2-25 ネシャ再び
隠れ家に戻ってきたレイはベッドに横たわり天井を見上げながら考える。
レイが確認したかった事、それは切り裂きジャックの標的だった。
連続殺人鬼は似たような標的を襲う傾向にある。その例に漏れず、エンディが抜き出した記録を見ているとその全ての被害者が緑色の長髪だという事が分かった。
必要なものを揃えるならば夜だ。それまで寝ておこう──レイは立ち上がり、グラスをシーツで包むとその上から丁寧に何度も踏んで割る。
細かい破片になったのを確認すると、それらを入口のドアの前に撒いておく。
こうすることでドアに近づいた人間がいれば、ガラスを踏む音で気付くことが出来る。
今襲われる可能性は低いが、用心に越したことはない。
枕の下にナイフを抜き身で入れると、ベッドに横たわったレイは、すぐに襲ってきた眠気に身を任せる。
犯人を捕まえる方法は決まった。だが今は適した時間ではない。
狩りをするのは夜だ──
日がたっぷりと沈み始めた時刻にレイは空腹感で目を覚ました。真っ暗な室内にすぐに\慣れた視界でベッドサイドの酒瓶を捉え、中身をあおる。
胃の腑が熱くなり、幾分か空腹感は和らいだ。しかし本格的に何か食べないといけない。
それに探すものもある。
街へ出ようと、ベッドから起き上がったレイは枕の下からナイフを抜き、鞘に納めると背中側の腰に差し込む。
撒いたガラスの破片を踏まないように部屋から出てドアのカギをかける。そしてそれらの中から大きい物を拾うとドアと壁の隙間に押し込んでおく。
ドアが開閉されればガラスは下に落ち、その有無で自分がいない間に誰かがドアから侵入したとしても分かる。
侵入されて待ち伏せ、なんてことは考えにくいが、やはり用心に越したことはない。
ガラスによる訪問者と侵入者の検知方法──こんな事どこで覚えたのか、とレイは疑問に思ったが、この犯人を捕まえることが出来れば分かる事だと考え外に出る。
この犯人は俺以上に俺の事を知っているはずだ──夜の街に出たレイはその夜風に思わず身震いした。昼間は暖かかったが、夜はかなり冷える。
季節的に自分がいた世界の春ぐらいかと考えたレイは春は一番残酷な季節との一文を思い出す。
確かに残酷だ──レイは必要な物を探すため、昼間に死体を見た路地の方へと歩を進めた。
街の光景は昼間とは全然違った。レイはもっと暗い世界を想像していたが、道に等間隔で立っている支柱には松明が掲げられ、店や露店には発光する石の装飾があるため、むしろ昼間より眩しいほどだ。
事件現場に近づくにつれ、徐々に風景が変わっていった。店への呼び子は肌を露出させた女に、路地にたたずむ男は明らかにガラの悪い連中にとって代わっている。
その風景を眺めているうち、レイは自分が足を踏み入れているのは風俗街だと気付く。
中には堂々と娼館の看板を掲げている店もあり、街娼が道行く男たちに色目を使っている。
そこである路地にふと目を向けたレイは見知った顔を見つけた。
昼間に弟子入りを志願してきた子供だ。膝を抱えてうずくまり、細い腕でサイズが合っていない大きな上着を体に巻き付け肌寒い夜を耐えようとしている。
レイの視線を敏感な感覚で察知した子供が顔を上げた。そして「あっ!」と声を上げ、駆け寄ってくる。
「クソ」と悪態を吐いたレイは見なかった振りをする。しかしその子供は跳ぶように追いすがる。
「待ってくれ!」
いかに風俗街といえど、小汚い服装の子供に纏わりつかれるのは目立つ。レイは街娼や呼び子、客たちの視線から逃れるように人目の少ない路地に入って子供を待ち構えた。
そこに昼間あれだけ痛めつけられたとは思えない程身軽な動きで先の子供が飛び込んで来る。
「俺に何の用だ?」
「オレを弟子にしてくれ!」
「昼間も言ったがお断りだ。クソガキはとっとと帰って──」
「オレはクソガキじゃない! ネシャだ!」
どうにかしなければ本当にずっと付きまとわれそうだ、ネシャと名乗った子供にレイはため息を吐く。
「なぁ、なんで子供がこんなところにいるんだ?」
「オレは子供じゃない! 一人で生きてる立派な大人だ!」
「どこに住んでるんだ? 家は?」
「えーっと……ここら辺の道に住んでいる……」
見た目通りの浮浪児じゃないか、とレイは頭を抱えた。親がいれば、無理やりにでもそこに引っ張っていくつもりだったがそれも出来そうにない。
「オレ……あんたみたいな悪党になりたいんだ! どんな奴でもぶっ倒せて、誰からでも盗めるような!」
「何度も言わせるな、お断りだ」
「な、なんでだよ! 昼間オレを助けてくれたじゃないか!」
「別にクソガキを助けた訳じゃない。そもそも俺が助けたとして、弟子にすることに何の関係があるんだ?」
「そ、それは……」
取り出したタバコに火をつけようとしたレイは悪党呼ばわりとは酷いな、と独りごちる。
しかし、昼間この子供が散々殴られていたのを傍観していた事、そしてこれからする事を考えれば、あながち悪党呼ばわりも間違ってはいないな、と思い直して苦笑いする。
そしてポケットに手を突っ込むも、火を持っていない事を思い出し小さなため息を吐いた。
「と、とりあえず……オレはアンタみたいな奴になりたいんだ! 誰にも負けないような強い奴に──」
そういったネシャはレイが火を持っていないことに気付いたのか、大きな上着のぱんぱんに膨らんだ上着をまさぐってマッチを取り出すと渡す。
レイは昼間ハリティに借りたマッチと同じそれを使ってタバコに火をつける。
路地に漂う紫煙に嫌な顔をするネシャは目を輝かせた。
「ど、どうだ!? オレは役に立つだろ!?」
そう言って手をぶんぶんと振り回す。元気そうに動く子供を見てレイはたかがマッチで何を言ってるんだ、と呆れる。そして疑問に思った。
昼間あれだけ殴られたのに何故これだけ動けるのか──
「昼間こっぴどくやられただろ。体は何ともないのか?」
「あんな傷は寝ればすぐに治る! でも今回はさすがに薬を飲んだけど……」
そのせいですっからかんだ、と愚痴を漏らすネシャの話にレイは興味が湧いた。魔法を使う訳でもなく、あれ程の怪我を治療できる薬があるならば欲しい、と。
魔法を使えない自分にとって、飲めば傷が回復するような薬は是非とも手元に置いておきたい。
「飲んだだけで怪我が治る薬があるのか?」
「薬っていっても、栄養剤と痛み止めだぞ? オレは獣人だからな。魔力が戻れば体の傷はすぐに治るんだ」
ネシャは頭の上に載っていたボロボロの帽子を脱ぐと、そこについている獣耳を見せつける。ひょこひょこと動くその耳と言葉でレイはある事に思い至る。もしかすると栄養剤というのは魔力のない人間が飲んでも意味がないのではないか──
「その栄養剤ってのは人間にも効くのか?」
「人間にも……? 魔力は回復するだろうけど……」
レイは自分の目論見が外れて舌打ちをする。栄養剤とは怪我を治療する薬ではない。ただ単に魔力を回復する薬だったのだ。恐らく、獣人とかいう種族は体が頑強なのだろう。そしてその頑強さは魔力に依存している。だから栄養剤で魔力を回復させれば、体も回復するのだ。
そんなレイの推測通り、獣人は人族より五感を含め肉体的な面で強い。身体能力もそうであるが、もっとも人族と違うのは怪我に対する回復力だ。
多少の怪我であれば、昼間のネシャのように動くことが出来る。そして一晩寝れば大抵の怪我は治っている。骨折といった大けがでさえも、回復に要する時間は一週間もあれば充分だ。
レイは自分がその栄養剤を手に入れても意味がない事に再度舌打ちする。
魔力が無い人間がいくら魔力を回復させる薬を飲んでもメリットは無いのだ。




