2-14 酒場での出会い
スリにあったが、色々と収穫を得たレイは上機嫌で酒の入れ物の看板を掲げている店の前に戻ってきた。
老舗なのだろう、年季の入った店構えからはアルコールの微かな匂いが漂ってくる。
この世界の貨幣制度を知らないが、エンディから奪った金があれば充分だろうと、レイは扉の前に立つ。そして西部劇で見るような両開きのドアを押した。
店内に入ったレイは、ファンタジー映画で似たような酒場が出ていたなと思い出し、懐かしい気分になる。
コの字のカウンターに、複数人が顔を突き合わせて座る事が出来るテーブル。
だがテーブルには椅子が上がっており、客の姿は見えない。開店前なのだろう、と察したレイが背を向けた瞬間、カウンターの下から声が聞こえてきた。
「お客さん?」
そう言って雑巾を片手に出てきた女は暗いブロンドの髪をしていた。こういった髪色なら馴染みがある──そんな思いを抱いたレイに、彼女は雑巾を放り出すと言った。
「どうぞ座って」
その言葉にレイは明らかに開店の準備が整っていない店内を見回すと聞いた。
「開店前じゃないのか?」
「ウチはお客さんが来たときが開店時間なのよ」
店員であろう女は目線でカウンターを促す。
レイは彼女に促されたカウンターのどこに座ろうかと考え、一番端の席に腰かけた。
ここならば店内を全て見回すことができ、入り口を見張れる──座り心地は決していいとは言えない木のスツールに腰掛けたレイは、メニューを探して三度店内を見回す。
だがレイの探し物は見つからなかった。そんな彼に近づいてきた女は使い込まれたエンプロで手をぬぐいながら聞いた。
「何にします?」
最悪な気分の時はまずキツイのに限る、しかしこの世界にどんな酒があるか知らない。レイはぼやかしながら注文した。
「そうだな。とりあえず一番強いやつを」
「それならこれね」
女はグラスと瓶をカウンターから取り出してレイの前に置く。そして瓶のコルクを抜くと中の透明な液体をグラスに注いだ。
アルコールのきつい刺激臭が漂ってくるそれをレイは手に取って観察する。
見た目には酒以外の物が混ざっているとは思えない。それにここまで強いアルコールならば殆ど無味無臭だろう。味や匂いがある毒ならばすぐに分かる。
つまり毒が入っている確率は低い──そう思ったレイはバカバカしい、と中身を一気に飲み干す。咽喉と食道が焼けるような感覚に思わずむせそうになりながらレイは自分を諌める。
神経質になり過ぎている。そもそも適当に選んで入った店だ。そこの店員が自分を毒殺する確率など天文学的な数字だ。
ウォッカに似て味は殆どせず、まさにアルコールといえるその液体が体内に流し込まれ、体の芯が熱くなるのを感じたレイはグラスを差し出す。
「他の強いヤツは?」
驚いた表情であっという間に空けられたグラスを見た店員は、別の瓶を取り出してグラスに注ぐ。
レイのグラスに、今度はトウモロコシに似た甘い香りが微かに香る琥珀色の酒が注がれる。
それも煽るように飲み干すと、バーボンに似たその味にレイはどこか懐かしさを感じた。
恐らく、記憶を失う前の俺も似たような酒が好きだったんだ──全身に熱が回り、活力がわいてきたレイは「同じものを」とグラスを差し出した。
「そんなペースだと潰れちゃうわよ?」
「これぐらい何ともないさ」
レイは注がれた琥珀色の液体を、今度は味わうように飲む。口内で転がすと、雑味と鼻に抜ける甘ったるい匂いがきつい。安酒だが飲めない程ではない。
高級なバーボンを期待していたわけではない、むしろこの安っぽい味は妙に落ち着いてしまう。
酒を飲むのは久しぶりな気がする──レイは摂取したアルコールが体に回っていくのに軽い高揚感を覚える。満足げに酒を味わう彼に店員は不思議そうな顔をした。
「そんなに美味しいものじゃないでしょう? 全部安いお酒よ」
自分が働いている店を卑下するようなその言葉にレイは軽く笑いながらぶっきらぼうに答えた。
「酔えるならなんでもいいさ」
それで満足してくれるならいいのだけれど、と店員はグラスを拭きながらなおもレイに話しかける。
「それにしても……真昼間から凄い飲むのね」
「誰にだって昼間から飲みたくなる時はあるだろ?」
特に、異世界へと突然召喚された時はな──レイは心中で皮肉を呟く。
店員はそんなレイの顔をじっと見ると聞いた。
「ここらへんの人じゃないわね」
その言葉にレイは「そうだ」と頷く。彼女は当たったことが嬉しいのか手をパチンと合わせる。
「この店は常連しか来ないもの」
「そうか……最近ここらに越してきたんだ」
「道理で見ない顔だと思ったわ。今後ともウチをよろしくね」
レイは店の営業も欠かさない彼女におかわりを注文する。
「同じ奴を頼むよ」
「いいけど……ペースが早すぎない?」
「いいのさ、これぐらい飲んだうちに入らない」
彼女は注文通り酒を注ぐと聞いた。
「名前を聞いてもいいかしら」
「レイだ」
店員は一瞬グラスを拭く手を止めたがすぐに再開して名乗り返した。
「イゼリンよ。常連さんはリンって呼ぶわ」
「リンと呼んでも?」
「明日も来てくれるなら」
そう言った彼女の顔にレイは哀しみを受け取った。しかしそれは笑顔の裏に引っ込んでしまう。レイは軽く笑って言った。
「勿論来るさ」
イゼリンも軽く笑いながら答えた。
「だったらいいわよ」
レイはその返答に頷くと、注がれた中身をあっという間に飲み干してグラスを差し出した。
「オススメはあるかい、リン」
「オススメねぇ……ちょっと待ってね」
イゼリンはカウンターの下に潜り、何かを探すかのようにがさごそと漁っている。彼女はカウンターの下から聞いた。
「そんなに飲むなんて……何かあったの?」
知らない世界、それも剣と魔法の世界に記憶喪失で放り出される──何かあった、では済まされない出来事にレイは苦笑いする。
しかしこの事を言いふらしたりは出来ない。レイは誤魔化すように言った。
「最悪な事があったのさ」
それにイゼリンは平然と答える。
「最悪な事が無い人生なんて無いでしょうに」
そう言ってカウンターの下から青色の酒瓶を手に出てきたイゼリンは続けた。
「むしろ人生それ自体が最悪なのかもね」
そう哲学的な台詞を言った彼女の表情にレイは微かな憐れみを感じとった。しかし先の哀しみと同じく、すぐに笑顔の裏に引っ込んでしまった。
「俺が思うに……人生は最悪なんじゃない。人生ってのは手術みたいなもんなんだ。やっている最中は最悪だが、終われば病気が治って最悪じゃなくなる。最悪なときもあれば最悪じゃない時もある。それが人生ってやつだ」
余りにも当然な事を言い出したレイにイゼリンは「へぇ」と酒飲みに対する生返事をする。
「そして手術には麻酔が必要だろう? 酒ってのは麻酔なんだ。人生っていう手術を耐える麻酔なのさ」
イゼリンはレイの冗談にころころと笑った。
「それで──麻酔が必要なほど大変な手術なの? 患者さん」
「あぁ、最悪だよ」
レイはイゼリンが出してきた酒瓶から中身が注がれるのを頬杖をついて待ちながら答えた。
彼女は既に長い時をこの店で働いているのだろう。コルクを抜く動作は慣れていた。
小気味良いコルクの開栓音を上げた青い瓶をレイのグラスに傾けた彼女は言った。
「人生の何が最悪なの?」
「過去さ」
そう呟くように言ったレイの顔に一瞬だけ浮かんだ酷く哀しい表情をイゼリンは見逃さなかった。彼女は思わず酒を注ぐ手を止めてしまった。
そしてレイもそんな自分の表情に数秒遅れて気付き、すぐに元の顔に戻した。




