灯火をかかげて行く夢
目が覚めた、と言っていいのか。どこまでも黒く暗く、何も見えない空間ではそうもいえない気がする。見渡す限り真っ暗だ。自分の手も見えないほど、何処までも空虚。私の意地のようだ。
どうしようもなく、手探りのまま立ち上がった、気がする。そんな感覚があっただけだが、とりあえず立ち上がったのだろう。視点がなんとなくあがった気がして、あたらしい物が目にはいった。光のようにも見える。ユラユラとゆれるそれは、人魂のようにも見えた。
そんな光に惹かれるように、フラフラと歩き出した。足元はおぼつかず、何かででこぼこした地面を歩く。そう時間も掛からない内に、光のところにたどり着いた。するとわかったが、それはランタンだった。誰かがてに持っていたようだ。という事は、今私はその人の手元を見ているのか。ふと視線を上げれば、そこに背丈が高い人がたっていた。
茶色のコートをきて、フェルトハット(ツバがやや長い西洋の帽子の事)をかぶっており、その顔は物憂げにこちらを見ていた。体型や雰囲気から察すれば女性のように見えるが、しかし立ち振る舞い(たっているだけだったが)は男性のそれだ。不思議な人である。
しばらく、見詰め合っていたと思う。時間の流れも、周りの形さえもわからない真っ暗闇だから、判断はつかない。けれど、光に照らされた彼女(?)と真っ暗闇にいる私の視線は確かに合っていた。
ふと、彼女が口を開いた。と、思ったら閉じた。迷っているようにも見えた。またしばらくして、今度こそ彼女は声をだした。ハスキーな感じの、魅力的な声だった。
「来なさい」
と、一言だけ告げられる。神父や牧師の声のように厳格だけれど、待ってくれる優しさをなんとなく感じた。そして、私が動こうと足を一歩踏み出した瞬間、周りで何かが動いたような気がした。何かいる。誰かいる。一体なんだろう?
「誰かいるのか?」
私は気がつけば、そんな声を出していた。彼女が一歩先で待っているのを見ながら見渡した。また何かが動く気配。頭と同じぐらいの所から動く感じがしているので、恐らく見回しているのか?
「たしかに、そこにいる。けれど、感じあう事はできない」
彼女は半身だけこちらに向けながらいった。そこにいるけど、声は聞こえないという事だろうか? すると、彼女のそんな声を忠実に再現するように、直ぐに動く気配もうすれて消えた。ゆっくりと歩き始めた彼女の後ろを、急いで追い掛けた。
どこまでも真っ暗だ。何も見えない。けれど、彼女の輪郭と、手に持つ灯火だけはしっかりとそこにあって、私の道しるべだった。私も彼女も、何一ついわず歩いている。何処へいくとも知れない私は、不安を感じながらも彼女に続いて歩くだけだったが、ふとして、聞いてみた。
「ここは?」
「何処でもあり、何処でもない場所。ひとによっては」
彼女は一旦そこで言葉を切って立ち止まった。連動して、私も立ち止まった。
「冥府や冥界と呼ぶ者もいる。違いは些細だ」
そういって、彼女はまた歩き出した。冥府、冥界。つまり此処は、死者の世界という事。私は死んだのだろうか? だとしたら、なんともまぁ殺風景なところだ。地獄でも、天国でもなく、冥界か。どこかで、そこに落とされた人の話を聞いた気がする。そう思いながら、また彼女について歩き出した。
一体、どれだけ歩いただろうか。検討もつかない。足が痺れてきた。死者となり、霊と化していると思われるこの体でも疲れはたまるのだろうか? 足がもうパンパンで棒のようだ。足が三重に曲がったと言うのは、こういう状態のことをいうのだろう。不意に、バランスを崩して、四つんばいのような状態になった。彼女は振り返り、そんな私を見ていた。そこで、私は彼女にいった。
「少し休ませてくれ。足が痛いんだ」
すると、少し立ち止まった彼女は(熟慮しているようにも見えた)、誰ともなく何かを呟き、そこに座り込んだ。それに習い、私もどっかりと腰を下ろして足を伸ばした。見えない足を手探りでつかんで揉み解すと、疲れがとれていくような気がした。死んでいるのなら、このまま歩いていても問題ないのだろうか。そもそも、私はなぜ歩いているんだ? そんなことを考えてしまうほど、そこは居心地がよかった。なんとなくふわりと暖かかったのだ。
私はふと、彼女を仰ぎみた。物憂げに俯き、ランタンを地面において休んでいるようにも見える彼女に、どこか見覚えがあったような気がする。私は、彼女に聞いてみた。
「あなたは、一体?」
すると、彼女はこちらを見て、しばらく沈黙した。聞かない方がよかっただろうかと考えた時、彼女が口を開いた。深く詫びるような声だった。
「しがない詐欺師だった者だ」
詐欺師。また何処かで聞いた事がある。そして、心臓がきしむような感覚がした。何かを思い出しかけている。胸が痛い。胸を強く抑えた私を見ながら、彼女は言葉を続けた。
「過去、悪魔をもだまし、人を晦ませ、天国にもいけず、地獄にも行けなかっただけのものさ」
悪魔をだました。そうだ、思い出した。彼女、彼女の名を。
「あなたは…ジャック? カボチャのランタンで有名な?」
なぜそんなことを考えたのは、私には分からなかった。けれど、なんとなくで知っていた話は、耳に残っていたのだ。彼女は首を少しだけ上に向けた。私の言葉に気付かなかったようなそぶりだったが、ふとこちらに顔を向けて
「そうだった時もあった。もう、忘れてしまったが。」
とだけいった。
それから、しばらくして。誰ともなく、私でも彼女でもない物が「いこう」と呟いた。私がそれに驚く間に、彼女はそれに答えるようにたちがあり、「いこう」、と復唱した。私もそれに釣られるて立ち上がり、気付けば口を開いて、「いこう」と言っていた。足の疲れも、胸のきしみも、もう無かった。そして、私と彼女はまた真っ暗闇の中を、ランタンの明かりを頼りに歩き始めたのだ。
それから、どれだけ虚無を、空虚を歩いたか。もうわからない。ガラスの回廊を踏みしめるように、広大な草原を走るように、ただただ歩き続けた。何も見えてこないけれど、とにかくそうしたのだ。強迫観念というのか、責務感と言うのか。その時の私にはどうでもよかった。このまま永遠に歩き続けるのも悪くないかもしれない、と馬鹿な事を考え始めた時、急に彼女が立ち止まった。なんだろう? 私が疑問に思って声を上げる前に、彼女はいった。
「終点だ」
ここが、お終い? 周りを見回した。ただただ、真っ暗闇が広がっているようにしか見えない。けれど、彼女がいうならそうなんだろう。此処がお終いか。ずっと歩いてきた道の果てか。なんともさびしいものだ。けれど、それもいいかもしれない。この暗闇に身を置くのもいいかもしれない、と。そう思えば、心地のいい風が吹いた気がした。しかしふと思ったその時に、彼女が私を見ていることに気付いた。
そして、私はハッとなった。終点。天国でも地獄でもない、冥府の果てなどあるのだろうか? いいや、ないだろう。しかし彼女は終点と言った。終わり無き場所で終わりと言ったのだ。つまり、此処は冥府の終わりという事。私は、生きているのだろうか?
気付けば、彼女が私にランタンを差し出していた。それは大切なもののはずだ。片手で掲げられたその灯火はよく見れば青く、蝋燭に点いているわけでもなく、ランタンの中にふわりと浮かんでいた。悪魔の尽きない灯火だ。それは、彼女が此処にいるうえで必要な物のはず。やはり受け取る訳にはいかないと、首を横に振った。すると、彼女は差し出したままいった。
「お前が此処の生みの親だ。私は別のところにいる。そこでの私はこれが不要だ。もって行け」
私はそれが神聖な物だと感じた。私がここの生みの親か。想像が私の力だとするなら、彼女の生みの親も私であるのか。私は手を伸ばして、ランタンを受け取った。彼女が初めて微笑んだのを見た気がした。
「Slán.」
スローン。さようならの挨拶。私はそれに、深くうなずく事で答えていた。
気がつくと、私は自分のベッドの上にいた。後で聞いた話によると、酷くうなされていたらしい。高熱もでていたと言う。けれど、私はそんな体調の悪さなど感じず、上半身を起して右の手のひらを見た。
そこに、彼女を、彼女の灯火を見た気がして。私は思わず
「Slán.」
と、優しげな声で語りかけたのだ。
暗闇は、彼女が払ってくれたかのように。もう何処にも有りはしなかった。
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ちなみに、本当にこんな夢を見ました。
お目汚し失礼しました。