ったテシーの言葉にレイはそうかもしれない、と思う。

 打撃のみならず、組みでの徒手戦闘(グラップリング)も出来るのだ。

 さらにはナイフを用いた近接戦闘。これらの技術を学べるのは軍隊ぐらいだ──思い出さずとも(・・・・・・・)勝手に体が反応し、その場で一番有効と思われる行動がとれる自分はいったい何者なのだろう。

 レイはまたも誤魔化すように答えた。


「まぁ、そんなところさ」


 曖昧な答えにテシーはもっと聞きたそうにしていたが、レイは話題を変えた。


「そう言えば、昨日頼んだあれ(・・)は聞いて来てくれたか?」


 テシーは「あ!」と叫んでポケットからくしゃくしゃになった似顔絵を取り出してレイに返した。


「一人いたわ。ディーテって子よ。その子が言うにはこっちも中々クソな客らしいわ」

「どんな?」

「後ろからヤられてる最中に突然髪の毛を引っ張られたんだって。何より……行為(プレイ)が暴力的で嫌になるって言ってたわ。枕に顔を押し付けられて、窒息させられそうになった時もあったみたい」

「そうか……その子はどんな容姿なんだ?」

「赤色の髪をしてるわ。短いやつ」


 思わぬ収穫を得ることが出来て上機嫌になったレイはポケットから金貨を出してテシーに渡す。

 それを見た彼女は目を丸くする。


「驚いたわ。ほんとに貰えるなんて」

「俺は嘘はつかないのさ」


 そう言ってレイは似顔絵を折り畳むとポケットにしまう。


「話だけでこんなにもらえるなんてね。貴方と毎晩お話してたらすぐにでも辞められそうよ」

「何故この仕事を?」


 テシーはグラスの中身を全て飲み干すと言った。


「それを聞くのはタブーよ」


 アルコールで充血した目をレイに向けたテシーは小さくため息を吐いて「でも別にいいわよ」と呟いて続けた。


「特別に教えてあげる。お金のためよ」


 月並みでしょ、といった彼女はレイに聞き返した。


「引っ越してきたってことは、あなたはここに何を求めてきたの?」


 思わぬ質問にレイは言葉に詰まるも彼の頭にまず浮かんだのは失われた記憶だった。質問の答えが無かったテシーはまた別の質問をする。


「この街に来る人間が何を求めてるか分かる?」


 いいや、と首を振ったレイにテシーは言った。


「お金、権力、名誉、その他──つまりは夢ね。この地区に集まる人は夢を叶えようとやって来るわ」

 

 テシーは自分の言葉にどこか懐かしむよう目を細めた。

 ノスタルジィにでも浸っているのか彼女は暫く黙っていたが、やがてそれを振り払うようにぶっきらぼうに言った。


「飲みすぎちゃったわ。そろそろ出ましょう」


 





 家まで送る、といったレイの言葉をテシーは素直に受け入れた。普段であればそんな提案は受けない。客に自宅を知られると大概は厄介な事になる。

 だが酔いのせいか、それともたった二度会っただけの男を信頼してしまったのか、彼女はアルコールで判断能力の鈍った脳で考えたが、その答えは見つからなかった。

 おぼつかない足取りで歩いていたテシーは唐突に短い悲鳴を上げた。


「キャッ」


 レイは即座に彼女の傾いた体を受け止める。

 抱きとめられたテシーは顔を上げる。そして自分を見下ろすレイの黒い瞳に釘付けになる。数秒後、慌てて彼女は目を離した。

 肩を借りて立ち上がった彼女は足元の折れた右足のヒールを見て舌打ちをした。


「今日はついてないわね」

 

 落ち込む彼女にレイは手を差し出し言った。


 「もう片方のヒールを貸してくれ」


 レイはテシーから渡された靴のまだ残っているヒールを根元から折って返す。

 

「これで多少はましだろう」


 彼女は「そうね」といって軽やかに歩き出す。

 それでも暗い顔をしている彼女にレイは言った。


「なぜヒールが折れるか知ってるか?」

「なぜって……それは──」  


 レイは彼女の返答を待たずに回答を口にする。


「人生の重みに耐えられなくなったからだ」

「なかなか詩的な事を言うのね」


 テシーはレイの言葉に小さく笑った。彼女はレイの数歩先を歩きながらぽつりぽつりと自分について話し始める。


「私はね、この街に名誉を求めに来たの」


 先ほど言っていたこの街に何を求めるか、の話の続きをレイは黙って聞いておく。


「こう見えてもバレエの踊り子(ダンサー)志望だったのよ」


 レイは短いドレスからスラリと伸びた彼女の足を見る。確かにその歩き方に優雅さを感じない訳ではない。


「一度は成功を夢見てここ(東地区)にやってきたわ。でも現実は厳しかったの。結局劇団に所属出来ず、このざまってわけ」


 そこまで独り言のように喋った彼女はバレエダンサーのようなターンで優雅に振り返ってレイに聞いた。


「貴方は何を求めてここに来たの?」


 レイは同じ質問にまたも言葉に詰まった。

 記憶がないのだ。何を求めているなど分かりはしない。そもそも、なぜこの世界に来たのかも分からない。

 だが自分が何かを求めているのは薄々と感じる。それは思い出せないだけで。


「何かを求めてるとは思うが……分からないんだ」

「分からない? 変なの……でもこの街はきっと貴方の求めている物があるわ。手に入るかどうかは別として」


 この街はきっと貴方の求めている物がある──その言葉がレイの頭にこびりつく。

 本当にそんな物があるのならば、それは一体何だろうか。


「ここがなんて呼ばれてるか知ってる?」

「知ってる。眠らない街だろう」


 レイはクワトロが言っていたこの街の別称を思い出して答えたが、不正解だとばかりにテシーは首を振った。


「それはだいぶ上品な言い方ね。ここはね、欲望の街って言われてるの」

「欲望の街……か」

「誰も彼もがこの街に何かを求めて来てるの。でも欲望を叶えられるのは一握り──幸運の女神にキスされた人だけよ」


 幸運の女神──レイは自信ありげに笑みを浮かべた。


「だったら俺の願いは叶えてくれそうだ」

「どうして?」

「俺程のいい男なら、きっと幸運の女神もキスしたくてたまらないだろう」


 レイの冗談に口を開けてひとしきり大声で笑ったテシーは、女神すら虜に出来ると傲慢(ごうまん)な態度の彼を歓迎した。


「ようこそ、欲望の街へ」

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