2-15 失われた過去
「過去……?」
オウム返しで聞いてきた彼女の表情は不機嫌さと興味深さがないまぜになったような複雑な表情をしていた。
レイは何かまずい事でも言ったか、と考えたが何も心当たりはなかったため話を続ける。
「そう、過去だ。過去に悩んでる」
「具体的には?」
レイはまたも誤魔化すように答える。
「ほら、誰かが言っていただろう。過去は死なない、過ぎ去らないって」
その台詞にイゼリンは困惑した表情を浮かべる。
「何を言いたいのか分からないのだけれど……良い言葉ね。誰の言葉?」
レイは「昔の人さ」と答える。その言葉の主は思い出せるが、その言葉をどこで知ったのか、どういった経緯で知ったのかは全く分からない──レイは空のグラスを手の中で弄びながらボソリと呟いた。
「だけど俺の過去は死んでるのさ」
イゼリンはいまいち理解できないレイの言葉に「そうなの……」と複雑な表情を浮かべ、青い瓶にコルクを詰め、カウンターの下に戻した。
レイはそれを見て慌ててグラスを掲げた。
「オススメは飲ませてくれないのか?」
目の前で酒が消えていった事にレイは不満を漏らすが、イゼリンは悪戯をする子供をしかるような表情で答える。
「おあずけよ。それよりも……過去が死んでるってどういうことなの?」
「ここは相談もやってるのかい」
「まさか」とイゼリンは言う。
「どうせ暇だし、話し相手になってほしいのよ。こんな時間から店を開けるなんて初めてだから」
レイは彼女の質問に悩み、己の考えを改める。死んでいる、という表現は正しくないかも知れない。
「眠ってるだけかもしれん」
「ますます分からないわ。もしかして……適当に喋ってる?」
自分が異世界からやって来た男で記憶を失っている、なんて話を出来るわけがないとレイは複雑捜査な子をする。
「いたって真面目さ。ただ……複雑なんだ」
「よかったわ。一人が好きなのかと思って適当言ってるのかと──」
「一人も好きだが、美人と飲むのはもっと好きだ」
「あら、誘ってるの?」
「かもしれない」
そう冗談を言ったレイの黒い瞳に思わず引き込まれそうな気分になったイゼリンは慌てて目を逸した。
「ウチはお誘いはお断りしてるの」
「そいつは残念」
「本当は何があったの?」
レイは話の主導権を握ろうと聞き返した。
「秘密だ。それより君の事を聞いても?」
はぐらかされたイゼリンは頬を膨らませ、すねたような表情をしながらも頷いた。
「ここは長いのか?」
「もう5年ぐらいかしら」
「それじゃあ、ここら辺の事にも詳しいわけだ」
「そこそこね」
情報がある場所はどこか、とレイは問われたら『酒場』だと答える。
多種多様な人種や年齢の者が集い、酒で軽くなった口で大声で喋る。
情報を得るには格好の場所だ。そんな所に勤めている人間ならば、何かしら情報を知っているかもしれない。期待はしていないが、今後のためにも酒場の人間と親しくしておくのも悪くはない。
「頼みをしても?」
「なにかしら? お誘い意外だったらいいわよ」
その言葉にレイは「それはまたの機会に」と笑って言った。
「最近この辺じゃあ娼婦が殺されてるだろう?」
「そうね……物騒な世の中になったわ」
「その事件に関する噂を聞いたことないか?」
「残念ね。全くと言っていいほど聞かないわ。頼みってのはそれ?」
対して落胆はしなかった。様々な人種が集まると言っても、この世界の事を知らない。もしかすれば娼婦が集う酒場というものがあるのかもしれない。
「頼みってのは、もし娼婦殺しについて情報が入ったら教えて欲しい」
「変な頼みね……もしかしてあなた騎士?」
その言葉にレイは吹き出しそうになった。自分の事は分からないが、自分が法の側に立つ人間では無いことは分かる。
躊躇いなく人を殺し、拷問を行う人間がそういった立場の人間で有るはずがない。
「いいや、俺が騎士に見えるか?」
「自分で言っておいてなんだけど……まったく見えないわ、剣を持ってないし──そもそも真っ昼間から飲んでる人が正義の味方なんて考えたくないもの」
からかうように言ったイゼリンにレイは「そりゃそうだ」と頷いた。彼女の言う通り、真昼間から酒を飲む俺のような人間が正義の味方であるわけがない。大体、俺は正義の味方なんて御免だ──
「それじゃあなんでそんな頼みを? お気に入りの子が犠牲にでもなったの?」
「いいや、違う。女性が殺されるのを見過ごせないだけさ」
おどけた表情で答えたレイにイゼリンは尚も聞いてくる。
「嘘ばっかり、本当の目的は?」
その質問にもレイは冗談めかして答えた。
「嘘なもんか、俺ほど女性を敬う人間はいないぜ」




