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未定

作者:

心臓を貫かれた、まだ温かい女性の骸を抱きかかえた。匂い慣れた香りが鼻をかすめる。真っ赤に染まった胸元を見なければ眠っているようにしか見えない。

ぬるりと、生暖かい液体が手を濡らす。濡れた手を月明かりに照らす。その液体の正体が何かはわからなかった。

不意に、服から異臭がした。鼻につく、鉄のような臭いだった。

賢い少年はそれだけでその液体が何なのか、最愛の女性の状態を理解した。それから、嘔吐した。何度も何度も、腹の中のものがなくなるまですべてを吐き出した。

気分の優れない少年は、死んだ最愛の女性を未練がましく呼んだ。何度も呼んだ。しかし返事はない。

その時、悲しみという感情は生まれなかった。それよりも強く、憎悪が思考のすべてを埋め尽くしていたからだ。

何故か涙は出なかった。出てくるのは、物騒な呟き声のみ。

少年は一段と強く、冷え始めた骸を抱き締めた。いつもなら抱き返してくれる最愛の人はもういない。あるのは亡骸のみ。その亡骸は動かないし喋らない。

少年は骸を燃やした。骨すらも残らないように強い炎で燃やした。結果灰すらも残らなかった、黒く焦げた地面を見つめて、少年は呟いた。

殺してやる、と。




講義中の教室というのは、今まで生きていた中で経験したものの中で、だんとつで退屈でそこで行われている行為は無意味なものだ。

教室の一面をふんだんに使用した黒板に、教員が長ったらしい説明文とともに、複雑な図形と数式を白墨で描いた。

この時間は魔術の専攻。この国最高峰と称される学院のだ。しかしながら、何も琴線に触れることはない。すべて知っているからだ。だから、退屈に拍車がかかる。本を読もうかとも考えた。だが、この学院に蔵書されている書物は粗方読み尽くした。元々、王都の図書館より数は劣っていたのだ。粗方読むのにそう時間はかからなかった。

自分は本をあまり好きではない。では、なぜ読んでいるのか。それはただの暇つぶしだ。傍から見れば自分は熱心な読書家に映るだろう。それは違う。濫読家だ。特にジャンルも決めていない。好きな作家も歴史的人物もいない。ただ、手当たり次第に手に取り、そのすべてを読む。読んで読んで読み尽くし、それからまた読む。その繰り返し。それを続けていれば、読む本もなくなる。自業自得だ。

温かい日差しが差し込む窓から外を覗く。今日は雲ひとつない快晴。もうじき冬が終わるはずなのにもかかわらず、太陽の自己主張はいつもよりも激しい。

「ふぁ…」

欠伸が出た。脳に酸素が足りてないようだ。では、しっかりと供給しなければ。教室の中を見渡せば、自分のように欠伸するものやうとうとしているもの、堂々と寝ているもの、生真面目に面白くもない授業を受けているもの。多種多様だ。誰一人として同じ人間はいない。

大きく背を伸ばす。座っているだけというのも中々に疲れる。凝り固まっていた体が弛緩していくのを実感する。その最中、教壇に立つ教員にそれを見られたが、あちらは何も言わない。授業は面白くないが賢い人間だ。いくら言っても無駄ということを理解している。

不意に鐘が鳴った。授業の始まりと終わりを知らせる鐘の音。この音は終わりの知らせだろう。その音でウトウトしていたものも、寝ていたものも覚醒する。教員はこちらを終始睨みながら軽く一礼して教室をあとにする。

では、自分も教員を見習って教室をあとにしよう。

この教室には扉が前にしかない。それも当然だ。教室の後ろに行くごとに、階段と同じだ、高くなる。定位置が教室の最奥の窓辺の自分は、わざわざ階段を下らなければならない。一言で言えば、面倒な位置だがそのおかげか人はほとんどいない。だから、そこを定位置にしている。何事にも一長一短はある。そういうことだ。

教室を出て、向かう先は図書館だ。本館と離れた別館にある図書館は、この学院に唯一存在する憩いの場と言っても過言ではない。静かなのだ。図書館だから静か、というのもあるだろうがただ単純に人がいない。

その図書館へ向かう最短ルート。誰も寄り付かないせいで現実と乖離した世界のように思えてしまう場所への入り口に立った。それから足を踏み入れる。

中庭へと続く、草木のアーチを抜ける。そこはお伽噺に出てきそうな、妖精たちが住まう森の中を彷彿とさせる、幻想的な空間が広がる。天から降り注ぐ陽光が、ここは別世界だとより一層強く錯覚させる。

その中庭の中央に、豪奢で綿密な意匠が施された、相方を失った丸机がぽつんと寂しそうに佇んでいる。その上には、これまた高価そうなティーセットと分厚い書物が渾然と乱雑に置かれている。可憐な淑女らが見たら卒倒しそうだと思いながら、歩みを進める。

最早見慣れた光景だ。驚きはしなくなった。

不意に、どこからともなく声がした。

「おお、卿か」

こんな呼び方するスキモノは一人しかいない。予測であるが、確信を持ってそちらに視線をやる。

視線の先には、本を片手に、木の幹に背を任せ、太くなった枝に腰をかける、かなり改造された制服に身を包んだ少女がいた。淡い群青色の瞳に少年を映し込んだ少女は、とても嬉しそうに笑っていた。しかしながらこちらの心中はこの限りではない。

「その呼び方やめてください」

「いいじゃないか。減るものじゃないのだし。卿は私に勝利した、それだけで私にとっては卿は尊ぶべき存在だ」

少女は身軽に木から飛び降りる。この国では中々お目にかかれない銀の髪が眼前を揺蕩った。普段嗅ぎ慣れない芳しい香りが鼻をかすめる。

着地した少女は手持ち無沙汰な自分を見て、腑に落ちたのか声を上げた。

「今日もまた図書館か」

「そうですよ。貴女なら訊かなくてもわかるでしょう」

「それはそうだが、やはり直接訊くとそうでないとはニュアンスが違ってくるだろう。何か覗き見してるみたいじゃないか」

そうですよ、と一瞬言いかけたが寸前で呑み込んだ。これに関しては、彼女はとても気にしている。そのことをわざわざ指摘するなど野暮なことはしない。

「時に卿よ聞いてくれよ」

少女は可愛らしい仕草で自分を軸に回りながら猫なで声を発した。

彼女が聞いてほしといった話は、大体彼女が望まない何かが実行され、強行されたときに話す常套句だ。世話になっている手前、無下にすることもできない。

「なんですか」

渋々ながら話を聞くことにした。その返答を聞いて、少女は屈託のない笑みを見せた。それから申し訳なさそうな顔をする。

「ありがとう。いつもすまないね。ストレス発散に付き合わせてしまって」

「いいですよ。それより話とは?」

「耳聡い卿なら知っているかと思うが帝国についてだ。つい最近皇帝が崩御されて、新しい皇帝が誕生したのは周知の事実だ。しかしな、その新皇帝がこちらと同盟を結びたいと宣わっているらしいんだ。こちら側もその話に乗り気で、近い将来に同盟が締結される予定だ。でな、ここからが本題なのだが、その際の調印式に私が呼ばれる予定でな…」

後ろになるにつれ、どんどん声に力がなくなっていく。遂には、萎れた山菜のように活力が失われていた。

「ああ…」

大体予想がついた。調印式で彼女の異能を使って真意を確かめてこいということだ。

彼女が億劫そうなのにも納得がいった。

こちらの顔を見て少女は頷いた。

「私自身、この異能に興味こそあるがあまり好ましいものだとは思ってないのでな…この話を聞かされてから卿にこの愚痴を話すためにずっと溜めてたんだ。スッキリしたよ」

「そうですか。それなら何よりです」

少女はこちらを一つ瞬いた。それから、顎に手をやる。話が終わった途端に、何か考え込むような仕草をするものだから、つい胡乱な目で少年は少女を見てしまう。その視線に気づいたのか、少女は苦く笑う。

「いきなり考え込んですまないね。私の悪い癖だ。予兆もなく物思いに耽り、一度耽れば途端に周りがどうでも良くなってしまう」

直さないといけないのだけどね、と小さく続けた。

「話を戻そうか。卿はもう直三年だ」

「そうですね。何事もなく春が来たらその予定です」

「では、単刀直入に…卿は従軍するのかい?」

「従軍ですか…」

従軍。その単語を彼女から聞くとは思わなかった。この国で王の次に誉れ高い職業と国民に問えば、異口同音に高らかと答えるだろう。軍属と。

残念ながら自分はそんな職業に就く気は毛頭ない。盲信的に戦場が我等の帰結の場と、殉職は最上級の名誉だと、盲目的に盲動的に信じてやまない愚かな民衆を見るだけで神経が逆撫でられる。ここまで極まった嫌悪感を示すこと自体珍しいが、嫌いなものは嫌いだ。その感情を譲歩する気はない。

目の前で少女は、見目麗しい容姿を形容し難い表情に変貌させている。おそらくは聞いた。いや、それは語弊がある。聞こえた、といったほうが適しているはずだ。それから聞こえていたであろう彼女に言葉を紡いだ。

「これが答えです。意にそぐわなかったのであれば謝罪します」

そう言って、頭を下げる。それを見て、少女は呆ける。それから慌てて顔を横に振った。

「いや、謝らなくていい!卿ほど峻烈ではないが私も同じようなことを思っていたし、それを聞いて安心した。それより顔を上げてくれ」

顔を上げると、少女はどこか不満気に言葉を漏らした。

「卿のその変に謙るところは改めた方が良いと思うぞ」

「はぁ…?仕方ないのでは?貴女は姫で私はあくまでも平民。その間には深い溝があることぐらい聡明な貴女なら理解してるでしょう?」

「しかしだな、王位継承権を持たない第六王女で庶子だ。本来姫といわれるのもおこがましい身分なわけだ。しかも、今は私的な場だ。その場でそんな態度だとこっちが困ってしまう」

「………善処します」

「ああ…そうしてくれ」

沈黙に耐えきれず苦し紛れに紡いだ言葉を聞いて、少女は諦めたような顔をする。また聞こえたのだろう。つくづく哀れな異能だ。

突として、学院の中に聳え立つ時計台から、鐘の音がここら一帯に響き渡った。二人は弾かれたように空を見上げる。いつの間にか空は茜色に染まりかけていた。雲ひとつない快晴だったせいで、目を凝らせば薄い月が目視できる。直に夜が来ることは明瞭だ。

「もう黄昏時です。閉め出されるのは勘弁なので寮に帰りましょうか」

「そうだね。そうしよう」

素直に従った少女に驚きの眼差しを向けた。その視線と何か言いたげな少女の視線がぶつかった。何となく気まずくなり、慌てて目を逸らした。

「そういえば、卿よ」

中庭を出たすぐで、少女に声をかけられた。足を止め、なんですかと言いながら振り返る。呼び止めた彼女はとてもいいづらそうにしながら、頬をほんのり赤く染め、目を右往左往させていた。

「あ、あれから一月ほど経つが身体の方は?」

その言葉を聞いて彼女の態度に合点がいった。

「あれから身体の調子はかなりいいですよ」

「そ、そうか…それは良かった」

それを聞いて、訥々と安堵の意を呟いた少女は、なぜかばつの悪そうな顔をする。

「どうかしましたか?」

そう尋ねると、少女は何でもないと慌てて言い放ち、歩き始めた。

暫く見ないうちに空は見事な茜に染まっていた。炎、もしくは飛び散った鮮血の色にを彷彿とさせるような色合いに、酷似していた。

もし、あの空の茜が炎で鮮血であるのならば、一体どれほどの生物が犠牲になったのか。空想的な思考を張り巡らしながら、少年は銀糸を下ろした華奢な背中を追った。



ぬるりと這った闇が空を黒く包んだ。茜は消え、朧に目視できていた満月と、ようやく現れた幾千の星星が煌々と暗い夜を照らす。辺りに人の営みの光はなく、余計夜空の美しさが際立って見えた。

少女は一頻りそれを眺めてから、カーテンを閉めた。それから部屋を横切り、ベッドに腰をかける。ふと、喉の乾きを覚えた。そういえば、三時間前の食事のとき以来何も飲んでいなかった。

「水を貰えるかい?」

そう言うと、まだ明るい部屋の片隅に佇んでいた、落ち着いた雰囲気のやけに大人びたメイドが恭しく頭を下げた。

「かしこまりました」

隣室に消えたメイドはすぐに戻ってきた。手には盆。その上には、水が入ったガラス製の杯が一つ置かれていた。

「ありがとう」

水を受け取ると、それを一気にあおる。そうすると、喉の乾きは消え失せた。何たいいたげなメイドが差し出した盆にそれを置き、下がらせる。

まだ寝るわけではないが、ベッドに仰向けで寝転んだ。心地よい反発感が体を包む。部屋を照らす照明の光を遮るように腕で影を作る。これでかなりマシになった。

「ねぇ、リーゼ」

「何でしょうか」

「なにか悪いことをしたとき貴女ならどうする?」

我ながら実に酷い質問だと思う。悪いこと。それはひどく抽象的だ。悪いことの範囲はとても広い。誰かを泣かせたり、物を壊したり、果ては人を殺めたりなど多種多様にある。そんなこと分かっていて、大雑把に問うた。

リーゼは暫く考え込むような仕草を見せる。その間、誰も言葉を発しない。静寂が部屋を支配する。その静寂を破ったのはリーゼでとても困った顔をしていた。

「一先ず謝罪…ですかね」

「じゃあ、その相手が自分を殺したいほど憎んでいたら?」

その質問を聞いて、リーゼは大きく溜め息を吐いた。心底呆れたような目でこちらを見つめてきた。

「それは御自身で御考えくださいませ」

リーゼはそれを言い放ち、少女は笑った。

「貴女には敵わない」

「それは褒め言葉として受け取っておきます」

「もう寝るよ。灯りを消してくれるかい?」

「かしこまりました」

暫くして灯りが消えた。カーテンを閉めたせいで、部屋の中に光はない。一寸先は闇と言えるほど、何も見えない。目を暗闇に慣らしてもなお、身近にあるものしか認識できない。

「おやすみなさいませ」

そう言って、リーゼは恭しく一礼し、隣室へ消えていった。

部屋には少女一人。光がないせいで寂しくもないのにどうしてか心細く感じてしまう。

小さく息を吐く。少女は光を遮る必要がなくなった腕を虚空へ伸ばした。そこに何かがあるわけではない。小説でよく見るような仕草を真似てみたかっただけだ。

そういえば、彼は今何をしているんだろうか。

疲れた腕を元の位置に戻し、そんなことを考える。本を読んでいるのかもしれない。何か作業をしているのかもしれない。彼についての思考をめぐらせれば巡らせるほど、思考が浮つく。ほんの一月前に自分の胸に抱いた彼の感触と温度が鮮明に想起する。あのときの彼からはとても良い香りがした。

それを上書きするように、そのときに視えたあの記憶が蘇る。

歯を食いしばる。浮つきは消え去った。残るのは悔恨の情と自分に対しての憤慨。そして、どうしても彼の隣には立てないと悟った自身への悲哀。それらが渾然一体と、慈悲も容赦もなく責め立ててくる。

これは眠れなさそうだ。

目を瞑ると幾度となくその光景がぶり返し、何者かわからない存在するのかも定かではない何かに執拗に責め立てられる。

当然だ。

自身の思考が淘汰された頭の中で、極々自然に発言と思考が噛み合った。少女は諦めたように脱力し、墨のように見事な黒で塗られた虚空を見つめる。

「ヴェン」

いつぞやか、彼が名乗った名を口にした。この場で名を呼ぶのは至極簡単なのに、彼を目の前にするとどうしてか名を呼べずにいる。彼がいると心が踊るし、彼が私に向かって話してくれているだけで愉悦に浸れる。この症状に心当たりがある。知っているが実際には知らない。何度も見たことがあるだけだ。

ああ…私はまるで恋する乙女みたいじゃないか。

恋愛小説の中盤。無自覚なヒロインが自身の感情を受け入れ、恋を自覚するそんな場面に類似していた。

私はヒロインではない。

そんな独白が闇に呑まれる。

彼に憎まれ、恨まれ、その果てに殺される。それが一番似合うそんな女だ。それでも、そんな私でも夢をみたいと傲慢に願う。しかし、それを聞き届ける者はいない。

当然だ。

また、噛み合った。

だって私は───

──大嘘つきの大罪人だから。

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