2-33 狙っているのは誰?
レイは静かに質問を重ねた。
「俺が誰に狙われてるんだ?」
ネシャはごくりとつばを飲み込むと答えた。
「昨日、あんたがぶったおした男だよ!」
予想外の回答に意表をつかれたレイは顔をしかめた。
そしてネシャを嬲っていた男の顔を思い出す。確かにやり返しには来るかも知れない。
たが彼に与えたダメージはそう簡単に回復するものではない。
喉を潰し、顎を砕いたため一ヶ月はまともに飯も食べれない。
さらに睾丸も蹴りで破裂させた。しばらくは歩く事もままならないはずだ──そこでレイは魔法というこの世界特有のものを思い出す。
「なぁお嬢さん。俺を直した治癒魔法だが、誰でも簡単にできるのか?」
唐突に喋りかけられたエンディは間の抜けた顔で答えた。
「いや……治癒魔法を使える人はそういない。高度な技術と適正が必要だからな」
「だが医師がいるだろう」
「医師に本格的な治療を頼むのはよっぽどの時だ。治療費はかなり高額だからな。おいそれと通えるものではない」
その言葉を聞いてレイはやはりとため息を吐いた。そしてネシャが構って欲しくて嘘を言っているのだろうと考える。
あの男は金があるようにも見えない。それにエンディの言葉を信じれば、治癒魔法は使えるのに技術が必要との事だ。しかしああいった手合がしっかり技術を学ぶとは思えない。
レイはネシャに聞いた。
「そもそも、なんで俺が襲われるって知ってるんだ?」
「さっき見たんだ! 昨日の男が怒りまくって誰かを探してるのを!」
大きい身振り手振りで必死に敵の襲来を伝えるネシャだったが、それはあまり伝わっていない。
「嘘を吐くな。いいか、嘘を吐くってのは人として最低の事なんだぞ」
たしなめる様にそう口にしたレイをエンディは信じられないといった顔で凝視する。
あれだけ散々嘘を吐いておいて、どの口がそれを言えるのか──しかしレイは真面目な顔で続ける。
「狼少年の話を知ってるか? 嘘を吐き続けて誰にも信用されなくなった馬鹿の話だ」
「う、嘘じゃない! この目で見たんだ! あの男、暴れまくって従騎士達に捕まりそうだっけど、全員を投げ飛ばして逃げたんだ!」
またも、にわかに信じがたい言葉が飛び出してきた。満足に歩ける状況ではないのに、従騎士達を倒して逃げたなんて信じられない。
レイはいい加減無視して行こうと思ったが、向かう先の人混みが騒がしいのに気づく。
それはエンディとネシャも同じようで、その雰囲気にただならぬものを感じ取った騎士は腰の剣に手をやる。
ネシャは隣の高い屋根の露店に飛び乗ると、目を細めて叫んだ。
「あいつだ!」
そうネシャが叫んだ途端、人混みの中から悲鳴が聞こえ、こちらに迫ってきた。
エンディは人混みの中を行こうとしたが、先にあちらが到着した。
冗談だろ、とレイは呟いた。昨日のした男が抜き身の剣を片手に悲鳴を上げる群衆の中から飛び出てきた。
「見ふけだァ!」
レイを真っ赤に充血した目で捉えた男は砕かれた顎でかすれた怒声を上げた。
その股には血が滲んでいる。明らかに負わせた傷は治療できていない。それにも関わらず元気そうに動いている。
レイは腰に手を回しナイフのグリップを握る。あちらは長剣だ。武器の差は不利だな、と状況を分析している中、エンディが声を上げた。
「武器を捨てろ!」
そう言って彼女は剣を抜いた。
白い鞘から引き抜かれたのは傷一つ無い長剣だった。
鈍い光を放つそれを両手で構えた彼女は切っ先を男に向ける。
「全員下がるんだ!」
凛としたよく通るエンディの声を聞いた群衆は慌てて全員が安全圏へと避難する。
レイもそれに合わせて、男との間にエンディを挟む位置に移動した。
「これが最後だ! 武器を捨てろ!」
最後の警告を受けた男はやはり発音のなっていない怒声を上げる。
「邪魔ふるなァ!」
そして男は「死ね」と叫ぶと跳躍した。
その距離はおよそ三メートル。助走も無しに飛んだその距離は明らかに普通ではない。
競技の選手でなければ飛べないような距離を、手負いの人間が飛んだ。
この男は立った一足でエンディの前に到達すると、剣を振り上げる。
レイを含め誰もが驚いた。特に相対するエンディの脳内では様々な思考が繰り広げられた。
身体能力向上魔法でも使っているのか──だが彼女の頭に焦りは無い。
彼の振り上げた剣の軌道は彼女には容易に想像できた。
過去には不意を突かれたが、真正面からの剣戟であれば問題ない──そう思い、エンディは頭から縦に切り裂こうとする剣を頭上で受けようと構えた。
しかし彼の跳躍を見ていたエンディの直感が警告した。それに彼女は従い、受けるのではなく、受け流すことを選択した。
その選択は正解だった。
彼の素人丸出しの佇まいからは想像も出来ない威力が、受け流した剣から伝わってきた。
まるで筋力の限界を外したようなその威力にエンディは冷や汗を流す。
あのまま受けていたら剣ごと頭にめり込んでいただろう──彼女は衝撃によるしびれが残る腕を持ち上げ、次の攻撃に備える。
男が次に繰り出したのは横へと薙ぐ一撃。これも恐るべき速さだが、エンディは難なく跳ね上げるように受け流した。
速さと威力は常軌を逸しているが、素人だ──その目線で次に攻撃が来る箇所は分かる。
返す刀で放たれた斬撃も横へとステップしながら避けるエンディ。
軽やかなステップに鮮やかな剣技で攻撃をことごとくいなされた男は絶叫しながら尚も斬りかかる。
端から見ればその実力差は歴然だった。圧倒的な身体的有利があるにも関わらず、その攻撃を優雅に受け流すエンディの姿に群衆のみならず、レイも思わず見入ってしまった。
幼少の頃から騎士である父に剣術を仕込まれたというのは伊達ではないようだ。
かろやかな足取りで、まるで子供を相手にしてるかのように立ち回っている。
その立ち回りも、固唾を飲んで見守っている群衆に近づかないよう一定の位置で捌いている。
強いじゃないか──レイは思った。これなら使い道もあるだろう。
三十を超える絶え間ない斬撃を見事に捌き切ったエンディは男の顔に疲労の表情が浮かんだのを見た。
ここまで疲労しているのであれば、対した怪我をさせずに取り押さえることが出来るだろう──そんな甘い考えを浮かべたエンディは男の手に向けて剣先を走らせる。
手の甲をざっくりと切り裂かれた男はその手から剣を落として呻いた。
男の手の届かないところに剣を蹴り飛ばしたエンディは彼に切っ先を突きつけて言った。
「膝をついて両手を頭の後ろで組むんだ」
しかし男の目からはまだ闘志が失われていなかった。男はエンディにとびかかる。
「お、おい! やめろ──」
甘ちゃんが──そう思ったレイは助けようかと一瞬悩む。しかしその必要はなかった。
エンディに向かって一歩踏み込んだ男は次の瞬間、電池が切れたかのように前のめりに倒れ込んだ。
「動くな! 逮捕する!」
エンディはすかさず倒れ込んだ男の背に膝を乗せ、動けないよう体重をかける。
そして彼の腕を背中の方に回すと、腰のポーチから取り出した手錠をはめる。
当の男は先程の動きが嘘であるかのように声も上げずぐったりとしていた。




