2-16 過去に傷を負う人間 -イゼリン・トゥーリ-
冗談もそこそこに、レイは自分のポケットをまさぐり先ほどの戦利品を確認する。
あの金品の山から持ってきたのは手のひら大の平な入れ物だった。
鈍い銀色をしたそれの側面にある留め具を外して開く。中身はレイが想像した物だった。
ケースの中に整然と並んでいる両切りのタバコ、そこからレイは一本取り出し口にくわえるも火が無いことに気付く。
リンはそれを察したのか、エプロンの下にある服のポケットから四角い紙でできた箱を取り出した。
「どうぞ使って」
その箱を開けると中身はマッチだった。しかし馴染みのあるマッチとは若干違い、レイは戸惑った。なにせ箱にマッチをするためのやすりがついていない。
もしかして、と思いマッチをカウンターに押し当てて擦る。ほんのちょっとの刺激だったが、あっという間に火が付いたそれを見たレイは自分の考えが当たっていたことに気付く。
黄燐だ。毒性があり、すぐに発火する危険物、レイはもっと安全な火元を探そうと決め、咥えたタバコに火をつける。
肺に送り込まれる煙に、レイは酒を口にした時と同じような懐かしさを感じる。
ゆっくりと堪能するように時間をかけて天井に吐き出す。紫煙が霧散していくのを眺めながらレイは犯人を狩るための作戦を幾つか思い浮かべる。
情報はあまりないが、早めに策を練っておくのは悪くない。
そして作戦に必要な物を思い浮かべる。
まずはクワトロという人間、あの筋骨隆々した体の老人は騎士団という組織の長と言っていた。
そして彼に遭う人間が敬礼と共に向けていた畏敬の念をみると、よほど慕われていると見える。
段取りは彼に頼めば何とかなるだろう。捜査情報もエンディに聞いてダメであれば、彼に貰えばいい。
ある程度の考えがまとまったレイは一度、隠れ家に戻ろうとリンを呼んだ。
「会計を頼むよ」
レイはそう言いつつエンディから奪った巾着から銀色の硬貨を机の上に置く。しかしリンは受け取れないとばかりに首を振った。
まさか足りないのか、とレイは危惧したがそれは杞憂に終わった。
「多すぎるわ。もっと小さいの無い?」
「釣りはいらない。残りはとっておいてくれ」
自分の金では無いため懐は痛まないとばかりに言い放ったレイはスツールから立つ。そして出入り口に向かうもリンに呼び止められる。
「ちょ、ちょっと待って! 流石にこれだけの額は──」
レイはカウンターに戻り「それなら」と彼女に言った。
「ボトルを一本くれないか」
お釣りの代わりにボトルをひっさげたレイは、隠れ家の前に立つ。
一階は商店でも営業しているのか、開け放たれた扉からよく分からない雑貨が所狭しと並んでいるのが見える。
商店の壁についている階段を上がり、クワトロの用意した部屋の前に立ってドアノブを握るとレイはある事に気付いた。
鍵をもっていない──死体を見に行くときにはエンディが戸締りをしていたため、鍵は彼女の手の中にある。
どうしようかと悩んでいたレイの耳に階段を上がってくる音が聞こえてきた。
音の主であるエンディは階段を上がりきってレイの姿を認めると駆け寄って来る。
「すまない。君に鍵を渡すのを忘れていた」
そう言って彼女が差し出した鍵を受け取ったレイは鉄でできたそれを見つめる。
シングルシリンダーと呼ばれる片側だけがぎざぎざになっているそれを鍵穴に差し込んで回す。
扉を開けて中に入ったレイはベッドに体を投げ出す。エンディはレイの手に握られているボトルと、彼から発せられる微かなアルコール臭に気付いた。
まさか私から奪った金で酒を飲んだのか──彼女は眉をしかめ、ベッドに寝転がっている彼に向かって口を開く。
「まさか……お酒を飲んでいるのですか?」
「そうだ。何か問題が?」
「いえ……人の生活をとやかく口を出す気はないのですが……昼間から酒を飲むのは────」
苦言を呈する彼女に、お説教が始まりそうな雰囲気を感じたレイは話題を変える。
「なんでここに来た? わざわざ鍵を持ってきただけか?」
エンディはその台詞に自分がここに来た一番の理由────胸ポケットの紙片を思い出す。
そして周りには誰もいないにも関わらず声音を落とすとひそひそと喋り始めた。
「実は……手紙が届いたのだ。あの女を殺したであろう犯人から」
それを聞いたレイの胸中には「まさか」と「やはり」という矛盾した感想が浮かぶ。
「誰宛だ?」
「宛名は……恐らく君だ」
あの娼婦を殺した犯人からは接触があるとは思っていた。そして切り裂きジャックを模した犯人であれば、それが手紙で来ることも予想はしていた。だからこそエンディに手紙が来たら知らせろ、と言っておいたのだ。
しかし偶然の一致かも知れない、という思いも抱いていた。
レイは自分の記憶から切り裂きジャックについての情報を引き出す。
18世紀のロンドンで夜な夜な娼婦を殺して回った殺人鬼。
殺すだけではなく、被害者の内臓も持ち去っていた。
そして挑発するように、警察や新聞社に手紙を送ったのだ。それも臓器付きで。
センセーショナルに報道された事件は現代でも話のネタになる程だ。
「当ててみよう。手紙には殺された女の腎臓がついていただろう」
レイは自分の世界に起きた事件の話をそのまま口にしただけだ。だがエンディは目を丸くして驚く。
「な、なんでそれを──」
「奴はなんと名乗っていた? 切り裂きジャックか?」
その言葉にエンディは慌ててレイに詰め寄った。
「そ、そうだ! 切り裂きジャックと名乗る者だった。やはり君は何か知っているんだな!?」
レイはその答えで確信した。あの女を殺したのは俺をこちらに召喚した人間なのだ──




