2-29 訪問者
レイはテシーとの逢瀬を終えた後、まっすぐ隠れ家に戻ってきた。
入口の前に撒いたガラスが踏み荒らされた跡はなく、挟んでおいたガラスはそのまま残っている。侵入者は──少なくともドアからは──いないようだ。
それでもレイはいつでもナイフを抜けるように片手を腰に回してドアを開けて中に入る。
電気なんてものは通っておらず、光源は窓から入る通りの明かりか月の光だけ。それだけでも十分だ、とレイは暗い部屋に誰もいないか探りながらベッドに向かう。
事実、殆ど真っ暗な室内に彼の目はすぐに慣れた。これは自分の目の色のせいだろう、とレイは思う。
黒い瞳は光を吸収し、闇に慣れるのが他の瞳の色より早い。
レイは上着とブーツを脱いでベッドに潜り込むと、ナイフを枕の下に入れ、目をつむる。
コンディションを保つには寝られる時に寝ておくべきだ──誰かから教えられたその教訓を思い出しつつ微睡に身を委ねた。
翌朝、目が冷めたレイは枕の下からナイフを引っ張り出し、鞘に戻すとズボンに挟む、そこに扉をノックする音が聞こえた。
レイは気配を殺し、ナイフを抜くと逆手に構えて体の後ろに隠しつつ扉まで歩いて行く。
ガラスを踏んだ音がしなかった──その事が引っ掛かったレイは慎重に扉の前に立つと開ける。
そこにはクワトロが立っていた。レイは見知った訪問者に安堵し、ナイフを鞘に戻すと彼を部屋に招き入れる。
「入り口のあれは──侵入者対策かね」
「そうだ。良く分かったな」
「私も昔、似たような手を使っていたからね」
アレを一発で見抜くとは中々やるじゃないか、とレイは思いつつベッドに腰かける。
そしてクワトロが小脇に抱えている紙に目線を向けた。それに気付いた彼は折りたたまれたその紙をレイに差し出す。
「今日の新聞だが読むかね?」
「新聞があるのか──」
中世のような世界であるため情報発信のツールは無いと思っていたレイは驚くも、新聞は15世紀には既にあったという話を思い出す。
しかしレイが知っている新聞よりはかなり簡素な出来だった。写真は無く文字だけのその紙はA3程の紙を二つ折りにしたものだ。
一面であるページを読んだレイはその内容に心当たりがあった。
『闇夜にまた娼婦殺人鬼現る』と書いてあるそのページには、昨日見た娼婦殺しの事が書かれていた。
内容の半分は死体の状況や、最近同様の手口で娼婦が殺されている事件が頻発している、といったもの。
残りの半分は騎士団への批判が書かれていた。
『娼婦たちが残忍な人殺しに襲われているというのに、東騎士団からは何の発表も無い。社会的な弱者を見殺しにしている彼らは一体何をしているのだろうか?』と締めくくられていたそれを掲げたレイは言った。
「散々言われてるな」
「返す言葉もない」
そう返したクワトロは簡易椅子に座る。そして一通り新聞を読み終わったレイを見ると言った。
「私に話があるとか?」
レイはグレイの瞳を見つめ返すと答える。
「あの手紙はよんだか?」
「あぁ、読んだよ。悪趣味な贈り物も見た」
「奴が名乗っていた殺人鬼、それを俺は知っている」
「その事ならエンディに聞いたよ。だいぶおかんむりだ」
ほぼ騙したような手口で騎士団に入り込み、捜査情報を得たあの経緯を怒りながら報告する彼女の姿は安易に思い浮かべることが出来る。
その対象となった彼は怒りを鎮めるのにだいぶ腰を折ったに違いない。だが怒りこそすれ、言われた事はしっかり伝えるあたり真面目な女だ、とレイは笑った。
クワトロもその事を思い出したかのように少々げんなりした顔になるが、すぐ真顔に戻って続けた。
「何でもこの犯人は君の事を知っていて、なおかつ君の世界の殺人鬼の名を名乗っているとか」
「そうだ」
クワトロはひげをさする。これは彼が考えているときの癖だった。
彼は情報が少ない中でも考えた推理を披露するために口を開いた。
「この娼婦殺しの犯人は君をこの世界に呼んだ者で、それに失敗した三人を──仲間か部下かは分からないが……口封じのために殺したと私は思っている」
「俺もそう思った」
レイは上着の中から取り出したタバコに火をつけて紫煙を天井に吐くと「だが矛盾がある」と漏らした。
それをほんの少し凝視したクワトロは同意するように頷く。
「俺を殺したいなら直接襲えばいい。それか三人組の時のように人を雇って俺を殺しに来ればいい。だが奴は俺に接触した娼婦を殺して証拠を消したにも関わらず手紙を送ってきた。俺に捕まりたいのか、捕まりたくないのか──」
「確かにおかしい。だが人を殺して内臓を食す者が一貫した行動をとる理性を持っているとは思えない」
「いいや、この犯人は賢い」
レイは昨日見た資料と死体を思い出して続ける。
「資料を見たんだが、殺し方の手際が良すぎる。全員が一発で咽喉を切り裂かれて殺されている。それに昨日の死体もそうだが、抵抗した跡が全くない。まるで動けなかったかのように」
「成程、抵抗できない状況に被害者を追い詰める理性はあるわけだ」
「それに、目撃者が全くいないってのも気になる。昨日の死体は出血量からみて現場で殺された訳ではない。だが過去に起こった殺人は全て現場で起きている」
「つまり?」
「この街を出歩いて思った事がある。人通りがとてつもなく多い。昼も夜もな」
クワトロは頷いた。
「東地区は国で一番栄えている。人口も恐らく一番多いだろう。眠らない町と呼ばれる程だ」
眠らない町──レイはその言葉に懐かしさを憶えるも構わず続けた。
「そんな中で連続して人を殺して逃げる──これは中々出来る事じゃない。もし出来るとすれば、何日も標的を調査し、観察してしっかりとした計画を立てる必要があるはずだ」
「確かに、そこまで考えている犯人がわざわざ証拠となるようなものを送ってくるのはおかしいな」
「まぁ騎士団とやらが弱者を見殺しにする組織だっていうなら話は別だが」
レイの皮肉にクワトロは目を閉じて首を振った。
「騎士団は全て平等に扱い、捜査するよう努めている」
自分が長を務める組織を虚仮にされたのに冷静に対処したクワトロに、あのお嬢さんとは大違いだな、とレイは紫煙を吐き出しつつ思う。それに中々表情を変えないため感情を読み取るのが難しい。その鍛え上げられた年季が彼の感情を抑制しているのだろう。
「昨日お嬢さんに確認したが犯人逮捕の目途はまったく立っていないんだろう?」
「恥ずかしい話だがね。その通りだ」
「そこでだ、提案がある」
その台詞に、クワトロの目が興味を浮かべる。掛かった、とレイは思った。
「俺なら犯人を捕まえることが出来る」




