2-19 天秤にかけるのは人の命と
レイは紫煙を吐き出しつつ煙草の灰をどうしようかと辺りを見回す。
目についたベッドサイドテーブルを漁ると、葉巻用の灰皿が出てきた。レイはそこにタバコの灰を落とすとエンディに聞いた。
「この事件が初捜査なんだろ?」
ほんの少しの不安を顔に浮かべたエンディは「そうだ」と言った。
「まず何から始めるんだ?」
「ま、まずは……今まで起きた類似事件の整理から──」
捜査するといっても現場に出る事は出来ないのか、とレイはエンディの置かれている状況に疑問を持つ。
何故かは分からないが、彼女は上司に嫌われている。そしていざ捜査に加わったとしても資料整理という内勤だ。なぜ彼女がこのような境遇にあるのかは全く分からないが、こちらとしては好都合だ。
「捜査資料が見たい」
そう言ったレイにエンディは驚いて答えた。
「それはできない」
「なぜだ、既に俺にこいつを見せてるじゃないか。しかもお嬢さんの様子を見るに黙って持ち出したんだろ?」
レイは手紙の模写をひらひらと振って見せつける。エンディは慌ててそれを取り返すと胸ポケットに仕舞った。
「こ、これは君が何か知っていると思ったから──」
「証拠を騎士以外に見せるには何かしらの規則に従って行われるはずだ。お嬢さんはそれを破って俺に見せにきた。違うか?」
全くの図星だった。エンディは彼と出会ってから果たして幾つの規則を破っただろうと憂鬱になる。
「既に規則を破ってるんだ。今さら別の資料を見ることぐらい問題ないだろう」
エンディは首を振ってすげなく答えた。
「だ、だめだ! それよりも、君の世界の騎士はどうやって捕まえたんだ?」
頭の固い奴だ──レイはエンディの質問には答えず訂正だけをする。
「俺の世界にいたのは騎士じゃなくて警察だ」
エンディは初めて聞く言葉に面食らう、それが騎士と同じ仕事をしていると理解するとさらに質問を続ける。
「そのけいさつは切り裂きジャックをどう捕まえたんだ? 教えてくれないか──」
レイは彼女を無視し、目をつむる。眠りの体制に入った彼にエンディは慌てて声をかけ続ける
「疲れているのは分かるが……切り裂きジャックの情報が欲しい。何でもいいんだ、きっとこちらの犯人を捕まえるのにも役に立つ」
レイは目を閉じたまま答えた。
「お断りだ」
「な、何でだ!?」
エンディは目を丸くして驚く。
「俺が協力する理由がないだろう」
「殺人犯を捕まえられるんだぞ!」
「お断りだ」
またも同じセリフで断られたエンディは切り札を出すことにした。人を利益で釣る事はしたくないと思いながらもそれを口にした。
「この犯人はきっと君の事を知っているはずだ。捕まえることが出来れば君の失った記憶について何か分かるかもしれない──つまりこの犯人を捕まえることは君の利益にもなるんだ」
「それについてはこっちで何とかするさ」
切り札が通じなかったエンディは愕然とする。
「何とかするって──」
「奴は俺を殺したいんだろう。だったらわざわざ捕まえなくともあっちから来てくれるだろうさ」
レイの答えにエンディは口調が荒くなっていくのを止めることが出来なかった。
「そうだとしても……この犯人は社会的な弱者を選んで殺す最低な奴だ。そんな犯人を捕まえたいとは──」
「思わんね。誰が死のうが知ったことか」
反社会的なレイの言葉にエンディはかっとなった。
「この犯人は過去に沢山の娼婦を殺しているんだ。これからも──」
「殺し続けるだろうな。捕まるまで」
レイの言葉できっと彼の世界の切り裂きジャックも捕まるまで犯行を続けたのだとエンディは確信する。そして一刻も早く捕まえなければ、と焦る。
「だったら協力してくれ。これ以上の犠牲を防ぐためにも」
「お断りだ」
またも断られたエンディは愕然とする。罪なき者が殺されるのをこの男は見過ごすというのだ。信じられないといった彼女の顔をレイは目を開けてチラリと見て言った。
「まさか、騎士に協力するのは市民の義務なんて言うつもりはないだろうな」
「そうではない! 人として悪党が野放しになるのはいいのか」
「あぁ、構わない」
あっけらかんと宣言したレイにエンディは歯ぎしりした。やはりこの男は危険な人間だ。その直感に間違いはなかった。
レイはそこで急に起き上がり、エンディの顔と相対した。黒と赤の瞳が見つめ合った数秒後、黒い瞳が取引を持ち掛けた。
「だが捜査資料を見せてくれるなら教えてやってもいい」
目の前に現れた黒い瞳にエンディはギョッとしながらも怒りが沸き上がった。この男は人の命が掛かっている状況で、それをネタに駆け引きをしているのだ。
ほんの少し何かを語るだけで救えるかもしれない命がある。それなのにこの男はそれを頑なに拒み、なおかつ自分に有利な状況に持っていこうとする。
普通であれば──それが自分の住んでいた世界でなくとも──人の命を救う事に手を貸すのではないか。
「それは出来ないと──」
「だったら情報は諦めるんだな」
「君には良心が無いのか!?」
それはエンディの心の叫びだった。
同時に彼女の感情が爆発した。襲われて何もできなかった事、目の前の殺し合いを止められなかった事、財布を取られた事、お嬢さん呼ばわりされた事──数えきれないほどの不満が爆発した。
その怒りには自分の弱さに起因するものが大半だった事をエンディは理解していた。しかし怒らずにはいられなかった。
「良心だけではない、道徳や倫理──君には正義感が無いのか!?」
「正義だって? この世に存在しないものをどうやって持ち得るんだ?」
レイは「正義」と口にした彼女を鼻で笑って答える。
わなわなと震えるエンディに彼はからかい過ぎたか、と落ち着かせるように言った。
「いいかいお嬢さん。天秤だ」
その言葉にエンディは怒りの残る顔でオウム返しに「天秤?」と聞いた。レイは彼女の腰についている金の丸いエンブレムを指して言った。
「それにも描かれているだろう」
レイの言葉が一向に理解できないエンディはとりあえず自分のベルトについているそれを見下ろす。
金色の蓋にはエンディの識別番号「2211」が彫られている。その上には天秤と剣、そして国鳥である鷲――
これら三種を用いた騎士団のマークがある。
天秤のマークがあるなどエンディには百も承知だった。この刻印を手にするためにずっと努力してきたのだから。
「お嬢さんは俺の情報があれば犯人を捕まえて次の犠牲者が出ないで済むかもしれない。そう考えてるな?」
「そうだ。君が情報を──」
「だったらこう考えろ。規則を守って次の犠牲が出るのを見守るか、それとも規則を破って犠牲者が出ないようにするか」
レイは再度エンディに条件を提示した。
「この二つを天秤にかけろお嬢さん。さぁ、どっちが重い?」
エンディは取引を持ち掛けてきた男に思わず汚い言葉が出そうになるのを寸前で堪えた。そして観念し、己の天秤にそれらを乗せる。
どちらが重いかは決まっている──彼女は黒い瞳を見つめ返して答えた。




