2-20 受付嬢 -ルナ・アールトン-
レイとエンディは東騎士団本部の前で辻馬車を降りた。
彼女は腰についている金のエンブレムを外すと蓋を開ける。中には数字と秒針があった。
それは懐中時計になっているのか──レイはエンディと同じようにその中身を覗く。
「この時間ならば課長はいないはずだ」
時刻を確認してそう言ったエンディの胸中にはこれから規則を破るという罪悪感が溢れている。
結局のところ、エンディはレイの取引に応じることにした。
手に持つ懐中時計の蓋に刻まれた天秤に、これからの増えるであろう犠牲と、規則違反を乗せた結果、傾いたのは前者だった。
エンディは蓋を閉じ、そこに刻まれた東騎士団の紋章を見下ろす。
これから法を破るのだ。しかし果たして人の命に代えられるだろうか──
授与された時はあんなにも誇らしかった手元の紋章をから目をそらした彼女はベルトにそれを戻すとレイに言った。
「君は娼婦殺しの参考人として殺人課に連れて行く。くれぐれも行儀良くしておいてくれ」
そう言って暗い顔で騎士団に向かって歩き始めるエンディのあとをついて行くレイはおどけて言った。
「俺ほど行儀の良い人間はいないから安心しな。それよりもお嬢さんの方が心配だ」
「心配?」
「これからさも悪い事をしますよ、って顔だ。そんな顔しちゃ周りに怪しまれるだろう」
一体誰のせいだ──エンディは咎めるように答えた。
「余計なお世話だ。そもそも君はこれからやる事の重大さを理解しているのか?」
エンディは相変わらず暗い顔をして続ける。
「外部の者に証拠を見せるために騎士団に入れるなんて明確な法律違反だ。バレてしまえば私だけでなく君も逮捕されるのだぞ」
レイはクックッと喉を鳴らして笑った。
「そうならないためにも堂々としてろ」
「そんなこと出来るわけ──」
尚も不満を漏らし、その顔に不安感を貼り付けているエンディにレイはあっけらかんとして言った。
「いいかお嬢さん。良いことを教えてやる。悪い事をする時は堂々としてろ」
そんな悪党の哲学など知るかと胸中で悪態を吐いたエンディは騎士団の入口に立ち、その顔の不安感を一層高める。
石造りでできた灰色の建物、余計な装飾は一切ない。時折市民から「騎士団の建物は威圧感がある」と苦情が入っているのをエンディは思い出した。
その気持ちが分かる気がする。確かに後ろめたい人間にこの建物はとてつもない威圧感を放つ。
エンディは意を決して騎士団の内部に入る。
殺人課のある三階に上がるための階段は大広間の左右に一つずつある。そこに行くには階段の間にある受付を通らなければならない。
騎士一人であれば、特に身分証の提示は求められない。願わくば、受付に止められることなくこっそりと通過して階段を上がりたい。
そのためにはなるべく目立たない様にこっそりと行くしかない、とエンディはそこまで考え、己の思考が犯罪者のようになっている事にまたも気分を落ち込ませる。
しかしここまで来て背に腹は代えられない。エンディはなるべく自然な格好でレイを伴い、受付の横を通る。
しかしエンディに気付いた受付を担当している従騎士がエンディに声を掛けた。
「お帰りなさい、エンディさん。その方は?」
最悪だ、と思ったエンディはそれが表情に出ないよう必死に取り繕う。
「え、えっと彼は……実は……情報の──」
最悪だ、とレイも思った。当初の計画では受付をこっそり通ることになっていた。
もし呼び止められれば事件の重要参考人としてレイを登録する手続きを行い、殺人課に行くことになっている。
だがエンディは見るからに動揺してその事を明らかに忘れている。
このお嬢さんは本当に嘘を吐くことが苦手らしい──レイは呆れながらも助け舟を出す。
「よろしく、レイだ」
そう言ってレイはエンディを押しのけて受付に近づくと肘をつく。
「よろしくお願いします。レイさん」
丁寧なあいさつを返した従騎士はやはりレイにとって馴染みのない容姿をしていた。
二十代と思われる彼女は軽くウェーブのかかった桃色の長い髪をしている。
均整の取れた顔のパーツに血色のいい頬、それに浮かぶ柔和な笑み、ここまでの美人は中々お目にかかれない──レイは桃色の瞳をじっと見つめて思う。
彼女は頬をほんの少し赤くさせ言った。
「ここから先は騎士かその関係者しか入れないのですけれど──」
美人というだけではない。それならエンディも相当な美人だ。しかしこの従騎士は細身の体に不釣り合いな豊かな胸を持っている。
何より彼女の一挙手一投足に男を惹きつける何かがある──レイは邪な考えを持ちながらも、なるべくその胸を見ないよう答えた。
「実は……騎士に協力しに来たんだ」
「はぁ……」と何の事か分からない、といった顔をする彼女にわざとらしく周りを見回したレイは続ける。
「最近街で起きている娼婦が殺される事件を?」
「えぇ、存じています」
そう言った彼女は痛ましい顔をした。
「実はその犯人を捕まえる手助けが出来ると思ってね。情報提供に来たんだ」
その台詞に暗い表情から一転して彼女は目を輝かせて言った。
「そうなんですか! 御足労ありがとうございます」
笑顔を向けられたレイはその嘘に磨きがかかり、饒舌になってゆく。
「いや、いいのさ。女性が被害に合っている事件だ。どうにも見過ごせない」
「助かります。最近は騎士への風当たりも強くて……」
そう言った彼女はしゅんとして下を向いてしまった。美人の暗い顔ほど男を躍起にさせるものはないな、とレイは苦笑いしながらも嘘を並べる。
「それに、騎士への協力は市民の義務だ」
何が市民の義務だ──レイの並べる嘘を聞いて落ち着いたエンディは彼の後姿を見ながら愕然とする。
先ほどと言っている事が明らかに真逆ではないか、と文句の一つでも言いたくなったが、余計な事を言って怪しまれたくない彼女はレイの言葉を黙って聞く。
「勘違いしないで欲しいんだが、市民の義務だからって騎士に協力するわけじゃない。俺は女性を狙う卑劣な奴を許せないってのが本心なんだ」
「まぁ……立派な志をお持ちなんですね。最近は情報提供も拒まれることもあって……」
またも一瞬にして暗い顔をした彼女を慰めるようにレイは言う。
「情報提供を拒む? 全くなんて奴らだ。街を守る騎士への協力を拒むなんて。それにこんな美人がいるのに来ることを拒むなんてマヌケだ。俺だったら毎日でも通うのに」
「ふふ……騎士になるか、毎日悪いことをすれば来れますよ」
「君に会えるなら悪いことでも何でもするよ」
レイの気障な台詞に従騎士はまぁと口に手を当てて驚くと、両の人差し指を使ってバッテンを作る。
「光栄です。でも悪いことはだめですよ。レイさん」
「分かったよ……ところで君を食事に誘うのは悪いことかい?」
そう聞かれた従騎士はレイの誘いを軽く受け流すように、紙が留められた板を差し出す。
「それでは、こちらにサインをお願いしますね」
騎士の関係者として騎士団に入場するための書類──それを差し出されたレイは受付の羽ペンをインクボトルから引き抜くとすらすらとサインした。
「住所も必要かい?」
「住所まではいりません。エンディさんもこちらに署名をお願いします」
そう言われたエンディは仏頂面でレイの名前の横にサインと識別番号、そして入場理由を記す。
それを横目で見ながらレイは受け流された会話を続ける。
「本当に住所はいらないのかい? それじゃ君が俺に連絡を取りたくなった時はどうす──」
「もう行くぞ!」
全て書き終えたエンディは尚も口説こうとするレイの言葉を遮り、階段へと促す。レイは観念したような顔で言った
「分かった。もう行くよ。最後に名前を──」
「ルナです。ルナ。アールトン。よろしくお願いしますね、レイさん」
従騎士は自己紹介すると、階段へと去って行くレイに向かってはにかみながら手を振った。




