2-18 もう一人の異世界人?
推測通り彼は何か知っているのだ──エンディは目を大きく見開いてレイに迫り、肩を掴み強く揺らす。
「何か知っているんだったら、教えてく──」
一人で興奮している彼女をレイは鬱陶しそう振り払う。
「落ち着けよお嬢さん。がっつく奴は嫌われるぜ」
そう言われて慌ててレイから離れるエンディ。
今の態度はあまりにも騎士に似つかわしくないと反省する彼女の目はしかし希望を失ってはいなかった。
「す、すまない……だが君に聞いてよかった。やはり何か知っているんだな?」
レイは頷いた。そして確信を得た。この娼婦殺しの犯人が「切り裂きジャック」を名乗っているならば、俺のいた世界に関わりがあるという事は確定だ。
そして俺を殺し損ねた女をまるで口封じでもするかのように殺した。この犯人は俺をこちらに召喚した人間だという推理が一番筋が通っている。少なくとも外面上はそう見える。
何故自分で手を下さないのか。そもそも連続殺人犯が何故こちらの世界に俺を呼んだのか──その疑問はあるがひとまず脇に置いておき、レイは自分の知っている知識を披露する。
「ああ、切り裂きジャックは俺の世界にいた連続殺人犯だ」
エンディは興奮した顔でレイの次の句を待つ。
「そいつは夜な夜な娼婦の咽喉を斬って殺し、死体から臓器を持ち去った。そして犯行の合間に手紙を寄越したんだ」
エンディの脳内には女の死体と送られてきた腎臓の光景がフラッシュバックする。
のどを裂いて殺し、その内臓を持ち帰る。あの女を殺した手口と全く一緒だった。
「それは──こちらで起きている事件とそっくりだ」
そう言ったエンディは愕然とした表情でぼそりと呟いた。
「異世界にも同じような殺人犯がいるなんて」
俺からすればこっちの世界の方が異世界なんだがな──レイは彼女の言った異世界という言葉にはやはり慣れなかったが、下らない事を考えている場合ではないと頭を振る。そんな彼にエンディは言った。
「もしかしたら、なのだが……」
「なんだ?」
「こっちに来た異世界人は君だけでは無く、その切り裂きジャックを名乗る殺人鬼もこちらの世界に来ていたのでは──」
「ありえないな」
「何故だ? 同姓同名の、同じ手口の殺人犯が違う世界に存在する、なんて話よりは説得力があるだろう」
レイはエンディの反論には答えずタバコを咥えた。そしてマッチをハリティに返してしまった事を後悔する。
自分の持ち物を一通り思い浮かべてみたが火元になりそうなものは何もない。そこでエンディが掌から火球を飛ばしたのを思い出す。
「火はあるかい?」
そう聞いてきたレイにエンディは暫し逡巡する。彼女はタバコを好まないが、吸わせてやらなければ彼の口から続きが聞けそうもない。
大人しく従う事にし、彼の咥えたタバコの前に手のひらを上に向けて魔法陣を展開した。
「Ignis」
エンディが呟くと、魔法陣からは細く小さな火が立ち上った。レイはそれに顔を近づけ、火をつける。
紫煙にエンディは一瞬嫌な顔をするが、すぐに表情を取り繕うと換気のために窓を開けた。
「奴は──俺が生きていた時より百年以上前の人間なんだよお嬢さん。生きているはずがない」
「そうか……」
推理が外れてしゅんとしたエンディを見ながらレイは考える。そもそも自分と切り裂きジャックの間には何の関係も無い。
そんな奴がたとえこっちの世界に来たとしても、自分を呼び出す謂れはない。
レイはとりあえず今ある情報を全て把握しようとする。
「手紙は持ってきたか?」
エンディはその言葉に胸ポケットから紙片を取り出した。
「本当はダメなんだが。部外者の人間に捜査の情報を伝えたり、資料を見せるなど……でも君ならば何か分かるかもと思って──」
エンディが差し出した紙片にレイは目を通す。この世界の言語で書かれたそれは読めなくも無い。しかし震えた手でペンを握ったのか、かなり汚い文字で書かれている。
「これが送られて来たのか? 汚い字だな」
「そ、それは、私が写したんだ……原本を外に持ち出すのは流石に気が引けて──」
「原本がダメなら、内容を持ち出すのもダメだろ」
レイの言葉にエンディは何も言えなくなってしまった。
彼女の行為は立派な規則違反だ。正当な手続きを経ているならまだしも、捜査に関する情報と言うのは一般市民には決して開示されない。当然、その資料を持ち出して部外者に見せるなどもってのほかだ。
「それにしても何だってこんなに震えている字なんだ? もしかして犯人から手紙が来てビビったのか?」
その台詞に図星を突かれたエンディは誤魔化すようにレイをキッと睨む。
「こ、怖がってなどいない!」
否定した彼女は饒舌になった口で続けた。
「そもそも、私は騎士だぞ! 人殺しから送られてきた手紙に怖がったりするものか! そもそも字が震えているのは机がガタガタで──」
レイは必死に自分の恐怖心を隠そうとしているエンディを無視して手紙の内容を吟味する。
その内容は切り裂きジャックが送った手紙とほとんど同じであった。
いくつか違う点はある。
一つは宛名、これはオリジナルにおいては記者の名前だったはずだ。それが異邦人になっている。
そして『下ごしらえをありがとう』、なんてのも書かれていなかった。
「君の世界の切り裂きジャックも手紙を送ったと言っていたが、その手紙と似ているか?」
咳ばらいをして平静を取り戻したエンディはいつもの仏頂面に戻った顔でレイにそう聞いた。
レイは頷いて答える。
「ほとんど同じだ。だが違う箇所がある。『下ごしらえ』の下りだ。これはオリジナルにはなかったはずだ……あの女からは腎臓が二つとも抜き取られていただろ?」
エンディは彼女の体内を思い出して青い顔をしながら頷く。
「手紙じゃ傷つけた方は食べた、と書いてある。この傷つけた方っていうのは──」
「君があの女性にナイフを投げて傷つけた腎臓のことか」
レイは頷いた。投擲したナイフが刺さった先はちょうど腎臓があった場所だ。ナイフの刃渡りからして、その傷は腎臓にまで達しているのは明白だ。
「下ごしらえとは君があの時つけた傷の事か──」
「だろうな。そう考えると、この異邦人というのはお嬢さんの推理通り、俺の事だ」
「やはり……そうなのか」
エンディは自分の推理が当たっていたことに複雑な表情をする。つまり、この事件の犯人はこの男に関係しているという事だ。だが何故こんなことをするのか──それはレイも同じ気持であった。
「整理しよう。君をこっちの世界に呼んだ三人組──彼らには黒幕がいた。その黒幕は君を殺したがっている」
「だろうな」
「しかし三人組は君の殺害に失敗し、生き残った女性を口封じに殺害した」
レイに異論はなかったため「だろうな」と同じセリフを繰り返す。
「だがそれは知られたく無いことがあるから殺したんだろう。なぜわざわざ君宛に手紙を送るんだ?」
レイは大きく頷く。彼も全く同じ疑問を抱いている。
口封じのために殺したのだろう。しかしわざわざ手紙を送るという証拠を残す様な行動をしている。
「それは俺も不思議に思ってる。この犯人の行動には矛盾がありすぎる。ただ一つ分かるのは、挑発されてるってことだ」
「挑発?」
レイは矛盾した犯人の行動に「俺を捕まえてみろ」と挑発して誘っている意図を感じとる。
そして彼は自分が置かれている状況を把握した。
手札は参加者へとすでに配られている状態なのだ──つまり、ゲームは既に始まっている。
問題は対戦相手が分からない事。
相手の顔が見えない状況でポーカーをしているのも同然。駆け引きが重要なゲームで相手の顔が見えないのはだいぶ不利だ。
そんな状況でレイは挑発に乗ることにし、確固たる意志を燃やす。
俺をこんな目に合わせたんだ。必ず後悔させてやる──




